「世界広布新時代 青年拡大の年」に思う

 2017年(平成29年)、「世界広布新時代 青年拡大の年」 明けましておめでとうございます。本年も何とぞ “創価教学随想” をよろしくお願い申し上げます。

 S G I 会長 池田大作先生は、“「地涌の青年」よ 人類の希望の光源に” という 新年メッセージ を、S G I グラフ 1月号に発表してくださいました。
 そこには、「青年の心」 について指導されていますので、少々ですが引用させていただきます。

 青年こそ、人類の宝です。
 青年こそ、正義の力です。
 青年こそ、未来の希望です。
 戦後の日本の焼け野原に一人立って、「人間革命」 の民衆運動を開始された、わが師・戸田城聖先生が徹して光を当てられたのも、青年でした。
 ………
 「青年の心」 ―― それは、第 に 「挑戦の心」 でありましょう。
 御聖訓には、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(1190P) と説かれています。
 人生は、誰しも、思いも寄らぬ試練や行き詰まり、また、忍び寄る惰性や停滞との戦いでしょう。それらの一切を突破していく究極の力が、題目の獅子吼です。何があっても、「唱題の人」 は負けません。
 ………
 第 に、「青年の心」 とは 「学びの心」 です。
 S G I「行学の二道をはげみ候べし」(1361P) との仰せのままに、御書根本の実践で、世界広布を推し進めてきました。
 とりわけ、近年・各国・各大陸の教学運動の進展は、誠に目を見張るものがあります。
 ………
 第 に、、「青年の心」 とは 「開かれた対話の心」 です。
 広宣流布は、「友情」 の拡大であり、「共感」 そして 「信頼」 の拡大であります。
 わが家庭で、わが職場で、わが地域で、わが世界で、勇気と誠実の対話を重ね、温かな人間の絆、心の結合を築き広げていくことであります。


 「青年の心」 について、三点に亘って指針を示していただきました。
 特に私は、第 3 点の 「開かれた対話の心」 は、青年のみならず、すべての学会員は肝に銘じて、実践修行すべき大切な指針だと思います。
 池田先生は、“各地で分断の危機が憂慮(ゆうりょ)される今だからこそ、ありとあらゆる差異を超えて、世界市民を結ぶ創価の 「人間尊敬」 の対話によって、地球の未来を彩(いろど)る 「平和と共生の虹」 を懸(か)けていこうではありませんか” と指導されています。

 ところで今月29日、北九州市議会選挙があります。議会定数 4減の 57議席のところ、公明は 2増の 13議席めざしての戦いです。
 増やすところは、小倉北区(定数11)と小倉南区(定数12)で、共に 1増の 3議席での挑戦です。特に、小倉北区は 1減のうえに 1増の戦いです。
 これまでのところ、定数が減になったところで、公明が議席増の戦いをしたということを聞いたことはありません。それだけに、厳しい戦いになると覚悟しています。

 北九州は、先生より 「先駆の北九州」 という指針を頂いております。
 「北九州は、今や広宣流布の 『先駆の中の先駆』 である。 学会が嵐の渦中にあった時、暗雲を切り裂く暁のごとく、幾たびとなく、友の胸の空に、勇気と希望の旭日を昇らせて下さったのは、我が北九州の同志であった。 九州が立てば、全国が立つ 九州が勝てば、全国が勝つ この雄々しき先駆の大闘争心こそ、九州の魂だ。 愛する九州の同志よ 世界広宣流布の扉を開け 21世紀を、よろしく頼む」  (H11-3-16 ・随筆・人間革命「先駆の使命・大九州」)
 
 いよいよ、『新・人間革命』 第30巻(大山の章)も、聖教の本年元旦号より連載が開始されました。
 明2018年11月18日、広宣流布大誓堂 建立周年記念日を目指し、師匠に見守られながら戦う この 年間が、世界広布の未来を決する大事な時であると思います。
 まず 「先駆の北九州」 がその突破口を開き、“北九州が勝てば、東京が勝つ 全国が勝つ” の規範を示し、もって、池田先生に大勝利のご報告を申し上げる決心です。
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「希望の源泉」(5-b)(諸法実相)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 5回は、〔生命論として 「諸法実相」 を読み解く書〕 であります。
 前回の第 5回から 「方便品」 に入っていますが、方便品は何と言っても 「諸法実相」 を論じなければ、画竜点睛を欠くことになるし、片手落ちになりますので、2回に分けての記載となります。

 〔「実相」を「宇宙生命」と捉える視座〕
 「諸法」 とは森羅万象のことで、「実相」 とは 「ありのままの真実」 という意味になります。
 『法華経の智慧』 での池田先生の指導が引用されています。

 ――  「戸田先生は、『宇宙生命それ自体が、南無妙法蓮華経なのです』 と言われていた。(中略)
 現代人に分かりやすく、まとめて言えば、『諸法』 は個々の生命、その諸法の 『実相』 は一つの大いなる宇宙生命、と表現することも可能でしょう」
 「『実相』 という永遠の生命の世界は、いつ、どこにあるか。 『いま』 『ここに』 ある。 それを悟れば仏、悟らなければ九界です。 ゆえに、菩薩界が仏界に近いのでもなければ、地獄界が仏界から遠いのでもない。 平等に、自己に即して仏界を開くことができるのです」
 (上巻・191~192P)

 佐藤  そのように、「諸法実相」 の 「実相」 を、宇宙生命=南無妙法蓮華経=仏界と捉えて点が、創価学会の独創性なのでしょうね。
 私は語らいのなかで、斉藤(当時教学部長)さんが 池田会長に次のように応じている点に、強い印象を受けました。

 「多くの哲学が 『現象の奥に』 真理を見ようとしたり、『現実の根底』 に根源の一者を立てたりしました。 しかし、法華経は、そうではないのですね」 (上巻・193P)
 「『現象の奥に』 真理を見ようとしたり」 「『現実の根底』 に根源の一者を立てたり」 とは、言い換えれば、「諸法」 と 「実相」 の間に越えられない壁を設定するということですね。 それに対して法華経は、現象がそのまま根源的真理であり、諸法が即実相そのものだと捉える …… というのが、ここで展開されている池田会長の解釈です。

 池田先生は、“真理(実相)と言っても、どこか遠い別世界にあるというのではない。 具体的な現象(諸法)から絶対に離れず、あくまで、この具体的な現実((諸法)の真実の姿(実相)に、英知を集中させている。
 寿量品第十六にも 「如来は如実に、三界の相を知見す」(法華経・499P) とあります。 三界とは現実世界です。
 現実世界(諸法)から決して離れない決心 ―― これが仏の心です。
 同時に、現実世界(諸法)の表面にとらわれず、そこに秘められた偉大なる真実の姿(実相)をとらえ、教え、開いていく ―― これが仏法の智慧です。
 「諸法実相」 という言葉のなかに、仏法の徹底した 「現実主義」 と、「現実を超えていく智慧」 が込められているのです”
 と指導されています。

 ここで、当時流布していた 「天台本覚思想」 について語られています。
 ――  ただ、日蓮在世当時の日本の天台宗に生まれた 「天台本覚思想」 のように、“衆生は本来、そのままで仏なのだから、どんな欲望も、どんな現実も、そのまま肯定していいのだ” という 「諸法実相」 の曲解に陥りかねない危険性もあります。

 佐藤  そうですね。 そのような曲解は ニヒリズム(虚無主義)つながるでしょうし、戦争肯定にもつながりかねません。 池田会長が次のように仰っているとおりです。
 「諸法即実相 と言っても、あくまで仏が見た究極の真理です。 迷いの凡夫が見る現実とは隔(へだ)たりがある。 ゆえに 『人』 は 『真理』 の実現に向かって、絶えず近づかねばならない。 それが 『修行』 です。 諸法実相という 『理想』 に向かって、絶えず 『現実』 を超えていかねばならない。 それが 『変革』 です。
 この挑戦を忘れると、諸法実相という立派な法理を隠れミノ にして、人は現実に埋没して無気力になってしまいます。 これは恐ろしいことです」
 (上巻・203P) と指導されています。

 仏法では、「凡夫 即 極」 や 「煩悩 即 菩提」 など、「即」 の字を用いて多くの法理を説明しています。「諸法 即 実相」 の 「即」 を 「イコール(等しい)」 と とってしまったのが 「天台本覚思想」である。
 大聖人は 「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(732P) と仰せです。
 「即の一字」 はあくまでも、御本尊に南無妙法蓮華経と唱題修業して、はじめて “凡夫が仏” となり “煩悩が菩提” へと変革できるのである。

 池田先生は、次のように指導されています。
 人間革命は即、社会革命・環境革命になる。
 諸法実相抄で大聖人は、妙楽の 「依報正報・常に妙経を宣(の)ぶ」(1358P) との釈を挙げられています。 依報(環境世界)も、正報(主体となる生命)も、常に妙法蓮華経を顕していると。
 天台も言っている。“国土にも十如是がある” と。
 依報も正報も、別々のものではない。 不二です。 ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼(ぶつげん)から見れば、森羅万象は、ひとつの生命体です。 正法だけの幸福はありえない。 依報だけの平和もありえない。 自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。 人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいる限り、自分の幸福も完全ではない。 こう見るのが諸法実相であり、ゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」 が、諸法実相の心なのです。
 大聖人は、立正安国論を著された御心境を 「但偏(ひとえ)に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(35P) と述べられています。 どんな大難の嵐も、この民衆救済への炎を消せなかった。
 この御精神を受け継いで、「立正安国」 の旗を高く高く掲げ、牧口先生は獄中に殉教なされた。 戸田先生は、敗戦の荒野に一人立たれた。
 「法華の心は煩悩即菩提 生死即涅槃なり」 「一念三千は抜苦与楽なり」(773P)
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。 創価学会はある。 人類を幸福にするために創価学会は戦う。 それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。 どれほど尊いか。
 諸法実相の眼(まなこ)で見れば、「いま」 「ここ」 が、本有(ほんぬ)の舞台です。 本舞台なのです。 「此(ここ)を去つて彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(781P) です。
 「宿命」 とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の 「使命」 を果たしていくべき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。 出会う人々、出あう経験のすべてが、かけがえのない 「宝」 となる。
 (法華経の智慧1巻・237P)

 本年、まことに有り難うございました。 2017年、“世界広布新時代 青年拡大の年” も、世間がどう動こうとも、御本尊にお題目をしっかり唱え、広布拡大に頑張りましょう。
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「希望の源泉」(5-a)(危機を乗り越えるために)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 5回は、〔生命論として 「諸法実相」 を読み解く書〕であります。

 今回からは、いよいよ法華経の 「方便品」 についての章になります。
 ところで拙ブログを開いてみたら、冒頭部分に スポンサーの広告が挿入されていました。何やら一か月以上、更新しないと挿入されるそうで、この点は知りませんでした。
 ここのところ、雑用やら気が乗らないやらで、もたもたしていたら もう一か月も経っていたんですね。早く消せるように頑張りたいと思います。

 〔「クライシス」 としての危機を乗り越えるために
 まず、章の冒頭にある池田先生の言葉が記されています。
 「今は乱世です。思想も社会も乱れている。
 そうしたなか、心ある人々は、日本と世界の行く末を真剣に考え始めた。 このままでは、柱のない家のように、人間も社会も崩れていくのではないか ―― そういう危機感を強く抱いているようです。……」
 (普及版」上巻・127P)  
 今は 「危機の時代」 であると、この時こそ、まさに “危機の時代を生きる羅針盤” として 『法華経の智慧』 は読まれるべき書だ と述べられている。 

 そして佐藤氏は、危機について説明されている。
 佐藤 勝  一口に危機といっても、さまざまな性質と次元の危機があります。 英語には 「リスク」 「パニック」 「クライシス」 など、危機を表す単語がいろいろあり、危機の性質によって使い分けがなされます。
 「リスク」 は、「リスクマネジメント」 という言葉があるように、「マネジメント(管理)できる危機」―― つまり計量可能で対処しやすい危機を意味します。
 「パニック」 は、ギリシャ神話の 「パーン」 という牧神が恐慌(きょうこう)に陥(おちい)った エピソードが語源になっているように、個人や集団の恐慌状態が引き起こす危機を指します。つまり、精神科医や社会心理学者が主に対処すべき危機と言えます。
 三つ目の 「クライシス」 は、最も対処が難しい危機です。 クライシスの語源となった ギリシャ語 「クライシス」 は、「峠(とうげ)・分かれ道」 という意味です。 つまり、大きな転換点にさしかかったときに選ぶ道を誤ることがもたらす危機が、「クライシス」 なのです。
 (第三文明・2016-12月・53P)

 池田先生が、論じられている 「危機」 とは、まさに 「クライシス」 としての危機なのであります。
 佐藤氏は、“クライシスは リスクや パニックとは違い、一般的な危機管理の技法で対処するのは難しい。 だからこそ、時代の先を見通す慧眼(けいがん)を持つ優れた宗教者や思想家が、「炭鉱のカナリア」 としての役割を果たして、広く社会に クライシスへの警鐘(けいしょう)を鳴らすべきなのです” と そして、池田先生に期待を寄せられています。

 〔主体性を失わず運命に立ち向かう姿勢
 佐藤  池田会長の危機の捉え方の特徴として、「危機は必ず乗り越えられるし、乗り越えることによって宿命転換し、大きく成長できる」 というある種の楽観性が挙げられます。 それは、日蓮仏法の特徴でもあるのでしょう。 ………
 言い換えれば、人間が自らの主体性を失わないまま、宇宙の法則性などの面から運命の意味を深く考えさせるのが、世界宗教の役割の一つなのです。 「主体性を失わないまま」 とは、運命をただ甘受するのみならず、そこに主体的に関わっていくということです。 ここに創価学会員の強さが主体的に表れています。
 と述べています。 (同誌・54P)

 司会者が、池田先生の運命の捉え方を象徴する エピソードを紹介しています。
 ――  日蓮の 『撰時抄』 は 「世界広宣流布の未来記」 と言われる重書であり、「予言の書」 と見なされることが多い御書です。 そのなかに、「前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし」(259P) との一節があります。……
 この一節について、そこにいた教学部の幹部が 「第三次世界大戦が起こるという意味ではないでしょうか?」 と言ったのに対して、池田会長は厳然と次のように言ったというのです。

 「われわれは、第二次世界大戦をもって、『前代未聞の大闘諍』 と決定しょう。 どんなことがあっても、第三次世界大戦は起こさせない。 そのことを御本尊に強く願い、死身弘法を誓おうではないか」 (上巻・182P)
 
 佐藤  私もその個所に感動しました。 意志の力によって宿命を打開しょうとする、池田会長の姿勢を象徴するエピソードですね。

 ここで 佐藤氏は、「予言」 と 「預言」 の違いについて述べられている。
 「預言 」 とは、「神の言葉を預かる」 という意味です。 「予言」 が不特定多数に対してなされるのに対し、「預言」 は常に個人に向けてなされます。 預かった側は、神の言葉を受け入れて行動するか、拒んで神の道から外れるかという、究極的な二者択一を迫られます。

 佐藤  しかし、御書の言葉の受け止め方において、池田会長には預言者のような イメージがあります。 つまり、日蓮から自分が使命を託されたかのように受け止めている、と私には感じられるのです。 (同誌・55P) と述べられています。

 池田先生は、すでに 20年以上前から、今日の 「危機の時代」 を予見されています。キリスト教などのいう 「預言者」 に当たると思います。
 今年、イギリスは EU から離脱を決定しました。その外にも 民族主義による紛争などにより、世界は分離・分裂の混沌たる現状である。
 そのうえ、ロシアの プーチン大統領は、クリミア半島併合の時、核兵器の使用を考慮したと発表した。
 アメリカの トランプ次期大統領は、米国は核能力を大幅に強化する必要があるとの見解を示した。 オバマ現大統領の 「核なき世界」 の ビジョンは何処へ行ったのだろうか、憂慮すべき事態である。
 今や、小国の北朝鮮までも核兵器を保有し、核拡散は世界中に広まりつつある。今後、地球の何処においてでも 核兵器が使用される可能性がある。これを切っ掛けとして、第三次世界大戦が勃発しないとも限らない。まことに憂慮すべき事柄である。

 日蓮大聖人から世界広宣流布の使命を託された我ら学会員は、“地涌の菩薩” であることを自覚し、池田先生の “どんなことがあっても、第三次世界大戦は起こさせない。 そのことを御本尊に強く願い、死身弘法を誓おうではないか” とのご指導を体し 実践するのみである。
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 80歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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