「希望の源泉」(9)(科学の危険性と創価という名前)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 9回は、〔「何のため」を問い続ける思想〕 であります。
 この 9回(第三文明・4月号)で、「方便品」 の章についての語らいは一区切りつき、途中から 「譬喩品」 の章に入ります。

 〔目的観を見失った現代科学の危険性〕
 佐藤 優  それは、「人間に希望をあたえる学問を」 という、この章の最後の項目(「普及版」上巻・227P)についてです。 ここでは、科学者のあるべき姿勢について論じられています。
 このなかで、斎藤(当時・教学部長)さんの 「人間を無気力にさせる科学ではなく、人間に、勇気を与える科学であってほしいですね」 という発言を受けて、池田会長は次のように言われています。

 「そう、学問は人間に希望をあたえなければならない。 そうでなくて何のための知性か」 (上巻・229P)

 対談者は、科学の世界では 「新奇性(novelty)」 の追求それ自体に創造の源があるのだから、「人類の幸福のために研究する」 などという “限定” をつけてしまったら、自由な発想が損なわれてしまう、という考えがあると発言しています。
 佐藤氏は、マックス・ウエーバーは、資本主義が発展していくと、“「精神なき専門人」 と、「心情なき享楽(きょうらく)人」 が跋扈(ばっこ)してくる” という言い方でその問題を表現しました。
 そして、「何のため」 という目的観や倫理観を見失い、ただ新奇性だけを追い求め、「研究のための研究」 に終始する科学者は、「精神なき専門人」 その者でしょう、と語っています。

 佐藤  ただ、何の限定もつけない 「科学のための科学」 を志向していくことは、結果的に 「権力者のための科学」 に堕してしまう危険性が強いと思います。……… 特に、巨額の国家予算を投じる 「ビックサイエンス(巨大科学)」 の研究には、そのような難しさがあります。
 だからこそ、いわば 「正しいバイアス(偏り)」 を科学に与えるため、宗教が果たす役割も大きいのです。その意味で、『法華経の智慧』 で池田会長が “科学は人間に希望を与えるものであるべきだ” と主張しておられることに、私は全面的に賛同します。


 池田先生は、創価学園生に 「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」 との指針を贈りました。
 佐藤氏は、現代科学が 「何のため」 を見失いつつある今だからこそ、学問について 「何のため」 を問い続けてきた池田思想が、ますます光彩を放っているのです、と語っています。
 
 〔「創価」 という名前自体に見る 「世界宗教性」〕
 佐藤  さて、『法華経の智慧』 「方便品」 の章の終盤には、この章の内容をまとめるような重要な発言がありなす。池田会長による、次のような言葉です。
 「生命は、物質学的な因果律に支配されるだけのたんなる機械ではない。 もちろん物質でできている以上、生命体に “機械の側面がある” のは当然である。 しかし、“機械にすぎない” のではない。
 生命は本来的に、“価値を創造しょう” という要素をもっている。 価値も 『関係性』 の概念ですが、『関係の織物』 であるこの世界にあって、つねに 『よりよき関係』 すなわち 『より大きな価値』 を創造しょうとしている。
 より美しい織物(美)、より役に立つ織物(利)、より善なる織物(善) を織ろうとする。 この 『価値(価値創造)作用』 に、生命の大きな特色があることは確かだと思う」
 (上巻・234P)
 これは、「方便品」 の章で展開されてきた池田会長の生命論のいわば結論であり、牧口初代会長の 「美・利・善」 の 『価値論』 をふまえ、「創価」 の哲学を生命論のなかに位置づけた言葉と言えます。

 ――  “創価作用こそが生命の特質だ” との指摘は、言い換えれば 「生命はすべてを生かす」 という主張であり、法華経 「方便品」 に説かれる 「諸法実相」 の法理の現代的説明とも言えそうですね。

 佐藤  そのとおりです。 そして、このような生命観は、「生命は遺伝子の乗り物にすぎない」 と見る、リチャード・ドーキンス(イギリスの進化生物学者)らのような遺伝子還元論や、ド・ラ・メトリー(18世紀フランスの哲学者・唯物論者)の 『人間機械論』 のように、「生命は機械にすぎない」 と見る生命観に対する論駁(ろんぱく)にもなっています。

 対談者は、佐藤・松岡対談集 『創価学会を語る』 のなかで、“「創価学会」 の 「創」 の字は、キリスト教の 「天地創造」 を連想させるから、仏教団体には合わないのではないか” という日蓮正宗宗門の意見が紹介されていましたね。 牧口会長は断固譲らなかったそうですが、という、発言に対して、

 佐藤  私のような キリスト教徒から見ると、「価値創造」 という中核概念があることによって、むしろ創価学会に対する親近感がわきます。
 もう一歩立ち入って考えるならば、創価学会は、「創価」 という名称をつけたことによって、創立時からすでにある種の 「世界宗教性」 を孕(はら)んでいたのです。 なぜなら、キリスト教にも イスラム教にも 「創造」 の概念があるため、世界の キリスト教徒、イスラム教徒は、創価 ― 価値創造という概念それ自体に親近感を覚えるはずだからです。


 キリスト教徒やイスラム教徒は、“むしろ創価学会に対する親近感がわきます” との発言に、驚きを禁じ得ませんでした。私ごとき頭ガチガチの者には、このような発想は生まれてきません。
 さすがに キリスト教神学を究められておられる 佐藤氏だからと感心いたしました。
 これから 「世界広布新時代 青年拡大の年」 の益々の拡大の姿が見られることは、これほどの歓喜はありません。
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「新・人間革命」第12巻〔新緑の章〕(人間疎外)

 〔新緑〕
 必ず、新しい朝が来る。
 朝は希望である。心に希望をもてる人は、新しい朝を迎えることが楽しい。
 さあ、出発だ 黄金の扉を開け 生命の扉を開け
 新しき世紀の風は吹き渡り、青き海原に希望の波は、金波、銀波と躍る。
 新しき人生の出港の銅鑼(どら)を、力いっぱい、高らかに打ち鳴らせ 我らの尊き使命の、偉大なる決戦の大航海が、今、始まるのだ。 わが友とわが同志と一緒に

 一九六七年(昭和四十二年)五月三日――。
 この日、山本伸一の会長就任七周年となる第三十回本部総会が、両国の日大講堂で、晴れやかに開催されたのである。
 (同書・7P)

 会長就任七周年記念の本部総会が開催され、総務の十条潔氏が先生の第三代会長就任以来の歩みを語った。
 就任時の百四十万世帯からこの七年で、今や六百二十五万世帯となり、支部数は六十一から、国内だけで三千三百九十三と、大飛躍を遂げたのである。
 そして、「まさしく、この大偉業、大発展は、山本先生が億劫の辛労を尽くされたからであると、痛感いたしております。そのことに対し、私は心から先生に、御礼、感謝申し上げたい。……」 と述べられた。

 そして会長講演となり先生は、現代社会に鋭い分析の眼を向け、「人間疎外」 の問題について論じられた。
 「現代の思想家、知識人が憂(うれ)えている文明の行き詰まり等の問題は、究極的には、人間性喪失、すなわち、人間疎外の問題であります。
 これは、物質文明、機械文明の目覚ましい発達に比べて、精神文明が立ち遅れ、人間が主体性を失い、生命の尊厳を忘れたゆえであります。
 その幾つかの局面を挙げてみますと、まず、生活のあらゆる部門が機械化され、人間は機械に従って動いていればいいような、機械が主人で、人間が家来といった関係になってしまった。 企業でも、機械化、合理化のために、労働者が首を切られるという現象も起きております。
 また、いわゆる官僚機構に見られるごとく、組織が膨大となり、人間一人ひとりは、その歯車にすぎなくなってしまっております。 そこでは、組織それ自体が巨大な メカニズムとなり、個人の意思を超えて動き、個人は言い知れぬ無力感と虚無感に覆(おお)われている。
 さらに、マスメディアによって、情報、ニュースが、洪水のように流されるなかで、現代人の多くは、ただ、それを受け取るだけになっているというのが、悲しき現状であります。
 そうした状態が続くうちに、自分から意欲的に主体性をもって働きかけるよりも、いつも何かを待っているような、受け身的で消極的な、弱々しい精神構造になりつつあるといえます。 また、生き方、考え方の確固たる基準がないところから、理性的な判断に欠け、その場、その場で、衝動的、本能的に行動してしまう傾向が強くなってきている」
 (同書・13P) 

 このほかにも核兵器の脅威などをあげ、人間疎外の現実を乗り越えていくには、「機械文明の力を自在に使いこなしていける、強い自己自身をつくっていくことが肝要であり、そのためには、支柱となるべき思想、宗教が不可欠であることを述べた。
 しかし、西洋の資本主義の基盤となったキリスト教も、また、共産主義も、行き詰まりを呈しており、色心不二の大生命哲学、すなわち、日蓮仏法こそが、新しき精神文明を開きゆく力である」
と訴えられました。 

 池田先生は、「人間疎外の進行に、強い危機感をいだいていた。 そして、人類の未来のために、解決の糸口を示さなければならないと、考えてっ来たのである」 (同書・14P) と述べられ、すでに五十年も前から、ほとんどの弟子たちが気付いていない 「人間疎外」 という難問題の解決への道を教えてくださいました。
 それは、万人に等しく尊厳性(仏性)を見い出していく法華経、すなわち “日蓮大聖人の色心不二の大生命哲学” であります。

 現在、世界の情勢は、何やら きな臭いにおいがしてきました。
 アメリカ軍が、シリアの空軍基地に対して、化学兵器使用のかどで、巡航ミサイル 「トマホーク」 で攻撃を加えた。アサド政権に対する軍事攻撃は初めてであるとのこと。
 また、北朝鮮海域へ原子力空母を派遣しているとのこと。トランプ氏は、「20年来のアメリカの対北朝鮮戦略は失敗であった。中国が何もしないのなら、単独でもやる(趣意)」 と、北朝鮮の対応如何によっては、先制攻撃も辞さないという発言をしているそうである。
 このような状況を、過小評価してはならないと思います。

 絶対に、戦争はしてはならない。核戦争を起こしてはならない。
 われら地涌の菩薩たちは、異体同心にして、宇宙の果てまで届く題目で、諸天善神を動かし行くのだ。
 池田先生は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 と、一人の生命変革の偉大なる力を教えてくださいました。
 大聖人は、「速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや」(32P) と仰せです。
 
 いまこそ、戦う時だと思います。 「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361P) の御金言を体して。 
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「新・人間革命」第11巻〔暁光の章〕(ブラジル指導)

 〔暁光〕
 深き闇を破れ!
 険しき峰を越えよ!
 そこに、新しき時代の希望と栄光の眺望が広がる。

 一九六六年(昭和四十一年)三月十日――。
 ジェット機は、未明の南米大陸上空を、ブラジルの リオデジャネイロに向かい、順調に飛行していた。 (同書・7P)


 池田先生の初めての ブラジル訪問は、一九六〇年(昭和三十五年)十月のことであった。今回も前回と同じように、激闘のすえ体調を崩され発熱のあるお体での訪問であった。
 五年半前の ゼロから会員約八千世帯に発展し、三月十三日には、サンパウロ市内で、大々的に文化祭を開催することになった。
 しかし、当時 ブラジルは軍政下にあり、創価学会を誤認識して警戒を強めており、文化祭の外 一切の会合も、政治警察の監視の下で行われた。
 このような状況下、ある著名な ジャーナリストが、先生に インタビューをしたいとやって来た。
 先生は、“学会への偏見と誤解を正しておかなければならない” と言われてお受けになりました。
 この インタビューの記事は、我々も知っておいた方がよいと思いましたので、少々長くなりますがご紹介します。

 この ジャーナリストが、最も関心をもっていたのが、公明党と学会の関係であった。
 質問の裏には、学会は世界各国で、政治支配を目論んでいるのではないかという、疑問があったようだ。 ジャーナリストは尋ねた。
 「では宗教団体である創価学会が、なぜ政界に進出したのか、お伺いしたいと思います」
 伸一は、大きく頷きながら答えた。
 「宗教は、なんのためにあるのでしょうか。
 人びとに幸福をもたらすためです。 世界の平和を築くためです。 よりよい社会を建設するためです。―― それが本来、宗教が果たさなければならない使命です。 したがって、もし、宗教が、人びとの苦悩や社会の現実に対して目を閉ざし、無関心を決め込んでいるなら、それは、死んだ宗教といわざるをえません。
 さて、仏法の精髄である法華経では、慈悲の道を教えるとともに、万人に仏の生命があることを示し、生命の尊厳と平等を説いています。 創価学会は、この仏法の哲理を、人間の営みである文化や教育など、あらゆる分野で生かし、人びとの幸福と平和に寄与することを目的としております。 その考えに基づき、私たちは、政界にも メンバーを送り、さらに、政党をつくったんです」


 畳(たた)みかけるように、ジャーナリストは尋ねた。
 「すると、創価学会は、日蓮仏法と政治の一体化、つまり、政教一致をめざしているということですか」
 「いいえ、違います。 政治には、確固とした政治哲学、政治理念が必要です。 それがなければ、根無し草のように、ただ状況に流されるだけの政治になり、民衆は動揺し、不幸になってしまう。
 私たちは、仏法で説く慈悲や、生命の尊厳の哲理を理念とし、“根底” とした政治の実現をめざして、公明党をつくりました。 だが、それは、宗教を直接、政治の世界に持ち込むこととは違います。
 公明党は、広く国民のために寄与することを目的とした政党であり、党と学会とは、運営面などでも、一線を画しております。 公明党も、創価学会も、平和と人びとの幸福を実現するという根本目的は同じですが、政治と宗教とは役割が異なります。
 宗教は人間の精神の大地を耕すものです。そして、その広大な大地の上に、芽吹き、花開き、結実する草木が、政治も含め、広い意味での文化です。 私たちは、精神の土壌を耕し、政党という種子を植えました。 今後も、全力で応援はしますが、それがいかに育ち、どんな花を咲かせ、実をつけるかは、草木自体に任せるしかありません」


 重ねて、ジャーナリストが、鋭く質問した。
 「今までのお話からしますと、宗教は、必然的に、政治に関わらざるをえないということになるように思えますが、ブラジルでも政党をつくる計画があるのでしょうか」
 これが、彼の一番聞きたかった問題のようだ。 伸一は微笑(ほほえみ)みながら言った。
 「私は、信仰上のことでしたら、アドバイスもしますが、それぞれの国にあって、政治にどう対応していくかということは、その国のメンバーが話し合って決めるべき問題です。 日本人である私が決定し、指示するようなことではないし、また、そんなことがあってはならないというのが、私の考えです。
 そのうえで、個人的な感想を申し上げると、ブラジルをはじめ、各国にあっては、政党結成の必要は、全くないと思っています」


 すかさず、次の問いが返ってきた。
 「さきほど、宗教は、よりよい社会をつくるためにあると言われましたね。それなのに、なぜ各国で政党をつくる必要はないと思われるのですか」
 さらに踏み込んだ質問であった。
 「よき時代をつくり上げる、また、よい社会をつくることは、仏法者の社会的使命です。 また、政治という問題が、人びとの生活に深く関わり、社会の在り方を決定づける重要な要素であることも確かです。 しかし、だからといって、必ずしも政党を結成するなど、教団として、まとまって何かを行うということではありません。
 創価学会は、各人が信仰によって、それぞれの人生を充実させ、完成させ、勝利していくことを指標としています。 つまり、幸福を創造する人格をつくることであり、これを人間革命といいます。
 そして、人間として幸福に生きていこうとするならば、よりよい社会を建設していかなければならない。 そのために、宗教を根本に、自身の信念のうえから、“よき市民” として、社会のために貢献していこうというのが、私たちの生き方です。 そうした人格を磨くことこそ、宗教の大きな役割であると思っています。
 したがって、政治に対しても、各人が、よりよい社会の実現を目指して、個人のもつ政治観に基づき、個人の責任において行動していくのが、本来の姿といえます」


 追い打ちをかけるように、質問が続いた。
 「それならば、どうして日本では、政界に学会員を送り、さらに、公明党を結成するに至ったのでしょうか」
 「核心」 をつく質問であった。 伸一の回答にも、一段と力がこもった。
 「それには、幾つかの日本独自の理由があります。
 その一つが、日本の再軍備という問題でした。 日本は、戦後、戦争放棄を掲げて スタートしましたが、アメリカの要請で警察予備隊を新設し、それが保安隊となり、一九五四年(昭和二十九年)には自衛隊が発足しました。 国をどう守るかということは、極めて大事な問題ですが、この急速な再軍備の流れを、私の恩師である戸田第二代会長は深く憂慮していました。
 かつて日本は、アジアに侵略したにもかかわらず、本当の意味での、反省もない。 それで軍備に力を入れればどうなるのか。 軍事大国化し、間違った方向に進みはしないか ―― という懸念でした。
 また、戸田会長は、東西の冷戦のなかで深刻化する核の脅威に対し、日本は世界最初の被爆国として、反核を訴え、世界平和の発信国となる責任があると考えておりました。
 そして、日本が、そうなっていくには、戸田会長が提唱していた地球民族主義、つまり、地球共同体という人類意識に立った政治家の存在が不可欠であると、痛感されていました。
 しかし、日本の政界には、東西冷戦の対立の構図が、そのまま持ち込まれていたんです。
 各政党の政策も、政治家たちの主張も、イデオロギー色が濃厚であり、人類意識、真実の平和主義に立脚した政治家はいませんでした」


 ジャーナリストは、目を輝かせ、盛んに ペンを走らせた。
 「また、当時、日本には、大企業やその経営者を擁護する政党や、大企業で働く組織労働者のための政党はあっても、町工場や小さな商店で働く、未組織労働者を守ろうとする政党はありませんでした。
 しかし、その人たちこそ、人数も多く、苦しい生活を強いられている。
 私たちは、そこに政治の光を送り、政治を民衆の手に取り戻さなければ、真実の社会の繁栄は、永久になくなってしまうだろうと考えました。
 そこで、戸田先生は、一九五五年(昭和三十年)の地方議会の選挙に、弟子の代表を候補者として立て、政界に送ることを提案されました。………」
 (同書・19~25P)

 戦後、日本の政界は、東西両陣営の大国の顔色ばかりをうかがい、国民不在の権力闘争に明け暮れていた。
 現在でも、国連の核兵器禁止条約交渉への不参加を表明した。唯一の被爆国として核廃絶へ一歩でも、前進させるための音頭を取るべきではないのかと思う。国の指導者のなかに、“人類意識、真実の平和主義に立脚した政治家” はいないようである。

 この インタビューをまとめた リポートは、その後、しばらくして、ブラジルの有力週刊誌に 「山本氏の晴れ渡った世界」 と題して掲載された。
 それは、創価学会を ファシズムなどと危険視する批判の検証というかたちをとっており、極めて客観的な リポートになっていた。伸一の主張も的確にまとめられ、学会の真実に迫るものとなった。
 池田先生は、「真実は、語らなければわからない。沈黙していれば誤解や偏見のままで終わってしまい、結果的に誤りを容認し、肯定することになる」 と指導されています。

 以来八年、ブラジルの メンバーは、先生をお迎えしょうと学会理解への戦いを真剣に行い、一九七四年(同四十九年)三月、文化祭の開催が決まっていたが、入国 ビザ(査証)が発給されず、先生のご訪問は実現できなかった。
 再訪問ができたのは、じつに十八年後、一九八四年(同五十九年)の二月のことでした。
 この間の メンバーの血の滲むような戦い、先生をお迎えし、大文化祭での大歓喜の模様など、本書をお読みくだされば幸いに存じます。 
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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