「希望の源泉」(19)(人開会・法開会)

希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第 19回は、法華経の現代的展開としての 「人間主義」 であります。  (第三文明・2018/2月・53P)

 前月号(18回)の 〔ロシアで受け入れられた池田会長の「人間主義」〕 という項目から、「五百弟子受記品・授学無学人記品」 の章に入っています。
 そこでは、ソ連が 「宗教否定の国」 であったといっても、トインビー博士が共産主義を一種の宗教と見なしていました。だから、枝葉末節を取り払って本質を見れば、池田会長の 「人間主義」 とソ連の人々の考え方は、実はそれほどかけ離れていたわけではない、等々のことが語られています。

 世界は 「人間主義」 の仏教を求めている
 この章では、法華経の 「人開会・法開会」 が大きな テーマになっています。
 「開会」 とは、方便の教えを開いて真実の法に会入させることである。“開顕会融”、“開顕会帰” という意である。
 「法開会」 とは、要するに “あらゆる仏教を、法華経のもとに統一する” ことといえます。さらに敷衍(ふえん)して言えば、“仏教に限らず、あらゆる宗教・思想は、法華経の視座から見れば平等に尊いのだ” という考え方なのです。

 佐藤氏は、世間では創価学会は “法華経だけ、日蓮だけが正しくて、ほかの宗教・思想には価値がない” と否定する独善的宗教であるかのように誤解されていると。
 対談者は、それは、創価学会が生命の尊厳に絶対的価値を置く 「生命教」 ともいうべき宗教であり、池田思想の根幹が 「人間主義」 であるからだと思います。
 そして、信徒を軽んずる宗門の独善性・非寛容性に対しては、“学会の寛容性を守るための闘い” でもあった と語られています。

 佐藤 勝  「闘い」 といっても、創価学会の場合、あくまで言論戦であって、暴力を用いた戦いには決してならない。 それは、歴史上、宗教や思想をめぐって多くの血が流されてきたことを考えれば、稀有(けう)なことです。 人間と生命に根本的な価値を置く思想であるからこそですね。

 しかし、平和的宗教と捉えられている仏教であるが、実は戦争や暴力と結びついた例も少なくはないのである。
 仏教は 「空」 や 「無我」 を説く宗教なので、個々人の生命の価値を低く見てしまう危険性があるのかも知れない。ベトナム戦争期に、抗議のため僧侶の焼身自殺があったが、その一例であると思われる。

 佐藤  私は、一部の宗教者が 「殉教としての自殺」 を称揚していることを否定したいと思います。 「尊い教えのために命を捨てる」 と言えば聞こえはいいですが、自分の命を軽く考えることは、他者の命をも軽んずることに簡単に結びついてしまいます。 イスラム原理主義の テロ集団が行っている 「自爆テロ」 などは、その最たるものです。 彼らにとっては崇高な殉教でも、罪のない多くの人の生命を奪う卑劣な行為なのですから。
 「自分の命を、この尊い教えのために捨てるのだ」 と決意した瞬間、他者の命を奪うための ハードルが一気に低くなってしまう。
それは宗教の持つ危険な側面です。 しかしその点、創価学会は生命論的に仏教を捉え、生命の尊厳を絶対視する宗教ですから、命を軽んずる方向には向かわないわけです。


 現今、世界中に “無差別テロ” の危険性が高まっている。また、米国の トランプ大統領は、小型核弾頭の開発・拡充に言及している。今年の 「世界終末時計」 が、“残り 2分” になったことも発表されました。
 このような混とんとした、お先真っ暗な世界ではあるが、唯一の希望は日蓮大聖人の大生命哲学である。これを実践している創価学会の 「人間主義」 の仏法を、世界は求めていると言えるのです。

 「人間主義」 は 「人開会」 から生まれた
 「人開会」 とは、三乗(声聞・縁覚・菩薩)の人たちを開いて一仏乗に帰入して成仏させる法華経独自の法門である。

 佐藤  この章で池田会長は 「人開会」 について、「すべての差異を一歩深い次元から乗り越えて、『皆、平等に尊貴なのだ』 と示していくことに通じる」 (法華経の智慧2巻・207P) と論じていますね。 また、「一切の衆生が本来、菩薩であると明かすのが法華経の 『人開会』 です。 表面の姿ではなく、いわば “生命の次元” で、衆生を平等に見て、統一するわけです」 (同書・205P) との一節もあります。 
 池田会長の人間主義も、宗教・文化・イデオロギーなどの差異を超え、「人間同士である」 という共通項に目を向けて人々を結んでいく思想ですから、それが法華経の 「人開会」 から生まれた、という話はよくわかります。


 法華経の一切衆生に仏性があると説いて、万人の平等の成仏を説いたのが 「人開会」 である。
 低い教えを開いて高い教えに帰着させる理論(法開会)は、一往・爾前の諸経にも説かれているが、成仏という事相面(人開会)では、女人・二乗等の成仏は許していない。法華経にきて、はじめて二乗作仏を説いたことが、真の 「人開会」 となり、この法理は法華経に限られるのである。 「人開会」 を説いていない諸経の 「法開会」 は、法華経に比べれば有名無実(うみょうむじつ)のものとなる。
 このように 「法」 というものは、「人」 によって実践・実証されて、はじめて 生きた・真実の 「法」 となのである。そして法華経は、開会することによって、すべての思想・哲学を活かしきっていける 「活の法門」 であります。

 対談者は、そのような法華経の 「人開会」 の、いわば現代的展開が池田先生の人間主義です。 それは仏教徒のみならず、すべての人を人間という原点、生命という原点から捉え、平等に尊貴な存在として捉える思想であると言えます、 と語られています。 
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「新・人間革命」第15巻〔蘇生の章〕(公害問題)

 「栄光の年」 の 1月の池田塾は、『新・人間革命』 第15巻を研鑽します。
 これは全国の各方面から見れば、2~3回分遅れているのではないかと思います。それは、昨年 1月に北九州市議選、7月にインド青年交流団が来訪し、再度、第3巻 〔月氏の章〕 を研鑽したからです。
 これからは、ひと月おきの研鑽になるそうです。

 〔蘇生〕
 それは、生命のルネサンスの朝を告げる号砲であった。
 「広宣流布とはまさしく “妙法の大地に展開する大文化運動” である
 一九七〇年(昭和四十五年)五月三日の本部総会での、山本伸一のこの宣言によって、新しき時代の幕が切って落とされたのだ。
 妙法の大地に展開する大文化運動――それは、仏法の人間主義を根底とした社会の建設である。
 (新・人間革命15巻・7P)

 この年から、創価学会は、本格的な人間文化創造への取り組みを開始しようとしていた。
 近年、人間精神の開拓を忘れ、豊かさのみを追求してきた現代社会の歪みが、公害問題を引き起こしていた。
 その代表的なものが、富山県・神通川流域に多発した、カドミウムによる イタイイタイ病であり、熊本県・水俣市の メチル水銀中毒による水俣病である。これらはともに地元の大企業が、重金属に汚染された工場排水を河川や海に垂れ流し、よって引き起こされた公害病である。
 しかも水俣の場合、患者の症状を保健所が確認(S 31・5月)してから、政府が工場排水によるメチル水銀であると結論(S 43・9月)を下すまで、十二年の歳月が経過したのである。この間企業は、水俣病との因果関係を否定し、国や地方自治体も、排水が疑われていても、建前を優先させ、漁獲の禁止等の何らかの手も打たなかった。
 この対応の遅れは、甚大な被害を拡大させ、あまつさえ、新潟県・阿賀野川流域において、第二の水俣病の発生(S 40年)を許してしまったのである。

 池田先生は、公害問題について、二本の原稿の執筆にあたっていました。一つは、ある大手出版社の総合月刊誌からの依頼でした。
 「日本は “公害実験国か」 と題してペンをとり、反公害闘争の矢を放った。
 ここで彼は、まず、水俣病や イタイイタイなどは、「公害」 というより、その本質は、道義的責任の欠落した企業が引き起こした 「事件」 であり、それは、「未必の故意の殺人」 であると、糾弾(きゅうだん)していった。
 ………
 次いで伸一は、これから、真の公害として対処しなければならないのは、広範な地球的規模での、空気、水、土地の破壊、汚染であると訴えていった。 それは、一個人や一企業の、道義的責任感や努力だけではいかんともしがたい問題であり、加害者であっても、同時に被害者になることを免(まぬか)れぬ、万人に共通した危機であるからだ。
 彼は、その公害の要因となったものこそ、「進歩への信仰であり、環境支配のあくなき欲望である」 と結論した。
 もちろん、それによって、科学技術の発達があり、現代の物質的繁栄がもたらされた面は否定できない。
 しかし、同時にそれは、文明の根底的な歪みを生じさせ、公害という全人類的な危機を招くに至ったのである。
 伸一は、その根本的な解決のためには、「人間を、いかなる存在としてとらえるかということからはじまり、人間と、それを取り巻き、支える文化的、自然的環境との関係のあり方について、まったく新しく設計し、構築し直さなければならない」 と訴えた。
 さらに彼は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」 の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。
 なぜなら、「生命の尊厳」 は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。 さらに、あくなき環境支配を促(うなが)した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」 という発想があるからだ。
 いや、その誤った “人間生命の尊厳観” こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。
 ………
 「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする “ヒューマニズム” は、実は、人間の エゴイズムであって、かえって人間の人間の生存を危うくする “アンチ・ヒューニズム” にほかならない。 真の ヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った “ヒューマニズム” であるべきである」
 本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくりあげている悠久(ゆうきゅう)の生命の環(わ)の、一部分にすぎない。 その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一ヵ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。
 また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という “宇宙船” の貯蔵物質にすぎない。 そうした視点をもたない、“独善的な ヒューマニズム” に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命の自然の メカニズムそのものを破壊しているのだ。
 (同書・25~28P)

 公害病の恐ろしさは、胎児性水俣病のように世代を超えて影響を及ぼし被害を被るのである。ちょうど放射能のような作用である。現代、身の回りの環境を見れば、無数の人工の造物に覆われている。薬物や添加物、排気ガスや温度上昇、今や地球規模で環境破壊が進んでいる。今は量も少なく、影響もないと思われているが、百年・二百年・千年・万年後の人類はどうなっているのか分からない。 
 このように科学・技術の発達が、いま、人類自らを滅ぼす、恐るべき脅威となって降りかかってきているのである。

 先生の言論闘争の二つは、「東洋学術研究」 秋季号に 「人間と環境の哲学」 と題して、更に哲学的な観点から提起されました。
 公害問題の淵源は、自然はいかに破壊されても調和は保つという楽観論と、人間こそ宇宙のいっさいに君臨すべく資格を与えられた万物の霊長であるとする考え方にあると。
 キリスト教の教えのなかに、神は神自身のの姿に似せて人間を創ったと、すなわち人間こそ地上の支配者であり、すべての生物は人間に従い・仕えるため、自然や土地も人間のために存在する というのである。はなはだ不遜なる思想である。
 この征服と支配の、哲学の底にある、人間の傲(おご)りと、独善がもたらした破局である。人間の存在は、宇宙の万物に支えられているという、関係を無視した、必然の結果である と述べられている。
 この公害の解決のためには、その根源に立ち返り、文明それ自体の “体質” をつくり直さなければならないとして、そのための仏法の生命哲理に言及していきました。

 「人間と、環境との関係について、仏教哲学では、依正不二と捉えていく。 依正不にとは、依報と正報とが、不可分の一体をなしているということで、正報とは生命主体であり、依報とは、その生命体を形成し、その活動を助ける環境世界である。 ――生命主体と、その環境とは、一応、概念として分けられるが、これらは相互に密接に関係し合い、一体をなしているのである。 これを、更に体系化した哲理に、一念三千がある。 一念三千とは、生命の実体を、三千の範疇(はんちゅう)に分析して論じたもので、仏教の生命哲学の極説とされている。 (中略)その中に、三世間といって、五陰、衆生、国土があげられている」
 五陰世間とは、個々の生命を、生理的、心理的にみる見方であり、衆生世間とは、広義に言えば、社会学的な見方である。 国土世間とは、その生命にとっての、自然環境との関係性の側面といえよう。 仏法では、大宇宙のすべてを生命ととらえ、草木や石、砂の一粒にも、仏の生命の実在を認め、一切を尊極の当体と見るのである。
 そして、伸一は、人間が環境と調和し、しかも人間が主体性を確立していくための、確固たる哲学的、思想的基盤こそ、この大乗仏教の哲理であることを強く訴えて、「人間と環境の哲学」 の結論としたのである。
 (同書・32P)
 
 先生は “人間が環境と調和し、しかも人間が主体性を確立していくための、確固たる哲学的、思想的基盤こそ、この大乗仏教の哲理である” と、すなわち日蓮大聖人の大生命哲学・以外にはないと述べられています。
 自身の人間革命が 「やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 ということを確信し、世界広宣流布新時代の到来に、勇躍歓喜し前進しましょう。
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「世界広布新時代 栄光の年」に思う

 2018年(平成30年)、「世界広布新時代 栄光の年」 明けましておめでとうございます。本年も何とぞ “創価教学随想” をよろしくお願い申し上げます。
 その上、なによりも喜ばしきことは、池田先生がお元気で、卒寿(90歳)のお誕生日を迎えられまして、本当におめでとうございます。これからも末長く、ご健康とご長寿であられますよう、心より ご祈り申し上げます。

 本年は、1958年(昭和33年)3月16日 「広宣流布後継の記念式典」 から60周年、「日中国交正常化提言」 発表から50周年、小説 『新・人間革命』 執筆開始から25周年、「広宣流布大誓堂」 完成から5周年など、意義深き佳節を刻む年であります。
 特に先生は、“『新・人間革命』 は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない。(はじめに)” と述べられています。
 いま丁度、三十巻の最終の章になるのではないかと思われる 〔勝ち鬨〕 の章を、ご執筆中でございます。
 聖教新聞・2018年元旦号の 〔勝ち鬨二十一〕 には、

 ――雲を破り、真っ赤な太陽が昇る。 刻一刻、空は紅(くれない)に染まり、新生の朝が訪れる。
 「紅」 とは、わが胸中に燃える元初の太陽だ 時代を開かんとする熱き闘魂だ 若々しき生命力の輝きだ
 おお、旭光(きょっこう)のごとく、世界広布へと先駆ける、凛々(りり)しき創価の丈夫(ますらお)たちよ
 「生命の世紀」 を告げる暁鐘(ぎょうしょう)は、今、音高く打ち鳴らされ、栄光の朝が到来したのだ。
 栄光とは、不撓不屈の挑戦がもたらす、幸(さち)と勝利の光彩である。 青年よ、恐れるな
 「驕(おご)れる波浪」 を、そして、一切の障魔を打ち砕いて、前へ、前へと進みゆくのだ。


 “栄光とは、幸と勝利の光彩である” と。ゆえに、我らも、創価も、すべてに亘って、栄え光り輝かせて行かねばならない。弟子の栄光が、師匠の栄光であり・勝利であると思います。 11・18 「広宣流布大誓堂」 完成5周年、栄光めざして頑張る決心です。

 先生は、12月の本部幹部会にメッセージを贈ってくださいました。
 「栄光の年」。 はかなく、もろい一時(いっとき)の栄華ではなく、永遠の栄光を、いかに勝ち開いていくか。 それは 「人を育てること」 「若き命を慈しみ伸ばすこと」 に尽きるといってよいでしょう。 我ら創価の人材城には、一人を大切にし、励まし抜く心がみなぎっています。……
 今、地球社会は、「人道」 と 「人権」 と 「平和」 への大道を渇仰しております。 我らが決めた栄光の 「この道」 に、地涌の青年を、ますますにぎやかに呼び寄せながら、いよいよ勇敢に、たゆみなく進もうではありませんか
 わが宝友の皆さん一人一人に、さらに題目を送ってまいります。
 (メッセージ・聖教・2017・12/12・3面)

 ここでは、永遠の栄光を、勝ち開いていくために、より具体的な指針を示してくださっています。 “それは 「人を育てること」 「若き命を慈しみ伸ばすこと」 に尽きるといってよいでしょう” と。
 すなわち、若き人材の育成であります。今、いくら組織が大きいからとか、体力や財力があると言ったって、後に続く人材を育成しなければ、組織も広宣流布も永続性は無くなってしまいます。学会にとって今一番、最重要の事柄であると思います。
 なんと有り難きことか、池田先生は “わが宝友の皆さん一人一人に、さらに題目を送ってまいります” と仰ってくださっています。 しかし例えば、いくら送信機が強力な電波を送っても、受信機が壊れていては何もならない。ゆえに、我ら弟子一人一人が信力・行力に励んで、まず自分自身から人間革命を成して、栄え光り輝く存在にならなければならないと思います。

 “今、地球社会は、「人道」 と 「人権」 と 「平和」 への大道を渇仰しております”と述べられています。
 そして、その人間革命した生命力をもって、創価の “人間主義” の仏法のネットワークで、地球上を覆い尽くした、世界広宣流布の大願成就を願ってまいります。
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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