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「創価学会」(田原総一朗)を読んで

 田原総一朗氏が 『創価学会』 という本を出版しています。 興味のわくところであるが、わざわざ購入してまで読むほどのこともなかろうと思っていました。 そうしていましたところ、内部の友人が持っていましたので、借りて読んでみました。
 田原氏は創価学会が過去、度重なる試練(言論・出版問題、第一次・第二次宗門問題等々)に直面し、創価学会は間違いなく衰退するであろうと予測した。 しかし、その都度、ピンチをチャンス変え驚くべきエネルギーをもって、逆境を乗り越えてきたた、そのなぞの実態を探っていきたい思うと。
 そして、「公明党が自民党と連立し、そのあり方で、この国が転換する可能性が出てきたことで、なんとしても取材せねば、という気持ちになったのである」 と心境を語っています。
 ここでは、池田先生と対談された模様を紹介したいと思います。

 〔池田大作との出会い
 私が初めて池田に会ったのは 1973(昭和48)年の事だった。 紹介者を介して プライベートでの面会となった。 言論・出版問題から 3年後ということもあり、いまだ世上の話題でもあったので、単刀直入に尋ねてみると、「言論・出版問題はまったく失敗でした。 ああいうことはやってはいけないですね」 という率直な答えが返ってきた。
 創価学会という巨大な組織の トップに立つ人間である。 おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予測は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。 しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。 これにはびっくりした。 池田は著作も多く、創価学会の大会などで何度も講演しているので、そうした話を聞きたいと思っていたのだが、気づけば私ばかりが話していた。
 ………
 池田との話で印象に残っているのは、理性と信仰に関するやり取りだった。 初対面で、池田に気に入られたいという下心のあった私は 「人間は理性だけじゃ生きられないですよね。 だから宗教が必要なんでは?」 と問うてみた。 すると、思いがけない答えが返ってきたのだ。

 「そうではありません。 人間がものを考える際の基本は理性です。 だから理性をなくしてはいけません。 理性があり、さらに信仰がある。 この二つはなんら矛盾していません」
 実は、「理性には限界がある。 だから宗教が必要だ」 という答えが返ってくると私は予想していたのだ。 理性などかなぐり捨てて、ひたすら祈りをささげる、それでこそ信仰は成り立つのではないかという私の考えはあっさり否定された。 巨大な宗教団体の トップに立つ人間が 「理性を何より大事にすべき」 と言う。 実に面白いところである。
 ………
 私はこれまで 2回、池田とあっているが、そうした私の挑発に対して池田は “本音” で返してきた。 会長という立場でありながら、創価学会の機微に触れるようなことも、率直に語るのである。 これには驚いたし、好感を抱いた。 池田はよく 「自分は江戸っ子で嘘をつけない」 と言っている。 要するに隠しごとがなく オープンなのだ。


 池田は第2代会長である戸田城聖から話を聞き、創価学会への入会を決意したという。 そこで、なぜ戸田を信じることができたのかと問うてみた。 すると池田は、戸田が戦時中に治安維持法違反で逮捕された際、一緒に逮捕された何人かの幹部が改宗し釈放されていくなか、戸田だけはどのような弾圧を受けても最後まで信仰を貫いたという話に心を打たれ、彼を信じる決意をしたというのだ。 そうした話も池田は包み隠さず語ってくれた。
 もう一つ、私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。 “私心がない”、つまり無私なのだ。
 池田の心を占めているのは、恩師の戸田城聖から受け継いだ創価学会をどのように発展させていくかということだ。
  (田原著・創価学会・178~181P)

 御書に 「仏法の根本は信を以て源とす」(1244P) とありますように、「信」 を強調する宗教であります。 信を強調する以上、「理性」 という フイルターに適った 「正しい・真実」 なものでなければならない。
 “鰯の頭も信心から”(盲信)や “オウム真理教のポア(殺人)”(邪信)などは、論外である。
 戸田先生は、「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」 と仰せです。 つまり、理性によって信仰は深まり、信仰によって理性は生かされるのである。
 日蓮仏法は、理性を何よりも大事にして、釈迦仏法を凌駕した、新時代を指導する画期的な宗教であります。
 
 来世ついては今一つ ピンとこなかった。 前世や来世を見た人間は誰もいないはずだからだ。 しかし、池田は実に明快な答えを導いてくれたのだ。
 「来世、つまりあの世を見た人は誰もいませんよね。 なのに、どうしてそれがあると信じられるのですか」
 私がそう尋ねると池田は、「あるかどうかはわかりません。 でも、あると思った方がいい」 と答えた。

 理由はこうだ。 なぜなら、あの世があると信じていれば、人はこの世でいいことをする。 あの世が存在すれば、その善行は報われるからだ。 一方で、ないと思い悪行を重ね、もしあったら大変なことになる。 本当にあるかどうかは関係ない。 自分がどう思って生きるかが大事なのだ。 下手な理屈を言わないところが池田の魅力なのだろう。  (同書・101~102P)

 釈尊も、「宇宙は有限であるか、無限であるか?」 というような質問に答えなかったと聞いたことがあります。 それよりも、苦悩に沈む民衆を救うことが、最優先課題であるからである。
 もともと、前世・後世が有るか・無いかなんて、証明もできないし、自分の理解してないことを説明しょうとしても、それは無理である。 仏法対話のとき、論議のための論議にならない様、気をつけましょう。
 
 1995(平成7)年、私は雑誌 「中央公論」 の対談で池田に会った。 これが 2度目の出会いだ。 第一次・第二次宗門問題の後だけに、その顛末を聞き出そうと思ったのだが、池田は宗門の批判は一切口にしなかった。 1973(昭和48)年に会った際、彼は 「難しいいことがあると、逆に頑張れるのです」 と語っていた。 2度のわたる宗門問題への対応は、まさにその言葉を体現しているようだった。 初対面のとき、池田は私の問いかけに実に率直に答えてくれた。 それは2度目の対談でも同様で、彼は常に本音で語るのだ。
 「池田さんが攻撃されるのは、公明党があるからで、それがなければ攻撃されないはず。 公明党をやめあらどうですか?」
 2度目の対談という気安さから、私はそんな問いかけをぶっつけてみた。 すると池田はこう返してきたのだ。

 「そのとおりです。 だが、私が発言すれば、すぐに 『政教一致』 と大騒ぎになることは明白です」
 これに私が 「解党すれば布教もしやすい、と」 尋ねると、彼は 「しかし、そんな後ろ向きの議論をしても仕方ない。 だから、論ずる必要もないし、時代の流れにそっていけばいいと思う。 あとは、党が党として、どう舵をとるか、です」 と答えた。

 また、こうも語った。 「民衆が関与できない政治は民主主義とはいえません。 民衆が政治に関与せざるを得ないのが、民主主義です。 創価学会は、平和を実現するための、社会の変革を目指す団体です」
 「田原さん、うちは選挙があると、皆が結束し、頑張れるのです。 それが創価学会のエネルギー、バイタリティにつながっていくのです」

 ともすれば政教一致と取られかねない発言である。 そして無理なやり取りですませようとしているのならば、こんなことは言わないであろう。 私がそんな勘ぐりをしないと信用してくれているのだと受け取ることで、私は池田を信用することになる。 学会員たちに対して、このように接しているのであろう。 つまり、どんなときでも本音で向かい合う、そこに私はとても魅力を感じるのだ。  (同書・256~257P)

 田原氏は池田先生と対談して、“偉ぶったところを一切感じさせない人だった。 しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。 これにはびっくりした”
 “自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。 “私心がない”
 “つまり、どんなときでも本音で向かい合う、そこに私はとても魅力を感じるのだ” と。 
 以上は、外部の田原氏の感じられた一部分であるけれど、我々にとっても大変参考になると思います。
 それは会員さんたちは、池田先生を 「師匠」 だとか、「師弟不二」 だとか言っているけど、では、どれだけ知っているかと言えば、はなはだ心許ない限りである。 正信の理性で素直な心で、求めていきたいと思います。
 創価学会を色メガネを付けず、広範囲な取材・執筆をし、書籍を上梓されたご苦労に対し、感謝申し上げます。
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「希望の源泉」(30)(不惜身命・殉教)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 30 回は、現代における 「不惜身命」 を考える であります。 今回から 「勧持品第十三」 の章入ります。 迫害の構図と、殉教の精神について語られた品です。

 佐藤氏は、“『新・人間革命』 は、さる九月八日に 「聖教新聞」 で最終回を迎えました。…… 『法華経の智慧』 とともに、『新・人間革命』 もまた、池田思想を読み解くための必読文献だと思います。…… 『人間革命』 『新・人間革命』 は 「創価学会の精神の正史」 であって、何よりもまず会員の皆さんのために書かれた作品だと思います。 そして、『法華経の智慧』 と併読することによって、『人間革命』 『新・人間革命』 もいっそう深く読むことができるようになるでしょう” と語られ、両者を併読し、研鑽することを勧められています。

 「不惜身命」 は 「生命軽視」 ではない
 「勧持品」 で弟子たちが、釈尊滅後の法華経弘通のために 「不惜身命(身命を惜しまず)」 との決意の言葉をもって誓います。
 この 「不惜身命」 という言葉を、「目的のためなら、命など惜しまず捨てるのだ」 と捉えてしまうのは、誤りだと思います。 生命の尊厳を説く 『法華経』 の経文ならば、本来、生命軽視を意味する言葉はないと思います。

佐藤 優  この章のなかで池田会長は次ように語られています。
 「仏法の究極も 『偉大なる凡夫』 として生きることにある。 自分の命を与えきって死んでいく。 法のため、人のため、社会のために、尽くして尽くしぬいて、ボロボロになって死んでいく。 それが菩薩であり、仏である。
 『殉教』 です。 何物も恐れず、正義を叫びきることです。 人を救うために、命を使いきることです。 この心なくして、『仏法』 はない」
  (法華経の智慧3巻・158P)
 池田会長が考える 「殉教」 「不惜身命」 とはそのようなもので、……法のため、人のために “命を使いきり、生ききる” ことが、法華経における本来の 「不惜身命」 なのではないでしょうか。

 池田先生は 『御義口伝講義』 のなかの 「不惜身命」 について、次のように説明されています。
 「ある目標に向かって、身命を打ちこんでいくことは、不惜身命に通ずるものである。 ただし目標の高低、浅深、善悪のいかんが問題である。 浅きもの、また低級なもの、誤れるものに身命をなげうつほど、あわれなことはない。 最高のものに帰命していく人生でなければならない。 (中略) 自己の一生成仏、また全世界の平和のために、身命を賭(と)して戦うことが、最高の人生であり、真実最高の不惜身命なのである」  (文庫『御義口伝講義』上(三)・241P)

 先生は “目標の高低、浅深、善悪のいかんが問題である。 浅きもの、また低級なもの、誤れるものに身命をなげうつほど、あわれなことはない” と指導されています。
 人間は自身の思想・信念に命を捨てることができる動物であると言われている。 ゆえに、信ずる思想・哲学の高低、浅深、善悪のいかんを厳しく区別しなければならないのであります。 

 「究極的なるもの」 を守るのが真の 「殉教」
 池田先生は 「殉教」 について、次のように述べられています。
 「『殉教者』 こそ、宗教の誉(ほま)れです。 教団の礎(いしずえ)です。 『殉教』 の心がなくなった時から、宗教の死が始まるのです」  (法華経の智慧3巻・196P)

佐藤  単に 「命を捨てること」 と 「殉教」 は、似ているようでいて、天地の開きがあります。
 ディートリヒ・ボンヘッファー(20世紀ドイツのキリスト教神学者)は、究極的なるもの究極以前のもの という概念を提唱しました。……
 その概念を援用して考えるなら、牧口会長にとって、国家神道に抗して守り抜いた日蓮仏法の正義は、「究極的なるもの」 でした。 だからこそ、その一点においては決して妥協できなかったのです。 もしも仮に、「ここはとりあえず命を守ることが大事だ」 と考えて神札を受けたならば、牧口会長は釈放されたでしょう。 しかし、それは絶対にできないことだったのです。
 ボンヘッファーや牧口会長のように、「究極的なるもの」 を守るために命を賭して闘い、結果として亡くなることこそが、真の 「殉教」 です。
 ………
 法華経における 「不惜身命」 とは、広宣流布という崇高な目的のために 「生ききる」 ことであって、死ぬことではないわけです。 むしろ、自分の命はその崇高な目的のために使うべきものであるから、つまらないことで命を落とすことがないように、命を大切にする ―― それが、「不惜身命」 という言葉に託された意味なのでしょう。 現代日本のような平時においては、特にそう言えると思います。


 「殉教者」 として思い出すのが、戦時中の牧口初代会長の殉教であり、大聖人御在世の時の 「熱原の法難」 における三人の農民信徒の殉教である。
 しかし、平和な信教の自由が保障されている現今の日本においては、熱原の三烈士や牧口会長のような殉教は、望んでも望めないでしょう。
 このような状況のなかで、「帰命」(仏に身命を奉ること) の意義を問う青年に対して、先生はこう答えています。
 「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
 これは、極めて計量的な言い方だが、仮に一日二時間の学会活動を、六十年間にわたってすれば、計算上は五年間の命を仏法に捧げたことになる。
 ともあれ、広宣流布こそわが生涯と決めて、自らの使命を果たそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」
  (新・人間革命4巻・256P)

 人生の目的は広宣流布であると決めて、わが人生の貴重なる時間を一時間でも二時間でも仏法に捧げて、学会活動に邁進することも、現代における 「不惜身命」 「殉教」 になるのであります。 

 「自分が一家の太陽になればいい」
 釈尊の身内に対する授記が最後になったことについて、池田会長は次のように言われています。
 「肉親に対する教化は、それだけ容易ではないということではないだろうか。 (中略)
 しかし、最後は必ず成仏の道に入るのです。 その原理を示しているととらえるべきでしょう。 ゆえに、両親や夫や奥さんがなかなか入会しない、あるいは子供が信心に立ち上がらないからといって、あせる必要はありません。 (中略) 太陽は一つ昇れば、全部を照らしていける。 自分が一家・一族の太陽になればいいのです」
  (同書3巻・164P)

佐藤  池田会長の アドバイスは、身内への折伏は ジョセフ・ナイ(米国の国際政治学者)の言う 「ソフト・パワー」 で行くべきだ、ということだと思います。 「ハード・パワー」、つまり強制ではダメで、内発的な魅力で信心の世界に引き寄せるべきだ、と。 そのことを、「自分が一家・一族の太陽になればいいのです」 という言葉で表現されたのでしょう。
 とはいえ、身内はこちらの欠点も 弱点も 過去の失敗も知っているわけで、相手にとっての 「太陽になる」 ことは簡単ではありません。 そのためには、こちらが成長した姿を見せなければならないからです。 言い換えれば、自らが 「人間革命すること」 が、そのまま身内への最高の折伏にもなるのでしょう。


 上記の指導は、我が家にとっても身につまされる問題であります。 先生の “自分が一家・一族の太陽になればいいのです” とのご指導を、胸に刻んで頑張ってまいります。
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「創立90周年へ 創価勝利の年」

 2019年(平成31年)「創立90周年へ 創価勝利の年」 明けましておめでとうございます。 本年も “創価教学随想” を、何とぞよろしくお願い申し上げます。

 聖教新聞 元旦号一面トップは、“「創立90周年へ 創価勝利の年」 開幕” と大書されていました。
 創立90周年といえば、2020年11月18日であります。 2020年は、くしくも東京オリンピックが開催されます。 世界中が、創価の90周年を祝賀してくださる時が来たのだと思います。
 創立100周年は、2030年ですが、でき得ればこの目で拝したいとの願望はありますが?
 また、2025年には大坂にて、万国博覧会が開催されます。 私は前回の1970年の万博は見に行きましたので、6年先ですが是非とも、自分の足で見に行きたいと思っています。 そのためには、信心第一・健康第一で頑張る決意です。

 創価勝利の年・本年は、12年ごとに廻りくる亥年で、統一地方選挙と参議院選挙が同じ年にあります。 2007年の参院選で、選挙区は東京・大阪の二区のみ当選、ほかは落選という憂き目を見た。 世間の噂では、安倍さんは衆・参同日選挙を考えているとのこと。 そうなれば、ますます厳しい戦いになりますが、どんな状況でも、我ら池田門下生は、題目・団結・師弟不二の戦いで、完全勝利を勝ち取り、先生に勝利のご報告申し上げます。

 池田先生は、全同志の栄光と幸福、全世界の安穏と繁栄を祈念し、「新年の歌」 を贈ってくださいました。 (三首のうちの一首ですが)

    五大州
     創価の人材城
(しろ)
       暁鐘
(かね)は鳴る
     地涌のスクラム
       平和の朝
(あした)


 今や、創価の友は、世界192ヵ国・地域に拡大しています。 と言うことは、お題目の音声は一瞬たりとも途切れることなく、地球上を覆っている状況です。
 暁鐘(ぎょうしょう)すなわち、新しき時代の到来を告げる鐘は打ち鳴らされていると。
 我ら地涌の菩薩たちは、意気軒昂・スクラムを組んで、混迷する世界を平和の朝へ、転換させる使命があると仰せになっていると思います。

 昨年の漢字一文字は 「災」 でした。 実に、全国各地で季節を問わず災害の多かった年でした。
 そのような中で、喜ばしいことは、池田先生の畢生の大著である 『新・人間革命』30巻が、無事に完結されたと言うことです。
 先生が 『新・人間革命』 の執筆を開始されたのは、平成5年の65歳の時です。 一般的には “定年” と言われる年齢であります。そこから平成30年・90歳まで、実に25年間 「限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」 と仰せられた通りの闘いでした。 心から満腔の敬意を表すものであります。
 『人間革命』 『新・人間革命』 は、自身の信心修行のため、広宣流布のための教科書とも言えるものであり、我ら会員の必読・研鑽すべき書であると思います。
 創価勝利の年は、心新たにして、この書の何巻からでも良い、一頁でも良い、一行でも良いから、毎日手に取って必読致しましょう。 必ずや、境涯を大きく開くことができるでしょう。

 池田先生は、妙楽大師の 「願兼於業(がんけんおごう)」(願、業を兼ぬ) の原理のままに、私たちは、苦悩する人々を救うために、誓願して、さまざまな宿命をもって悪世末法に生まれ、法を弘めるというのである。 
 “つまり、「宿命」 と 「使命」 とは表裏であり、「宿命」 は、そのまま、その人固有の尊き 「使命」 となる。 ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ 「宿命」 など絶対にない” と説明され、小説 『新・人間革命』 について、次のように述べられています。

 小説 『新・人間革命』 では、この 「『宿命』 は 『使命』 である」 ことを基調に、物語を展開してきた。 仏法の精髄の教えは、物事を固定的にとらえるのではなく、「煩悩即菩提」 「生死即涅槃」 「変毒為薬」 等々、一切を転換しゆく生命の ダイナミズムを説き明かしている。 そして、苦悩する人間の奥深く、「仏」 を見る。 「仏」 すなわち、人間の持つ尊極の善性、創造性、主体性を覚醒(かくせい)させ、発現していく道を示している。 その生命の変革作業を、私たちは 「人間革命」 と呼ぶ。
 社会も、国家も、世界も、それを建設する主体者は人間自身である。 「憎悪」 も 「信頼」 も、「蔑視」 も 「尊敬」 も、「戦争」 も 「平和」 も、全ては人間の一念から生まれるものだ。 したがって、「人間革命」 なくしては、自身の幸福も、社会の繁栄も、世界の恒久平和もあり得ない。 この一点を欠けば、さまざまな努力も砂上の楼閣(ろうかく)となる。 仏法を根幹とした 「人間革命」 の哲学は、「第三の千年」 のスタートを切った人類の新しき道標(どうひょう)となろう。
 「不滅の魂には、同じように不滅の行いが必要である」 とは、文豪 トルストイの箴言(しんげん)である。 小説 『新・人間革命』 の完結を新しい出発として、創価の同志が 「山本伸一」 として立ち、友の幸福ために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける 『人間革命』 の歴史を綴(つづ)られんことを、心から念願している。
 この世に 「不幸」 がある限り、広宣流布という人間勝利の大絵巻を、ますます勇壮に、絢爛(けんらん)と織(お)りなしていかねばならない。 ゆえに、われらの 「広布誓願」 の師弟旅は続く。
  (新・人間革命30巻下・447~448P)
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「新・人間革命」第19巻〔虹の舞の章〕(沖縄指導)

 〔虹の舞〕
 人間 ……
 なんと尊きものよ
 なんと強きものよ
 なんと美しきものよ


 我欲と保身と嫉妬(しっと)に狂う人の世の現実は、あまりにも令酷(れいこく)である。人の心は弱く、移(うつ)ろいやすい。
 しかし、仏法の眼(まなこ)を開けば、見えるはずだ。
 すべての人の胸中に宿る、尊極無上なる生命の宝玉(ほうぎょく)が
 そこから発する、慈悲と勇気と創造の光彩(こうさい)が
 ゆえに私は、人間を信ずる。
 人よ光れ 太陽のごとく、その生命を輝かせゆくのだ。
 そして、苦悩の雨雲を破り、幸福と平和の虹を晴れ晴れと懸(か)けよう。
 それがわれらの、人間革命の大運動なのだ

 一九七四年(昭和四十九年)二月二日、山本伸一は、妻の峯子と共に、沖縄の大地に立った。
  (新・人間革命19巻・7~8P)

 直前に香港訪問を終えて、休む間もなくの沖縄訪問である。 今回で七度目で、沖縄広布二十周年の佳節にあたっていた。 さらに、沖縄本島だけでなく、八重山諸島の石垣島、また、また宮古島を初訪問し、沖縄訪問の模様が描かれている。

 二月八日夕刻、「沖縄広布二十周年記念総会」 が、那覇市民会館にて開催された。
 先生は、講演のなかで、創価学会の運動の根本をなすものは何かについて述べています。
 「それは一言すれば、どこまでも相手のことを思いやる 『利他』 の一念です。 この利他の心を人びとの胸中に打ち立てることこそ、平和建設のポイントとなります。………」
 創価学会は、民衆の心に 「利他」 という生き方の柱を打ち立ててきた。
 メンバーの多くは、病苦や経済苦、家庭不和など、苦悩の解決を願って信心を始めた。 いわば、自らの救済を求めての入会といえる。
 しかし、御書に 「我もいたし人をも教化候へ」(1361P) と仰せのように、日蓮仏法は 「自分も信心に励み、人にも仏法を教えよ」 と説く、つまり、人びとの幸福を願い、広宣流布に生きてこそ、わが幸福が築かれるというのである。
 そこには、「自行」 と 「化他」 の融合がある。 自分自身の煩悩が、広宣流布という最極の菩薩行を推進する活力源となるのだ。
 そして、その 「利他」 の実践によって、「利己」 に凝(こ)り固まり、汲々(きゅうきゅう)としていた、小さな生命の殻(から)が破られ、自らの境涯が大きく開かれていくのである。 まさに、この 「利他」 の一念こそ、「境涯革命」 「人間革命」 を成し遂げる、生命の回転軸なのである。
 友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。 病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々(ゆうゆう)と乗り越えていくことができる。
 信心の本当の大功徳とは、この 「境涯革命」 「人間革命」 である。 自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、一切の問題が解決できるのである。
 山本伸一が記念総会の席上、「利他」 の一念を強調したのは、沖縄の同志の幸福も、平和の実現も、すべてがそこにかかっていたからである。
 彼は、「利他」 の精神をわが胸中に打ち立て、思いやりをもって人びとに接し、地域社会のあらゆる人たちから、信頼され、感謝される存在になっていくよう望んだ。
  (同書19巻・81~82P)

 ここでは、「利他」 の精神を強調されています。 「利他」 とは、他を利すること。 すなわち、一切衆生の救済のために尽くすことである。 
 先生は、「自行」 と 「化他」(利他と同義) の融合があると。 “この 「利他」 の一念こそ、「境涯革命」 「人間革命」 を成し遂げる、生命の回転軸なのである” と指導されています。
 この 「利他」 の精神を堅持して、“これからの沖縄は、生活の知恵に富んだ人間文化を、日本に、世界に発信する新しき文化地帯として、進みゆかれんことを願うものであります” と、ご期待されています。

 この章の 〔虹の舞〕 の 「虹」 の意義について述べられています。 
 「いわば、沖縄が、広宣流布の大空に、本格的に飛翔(ひしょう)する条件は、すべて整った。 その操縦桿を握るのは皆さんです。 したがって、人を頼るのではなく、皆さんが会長の私と同じ決意、同じ自覚に立ち、全責任をもって活動を推進していかなければならない。
 つまり、新しき時代とは 『弟子が立つ時』 であり、弟子が勝利の実証を示す時代なんです」
 ………
 「沖縄は、本土に復帰したとはいえ、その前途は決して平坦ではないでしょう。 基地の問題もあります。 経済的にも多くの課題を抱えています。
 しかし、どんなに闇が深かろうが、嵐が吹き荒れようが、心に虹をいだいて、晴れやかに、威風堂々と前進していっていただきたい。
 虹とは、『希望』 であり、『理想』 であり、『大志』 です。 その源泉が 『信心』 なんです。
 最も戦争の辛酸をなめた沖縄には、世界の平和の発信地となり、恒久平和を実現していく使命がある。 そのために、ここにいる皆さんが、宿命を使命に転じて、一人立つんです。 一切は、自身の一念の転換、人間革命から始まります」
 彼は最後の最後まで、生命を削る思いで語りに語った。 喉が痛み、声が嗄(か)れた。 それでも訴え続けた。
 さらに、次々と句や和歌を詠み、皆に送った。
 その一句には、こうあった。

    うるま島
      君立ち征(ゆ)けば
            花の幸(さち)


 必死の一人の闘争が、波動し、広がって、新しき歴史が創られるのだ。
  (同書19巻・102~104P)

 この章の掉尾のところですが、池田先生の沖縄指導の集大成の部分とも言えるのではないかと思います。
 特に、“最も戦争の辛酸をなめた沖縄には、世界の平和の発信地となり、恒久平和を実現していく使命がある。 そのために、ここにいる皆さんが、宿命を使命に転じて、一人立つんです。 一切は、自身の一念の転換、人間革命から始まります” の言葉は、沖縄指導の核心のところだと思います。 
 「宿命を使命に」 「 一切は人間革命から始まる」 の指導は、弟子たるものならば、肝に銘じて、瞬時にも忘れてはならないと確信します。
 “最後の最後まで、生命を削る思いで語りに語った。 喉が痛み、声が嗄(か)れた。 それでも訴え続けた” は、先生の沖縄に対する大慈悲の想い・振る舞いが感じられます。
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 83歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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