「新・人間革命」第6巻〔宝土の章〕(イスラム教関係)

 『新・人間革命』 第6巻は、1962年1月、先生は初めて中東を訪問し、“平和と友情の橋” を架けるところから始まっています。まず、冒頭の文章は、

 〔宝土〕
 新世紀の大舞台は、世界である。そこには、戦火にあえぐ友がいる。悲嘆に暮れる母がいる。飢えに泣く子らもいる。
 泉が砂漠をオアシスに変えるように、人間の生命からわき出る慈悲と英知の泉をもって、この地球を平和の楽園へ、永遠の宝土へと転じゆく ヒユーマニズムの勝利を、我らは広宣流布と呼ぶ。

 一九六二年(昭和三十七年)一月二十九日、山本伸一は中東へ出発した。
   (新・人間革命6巻・7P)

 中東歴訪の第一の訪問地は、イランの首都 テヘランであった。昼間は、一人の現地会員のためにわざわざ家庭訪問をして、信心激励をなされ、それから博物館の視察など、一日は瞬く間に過ぎていった。
 夜は ホテルの先生の部屋で、同行の青年幹部たちと、イランの感想を語り合いました。
 対話は、イスラム教・その創始者である マホメットの人間像などにも及び、ここのところは、イスラム教を概略知るうえで参考になると思います。

 話のなかで、仏教とキリスト教・ユダヤ教・イスラム教などとの宗教間対話の必要性が語られました。
 同行の一人から 「しかし、イスラム教は、神の唯一絶対性を、極めて強烈に打ち出しているように思います。それだけに、イスラム教との対話は、最も難しいのではないでしょうか」 との質問がありました。
 先生は、諭すように言われました。

 「黒木君、なぜ、そう決めつけてしまうんだい。実際にやってみなければ、わからないじゃないか。自分の先入観にとらわれてはいけないよ。
 それに、イスラム教との対話といっても、宗教上の教義をめぐって、語り合わなければならないということではない。同じ人間として、まず語り合える問題から、語り合っていけばよいではないか。
 文化や教育のことについてでもよい。あるいは、人道的な立場から、平和への取り組みについて語り合ってもよい。文化の向上や平和を願う人間の心には、皆、一緒だよ。
 また、そうした問題を忌憚(きたん)なく話し合っていくならば、自然に宗教そものもについても、語り合っていけるようになるにちがいない。

 いずれにしても、対話の目的は、どうすれば、みんなが幸福になり、平和な世界を築いていけるかということだ。それにイスラムは、偶像は認めないが、文字は大事にしている。これは、大聖人の仏法に近い側面といえるのではないだろうか。
 また、唯一神アッラーについては、イスラム神学上の難しい議論もあると思うが、全知全能にしても天地万物の創造者という考え方は、宇宙の根源の法則である妙法を志向しているようにも思える。それは、ユダヤ教も、あるいは、キリスト教も同じかもしれない。そうだということになれば話は早い。
 私は、対話を重ねていくならば、イスラム教の人びとも、仏法との多くの共通点を見いだし、仏法への理解と共感を示すにちがいないと確信している」
 ………
 「よく戸田先生は、こう言われていた。
 ――大聖人をはじめ、釈尊、イエス・キリスト、マホメットといった、各宗派の創始者が一堂に会して、『会議』 を開けば、話は早いのだ、と。
 たとえば、企業でも、トッフ同士だと、話は通じやすいし、決断も早い。自分が責任をもって、あらゆることを考えているからね。

 同じように、世界宗教の創始者は、それぞれ時代の状況は異なっていても、迫害のなかで、民衆の幸福を願い、戦い抜いてきている。いずれも時代の改革者であり、聡明な “勇気の人” “信念の人” だ。
 だから、お互いに会って、語り合えば、仏法の深さもわかったであろうし、これからの人類のために何が必要であり、何をなすべきかも、すぐに結論を出すことができたと思う。
 残念ながら、この会談は実現することはできないから、現在の人びとが、民衆の救済に生きた創始者の心に立ち返って、対話を重ねていく以外にない」
   (同書・59P)

 上記の語らいのなかで池田先生は、第二次世界大戦終了後も 、ズ~と今日まで戦火の休むことのない、中東地域の問題解決の方途を示してくださっています。
 「対話を重ねる」 といえば、何か迂遠で生ぬるく、役に立たないもののように思われますが、では、武力で相手(テロリスト)を撲滅させることができるのか? 答えは “否” である。
 このことは、皆よく解っているけれども、人間の命の濁り・無明とでも言いましょうか、どう仕様もない宿業みたいなものを感じます。結局、「人間革命」 する以外に道はないわけです。
 我われは、数多くの 「地涌の菩薩」 を糾合し、“民衆の救済に生きた創始者の心に立ち返って、対話を重ねていく” べき戦いを開始しましょう。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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法華経は経の王

「法華経は経の王」です

これは仏教の中の王という意味ではありません。
あらゆる宗教の中の王ということです。

キリスト教、仏教、イスラム教、儒教などの上に、無上道の法華経があるのです

文底下種三段の、序文と流通分の、体内の変と体外の変のように
また、白米一俵御書の
「金光明経には「若し深く世法を識らば即ち是れ仏法なり」ととかれ涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是れ仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を・妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相い違背せず」」とあるように

大樹に例えるなら、枝葉が、キリスト教や仏教やイスラム教や儒教などで
幹の部分が法華経です
こういう例えをすると、ユダヤ教の、カバラの「セフィロトの樹」を思い浮かべる人もいるでしょう

ありとあらゆる国の、様々な宗教を信仰する人達が皆、法華経の精神で生きるようになれば
世界中に、平和と友好と笑顔があふれる時代になることでしょう

Re: 法華経は経の王

> ありとあらゆる国の、様々な宗教を信仰する人達が皆、法華経の精神で生きるようになれば
> 世界中に、平和と友好と笑顔があふれる時代になることでしょう

 一刻も早く “平和と友好と笑顔があふれる時代” になるように願っています。
 それには、「対話」する以外に道はありません。

 たとえ、テロリストでも誰でも、相手の生命のなかに、仏性を人格を、認めることです。
 それが、法華経の精神であると思います。そこからしか、対話は生まれません。

 武器を取って、テロリストを殲滅しようとしても、平和はやって来ません。
 世界の指導者層には、このことが、いまだに解っていないようです。
 一刻も早く、創価思想、池田思想を、そして、世界広宣流布に頑張りましょう。

偶像崇拝否定

「文字は大事にしている」
文字曼荼羅ではありませんが、
サウジアラビアの国旗を想起しました。

Re: 偶像崇拝否定

 コメント有り難うございます。

 早速、サウジアラビアの国旗をウェブで探してみました。
 緑地に、アラビア文字の聖句と刀を描いたデザインですね。
 
 大聖人の “十界の文字曼荼羅” は、文字(意味がある)だけでなく、その配列によって、空間的・三次元的に想起されるようになっていると思います。すなわち、虚空会の儀式であります。
 私たちはお題目を上げることによって、何時、何処でも、虚空会の儀式に参加できるのであります。
 何と有り難いことでしょう。そのように思って、常にお題目を上げていきたいと思います。
 よろしくお願い致します。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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