真言亡国 (東密)

 真言宗は、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を依経とし、大日如来を教主とする。中国において、善無畏三蔵が唐の開元4年(716年) にインドから渡来し、大日経を訳し弘めたことから始まる。
 善無畏は、天台の一念三千論を見て、法華経より大日経が勝れているとしなければ、真言は弘まらないと思い、天台の学僧の一行を欺いて 「大日経疏」 を書かせた。

 『撰時抄』 に、善無畏三蔵が大に巧(たくら)んで云うには、「大日経の入漫陀羅已下の諸品は漢土にては法華経・大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし、釈迦仏は舎利弗・弥勒(みろく)に向つて大日経を法華経となづけて印と真言とをすてて但理計りをとけるを羅什三蔵此れをわた(渡)す、天台大師此れをみる、大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩埵に向つてとかせ給う、此れを大日経となづく我まのあたり天竺にしてこれを見る、されば汝がかくべきようは大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし」(276P) といって、一行を誑(たぶら)かしたのである。
 このことを伝教大師は 『依憑集』 で 「新来の真言家は即ち筆受の相承を泯(ほろ)ぼし」(1269P) と破折しました。
 そこには法華経と大日経とは一念三千の 「理」 は同じであり、印と真言の 「事」 において大日経が勝れる、すなわち、「理同事勝」 という邪義が打ち立てられた。
 「印」 とは、印相のこと、印契、密印ともいう。指先で特殊な形を結び、仏・菩薩の悟りをあらわしたものを手印という。
 「真言」 とは、仏の真実の言葉という意味です。密教の一種の呪文で、日本では翻訳せずに梵語を音写して用い、その訳の分からないことを以って秘密と称している。
 大聖人は 「大日経の印真言を彼の経の得分と思へり、理も同じと申すは僻見(びゃっけん)なり、真言印契を得分と思ふも邪見なり」(888P) と破折されています。

 日本では、弘法大師空海が入唐して真言密教を学んで帰朝し開宗した。大別して二つの派があり、弘法系の真言宗を 「東密」(東寺の密教)と言い、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を 「台密」 という。

 弘法の悪義は 「一代の勝劣を判じ給いけるに第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候」(277P) と、『十住心論』 などで言ってることです。そこには、

①各宗とも自宗に仏乗と名のっているが、後に出てくる真言宗に望めば、前の天台法華宗は戯論(けろん)となるのである。 
②法身の大日如来に相対すれば、釈尊も無明の辺域であって、明の分位(悟りの位)ではない。 
③五味に譬えると法華は第四の熟蘇味の位である。 
④中国の人師たちは、争って第五の醍醐味を真言宗から盗み取って、各々の自宗に添加した。
 等が代表的な邪義である。

 大聖人は 「華厳経と大日経とに対すれば法華経戯論・六波羅密経に対すれば盗人・守護経にに対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候はず」(277P) と、一切の経文のなかに、有りもしない妄語を並べ立てていると破折されています。

 「醍醐を盗んだ」 と言うことであるが、天台大師は陳隋の時代の人である。六波羅蜜経はその後の唐の時代になって、般若三蔵がこれを中国へ持ってきたのである。実に有りもしない経から、どうして盗むことが出来るのか。
 「其の上・又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず、仏・涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給い天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかかれて候、竜樹菩薩は法華経を妙薬となずけさせ給う、されば法華経等を醍醐と申す人・盗人ならば釈迦・多宝・十方の諸仏・竜樹・天親等は盗人にてをはすべきか、弘法の門人等・乃至日本の東寺の真言師・如何に自眼の黒白はつたな(拙)くして弁へずとも他の鏡をもつて自禍(じか)をしれ」(278P) と破折されています。

 真言宗は、此土有縁の教主釈尊を捨てて、我等衆生と何の縁もゆかりも無い、架空の大日如来を教主としている。あまつさえ、釈尊を大日如来や弘法のその車を引く資格すらない、牛飼いや履物取りにも及ばないと、口汚く罵っているのである。
 
 善無畏が中国へ大日・真言を渡したのは、唐の玄宗皇帝の時代でした。それから後は、あれだけ隆盛を極めた唐王朝も“安史の乱”の後から衰退に向かいはじめ、玄宗も失意のうちに薨じた。その後は中国から、仏教自体も滅亡する道を辿ることになるのである。

 三徳具備の教主釈尊を捨てて、取るに足らない大日如来を立てるゆえに、主を殺すものであり、諸経中で最第一の法華経を第三と下すことは、主客転倒している。
 『立正安国論』 に、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万人乱る」(19P) と、人々の価値観が転倒して、社会が混乱し国が滅びることになるのである。
 日蓮大聖人は 「真言は亡国の悪法」(1073P) であると断定なされています。

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真言亡国(台密)

 日蓮大聖人は、日本の天台法華宗が密教化したことについて、「叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同理勝の狂言(おうげん)を本として我が山の戒法をあなずり戯論(けろん)とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし」(1023P) と述べられています。

 大聖人の諸宗の破折は佐渡以前では、念仏・禅宗などが主で、真言(東密)は少々でした。それは大聖人が、「所詮は万祈を抛つて諸宗を御前に召し合せ仏法の邪正を決し給え」(170P) と、『北条時宗への御状』 で申されたように、公場対決を望まれていました。
 しかし、「爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろう(披露)してかれらし(知)りなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり」(1489P) とあるような理由で、真言を強く破していませんでした。
 したがって、公場対決の望みがなくなった佐渡以後は、「而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489P) と仰せになり、『撰時抄』・『報恩抄』 等で天台密教を徹底的に破折されることにより、三大秘法を顕わされたのであります。

 “なぜ真言を強く破折する” のかと言いますと、念仏・禅などは当時の新興宗教であり、多くの民衆に信じられていたとはいえ、言わば個人的な信仰と言ってよく、それに対し長い間、鎮護国家の法として為政者から祈祷を依頼されていた真言密教の国家・社会に対する悪影響は、はなはだ重大なるものがあるのである。
 ゆえに、天台密教の邪義を破ることによって、法華経の正義を示されて末法の法華経の行者、即ち 「南無日蓮聖人」(287P) と仰せられましたように、『撰時抄』 にて 「御本仏のご内証」 を明かされたのであります。

 大聖人は、真言宗の中でも、善無畏や弘法などと比べて、慈覚の行為こそが最大の悪事であるとされています。
 『撰時抄』 に、「日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに、慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし、されば東寺第一のかたうど(方人)慈覚大師にはすぐべからず」(279P) と仰せられています。
 
 伝教大師が、桓武天皇の御前で南都六宗の碩徳と公場対決し、六宗を破し法華経最第一の義を決した。六宗の碩徳は承伏の謝表を奉り、伝教大師に帰伏した。その結果、日本一州みな・僧は伝教の弟子となり、寺は叡山の末寺となったのである。

 そのような中で、弘法が法華経は大日経に比べて三重の劣であり、釈尊は無明の辺域であると、あからさまに下していても 「あまりの僻事(ひがごと)なれば弟子等も用ゆる事なし」(308P) という程度であった。

 しかし、慈覚・智証の天台法華宗が、法華経と大日経は「理」は同じであり、「事」においては印と真言があるから、大日経の方が勝れると云えば、叡山の座主自らが云うのだから 「皆人さもやと・をもう、かう(斯)・をもうゆへに事勝の印と真言につひて天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり」(309P) という有様であった。結局、僧侶たちは祈祷を生業として、金銭を儲けんが為に堕落したのである。
 「慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とが・ごとくなる・ゆへに智人も迷い愚人もあやまり候て此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州・皆謗法の者となりぬ」(309P) と仰せである。 

 ここに、法華経最第一とする叡山の天台宗が密教化したことの謗法罪は、弘法の東密よりも遥かに重いのである。
 特に、慈覚に対しては厳しく 「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(286P) と、安然・慧心を加えて“師子身中の虫”とまで断じておられます。
 
 大聖人は 「真言は亡国の悪法」(1073P) なりと定められた理由を簡潔に 「答う法華を誹謗する故なり云云、一義に云く三徳の釈尊に背く故なり云云、一義に云く現世安穏・後生善処の妙法蓮華経に背き奉る故に今生には亡国・後生には無間と云うなり」(167P) と破折されています。

 慈覚の理同事勝の邪義を、日寛上人が破した文がありますのでご参照ください。

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真言亡国の現証

 日蓮大聖人は 「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(1468P) と仰せられ、真言亡国の現証を指摘されています。

 大聖人は 「而るに日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の比より随分に顕密二道・並びに諸宗の一切の経を・或は人にならい・或は我れと開見し勘(かんが) へ見て候へば故の候いけるぞ、我が面を見る事は明鏡によるべし・国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず」(1521P) と仰せです。
 「此の事」 とは “承久の乱” の事で、主上の朝廷方が臣下の幕府方に敗れた事に、疑問を持たれたと仰せられています。

 『報恩抄』 に 「人王八十二代・尊成・隠岐の法皇・権の太夫殿を失わんと年ごろ・はげませ給いけるゆへに大王たる国主なれば・なにとなくとも師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉(きじ)を取るやうにこそ・あるべかりし上・叡山・東寺・園城・奈良・七大寺・天照太神・正八幡・山王・加茂・春日等に数年が間・或は調伏(ちょうぶく)・或は神に申させ給いしに二日・三日・だにも・ささえかねて佐渡国・阿波国・隠岐国等にながし失(うせ)て終にかくれさせ給いぬ、調伏の上主・御室(おむろ)は但東寺をかへらるるのみならず眼のごとくあひ(愛)せさせ給いし第一の天童・勢多伽(せたか)が頸(くび)切られたりしかば調伏のしるし還著於本人(げんちゃくおほんにん)のゆへとこそ見へて候へ」(321P) と仰せてられています。 
 「還著於本人」 とは、「還って本人に著(つ) きなん」 と読む。邪法をもって正念の相手を呪詛して害そうとすれば、帰って自らの身にそれを受けるようになるということです。

 大聖人は 「法華経を或は第三・第二・或は戯論(けろん)・或は無明の辺域等と押し下し給いて、法華経を真言の三部と成さしめて候いし程に、代漸く下剋上(げこくじょう)し此の邪義既に一国に弘まる、人多く悪道に落ちて神の威も漸(ようや)く滅し氏子をも守護しがたき故に八十一乃至八十五の五主は或は西海に沈み或は四海に捨てられ・今生には大鬼となり後生は無間地獄に落ち給いぬ」(1424P) と仰せです。

 これは源平の争乱の時も、平家の願によって源氏調伏の祈祷をしたのは、比叡山の明雲座主であるが、源氏の木曽義仲に調伏の壇上に踏みこまれて殺されてしまった。それから約二年後、平家一門は西海の壇ノ浦で滅亡したのである。この時幼い安徳天皇(81代) も、二位尼と共に海中に沈むという悲劇を生んだ。
 承久の乱の時は、後鳥羽上皇(82) は隠岐島へ、土御門上皇(83) は土佐国へ、順徳上皇(84) は佐渡島へ配流され、仲恭天皇(85) は廃帝させられた。臣下が天皇を廃し、また流罪に処したことは、わが国有史以来の出来事であった。これも朝廷方が、真言の悪法で祈祷した結果であったのである。

 源平・承久の乱は、一般的には時代の趨勢として、政権が朝廷から武家へ変わる時であり、力を保持してきた武家が勝利するのは当然であるという見方であるが、しかし、日蓮大聖人はその上に、仏法の正・邪により、事の勝・敗が決まると云う 「仏法史観」 とも云うべきものを仰せられている訳です。

 大聖人は 「殊に真言宗が此の国土の大なるわざはひにては候なり大蒙古を調伏せん事・真言師には仰せ付けらるべからず若し大事を真言師・調伏するならばいよいよいそいで此の国ほろぶべし」(287P) と予言されています。そしてそれは、文永の役・弘安の役として現実のものとなったのである。

 池田先生は、「承久の乱の結果は、伝統的な権威に基づく従来の朝廷・貴族が世を治める力を失うとともに、その社会のなかに組み込まれていた既成仏教が無力化したことをも意味していました。それは、従来の祈祷仏教の無力化を如実に示していたのです」  (御書の世界第一巻・41P)
 
 真言の祈祷仏教の 「空理性・呪術性というのは、裏づけとしての 『一念三千の理』 がない、形式のみの祈祷を行っていることだね。
 一念三千の法理がないということは、人間生命をいかに捉え、いかに変革していくかという、普遍性・哲学性がないということです。
 それなのに、祈祷・呪術の形式だけが発達して、何かありそうに人々に思わせた。その破綻の象徴が承久の乱における混迷です」
 (同書・92P) と、真言宗の祈祷を厳しく破折されています。

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真言密教

 真言宗のことを、密教とも云う。密教とは秘密仏教ということで、真言宗は顕教・密教という二教の経判を立て、大日経は法身の大日如来が説いた真実の秘密の教えである故に 「密教」 という。
 他経の法華経等は応身仏の他受用身の所説の法で、顕わに説かれた浅い教の 「顕教」 であるとの邪義を立てている。しかし、大日経等の真言の三部経は、仏の 「四十余年未顕真実」 の中の経教である。

 日蓮大聖人は、「抑(そもそも)大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密(おんみつ)の密なるか微密(みみつ)の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭(こ)むるは微密なり、二には疵(きず)・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成(しじょう)と説く故に長寿を隠し二乗を隔(へだ)つる故に記小(きしょう)為(な)し、此の二は教法の心髄・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり」(144P) と。 (記小…二乗作仏) 
 また、「真言の高祖・竜樹菩薩・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず」(145P) と仰せです。

 そもそも、真言の三部経 (大日経・金剛頂経・蘇悉地経) を密教と云い、その外の法華経等を顕教と云うことは、釈尊の金言・経文には無いのである。自分勝手に称している邪義なのである。
 
 次に密教の密は、隠密(おんみつ) の密なるか、微密(みみつ) の密なるかと問いかけられています。
 「微密」 とは、微妙秘密のことで、微妙、深遠で外からは容易に分からないということで、微密は金銀などを蔵に秘蔵することに譬えられる。故に、微密は法華経を指すのである。

 「隠密」 とは、物事を人に知られないように覆い隠す意味で、疵や欠点を隠し、教説などの文に仏の本意を隠して示さないことを云う。すなわち、真言密教は隠密なのである。
 その訳は、始成正覚を説く故に、寿量品の久遠実成を隠し、二乗を弾呵する故に、記小(二乗作仏) すなわち、成仏の法理である一念三千の理は、説かれて無いのである。この法華経の久遠実成と二乗作仏は、「教法の心髄・文義の綱骨なり」 とまで仰せられています。

 そうであるのに、真言宗は 「理同事勝」 の邪義を構え、有りもしない 「即身成仏」 を、さも有るように大日経などで説いて、衆生を惑わせ・誑(たぶら)かしているだけで、成仏の実質が伴っていない 「有名無実」 の論理なのである。

 密教はインドにおいて、ヒンズー教・バラモン教の神秘主義・呪術的な加持祈祷の作法を取り入れた。その結果、仏教は本来、神秘主義でも呪術主義でもなく、自分自身が修行をして仏果を成ずるという修行法なのに、僧侶や能力者に祈祷して貰って功徳を得させようとする密教は、仏教をはなはだ不合理な、ご都合主義的な、いい加減なものに貶(おとし)めてしまったのである。

 真言宗の説く即身成仏は、手に 「印契」 を結び、口に 「真言」 を唱え、心が三昧に住することで、身口意の三業において、行者と仏が一体になるとしている。しかし、それはあくまでも象徴のレベルに過ぎない。ただ主観的に成仏したと主張しているだけで、客観的・理論的・現実的な裏付けは何もないのである。
 
 そのような真言密教のいう即身成仏は、「神がかり」 などの没我状態と同列の主観的な神秘体験の一種であり、自己の向上と完成を目指し、生命境涯の根本的変革を意味する、仏教本来の 「即身成仏」 とは、似て非なるのもである。

 日蓮大聖人は、「真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人(ぐうにん)の妄(みだ)りに帝王と号して自ら誅滅(ちゅうめつ)を取るが如し、王莽(おうもう)・趙高(ちょうこう)の輩外(ほか)に求む可からず今の真言家なり」(1027P) また、「真言は亡国の悪法」(173p) と厳しく破折なされています。

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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