鳩摩羅什

 2月15日の聖教新聞に、インドにおいて、鳩摩羅什研究の国際セミナーが開催されたとありました。鳩摩羅什(くまらじゅう) といえば、法華経の漢訳者として有名です。

 日蓮大聖人は 「月氏より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ」(1007P)  と讃えられています。この名訳があってこそ、法華経の精神は、中国そして日本へと正しく伝えられ、大聖人様によって真の仏教が確立され、それが今、創価の民衆運動によって、全世界に平和と生命尊厳の哲学として展開されています。

 同セミナーにて、東洋哲学研究所の川田洋一所長は 「妙法蓮華経」 について、三つの点から論じられています。
 第一は 「万人成仏」 の思想である。法華経方便品の 「諸法実相」 の法理が示すように、すべての人々の生命には 「仏性」 がそなわっている。人種や性別、文化など一切の差異を超えて人間は平等であり、尊厳を持つ存在であると説く。

 第2は 「永遠なる仏」 の思想である。寿量品で説かれる 「久遠仏」 は、釈尊が覚知した宇宙根源の法と一体である。ゆえに 「永遠なる仏」 は 「永遠の救済仏」 なのである。戸田2代会長は 「この宇宙は、みな仏の実体であって、宇宙の万象ことごとく慈悲の行業である」 と述べているが、大宇宙の慈悲の働きに支えられて、人類共生の社会の創出が可能となる。

 第3は 「菩薩道の実践」 である。これは 「久遠仏」 の働きを自らの使命として生きる人々――即ち菩薩群の活動を意味する。羅什訳 「妙法蓮華経」 に示される三つの思想を、人類の平和と幸福のために、現代において具現化しょうとする仏教団体が創価学会・SGIである、
と述べられています。

 インド文化国際アカデミー理事長ロケッシュ・チャンドラ博士は、「法華経を世界に伝えた人物が3人いる。鳩摩羅什が釈尊の悟りを表現し、日蓮大聖人が実践の中で新たな生命を吹き込み、池田会長がそのメッセージを世界192カ国・地域に広げたのである」 述べ、会場に賛同の拍手が鳴り響いた。

 以上のように、法華経並びに鳩摩羅什の業績が、称嘆されクローズアップされてきました。思えば、20世紀は余りにもイデオロギーとイデオロギーが激突し、数多くの人命が失われ、悲惨な結末を迎えてしまった。それでも今なお、各地域ではこの状態は続いています。

 今までの西洋の唯心・唯物の思想哲学は、問題解決の力とならず行き詰まってしまった。現今の諸問題すなわち、環境破壊・民族人種差別・貧困経済格差・資源エネルギー・地域宗教間紛争・等々の原因は、みな人間生命の(むさぼり)・(いかり)・(おろか) の三毒より起こるものであると、日蓮仏法は教えています。

 この三毒が、法身般若解脱の三徳と転じ解決できるのが、日蓮大聖人の 「色心不二の大生命哲学」 なのであります。したがって、外部環境ではなく、人間生命の変革・人間革命するしか、問題解決の道はない分けです。

 いま心ある人々は、これに気づき・これを求めようとしています。わが創価学会員は、日蓮仏法による人間革命の池田思想を、声を大にして訴えるものである。

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羅什の舌焼けず

 鳩摩羅什についてもう少し述べてみたいと思います。
 羅什三蔵は、七歳のときに出家し、諸国を遊歴して大乗経を学びました。特に法華経を、師・須梨耶蘇摩大師より 「仏日西に隠れ遺光東北を照らす玆(こ)の典東北諸国に有縁なり汝慎(つつし)んで伝弘せよ」(399P) と、付属を受けました。天竺より東北諸国は日本になります。

 その後、後秦王・姚興に迎えられて長安に入り、国師の待遇を得て、多くの訳経に従事しました。
 『撰時抄』 に次のように記されています。

 羅什三蔵がいうには 「自分が中国の一切経を見るのにみな原本の梵語とは異なっている。どのようにして、このことを世間の人にはっきり分からせようか。ただし一つの大願があり、自分の身体は妻を帯して不浄にしているが、舌ばかりは清浄にして仏法に妄語はしないと定めた。自分が死んだら、必ず焼きなさい。その時に舌が焼けるならば、自分の訳した経を捨てなさい」 と、常に高座で説法していた。

 当時の人は、これを聞いて、上一人より下万民にいたるまで願っていうには 「願わくは羅什三蔵より後に死んで舌の焼けないのを見たいものだ」 といっていた。終に羅什の死なれた時、いわれた通り焼き奉ったが、不浄の身はみな焼けて灰となり、御舌ばかり火の中に青蓮華を生じて、その上にあった。五色の光明を放って夜は昼のごとく輝き、昼は太陽の光を奪うほどであった。

 このような不思議があったればこそ、ほかの人々の訳したいっさいの経々は軽んぜられ、羅什三蔵の訳された経々が重んぜられ、殊に重要な羅什訳の法華経が、やすやすと漢土にひろまったのである。(268P・通解)


 私はこの物語を初めて聞いたとき、この様なことが事実として有るものかと思いました。しばらくして、羅什訳の法華経が、いちばん釈尊の正意を伝えた名訳である証明であると思いました。

 そもそも釈尊は、妙法蓮華経という語は発していません。 「梵語には薩達磨(サダルマ) 芬陀梨伽(フンダリキヤ) 蘇多覧(ソタラン) と云う、此には妙法蓮華経と云うなり、薩は妙なり、達磨は法なり、芬陀梨伽は蓮華なり、蘇多覧は経なり」(708P)  とあります。

 このような絶妙な名訳は、羅什三蔵の智慧は勿論のこと、表意文字の漢字があったればこそ、のことだと思います。そして数多くの経典の中で 「妙」 の一字のあるのは 「妙法蓮華経」 のみです。

 この 「妙法蓮華経」 から天台大師は、一念三千の珠を取り出し、日蓮大聖人は、七文字の法華経(御本尊) として、我ら末代幼稚の頸に懸けさして下さいました。

 たったこの七文字の 「南無妙法蓮華経」 の中に、宇宙の根源の法をはじめ、一切の諸法が包含されています。ゆえに、南無妙法蓮華経と唱題することによって、衆生の身中にあって無明に覆われ、固く閉ざされた仏性を、開くことが出来るのです。

 唱題行にとって大事なことは、リズムと言おうか、本当に口ずさみ易い、心地よい音律でなければなりません。表音文字では、こうまでうまく簡潔に訳せないと思います。この点、南無妙法蓮華経ほど、理にかない・音にかない・人々に勇気と希望を与える音声はほかにありません。

 いまやSGIの活動によって、世界192カ国に発展し、民族・言葉の違いを超えて、ともに同じく “南無妙法蓮華経” の音声が響き渡っています。この状況こそ、羅什の御舌の火中にあって、青蓮華の上で五色の光明を放つお姿そのものではないかと思います。

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鑑真と羅什

 『法華経見宝塔品第十一』 で釈尊は、「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏の前に於いて 自ら誓言を説け」 と、このような趣旨を3回にわたって勧め命じました。これを 「三箇の鳳詔(勅宣)」 と言います。

 これを受けて 『勧持品第十三』 で、八十万億那由佗の菩薩たちは、「唯願わくは 慮(うらおも)いしたもう為(べ)からず 仏の滅度の後の 恐怖悪世の中に於いて 我等当に広く説くべし」 と、十方世界の弘通を決意した。そして如来滅後に三類の強敵があろうとも、「我身命を愛せず 但無上道を惜しむ」 との誓願を発したのである。

 この三類の強敵を説いた文を 「勧持品の二十行の偈」 と言います。 日蓮大聖人は 「身・口・意」 の三業をもって、この勧持品の二十行の偈を読まれ、法華経身読の末法の御本仏としての御確信に立たれました。

 三類の強敵と言えば地涌の菩薩を思い出しますが、迹化の菩薩たちも地涌の菩薩に劣らず、仏法東漸のために命を賭して戦いました。その例を、鳩摩羅什と鑑真について述べて見たいと思いました。

 鳩摩羅什は、七歳の時、母と共に出家し、須利耶蘇摩大師より法華経を授かる時 「仏日西山に隠れ遺耀(いよう)東北を照らす、玆(こ) の典東北の諸国に有縁なり、汝慎(つつし)んで伝弘せよ」(71P) との付嘱を受けた。

 十二歳の時、亀茲(きじ)国に帰り大乗仏教を弘めた。その名声は中国にも及んでいて、前秦王符堅は羅什三蔵を得るため、呂光将軍に七万の兵を与えて亀茲国を討たしめた。呂光は長安への帰路、符堅の死を知り、姑臧(こぞう)に後涼国を建てた。羅什三蔵も此処に十六年在住し、この間に漢語を完璧に自分のものとした。

 やがて後秦王姚興(ようこう)は、六万の兵を派遣して後涼国を討ち、羅什三蔵を獲得した。こうしてようやく長安に入ることが出来た。羅什・五十二歳の時であった。

 五胡十六国時代は、各国が覇権を争った戦乱の時代でした。羅什の長安への道は、戦乱の中で翻弄(ほんろう)され、拉致され他動的であるが、師・須利耶蘇摩や母との誓いの「法華経を東土に伝えるのは自分の使命である」という強き自覚の一念が、なさしめたものであると思う。

 鳩摩羅什が漢訳した「妙法蓮華経」は 「教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ」(1007P) と、仏意にかなった名訳であり、天台・伝教・日蓮大聖人が用いられて、万人成仏の根源の一法となったのである。
 
 鑑真は、中国唐代の僧で揚州の大明寺に住し、日本の入唐僧、栄叡(ようえい)・普照の請を受け、渡日を決意した。唐は国民の出国を禁じており、国禁を犯しての渡航であった。

 第1回743年(55歳) から 第5回748年(60歳) まで、その間・暴風雨で遭難したり、密告により官憲に捉えられたり、そんな過酷な状況の中、栄叡は命を落とし、鑑真は眼病で失明してしまう。

 第6回753年(65歳)、ついに第十回目の遣唐使がやって来た。帰国船にやっとの思いで潜り込み、12月20日薩摩の地を踏んだ。翌754年2月4日(66歳)、鑑真は平城京に到着した。第1回の密航から11年、6度目で悲願を達成した。その生き様は、壮絶としか言い様のないものである。

 鑑真は渡来した時、仏舎利・律・経典などを渡したが、なかでも天台大師の 「摩訶止観・法華玄義・法華文句」 は、後に伝教大師がこれを学び、日本天台宗の興隆に大きく貢献した。この様に迹化の菩薩たちも、釈尊との霊鷲山会の誓いを忘れず、仏法東漸のために命を懸けて実践しました。

 日蓮大聖人は 「剰(あまつさ)へ広宣流布時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360P)・「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(265P) と仰せられています。日蓮大聖人の本弟子、地涌の菩薩と自覚するならば、仏法西還のために戦おうではないか。

 戸田先生は “青年訓” の中で、「霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、『末法の青年は、だらしがないな』と、舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書が泣くことを知らなくてはならない。
  奮起せよ! 青年諸氏よ。  闘おうではないか! 青年諸氏よ」 
と、呼びかけられています。 

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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