体験談(1)

 太陽会の11月の区定例会で、体験発表することになりました。今までこれと言った体験もないので、入信動機の話をしょうと思っています。折伏等の時に個人的に話をしたことはありますが、このような会合では初めてです。

 私の入信動機は病気であります。中学1年の頃、海水浴中に右耳に水が入り中耳炎になりました。初期の手当てが適切でなく慢性化させてしまいました。
 昭和29年1月頃、高校三年の卒業直前に、地元の医院で一回目の根治手術を受けましたが、なかなか治りません。
 そこで次は昭和31年春頃、九州大学病院で二回目の根治植皮手術を受けました。退院後、九大まで通院するわけにもいかず、地元の医院にて術後の治療を受けていましたが、まだ、それからでも1年以上通院してもなかなか治りません。
 九大にて点耳用の “クロロマイセチン” という抗生物質の治療薬を使っていたのを思い出して、意を決して先生にお願いしました。ところが、先生は非常に立腹され、自分も九大を出たものだとか何とか言い、何が何だか分からず、後から考えると患者から、指摘・要望されたことが気に障ったようでした。
 このとき私は、一類の望みも消えお先真っ暗になり、絶望の底に突き落とされた感に打たれました。まだ両親も健在だったが、両親もどうこうする力もなく、九州で最高の九大病院まで行ったけれど、医学も医者も駄目で、頼ろうにも頼るものは何一つなく、たった独りぼっちになった感にうたれ非常に寂しい思いをしました。そして本然と、以前から聞いていた創価学会の信仰を、してみようかなぁ! という思いが起きてきました。
 今から思えば、医者の先生が立腹され、私は突き放されたが故に、創価学会に入会する踏ん切りがつきました。その頑固な先生は、まさに、私にとって善知識となりました。

 創価学会の話を聞いたのは、昭和30年頃・一時期、同じ会社で机を並べて仕事をした学会壮年部員のK氏からです。仕事の合間に、ちょくちょく話は聞かされていました。
 私は浄土真宗の家の生まれで、気が小さくて吃っていました。そのうえ病気ときていますので、何事につけても消極的な平凡な一青年でした。
 K氏は信心の強信なる故か、何せ生命力あふれて元気の良いこと、その姿には大いに魅力を感じていました。上記の件の後、自ら訪ねて行って昭和33年2月、創価学会に入会いたしました。
 
 入会後はすぐに男子部に所属して、毎晩のように11時・12時過ぎまでの活動で、こんなに遅くまですることは中耳炎には良くないなぁ! と思いながら、半ば嫌々ながらついて行ったというような実情でありました。
 このような信心だから、中耳炎はなかなか治りませんでしたが、しかし、不思議にも心の苦悩は、だんだんと霧が晴れるように無くなりました。
 信心の実践は性格の故か消極的な方で、たとえば、隊長に任命されるのに3.5年もかかりました。このような私でしたが、福運あって昭和37年4月、聖教新聞販売店主の任を拝命しました。それから34年間、平成8年2月の定年退職まで、皆さまのご支援のもと無事この任を務め上げることができました。
 この間、昭和37年夏頃、交通事故で右足を骨折し2か月入院し、これを機に耳鼻科とは縁を切りました。

 思えば二十代の初め、悩みの壁にぶち当たり、人生の敗残者となりました。健康的にも二十一世紀まで生きられるのかなぁ! と思っていた私が、今や両親の年齢(70)を超え、人並みの生活が出来るようになりました。
 これも 「蒼蝿(そうよう)驥尾(きび)に附して万里を渡り碧蘿(へきら)松頭に懸(かか)りて千尋を延ぶ」(26P) との御金言のように、只々創価学会についてきただけで、御本尊の功徳に浴することができました。ひとえに、池田先生・そして創価学会会員の皆様のお陰であると感謝申し上げます。

 「大願とは法華弘通なり」(736P)と、“大法弘通慈折広宣流布大願成就” の “創価学会常住” の大御本尊を御安置申し上げる “広宣流布大誓堂” の落慶を期して、世界広宣流布の新時代へ、いま再び地涌の使命に目覚め “正義と希望の大前進” を開始しましょう。

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体験談(2)

 前のブログにて私は、不治の病で頼るところもなく、非常に寂しい思いをしたと言いました。じつは、このことが起きる前の子供の頃、すでにもう一度、寂しい思いをした経験があります。誰にも話をしたことは無いのですが、丁度良い機会ですから、話をしてみたいと思います。

 それは、私が小学校4年(9歳)の時のことです。終戦の日(昭和20年8月15日)の数日前か、数週間前か、1か月位前のことです。詳しい日時は忘れて分かりませんが昼間でした。何のためにそこを通っていたのか等は、これも記憶になく分かりません。
 その場所は、北九州市小倉南区の北方というところで、自衛隊(旧・陸軍歩兵連隊)の正門のあるところから、現・都市高速道路の方へ延びている、極普通の二車線幅の道です。片側は駐屯地の塀があり、向かい側に民家があり、米屋さん等の店も数店ありましたが、時節柄・閉店した状態のままでました。

 この道を歩いている時、私は一瞬、子供心に “寂しいなぁ” と感じました。
 それは何故かといえば、「音がない」 のです。シーンとして 「音のない世界」 に立っていたからです。私は 「音のない世界」 の “寂しさ” を実感いたしました。
 周りをめぐらしても、人の子一人として居ない、猫の子一匹も居ない、動くものは、車などは当然のことで、なに一つとして存在しない、音源もない。一瞬・時が止まったような、死の町・死の世界へ来たようでした。

 今から思えば、戦争末期の世相は、虚無感が漂っていました。言論統制の世のなか、庶民は口には出さないが、“戦争は負けそうだ” と、心の中ではみんな思っていました。
 国家権力による、個人の思想信条・言論情報・経済活動・生活物資までも統制・制限され、すべてに亘って自由を奪われた国民は、だんだんと生命力を落として行き、行きつくところ、国家・社会は活力を失い沈滞化し、亡国の姿が現れたのである、と思っています。
 現在の喧噪の世情から見て、「音のない世界」 など想像すらできないけれど、現実に体験した、歴史上の一瞬の一コマであります。
 
 私は仏法を学ぶことによって、人生の根本的な課題が “生・老・病・死” の四苦にあり、なかんずく、最終の臨終の問題を解決できずして、正しい人生を歩んだとは言えない、ことを知りました。

 『寂日房御書』 に、「今生のはぢは・もののかずならず・ただ後生のはぢこそ大切なれ、獄卒・だつえば(奪衣婆)懸衣翁(けんねおう)が三途河のはた(端)にて・いしやう(衣装)をはが(剥)ん時を思食して法華経の道場へまいり給うべし」(903P) と仰せです。

 “今生の恥” とは、世間の人々の評判である。“後生の恥” とは、自身の生命の因果律であり、その罪福をいうのである。
 “奪衣婆・懸衣翁が衣装を剥す” とは、今生で得た地位・名誉・財産などすべて剥され、役に立たない。また、親や子・親類縁者が居ても、誰も頼りにならないのである。裸の “自分自身” 一人になって死に逝かねばならない、ことを教えている。
 そのときは、今までなした因果の法則のままの境涯の報いを受けるのである。“寂しい” 想いや死の恐怖に怯えるようなことになっては、絶対になりませぬ。
 
 『持妙法華問答抄』 に、「願くは 『現世安穏・後生善処』 の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引(ろういん)なるべけれ須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界の思出なるべき」(467P) と仰せです。

 臨終の問題の解決法は、御本尊を持って “南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき” の御金言の実践・修行あるのみです。

 『松野殿御返事』 に、「南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば・あら面白や法界寂光土にして瑠璃(るり)を以つて地とし・金(こがね)の繩を以つて八の道を界(さか)へり、天(そら)より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず行くべからず」(1386P) と仰せです。

 日蓮大聖人は、即身成仏の絶対なることを御約束なさっています。我らは信をもってお応えし、世界広布の新時代へ、勇気と希望の大前進を開始しましょう。
 そして我が人生は、大勝利だったと宣言できるように頑張りましましょう。

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体験談(3)

  私の入信の動機である病気ゆえに、誰も頼りにならず孤独で寂しい思いをしたことは、既に申し上げました。
 入信後、『方便品寿量品精解』 を読んだとき、法華経に説かれている譬え話が、全く我が身に当てはまることに、驚きを禁じ得ませんでした。法華経の文を、身で読んだといえば聞こえは良いが、身に読まされたというのが実感である。
 その譬え話は、「如来寿量品第十六」 の 「良医病子の譬」 であります。

 この 「良医病子の譬」 のあらすじは、聡明で医薬に通じた良医(父)がいた。父が他国に行った留守中に、子供たちは他人が勧める毒薬を飲んでしまって、地に転げ回って苦しんでいた。
 そこに父の良医が帰ってきた。毒のために本心を失った者と本心を失っていない者がいた。父は色も香りも味も素晴らしい良薬を調合して、子供たちに与えたところ、本心を失っていない者は、良薬を服して病が治った。
 ところが、本心を失った者は素晴らしい良薬であることを認識できず、飲もうとしないで、苦しむばかりであった。そこで、父は一計を案じ、自分は年老いたから、いつ死ぬかもしれない。ここに素晴らしい良薬を置いておくから、飲みなさいと言い残して、他国に行ってしまう。そして、使者を遣わして子供たちに、父は死んだという知らせを届けさせる。
 本心を失っていた子供たちは、父が亡くなったあまりの悲しみで、ついに本心を取り戻し、父の言葉を思い出して良薬を飲んだところ、全快した。子共たちが全員助かったと聞いた父は、すぐ帰宅して、子供たちの前に姿を見せたのである。

 以上の譬え話の中で、使者から父が死んだと聞いた子供たちが、頼みがなくなり、悲嘆し、苦悩したときの状況を述べた、ところの寿量品の経文が、
 自惟孤露(じゆいころ)。無復恃怙(むぶじこ)。常懐悲感(じょうえひかん)。心遂醒悟(しんずいしょうご)」 〔自ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして復(また)恃怙(じこ)無し。常に悲感を懐いて、心遂(つい)に醒悟(しょうご)しぬ〕 であります。 (恃怙 … 頼み。よりどころ)
 この寿量品の経文が、私が入信前に実体験した情況と全く同じ状態であり、驚嘆いたしました。 
 
 譬喩とは、譬え話のことである。『御義口伝』 には次のように述べられています。
 文句の五に云く 「譬(ひ)とは比況(ひきょう)なり、喩(ゆ)とは暁訓(ぎょうくん)なり。大悲息(や)まず巧智(ぎょうち)無辺なれば、更に樹(き)を動かして風を訓(おし)え、扇を挙(あ)げて月を喩(さと)すと」 (721P)

 「譬とは比況 ―― 此をあげて彼と比し、喩とは暁訓 ―― 浅きによって深きを訓えるのである。仏の大慈悲はやむことなく、巧みなる智慧は無辺に働くのであり、さらに、迷う者のために、樹を動かして、風というものをおしえ、扇をかかげて、月というものを分からせるのである」と。
 大悲息(や)まずと。仏様は、仏法を全く聞いたことのない衆生を憐(あわ)れむが故に、難解な仏の悟りの法門を、身近な具体的な事物・事象に即して、いかなる衆生にも解かるように説くというのである。
 ここでは、月が山や雲に隠れてしまえば、月によく似た扇を差し上げて月に譬え、風が大虚(大空)において止むと、樹木を動かして風を教えるという譬えである。

 『総勘文抄』 に、「自行の法とは是れ法華経八箇年の説なり、是の経は寤(うつつ)の本心を説き給う唯(ただ)衆生の思い習わせる夢中の心地なるが故に夢中の言語を借りて寤の本心を訓(おしう)る故に語(ことば)は夢中の言語なれども意(こころ)は寤の本心を訓ゆ」(561P) とあります。 (寤 … 目覚めている・悟り)           
 
 池田先生は、また、伝教大師は 「法華経の七喩は即ち法体であり、法体は即ち譬喩である」 と言っている。譬喩即法体 ―― 法華経の譬喩というのは、仏の心そのものであるということです。そして、この譬喩即法体の究極が南無妙法蓮華経であると、大聖人は当体義抄で明かされています。  (法華経の智慧2巻・31P)

 以上のように譬喩は、単なる譬え話ではなく、仏の心・妙法(法体)そのものであり、生命の法理を正しく説いているのである。ゆえに、譬え話と言っても妙法なるがゆえに、それがそのまま、現実の生活のうえに現象として現れてくるのである。この 「良医病子の譬」 も然りであります。
 また、「長者窮子(ぐうじ)の譬」(信解品第四) にもあるように、諸国(六道)の巷(ちまた)を巡りめぐって、やっと父の長者(仏)のもとに帰ってきた窮子(困窮する子)は、誰でもない私自身であったのである。
 このことから私は、法華経の文字は、「一字一句・皆真言なり、一文一偈(げ)・妄語(もうご)にあらず、~ 説くところの所説・皆真実なり」(188P) の御金言を、僅かながら信ずることが出来るようになりました。

 真理には普遍性があります。ゆえに、このことは私一人だけのものではなく、一族・一家で最初に入会した学会一世と謳われる方々は、ほとんどが、私のような体験を持っていると思います。
 すなわち、事故や病気等で体を害し・破産で財産を失い・人間関係で家庭・家族や友達を失った等々、何らかの代償を払って、やっと御本尊様に巡り合えたのである。私は右耳の聴力を失いました。これほどまでにしても、正しい 「三大秘法の大御本尊」 には、なかなかお会いし難いのである。

 そのお会いし難いことを、寿量品の経文には、
 必当生於(ひっとうしょうお)。難遭之想(なんぞうしそう)。心懐恋慕(しんねれんぼ)。渇仰於仏(かつごうおぶつ)。便種善根(べんしゅぜんこん)」 〔必ず当(まさ)に難遭の想(おもい)を生(しよう)じ、心に恋慕を懐(いだ)き、仏を渇仰して、便(すなわ)ち善根を種(う)ゆべし〕 とあります。
 すなわち、心に会い難き御本尊を渇仰して、恋い遵(したが)う信心を致さねばなりません。そして福徳を積んで行きなさいとのことです。

 池田先生は、「譬喩」 について次のように述べられています。
 譬喩とは、あくまで実体の説明である。しこうして、実体とは何か。これこそ、南無妙法蓮華経なのである。また、譬喩とは、ある意味で、われわれの生活である。そして、実体とは大御本尊である。われわれの生活のいっさいが、大御本尊の偉大な功徳を説明しているといえる。「譬とは比況なり」 とは、昨日の生活、一年前の生活、また信心する以前の生活と、今日の生活とは、明らかに相違があろう。これが比況である。また、信心しない人と信心している人の生活、ぜんぶ比況となろう。「喩とは暁訓なり」 とは、その生活の実相そのものが、偉大な大御本尊の力を教えさとしていることである。
 また、譬喩とは功徳と罰である。われわれが大御本尊を信じ、唱題し、折伏行に励むのは即身成仏のためである。われわれが最初、信心した動機は、貧乏、病気、精神的な苦しみ、家庭不和等で、さまざまな悩み、動機があったわけである。それが、信行に励んだときに、次第次第に解決していく。これこそ大聖人が 「近き現証を引いて遠き信を取るべし」(1045P) とおおせのごとく、即身成仏は絶対に間違いないと確信すべき根拠なのである。 
 また、信心に反対すれば、必ず罰がある。大聖人は 「過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず」(1190P) と断言されている。ゆえに、その罰は、無間地獄に堕ちるということを意味するものである。それは即ち、大御本尊による以外に、幸福になる道は絶対にないという証拠でもある。
 (御義口伝講義上・323P) 

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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