戸田先生の誓願(1)(われ地涌の菩薩なり)

 「誓願」 について思いだしますことは、戸田城聖先生の第二代会長推戴式の時の 「七十五万世帯折伏」 の大誓願であります。この戸田先生の誓願のお蔭で、我われは御本尊を受持することが出来、幸せになることが出来ました。
 この 「誓願」 の原点となるものが、戸田先生の 「獄中の悟達」 と言われるものであります。

 戸田先生は戦時中、軍部政府の宗教弾圧を受け、牧口先生にお供して獄に降られました。獄中にて、唱題と法華経を読みきることを実践され、不思議なる境地を覚知なされました。
 戸田先生のことを深く知ろうとするならば、それは戸田先生に師事なされた、池田先生にお聞きする以外にありません。
 池田先生は、『人間革命第1巻』 の “はじめに” のなかで、戸田先生の妙悟空著の小説 『人間革命』 誕生の時のエピソードが、記述されています。

 …… 談たまたま上梓(じょうし)されたばかりの単行本 『人間革命』 に移った。
 「大作、おれの 『人間革命』 どうだい?」
 先生は、出来栄えを気にしているらしかった。
 私は恐縮したが、率直に申しあげた。
 「読ませていただきました。前半は極力、小説そのものとしてお書きになられたと思います。後半は、先生の貴重な体験をもととした記録として、私は特に感銘いたしました」
 「そうか。自分のことを一から十まで、うまく書くわけにはいかないからなー」
 先生は呵々(かか)大笑された。
 私は、その声の響きのなかに、先生の御生涯を通して、先生の御精神を誤ず後世に伝えるのは、私の使命であり、先生の期待であることを知った。
 ………
 私もまた、先生の真実の姿を永遠に伝えるために、心を砕かねばならぬ。
  (ワイド文庫人間革命1巻・6~7P)

 以上のように、戸田先生の真実の姿は、余すところなく、池田先生の 『人間革命』 のなかにあります。さすれば、誓願のことも 『人間革命』 に求め研鑚しなければならないと思います。
 それで、原点である 「獄中の悟達」 のところの外、何点かを示して見たいと思います。しかし、ここでは、概略・要点のみですので、詳しくは 『人間革命』 を精読して下さい。

 戸田先生は獄中において、ご自身が末法弘通の付嘱を受けた、「地涌の菩薩」 であることを覚知なされました。この時の使命の自覚こそが、すべての 「誓願の原点」 になったと思います。
 『人間革命』 には、次のように述べられています。(抜粋)

 彼は涙のなかで、日蓮大聖人が、「御義口伝」 で引かれた 「霊山一会、厳然未散(霊山の一会、厳然として未だ散らず)」(757P) という言葉を、ありありと身で読んだのである。
 彼は何を見、何を知ったというのであろう。 

 大聖人は、「三大秘法抄」 のなかで、「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり 」(1023P) と仰せである。
 ………

 “「口決相承」 といっても、形式的な儀式ではないのだ。あの六万恒河沙の中の大衆の一人は、この私であった。まさしく上首は、日蓮大聖人であったはずだ。なんという荘厳にして、鮮明な、久遠の儀式であったことか。してみれば、おれは確かに地涌の菩薩であったのだ
 ………
 “よろしい、これで俺の一生は決まった。今日の日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだ  
 ………
 「四十にして惑わず。五十にして天命を知る」

 四十五歳の彼は、そのどちらでもない。しかし、今の彼は、この二つの境地を同時に得たのである。…… 
 「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知りたり 
 ………
 ちょうど同じころ、…… 牧口常三郎会長が、ひとり病んでいた。…… 一九四四年(昭和十九年)十一月十七日、自ら病監に移り、翌十八日、安詳として七十三年の崇高な生涯を閉じたのである。
 戸田城聖が、恩師の死を知ったのは、牧口の逝去から五十二日目の、翌年一月八日のことであった。その日、彼は、一人の予審判事から、牧口の死を知らされたのである。
 彼は、慟哭(どうこく)した。身も世もなく悲しみ悼(いた)んだ。そして、涙も枯れ尽くすまで泣いた。しかし、既に、わが身の重い使命を自覚していた彼は、広宣流布という大業によって、この仇(あだ)は必ず討ってみせると、我が心に誓った。
  (ワイド文庫人間革命4巻・27~30P)

 戸田先生は、入獄という大難の中、激烈なる思索と唱題の結果 “おれは確かに地涌の菩薩であったのだ” と悟られました。そして、牧口先生を獄死させた権力の魔性に対して、“この仇は必ず討ってみせる” と、どちらが正義なのか、広宣流布の実現をもって、それを実証して見せると固く決意いたしました。
 この誓願は、不二の弟子・池田先生に引き継がれ、今や、世界192カ国にまで拡大し実証されています。

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 戸田先生は、保釈出所された昭和20年7月3日の夜、灯火管制下の薄暗い部屋で、まる二年ぶりに、ご自宅の御本尊様にお会いいたしました。

 彼は、御本尊に顔をすりつけるようにして、一字一字、たどっていった。
 “確かに、この通りだ。間違いない。全く、あの時のとおりだ ……”
 彼が、獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式は、御本尊に、そのままの姿で厳然として認(したた)められていた。
 彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱(ぼうだ)として頬(ほお)を伝わっていった。彼の手は、震えていた。心に、彼は、はっきりと叫んだのである。
 “御本尊様!大聖人様!戸田が、必ず広宣流布いたします”
 彼は、胸のなかに白熱の光を放って、あかあかと燃えあがる炎を感じた。それは、何ものも消すことのできない、灯(ひ)であった。いうなれば、彼の意思を超えていた。広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中にともされたのである。
 ………
 この深夜、彼の心のなかで、黎明を告げる鐘は殷々(いんいん)と鳴り渡ったが、それを誰一人、気づくはずはない。その音波が、人々の耳に、かすかに轟き始めるには、数年の歳月が必要であった。
 だが、日本の、まことの黎明は、この時にはじまったのである。
  (ワイド文庫人間革命1巻・54~56P)

 戸田先生は、ご自身が体得した虚空会の儀式が、“御本尊に、そのままの姿で厳然として認められていた” ことを確認して、歓喜に打ち震えました。
 そして、先生の心中には、“広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯” が点されていました。終戦直前の無気力な、虚無感の漂う世相の中にあって、ただ一人・戸田先生の心中に、日本の黎明はあったのである。
 まさに、“一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする” という 『人間革命』 のテーマの如くに。 

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戸田先生の誓願(2)(一周忌法要でのお言葉)

 「誓願」 の精神は、牧口先生の回忌法要のときの、牧口先生を想う戸田先生の報恩感謝のお言葉のなかに、端的に示されていると思います。
 法要・勤行は、基本的には “仏・法・僧” の 「三宝」 に帰命し報恩感謝申し上げる儀式であります。また、自身が関係する師匠・親兄弟・一切衆生にまでも、みな報恩感謝申し上げるものであります。
 「報恩感謝」 は、広宣流布の誓願となり、実践されなければ、その意義は無いものとなります。
 昭和20年11月18日の夕刻、中野区・歓喜寮にて、牧口先生の一周忌法要の席上、戸田先生の追悼のお言葉であります。(抜粋)

 「…… 忘れもしない今年の一月八日、私は取り調べの判事から、突然、『牧口は死んだよ』 と聞かされたのであります。…… この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。
 先生は、死して獄門を出られた。不肖の弟子の私は、生きて獄門を出た。私が、何をなさねばならぬかは、それは自明の理であります」
 ………

 「われわれの生命は、間違いなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任を帯びて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地涌の菩薩であります」
 戸田は、「四信五品抄」 の一節を読み上げた。
 「請(こ)う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈(あに)熈連一恒(きれんいちごう)の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纒(まとわ)れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ蔑如すること勿れ」(342P)
 ………
 「話に聞いた地涌の菩薩は、どこにいるのでもない、実に、われわれなのであります。
 私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶのであります。
 ―― 広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
 地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
 先生 ―― 先生の真の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧げ、先生のもとにまいります。今日よりは、安らかにお休みになってください」
 
 戸田の一言一句は、並みいる人びとの心を、電撃のように撃った。  (ワイド文庫人間革命1巻・234~237P)

 牧口先生の三回忌法要は、昭和21年11月17日午前十時、神田の教育会館講堂において、堀日亨(にちこう)上人の導師のもと、厳粛に執り行われました。戸田先生は、次のような追悼のお言葉を述べられています。 

 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師俱生』(法華経317P) と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」
 ………
 「……しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二ヵ年間の牢獄生活に、御仏を拝し奉りては、この愚鈍の身を、広宣流布のために、一生涯を捨てる決心をいたしました。
 ご覧くださいませ。
 不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命を全うし、霊鷲山会にて、お目にかかる日には、必ずや、お褒めにあずかる決心でございます」
  (ワイド文庫人間革命2巻・107~108P)

 戸田先生は、“あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。…… なんたる幸せでございましょうか” と感謝の言葉を述べられています。
 普通なら入獄させられたならば、文句の一つでも言いたいところである。事実、一緒に逮捕された十数名の弟子たちは、皆、大恩ある牧口先生を怨み、罵倒して去って行ったと聞いています。
 そのなかで、戸田先生ただ一人、命を懸けて牧口先生に随いました。その当時の思想犯としての入獄は、本当に命を懸けねばなりませんでした。
 事実、牧口先生然り、また、日蓮正宗の僧、藤本蓮城房は長野刑務所で凍死させられました。
 蓮城房の記事 ―→ ここから

 池田先生は、「報恩」 について、次のように指導されています。

 今の自分があるのは、さまざまな人々のおかげである。そのことを深く知り、感謝の心をもち、今度は自分が人々のために尽くしていく ――。
 それが 「知恩」 「報恩」 の原義です。
 さらに、万人の成仏を説く法華経によると、報恩の究極は 「一切衆生の恩」 に報ずることになると考えられます。
 それは即ち慈悲の実践であり、広宣流布の実践になります。
 そして、一切衆生への報恩は、法華経では万人成仏を願う仏の誓願に一致していくのです。


 斉藤  「一切衆生の恩」 について大聖人はこう仰せです。
 「一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき」(937P)
 ………
 名誉会長  全民衆の幸福のために尽くしたい ―― その慈悲の心を確立することが成仏の道の第一歩だからです。
 その決意を促がしてくれた苦悩の民衆こそ、恩人である。しかも、迫害を加えてくる悪人は、自分を鍛え、磨き、力をつけさせてくれる大恩人である。
 そう大聖人は教えられている。

 ………
 名誉会長  大聖人が説かれる報恩は、まさに法華経の報恩観なのです。したがって究極的には、万人を成仏させるという仏の誓願と一致していきます。
 それゆえに、「報恩抄」 では最後に 「大事の大事」(330P) たる三大秘法を明かされた後、大聖人の 「誓願の成就」 を示されているのです。
  (御書の世界3巻・273~274P)

 その 「誓願の成就」 の御文は、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(329P) の御金言であります。

 したがいまして、万人救済のために 「三大秘法の大御本尊」 を護持し、「広宣流布」 に邁進し行くことが、父母・師匠・一切衆生に対する、真の 「報恩の道」 であります。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

戸田先生の誓願(3)(七十五万世帯の折伏)

 創価学会第二代・戸田城聖先生の 「会長推戴式」 は、昭和26年5月3日午後二時、向島・常泉寺において、執り行われました。戸田先生の会長御就任の決意のご講演であります。(抜粋)

 「今、私は、不肖の弟子なりといえども、大聖人御出現の御姿をつくづくと拝したてまつり、一大信心に立って、この愚鈍の身を、ただ御本尊にささげたてまつるという一心によって、会長の位置に、初めて就かんと決意するものであります」  (ワイド文庫人間革命5巻・18P)

 「現代において、仏と等しい境涯に立ち、この世界を心から愛する道に徹するならば、ただ折伏以外の方法は、すべてなにものもないのであります。
 これこそ各人の幸福への最高手段であり、世界平和への最短距離であり、一国隆昌の一大秘訣なのであります。ゆえに、私は折伏行こそ、仏法の修行中、最高のものであると言うのであります。折伏行は、人類の幸福のためであり、仏法でいう衆生済度の問題であるので、私の境涯と一致するのであります。
 したがって、折伏をなす者は、慈悲の境涯にあることを忘れてはなりませぬ。宗門論争でもなく、宗門の拡張のためでも決してない。御本仏・日蓮大聖人の慈悲を行ずるのであり、仏に代って、仏の事(じ)を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
 この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢に実践せんとするものであります。時は、既に熟しきっている。日蓮大聖人立宗宣言あって七百年 ―― その時を間近にして考うるに、創価学会のごとき団体の出現が、過去七百年間に、いったい、どこに、どの時代に、あったでありましょうか。大いに誇りをもっていただきたいのであります。
 私の自覚にまかせて言うならば、私は、広宣流布のために、この身を捨てます!
 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします。
 ………
 もし、私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさいよろしいか
  
 最後の言葉は短かった。だが、戸田の火を吐く烈日の気迫は、聞く者すべての肺腑を突かずにはおかなかった。  (ワイド文庫人間革命5巻・57~59P)

 戸田先生は、“この愚鈍の身を、ただ御本尊にささげたてまつるという一心によって、会長の位置に、初めて就かんと決意する” と述べられています。
 ここにあらためて、創価学会の会長職の大変さ・凄さ・厳しさを思い知らされました。本当に掛け値なしに、命を懸けなければ、務まらない職務なのであります。

 現実に、初代会長・牧口先生は、国家権力の弾圧によって、お命を落とされました。
 二代会長・戸田先生は、獄中にて体を痛め付けられて、会長就任後わずか七年間、58歳のお命でした。
 三代会長・池田先生は、昭和32年7月、大阪事件で無実の罪で入獄、身を挺して戸田先生と創価学会を護りました。
 昭和45年、言論出版問題。昭和54年、第一次宗門問題。平成2年、第二次宗門問題。その他、数多くの広宣流布を破壊せんとする魔力に対して、これらの大難を忍ばれ、身を挺して壁となり、あるいは傘となって、我ら会員を護ってくださいました。この御恩は決して忘れてはなりませぬ。

 そして、戸田先生の御就任の講演は、自らの命を懸けられた “「七十五万世帯の折伏」 は、私の手でいたします” という、畢生(ひっせい)の大宣言・大誓願でありました。
 池田先生は、“御書に仰せの通りの 「仏と等しい境涯」 に立っての大宣言です。こうして、大聖人の誓願は現代に蘇ったのです” と述べられています。

 しかし、この時の参加者たちは、「七十五万」 という言葉が信じられなかったのであった。
 ある人は、“七万五千” の間違いではなかろうか、と思った。
 ある人は、大聖人は広宣流布は 「大地を的とするなるべし」(1360P) と仰っている。ゆえに、先生は 「更賜(きょうし)寿命(更に寿命を賜え)」(寿量品) なされて、きっと大変長生きされるに違いないと思った。
 ある人は、先生を品川の沖に流すことなんか、とんでもないことだ、と本気になって悩んだ。

 そもそも、聖教新聞の推戴式を報道する記事にすら、「七十五万世帯」 という数字は、どこを捜しても見当たらないのである。
 その当時の 「会長推戴賛意署名簿」 に署名した人数は、3080名であった。このかけ離れた数字からして、先生の大確信が誇大な放言となって採られることを、一般世間に対し警戒したのかも知れない。

 このような中で、池田先生ただ一人、戸田先生の 「七十五万世帯達成」 の大誓願を、真剣に受けとめられ、広宣流布の願業を実現するために、折伏・弘教の戦いの指揮を執られました。
 そして、会員一同も一丸となって、広宣流布の戦いにまい進した結果、昭和32年12月、学会の総世帯数は、七十六万五千世帯を達成することが出来ました。この間わずか七年たらずの歳月でありました。
 この短期間に、戸田先生がなされた不世出の大偉業は、すべて先生の大確信に発するもので、ことごとく 「願業成就」 なされました。 

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戸田先生の誓願(4)(学会の秘史)

 戸田先生の “七十五万の大誓願” をもって、この稿を終わろうかと思いましたが、会長御就任までの期間、戸田先生・池田先生は、命を懸けた大変な御苦労をなされました。
 池田先生は、「戸田と伸一という師弟がつくった、この期間の秘史のなかに、その後の創価学会の、発展と存在との根本的な要因があったといえよう」 と述べられています。  (ワイド文庫人間革命4巻・343P)
 したがって、概略ではありますが述べてみたいと思います。

 戸田先生は出獄後、直ちに創価学会とご自分の事業の再建に取りかかりました。
 学会の再建は、昭和21年正月、総本山の宿坊で四人の幹部を相手に、法華経の講義から始めました。
 事業の方は、昭和20年10月、西神田に日本正学館の事務所を開設し、出版事業を開始する。
 昭和24年1月、池田先生は日本正学館に入社、戸田先生のもとで訓育を受けられ、「師弟不二」 の戦いを開始されました。
 出版事業は、戦後の急激なインフレと大手出版社の有力雑誌の復刊により、経営困難となり出版事業は断念する。 
 この頃、戸田先生は、東京建設信用組合を引き受け、その経営責任者となる。
 昭和24年、GHQの命により、インフレの収束と経済自立化を目的とする 「経済安定九原則」(ドッジ・ライン)が実施された。いわゆる緊縮政策なるが故に、世間は大不況となり、失業者は巷(ちまた)にあふれ、社会は混乱し、怪事件が次々と起こり、人心は騒然となった。
 かかる時節、信用組合の方も、不良債権を抱え、経営困難となり、大蔵省より業務停止命令を受ける。
 他人のお金を預かって営業する信用組合は、経営破綻すれば、その経営責任者は、法的責任を問われ兼ねないことになります。

 戸田先生は、かかる事態になったのも、すべてご自身の責任であり、“御本尊様よりお叱りを受けた” のだと感じられました。
 昭和25年10月末、大石寺に詣でて、丑寅勤行の終了後、ただ御一人、大御本尊が安置された宝蔵の前の石畳の上に端座して、大御本尊にひたすらに、“大荘厳懺悔” を申し上げました。
 想えば、学会再建の第一歩は、法華経の講義から始められたのであったが、

 それというのも、戦時中の、あの弾圧で、教学の未熟さから、同志の退転という煮え湯を飲まされたからだ。…… 方針は正しかったが、大聖人の仏法を理解させることにおいて、私は誤りを犯したようだ。
 大聖人の仏法の根本義を明かした 「御義口伝」 をもとにして講義したつもりであったが、…… 受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、いつの間にか天台流の臭味のある法華経になってしまった。
 ………
 一方、新宗教は、戦後社会の混乱と、人びとの不安に乗じて、勢力を伸ばしてきた。…… これは果たして誰の罪であろうか。
 ………
 “敗戦後の不幸のどん底にいる民衆を、誤った宗教の手に、かくも多く委ねてしまったのは、誰の罪でもない。私の罪だ
 ………
 そして、組織体として弱体であったことを思った時、会長不在のまま、六年の歳月が流れてしまったことを、彼の責任として、考えないわけにはいかなかった。
 “恩師・牧口先生の七回忌が目前に来ている。しかも。現在の自分は、苦悩の底に沈んでしまった。
 先生亡き後、会長就任を、心のどこかで避けようとしてきた自分、それでいて大使命だけは自覚してきた自分、なんという矛盾に満ちた姿であったことだろう。一寸延ばしに延ばしてきたのは、会長就任という容易ならぬ重責を予見してのことであったが、その臆(おく)する心のゆえに、かくも多くの不幸な民衆を、誤った宗教に委(ゆだ)ねてしまった。まさに、その罪、万死に値するかもしれぬ……” 

 ………
 戸田が会長就任を避けたのは、もう一つの具体的な理由があった。
 牧口会長の時代から、創価学会の経済的負担は、ことごとく彼一人で引き受けてきた。戦後の再建に身を挺した時も、彼はまず、経済的基礎の確立を急ぎ、組織体としての躍進を第二として考えていた。
 ………
 今、彼は、一手段、方法にすぎない経済の問題を、宗教革命という一切の根本問題よりも先行させて考えていた錯誤を、感じ始めていた。つまり、経済的成功を左右するものもまた、広宣流布という使命感の自覚いかんによることを悟ったのである。
 ………

 “いかなる苦難が、いよいよ重なろうと、これを乗り切らねばならぬ。もはや、わが身一つのためではない。ひとえに、わが使命達成のためである。日蓮大聖人の金言のことごとくを、断じて虚妄にしてはならないのだ。
 大御本尊様、万死に値する、この戸田城聖に、もしも、その資格があるならば、何とぞお許しください”
  (ワイド文庫人間革命4巻・313~318)

 戸田先生は、今までの来し方を反省なされ、御本尊様にお詫び申し上げて、早くこの苦悩から脱出し、使命たる広宣流布を目指して邁進(まいしん)せんと意を決しました。そのためには明らかなる現証を、待ち望んでいました。
 昭和26年の2月初旬の厳寒の日であった。戸田先生は、御仏意というより外にない、不思議な瞬間を持たれました。

 ―― あの牢獄で知った喜悦の瞬間を、今また、彼は体験したのである。
 彼の生命は、虚空に宇宙的な広がりをもち、無限の宇宙は、彼の胸の内に納まっていた。彼は、心で唱題し、抑えがたい歓喜に身を震わせた。輝くばかりの充実感を自覚したまま、大宇宙に遍満するわが生命と、永遠をはらんだ一瞬を、苦もなく感得したのである。
 ………
 “ありがたい。なんと、ありがたいことか 俺は厳然と守られている、俺の生涯は、大御本尊様を離れては存在しないのだ”
 ………
 この日から数日後のことである。大蔵省の意向が、清算中の信用組合に通達されてきた。組合員の総意がまとまるものならば、組合を解散しても差し支えないというのである。…… 組合の解散が可能ならば、法律的責任も、自然解消ということになるではないか。
  (ワイド文庫人間革命5巻・30P)

 戸田先生は、ついに “仏法、必ず王法に勝れり” いう確証を身をもって知りました。あとは一瀉千里、“七十五万世帯折伏” という大誓願・達成への尊い御生涯でした。
 日淳(にちじゅん)上人は、戸田先生の偉業を称えて、「その方々を、会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。すなわち、妙法蓮華経の五字七字を、七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」 (ワイド文庫人間革命12巻・451P)
 以上のように、戸田先生と創価学会を、仏の誓願を実践する一大教団であると称え敬意を表されました。

 このことは 「創価学会」 こそ、日蓮大聖人の仏法の正統の継承者であることの証左であります。
 そして、われ等もまた、戸田先生の大誓願によって、地上へ呼び出された宿縁ある者である。
 『寂日房御書』 に、「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(903P) と。
 「世界広布新時代・開幕の年」、池田先生のもと、宿縁ふかしと思うて、折伏弘教に頑張ります。

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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