「新・人間革命」第1巻(はじめに)

 「人間革命池田塾」 では、いよいよ 『新・人間革命』 の研鑚が始まりました。今回からの 『新・人間革命』 は、一巻全部を研鑚することにことになりました。
 あらためて読みなおして見て、自身が感じたところを、書き留めてみようと思いました。全部に亘ることは量が多くなりますので、月に1~2度ほどになると思います。
 『第1巻』 には、「はじめに」 と 「あとがき」 があり、池田先生の思いが綴られていますので、この部分を中心に学びたいと思います。

 〔はじめに〕
 戸田先生は、一九五七年(昭和三十二年)九月八日、あの原水爆禁止宣言を発表され、遺訓の第一として、その思想を全世界に弘めゆくことを、門下の青年に託された。
 ………
 「この地球上から悲惨の二字をなくしたい」
 それは先生の願いであり、ご決意であられた。師弟は不二である。不二なればこそ、私もまた、恩師の心を抱きしめて、世界を駆け巡り、「平和と幸福の大河」 を切り開いてきた。「源流」 の偉大さを物語るものは、壮大な川の流れにほかならない。
 私が、『人間革命』 の続編として、『新・人間革命』 の執筆を思いたったのは、先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたからである。また、恩師の精神を未来永劫に伝えゆくには、後継の 「弟子の道」 を書き残さなければならないとの思いからであった。
 しかし、それには、どうしても自分のことを書かなければならないことになる。そこに大きなためらいもあった、
と 述懐なされています。
 だが、私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある、 と 述べられています。

 「魂の力」 は原子爆弾よりも強い――それがマハトマ・ガンジーの叫びであった。人間のもつ、無間の 「生命の力」 の開拓が、「戦争の世紀」 を 「平和の世紀」 へと転じゆく――それが 「人間革命」 であり、この小説を貫く一本の水脈となろう。
 ………
 『新・人間革命』 は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない。しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。
 ………
 私も、『新・人間革命』 の執筆をわが生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の 「真実」 を、そして、日蓮大聖人の仰せのままに 「世界広宣流布」 の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。正も邪も、善も悪も、勝者も敗者も、厳しく映し出しながら――。
 戸田先生も、その生き方を、じっと見ているように思えてならない。


 先生は “『新・人間革命』 は、完結までに三十巻を予定している” と仰っています。現在の聖教新聞連載は、昭和53年1月、「広布第二章」の支部制が発足した頃のことで、第28巻目にあたります。 
 そうしますと、あと2巻余の予定となりますが、忘れてはならないことは、第1次宗門問題の最中、昭和54年4月24日、第3代会長を勇退されたことである。
 この宗門問題の本質、すなわち、宗教がその ドグマ(教条主義)を発揮し、人を幸せにするどころか、地獄の底に叩き落とす作用もあるのである。現今の I S (イスラム国)の独善と狂信の姿を見れば、納得していただけると思います。
 このような宗教のもつ恐ろしさ、負の遺産の断面をえぐり出して、解明し論じていただきたいと願っています。
 “その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない” と述べられています。
 池田先生は、いま、壮絶な闘争をなされています。
 心から、先生と奥様のご健康とご長寿をお祈り申し上げます。

 『新・人間革命』 第1巻は、恩師の遺訓である 「世界広宣流布」 への旅を、一九六〇年(昭和三十五年)十月二日、日米開戦の地である ハワイのホノルルに向って旅立つところから始まっています。
 その冒頭の文章は、『人間革命』 の文章とよく対比されますので、併せて引用させていただきます。 

 『新・人間革命 第1巻』 の 〔旭日〕 の章の文、
 平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない。
 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。


 『人間革命 第1巻』 の 〔黎明〕 の章の文、
 戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 だが、その戦争はまだ、つづいていた。
 愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである。
 人びとは、八年に及ぶ戦果に、親を失い、子を失っても、その苦しみに耐えてきた。
 しかし、一九四五年(昭和二十年)七月ごろには、いつ米軍が本土に上陸するかわからないという重苦しい空気が、人びとの心を締め付けていた。
                  

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「新・人間革命」第1巻(あとがき)

 〔あとがき〕
 生命の続く限り、私は書き続ける。
 正しい仏法とは何か。
 正しい人生とは何か。
 そして、何が歴史の 「真実」 か。人間にとって 「正義」 の戦いとは何かを。
 そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ。
 日蓮大聖人の御聖訓にいわく、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(1087P)。
 迫害は仏法の 「正義」 の証明である。


 “あとがきの” の冒頭から、池田先生は、『新・人間革命』 を “生命の続く限り、私は書き続ける” と 述べられています。
 “はじめに” のなかに、“限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない” と 仰っているように、いま、お命を懸けて戦われております。
 人類の未来を開くために、何が真実か、何が正義かを証明せんとして。先生のこの思いに、襟を正さずにはおられません。

 日本は、民主主義の時代となった。しかし、明治の民権思想家・中江兆民が 「日本に哲学なし」 と嘆いたように、民衆の自立のための、確かな哲学・宗教がなかった。ゆえに、たやすく国家の権力や世の中の大勢に迎合する付和雷同の風土も、なんら変わることがなかったといってよい。
 創価学会は、その 「哲学なき社会」 のなかで、民衆の時代を築くために、仏法の生命の哲学を掲げ、「正義」 と 「良心」 の叫びをあげたのである。民衆のなかへ、人間のなかへ分け入り、人間の自立と復権と幸福の道を説き続けたのである。その運動が、民衆の支配を企てるあらゆる勢力から圧迫を受けるのは、むしろ当然の帰結であったといえよう。
 何も行動しようとせず、ひたすら傍観者を決め込むならば、批判されることはあるまい。しかし、民衆のため、平和のために生きることは、信仰者の使命である。また、そこに創価の仏法の不滅の精神がある。
 私は、その 「真実」 を書き残すために、小説 『人間革命』、そして、『新・人間革命』 の筆を執ってきたのである。


 中江兆民の言うように、確かな哲学・宗教を持たなかった日本の民衆は、たやすく国家権力や世の中の大勢に迎合してしまい、先の大戦への道を阻止できなかった。
 創価学会は、“人間の自立と復権と幸福の道を説き続け” そして、“民衆のため、平和のために生きることは、信仰者の使命である。また、そこに創価の仏法の不滅の精神がある” とありますように、これを実践し続けてきたのである。

 先生のペンネームが 「妙悟空」 であることから、私のペンネームは 「法悟空」 とさせていただいた。二つが合わされば、私どもが流布する 「妙法」 となる。
 仏法では 「妙」 は本源、「法」 は現象。「妙 」は仏界、「法」 は九界。「妙」 は法性(悟り)、[法」 は無明(迷い)である。いわば、「妙」 は師、「法」 は弟子ということになる。


 先生は、“「妙」 は師、「法」 は弟子ということになる” と、甚深なる仏法の 「師弟の道」 を教えられています。
 『人間革命』 では、執筆の途中、「諸般の事情から十年半にわたる長期の休載もあり、結局、九三年(平成五年)二月の全十二巻の連載終了までに、二十八年余を費やしていまった」 と 述べられています。
 先生は、“諸般の事情から” と仰っていますが、私はこれは、宗門による理不尽な執筆妨害であると認識しています。
 第一次宗門問題の件で会長勇退に至ったとき、先生に対して、会員に会ってはいけない。指導してはいけない。聖教新聞等に載せてもいけない 等々と、これが 広宣流布の大指導者・大功労者に対する、宗門の仕打ちなのである。
 結局、日顕はじめ宗門の坊主たちは、大聖人の遺訓たる広宣流布を破壊せんとする、第六天の魔王の眷属である。この事実を決して忘れてはならないのである。

 師の偉大な 「構想」 も、弟子が 「実現」 していかなければ、すべて幻となってしまう。師の示した 「原理」 は「応用」 「展開」 されてこそ価値をもつ。ならば、師なき後の弟子の生き方を書きとどめてこそ、広宣流布の永遠の方程式を記すことができると考えたからである。
 ………
 『人間革命』 も、『新・人間革命』 も、そのテーマは、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 ことにあり、それが戸田先生が示された平和建設の原理であった。
 私は、恩師から受け継いだ、このテーマを実現しゆくために、生命の続く限り、動き、語り、そして、遺言の思いで、『新・人間革命』 を書き続けていくつもりである。


 “師の示した 「原理」 は「応用」 「展開」 されてこそ価値をもつ” と、所詮、創価の歴代会長が実践して示された “平和建設の原理” は、弟子たちの 「師弟不二」 の戦いに極まるのである。
 したがって、『人間革命』 『新・人間革命』 は、壮大な 「師弟不二論」 が説かれた実践の書であると思います。
 不肖の弟子と言われないよう、シッカリと 研鑚・実践して参りたいと思います。 

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「新・人間革命」第2巻〔先駆の章〕(“なんのため” に)

 第1巻の(はじめに)のところで、“自身が感じたところを、書き留めてみようと思いました” と書きました。しかし、小説 「人間革命」 を読んでいつも感ずることは、大事なところだ と思うところが多々あり過ぎるということである。ゆえに、甲乙付けがたく、どれを選んでよいのか苦慮するのである。
 したがって、その 「巻」 の最初の 〔章〕 から、一つ二つを選んで引用させて頂こうと思いました。

 〔先駆〕
 歴史的偉業というものは、必ず苦難があり、道は険しく、時間がかかるものである。広宣流布という未聞の絵巻も、また同じであるといってよい。
 ともあれ、正法流布とは、人類の幸福という大海原を開いていくものだ。
 そこには、嵐があり、うねりがあり、怒涛もつきまとうにちがいない。
 そこに身を投じて戦うところに、偉大なる人間革命の法理が存在する。
 (同書・7P)

 小説 「人間革命」 には 〔章〕 の冒頭に、上記のような比較的短い文章があります。すべての 〔章〕 に有るものではありませんが、中には韻文的なものもあります。
 この文章は、その 〔章〕 で言わんとする 核心・精髄が説かれていると思います。丁度、「大白蓮華」 に “巻頭言” というものがありますが、それになぞらえれば “章頭言” とでも言い得るものではないかと思いますので、併せてご紹介いたしたいと思いました。

 人間は “意味に生きる動物” である。人は “なんのため” かが明らかにならなければ、本気になって力を注ぎ込むことはできない。それは、広宣流布の活動においても同じである。皆が、なんのための運動か、なぜ、今、それを行うのかを、よく納得、理解するならば、自主的に行動を開始していくものだ。そして、そこから、さまざまな創意工夫も生まれていく。それが、“現場の知恵” である。知恵は知識を動かす力でもある。
 いかなる運動も、絶えず “なんのため” かという根本目的に立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ。そうなれば、一時期は華々しい前進を遂げたように見えても、結局は空転し、最期は停滞する。
 また、皆が、意義、目的を心の底から納得していないにもかかわらず、目標の数や方法ばかりが強調されれば、押しつけられているような思いをいだくにちがいない。すると、皆の活動に取り組む姿勢は受け身になる。受け身の行動には歓喜も躍動もなくなる。それでは、いかに高邁(こうまい)な運動も、やがては行き詰まってしまうにちがいない。
 意義、目的の理解と合意ができたならば、目標の設定である。目標は、組織としても、個人としても、より具体的でなければならない。目標があれば、張り合いも出るし、達成できた時の喜びも大きいものだ。
 そのうえで、いかにしてそれを達成するかという、方法の検討が大切になってくる。そして、その達成の道は、座談会の充実にあることを訴えていった。
 (同書・22P)

 広布の活動も、絶えず “なんのため” かという根本目的に立ち返ることがなければ、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまう と指導されています。
 かつて、折伏や法戦活動の場において、地区・世帯数の何倍までやろう とか言って、目標の数や方法ばかりが強調されるようなことが、まま見受けられました。
 活動の意義、目的を納得するためには、教学の研鑚が必要であると思います。
 大聖人は、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(1361P) と仰せです。
 教学を学ばなければ、仏法の本義を理解することは出来ないし、自身の正しい人生観・生死観を確立することも出来ない。ゆえに、間違いのない人生を処することも出来なくなってしまう。

 〔民衆の旗〕
 民衆!
 あなたこそ、永遠に社会と歴史の主人公だ。
 いかなる理想も、民衆の心を忘れれば、観念と独断と偽善になろう。正義も、真理も、民衆の幸福のなかにある。
 (同書・266P)

 この 〔民衆の章〕 の冒頭の文章である。 “民衆” を、端的に示されています。民衆の幸福に、正義も、真理も寄与すべきである。すなわち、“人間のために、宗教はある” のである。これを 「創価思想」 というのであります。

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「新・人間革命」第3巻〔仏法西還の章〕(東洋広布インドへ)

 〔仏法西還〕
 「時」 は来た!
 待ちに待った、悠久の歴史の夜は明け、遂に船出の太陽は昇った。
 帆を上げよう。好機は一瞬にして過ぎ去り、再び帰ることはない。

  元朝に
     祈るアジアの
         広布かな


 会長 山本伸一のアジアへの旅立ちとなる、一九六一年(昭和三十六年) 「躍進の年」 の元旦、彼は自宅でこう認め、妻の峯子に贈った。

 
 池田先生は、大聖人の御遺命である 「仏法西還」 への “「時」 は来た!” と決意をなされました。
 正法・像法時代、釈尊の仏法がインドから東方の日本へと伝わったのを 「仏法東漸(とうぜん)」 と言うのに対し、「仏法西還(せいかん)」と言うのは末法では、日蓮大聖人の仏法が日本から西方のインドへと還り、全世界に広宣流布しゆくことをいう。
 前年(昭和35年)10月の世界広布開拓のための アメリカ指導に旅立たれてから、席の暖まる暇もなく、「躍進の年」 の元旦の新年勤行会に出席なされ、新年のあいさつをされました。

 「ただいま、皆様とともに、勤行いたしました御本尊様は、昭和二十六年(一九五一年)五月三日に戸田城聖先生が会長に就任され、人類の救済への決意をもって立ち上がられて間もなく、日昇上人より授与された、創価学会常住の御本尊様であります。
 この御本尊の脇書には、『大法弘通慈折広宣流布大願成就』とお認(したた)めでございますが、ここに学会の使命は明白であります。
 私どもの目的は、どこまでも、人類の平和と幸福のために、広宣流布を実現していくことです。事実、この七百年の間に、日蓮大聖人の御遺命のままに、広宣流布を現実に成し遂げてきたのは、創価学会だけであります。
 その使命を果たしゆくには、まず皆様方ご自身が、物心ともに幸せになりきっていくとともに、友の幸福を願う、強き慈愛の心をもたねばなりません。人々の幸福を祈り、願う心こそ、学会の精神であります。
 戸田先生は 『一家和楽の信心』 『各人が幸福をつかむ信心』 『難を乗り越える信心』 の三つを、学会の永遠の三指針として示されましたが、そこに広宣流布の道があります。
 どうか幹部の皆さんは、この指針を深く胸に刻んで、全同志の幸福のために献身しゆく一年であっていただきたいと思います」
 それから、代表の人が、戸田城聖の和歌を朗詠した。


  雲の井に 月こそ見んと 願いてし
     アジアの民に 日(ひかり)をぞ送らん


 この和歌を聞くと、伸一の心は躍(おど)った。それは、一九五六年(昭和三十一年)の年頭に、戸田が詠(よ)んだ懐かしい和歌であった。
 ――雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、それよりも遥(はる)かに明るく、まばゆい太陽の光を送ろう、との意味である。
 ここでいう 「月」 とは釈尊の仏法であり、「日(ひかり)」 とは日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。戸田は、「諫暁八幡抄」 などに示された、大聖人の 「仏法西還」 の大原理をふまえ、東洋広布への決意を詠んだのである。この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。
 そして、今、伸一は、その実現のために、この一月には、インドをはじめとする アジアの地に、東洋広布の第一歩を印(しる)そうとしていたのである。


 創価学会の使命と目的は、“どこまでも、人類の平和と幸福のために、広宣流布を実現していくことです” と述べられています。
 それを実現するためには、学会員の皆様方ご自身が、“物心ともに幸せになりきっていく” という実証を示していく必要があります。
 それゆえに戸田先生は、各人の信仰の指針となるものを 「学会の永遠の三指針」 として示してくださいました。
 その後、2003年12月、池田先生は、新たに2項目の指針を示されました。したがって、

  「学会永遠の五指針」 は、以下のようになります。
 
  1) 「一家和楽の信心」
  2) 「各人が幸福をつかむ信心」
  3) 「難を乗り越える信心」
  4) 「健康長寿の信心」
  5) 「絶対勝利の信心」

 創価学会が、これほどまでに大発展をしてきたその理由の一つとして、ウィルソン博士(オックスフォード大学名誉教授)は、「学会が人間の幸福を第一義とする」 点を挙げておられます。
 「各人の幸福」 は、全部、広宣流布に連動しているのである。ゆえに、“そこに広宣流布の道があります” と指導されています。
 この五指針を深く胸に刻んで、広宣流布の戦いに邁進していきたいと思います。

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「新・人間革命」第4巻〔春嵐の章〕(村八分事件)

 〔春蘭〕
 民衆のなかへ。
 この不滅の魂の炎の連帯のなかにこそ、新しき歴史は生まれゆく。

 民衆ほど、偉大な力はない。
 民衆ほど、確固たる土台はない。
 民衆の叫びほど、恐ろしきものはない。
 民衆の前には、いかなる権力者も、富豪も、名声も、煙のようなものである。

 一九六一年(昭和三十六年)二月十四日、アジア訪問から帰った山本伸一は、早くも十六日には、愛知県の豊橋市で行われた豊城支部の結成大会に出席した。
  (新・人間革命4巻・7P)

 池田先生の会長就任以来、その喜びは新たな弘教の波となって広がり、広宣流布は飛躍的に進展して、新しい支部が次々と誕生していました。
 この頃、旧習深い農漁村地域において、学会員への村八分事件が、各地で起きていた。
 これら事件は、いずれも、寺院や神社の行事への不参加や、寄付の拒否であったが、それを口実に、その家との交際や、なかには水道の栓まで止めるという、基本的人権を脅かすこともあったのである。
 このような事になったのは、それぞれの地域で寺院や村の有力者たちが、本格的な折伏が始まったことへの “恐れ” を懐いたことにあったと思う。
 村八分事件について、先生は次のように述べられています。

 地域の寺院や神社に従わなければ、罪悪とするような日本人の意識の傾向は、いわば、政治と宗教が一体となり、民衆を支配してきた、日本の歴史のなかで、培(つちか)われてきたものといえよう。
 戦後、日本国憲法によって、信教の自由が法的には完全に認められても、国民の意識は旧習に縛られたまま、依然として変わることがなかった。そして、共同体の昔からの慣習であるというだけで、地域の寺院や神社を崇(あが)め、寄付や宗教行事への参加が、すべての地域住民の義務であるかのように考えられてきた。

 では、なぜ、人びとは民主主義を口にしながらも、無批判に共同体の宗教を受け入れ、旧習から脱することができなかったのか。
 それは、民主主義の基本となる 「個」 の確立がなされていなかったからにほかならない。一人ひとりの 「個」 の確立がなければ、社会の制度は変わっても、精神的には、集団への隷属は免れない。
 さらに、日本人には、「個」 の自立の基盤となる哲学がなかったことである。本来、その役割を担うのが宗教であるが、日本の宗教は、村という共同体や家の宗教として存在してきたために、個人に根差した宗教とはなりえなかった。

 たとえば、日本人は、寺院や神社の宗教行事には参加しても、教義などへの関心はいたって低い。これも、宗教を自分の生き方と切り離して、村や家のものと、とらえていることの表れといえる。
 もし、個人の主体的な意思で、宗教を信じようとすれば、教えの正邪などの内実を探求し、検証していかざるをえないはずである。
 こうした、宗教への無関心、無知ゆえに、日本人は、自分の宗教について尋ねられると、どこか恥じらいながら、家の宗教を答えるか、あるいは、無宗教であると答える場合が多い。それに対して、欧米などの諸外国では、誇らかに胸を張って、自分がいかなる宗教を信じているかを語るのが常である。

 宗教は自己の人格、価値観、生き方の根本であり、信念の骨髄といえる。その宗教に対する、日本人のこうした姿は、世界の常識からすれば、はなはだ異様なものといわざるをえない。そのなかで、日蓮仏法は個人の精神に深く内在化していった。そして、同志は 「個」 の尊厳に目覚め、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた。
 いわば、一連の学会員への村八分事件は、民衆の大地に兆(きざ)した 「民主」 の萌芽(ほうが)への、「個」 を埋没させてきた旧習の抑圧(よくあつ)であったのである。
  (同書・62~64P)

 池田先生は、“一人ひとりの 「個」 の確立がなければ、社会の制度は変わっても、精神的には、集団への隷属は免れない” と。それは、“「個」 の自立の基盤となる哲学がなかった” すなわち、宗教を信じないがゆえに、自立した信念が育たないのである。
 今では、50年以上前の村八分事件のようなものは、人権意識や社会状況も開けてきているから、もう起こらないと思います。
 だがしかし、国民の宗教的な意識は、旧態依然として少しも変わってないようである。

 それにつけて思い出すことは、一国を代表する首相が毎年、初詣に伊勢神宮に参拝することを慣例としている。そのうえ、ここ2回ほど、記者団を招いて首相の年頭所感を発表している。
 首相の年頭所感といえば、公的なものである。公的な首相官邸で行うのが当たり前である。それを一宗教法人の管轄する神社施設内において行うことは、政教分離原則を定めた憲法に違反している。
 首相自らが 「憲法違反」 を犯しているのに、マスコミはこの点を、なんら問題視することなく報道している。国民は初詣に行くことは、我が国の慣習であるとして、むしろこれを歓迎しているようである。

 宗教の正邪を正さずして 「国家神道」 を用いて、亡国の憂き目を見た歴史の真実を忘れてはいけない。これが 「立正安国論」 の誡めである。ただただ、宗祖日蓮大聖人の “お叱り” を畏れるものである。
 『安国論』 に曰く、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(33P) と。 

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「新・人間革命」第5巻〔開道の章〕(対話)

 「新・人間革命」 第5巻は、1961年(昭和36年) の10月8日、ヨーロッパ指導に旅立たれた池田先生が、分断されたばかりの西ベルリンの壁の前に立った日の夜から始まっています。

 〔開道〕 
 地平線の彼方に、太陽は昇った。
 しかし、行く手には、多くに不信と憎悪の、荒涼たる精神の原野が広がっている。切り開くべき道は、遠く、長い。
 彼は、原野に足を踏み入れた。草を分け、茨を払いながら、一歩、一歩と、前へ進む。
 山本伸一の ヨーロッパ訪問は、平和の扉を開き、ヒューマニズムの種子を蒔(ま)く、開道の旅路であった。


 池田先生は、“現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。ならば、人間が変えられぬはずはない” そして、「地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである」 と、ご決意を述べられています。

 「先生は、ブランデンブルグ門の前で、この壁は三十年後にはなくなるだろうと言われましたが、そのための、何か具体的な対策があるのでしょうか」 と、同行のメンバーの一人が尋ねた。
 先生は、笑みを浮かべて答えられました。
 「特効薬のようなものはないよ、ただ、東西冷戦の氷の壁をとかすために、私がやろうとしているのは 『対話』 だよ。西側の首脳とも、東側の首脳とも、一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。
 権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ。
 東西両陣営が互いに敵視し合い、核軍拡競争を繰り広げているのはなぜか。
 一言でいえば、相互不信に陥っているからだ。これを相互理解に変えていく。そのためには、対話の道を開き、人と人とを結んでいくことが不可欠になる」


 池田先生は、ベルリンの壁の前で “この壁は三十年後にはなくなるだろう” と予言なされてから、29年目の、1989年11月に壁は崩壊しました。御書に 「外典に曰く未萠(みぼう)をしるを聖人という」(287P) とあります。ゆえに、先生は聖人であると思っています。
 先生は、一民間人の立場ながら、東西冷戦の一触即発の状況であった、米・中・ソの三国を相互に訪問され、相互不信に陥っているのを、相互理解に変えていくために、人格と対話の力によって友情を育み、三国間に友好と平和の道を開きました。
 これを契機として、その後は国家間の戦争の脅威は除かれましたが、今は地域や宗教紛争などによる テロの脅威にさらされています。
 テロの暴力に対して、武力で対処しても解決できません。相手を人間として認め、非暴力による 「対話」 のなかにしか、解決の道はないと思います。
 
 「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。
 社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
 それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」


 国と国との付き合いといっても、結局、その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいく以外にない分けです。
 先生は、“それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる” と仰っています。
 創価学会は、文化団体として “富士美術館・民主音楽協会・創価大学” などを創設して、文化交流を推進して、平和の道を切り開いてきました。
 これからも、ますます 「文化の拡大」 「対話の拡大」 に励んでまいります。

 〔勝利〕 の章に、冒頭の文言がありますのでご紹介します。
 仏法は勝負である。
 なれば、人生も勝負であり、広宣流布の道もまた、勝負である。
 人間の幸福とは、人生の勝者の栄冠ともいえる。そして、世界の平和は、人類の ヒューマニズムの凱歌にほかならない。
 その勝利とは、自己自身に勝つことから始まり、必死の一人から、大勝利の金波の怒涛は起こる。


 この勝利の章には、1961年(昭和36年)11月5日、国立競技場にて、第十回男子部総会(国士十万結集)が行われたことが書かれています。お読みくだされば幸いに存じます。

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「新・人間革命」第6巻〔宝土の章〕(イスラム教関係)

 『新・人間革命』 第6巻は、1962年1月、先生は初めて中東を訪問し、“平和と友情の橋” を架けるところから始まっています。まず、冒頭の文章は、

 〔宝土〕
 新世紀の大舞台は、世界である。そこには、戦火にあえぐ友がいる。悲嘆に暮れる母がいる。飢えに泣く子らもいる。
 泉が砂漠をオアシスに変えるように、人間の生命からわき出る慈悲と英知の泉をもって、この地球を平和の楽園へ、永遠の宝土へと転じゆく ヒユーマニズムの勝利を、我らは広宣流布と呼ぶ。

 一九六二年(昭和三十七年)一月二十九日、山本伸一は中東へ出発した。
   (新・人間革命6巻・7P)

 中東歴訪の第一の訪問地は、イランの首都 テヘランであった。昼間は、一人の現地会員のためにわざわざ家庭訪問をして、信心激励をなされ、それから博物館の視察など、一日は瞬く間に過ぎていった。
 夜は ホテルの先生の部屋で、同行の青年幹部たちと、イランの感想を語り合いました。
 対話は、イスラム教・その創始者である マホメットの人間像などにも及び、ここのところは、イスラム教を概略知るうえで参考になると思います。

 話のなかで、仏教とキリスト教・ユダヤ教・イスラム教などとの宗教間対話の必要性が語られました。
 同行の一人から 「しかし、イスラム教は、神の唯一絶対性を、極めて強烈に打ち出しているように思います。それだけに、イスラム教との対話は、最も難しいのではないでしょうか」 との質問がありました。
 先生は、諭すように言われました。

 「黒木君、なぜ、そう決めつけてしまうんだい。実際にやってみなければ、わからないじゃないか。自分の先入観にとらわれてはいけないよ。
 それに、イスラム教との対話といっても、宗教上の教義をめぐって、語り合わなければならないということではない。同じ人間として、まず語り合える問題から、語り合っていけばよいではないか。
 文化や教育のことについてでもよい。あるいは、人道的な立場から、平和への取り組みについて語り合ってもよい。文化の向上や平和を願う人間の心には、皆、一緒だよ。
 また、そうした問題を忌憚(きたん)なく話し合っていくならば、自然に宗教そものもについても、語り合っていけるようになるにちがいない。

 いずれにしても、対話の目的は、どうすれば、みんなが幸福になり、平和な世界を築いていけるかということだ。それにイスラムは、偶像は認めないが、文字は大事にしている。これは、大聖人の仏法に近い側面といえるのではないだろうか。
 また、唯一神アッラーについては、イスラム神学上の難しい議論もあると思うが、全知全能にしても天地万物の創造者という考え方は、宇宙の根源の法則である妙法を志向しているようにも思える。それは、ユダヤ教も、あるいは、キリスト教も同じかもしれない。そうだということになれば話は早い。
 私は、対話を重ねていくならば、イスラム教の人びとも、仏法との多くの共通点を見いだし、仏法への理解と共感を示すにちがいないと確信している」
 ………
 「よく戸田先生は、こう言われていた。
 ――大聖人をはじめ、釈尊、イエス・キリスト、マホメットといった、各宗派の創始者が一堂に会して、『会議』 を開けば、話は早いのだ、と。
 たとえば、企業でも、トッフ同士だと、話は通じやすいし、決断も早い。自分が責任をもって、あらゆることを考えているからね。

 同じように、世界宗教の創始者は、それぞれ時代の状況は異なっていても、迫害のなかで、民衆の幸福を願い、戦い抜いてきている。いずれも時代の改革者であり、聡明な “勇気の人” “信念の人” だ。
 だから、お互いに会って、語り合えば、仏法の深さもわかったであろうし、これからの人類のために何が必要であり、何をなすべきかも、すぐに結論を出すことができたと思う。
 残念ながら、この会談は実現することはできないから、現在の人びとが、民衆の救済に生きた創始者の心に立ち返って、対話を重ねていく以外にない」
   (同書・59P)

 上記の語らいのなかで池田先生は、第二次世界大戦終了後も 、ズ~と今日まで戦火の休むことのない、中東地域の問題解決の方途を示してくださっています。
 「対話を重ねる」 といえば、何か迂遠で生ぬるく、役に立たないもののように思われますが、では、武力で相手(テロリスト)を撲滅させることができるのか? 答えは “否” である。
 このことは、皆よく解っているけれども、人間の命の濁り・無明とでも言いましょうか、どう仕様もない宿業みたいなものを感じます。結局、「人間革命」 する以外に道はないわけです。
 我われは、数多くの 「地涌の菩薩」 を糾合し、“民衆の救済に生きた創始者の心に立ち返って、対話を重ねていく” べき戦いを開始しましょう。 

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「新・人間革命」第7巻〔文化の華の章〕(教育について)

 〔文化の華〕
 偉大なる宗教は、偉大なる文化を生む。これは歴史の法則である。
 太陽の光が雪をとかし、大地の眠りを覚ませば、そこには芽が吹き、やがて、花々が咲き乱れる。
 同じように、仏法の慈光が、凍てついた人間の生命の大地をよみがえらせる時、絢爛たる 「人間文化の華」 が開くに違いない。
 広宣流布とは、社会建設の担い手である一人ひとりの人間革命を基軸に、世界を平和と文化の花園に変えゆく、まことに尊き偉業なのである。

 一九六二年(昭和三十七年)という年は、弘教の広がりのなかで耕された民衆の大地に、山本伸一の手によって、次々と文化の種子が下ろされ、発芽していった年であった。
  (新・人間革命7巻・7P)

 文化の華は、政治の分野では、一月に公明政治連盟が正式に スタート、七月に公明会が発足している。
 また、学術研究の分野では、一月に東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)が創設され、その機関誌も創刊されている。
 さらに、八月一日、東京の杉並公会堂で、歴史的な教育部の第一回全国大会が開催された。

 池田先生は、1962年の 『大白蓮華』 7月号の巻頭言 「文化局の使命」 のなかで、教育に対して多大な期待を述べられています。そのなかで、
 「民族の盛衰、一国の興亡が、一にかかって教育のいかんにありということは、古今東西の歴史が如実にこれを示している。
 とくに、教育の効果は、二十年、三十年後に現れるともいえよう。教育こそ、時代の民族の消長を決定する、まことに重大な問題である。
 しかるに、日本の現状はいかん。敗戦後十有余年の歳月を経た今日、いまだに確固たる理念もなく、迷いつづけているのは、じつに教育界ではないか。まことに嘆かわしいかぎりである」
(同書・9P) と訴えられています。

 当時、昭和37年の教育白書 『日本の成長と教育』 を見ると、教育は 「経済の成長に寄与する」 有効な投資であることが強調されていた。
 “「なんのための教育か」 「なんのために学ぶのか」 との根本の目的を問わず、ただ国家の経済成長に貢献する人材を輩出すればよい――これが日本の教育の実態であったといえる”
 戦前の日本は、欧米列強国に追いつくために “富国強兵” 策を用い、そのために “忠君愛国” を国民教育の指導理念とした。
 戦後は。民主教育が推進されたが、“国家の経済の発展に寄与する” ための人材育成が、主な目的になってしまった。

 つまり、看板は替わっても、本質は “国家の役に立つ” 人間の育成である。教育を国家の繁栄の手段としてのみ考えることは、国民を手段化することと同義であるといってよい。
 そこには、子供にとって教育とは何かという視点が欠落している。それが非行問題とも、深くかかわっていたといえよう。

 本来、教育の根本の目的は、どこに定められるべきであろうか。
 牧口常三郎は 「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」 と断言している。“国家の利益” ではなく、“児童の幸福” こそ根本だというのである。
 牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人一人が “幸福になる力を開発する” こととした。そして、この幸福の内容が 「価値の追求」 であり、人生のうえに創造すべき価値とは、「美・利・善」 であると主張した。
 つまり、牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。

 彼は 『創価教育学体系』 の緒言(しょげん)で、「創価教育学」 を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
 「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷(ちまた)に喘(あえ)いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂(きょう)せんばかりで、区々たる毀誉褒貶(きよほうへん)の如きは余の眼中にはない」
 そこには、子供への、人間への、深い慈愛の心が厚く脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。
 そして、その教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。子供たちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となるからだ。
 教師は 「教育技師」 であると主張する牧口は、「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である。是は世上の何物にも替え難き生命といふ無上宝珠を対象とするに基づく」 と述べている。

 さらに、教師たるものの姿を、こう論じる。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。利害の打算に目が暗んで、善悪の識別のできないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」
 牧口が提唱した、創価教育の精神を、現実に、縦横無尽に実践したのが、若き戸田城聖であった。彼の私塾・時習学館からは、人間性豊かな、実に多彩な人材が育っている。
 山本伸一は、教育部員に、この先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしかった。
  (同書・15~17P)

 池田先生は、“先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしい” 、また “私の最後の事業も、教育である” と仰っています。
 もともと、創価学会は、戦前、「創価教育学会」 と称していて、学校の先生方が、創価教育学を研鑽する団体であった。
 創立者の牧口先生が、昭和 3年、日蓮仏法に入信し、修行・研鑽の結果、ご自身が創出された 「美・利・善」 の価値創造の哲理が、法華経の哲理と何ら矛盾することなく、むしろ唱題行による 「人間革命」 こそが、教育その他あらゆる革命の根本とすべき哲学であると確信されたのである。
 したがって、“子供たちにとって、最大の教育環境は教師自身である” と。創価教育にとって、教師自身の人間革命が不可欠となるのであります。
 初代・牧口先生は、戦前、教育の改革をもって、国民と国家を救おうと(立正安国の実践)されましたが、軍事政権より弾圧を受け、名誉の殉教をなされました。
 第二代・戸田先生は、戦後、“その根本の目的は、宗教革命にあるとして、会の名称から 「教育」 の二字を外して”、「創価学会」 と改め、大折伏を敢行し、広布拡大 “七十五万世帯達成” の大誓願を成就なされました。
 偉大なる教育者であられた、牧口・戸田両先生の御精神を受け継ぎ、教育革命・宗教革命に頑張りましょう。

 参考 : 「美・利・善」 について ―→ ここから 

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「新・人間革命」第8巻〔布陣の章〕(保守か革新か)

 『新・人間革命』 第8巻は、1963年(昭和38年)5月から 64年2月までが主な舞台である。
 64年の東京 オリンピックに向けて、日本は目覚ましい経済成長を続け、国際関係への関心が高まりつつある時代だった。
 半面、63年11月9日には、大牟田の三井三池炭鉱で炭塵爆発事故発生、犠牲者458人。同じ日に、横浜の鶴見で国鉄二重衝突事故、161人の犠牲者を出した。共にわが国最大の事故が、東と西で起こった。
 海外では11月22日に、アメリカのケネディ大統領が暗殺されるなど、世界の情勢も激動していた。

 〔布陣〕
 川には源がある。御聖訓には 「源遠ければ流長し」(1180P) と。
 創価学会にも精神の光源がある。
 それは、初代会長牧口常三郎と第二代会長戸田城聖が織り成した、燦然と不滅の光を放つ、師弟不二の道である。その精神が脈打っている限り、広宣流布の流れは、永遠に世界を潤し続けるであろう。
  (新・人間革命8巻・7P)

 この 「牧口先生・戸田先生の精神」 をいかにして永遠のものにしていくかということであった。
 池田先生は、“学会が発展するにつれて、幹部のなかに、その精神が希薄になっていきつつあることに、憂慮を覚えたのである” と。
 そして、会長就任三周年となる、5月3日の第25回本部総会を前にして、“未来の大発展のために、この兆候の根を断ち、まず幹部の胸中に、学会精神をみなぎらせることから始めようと、ひそかに決意したのである” と述べられています。

 総会での会長講演は、「今また、『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(232P) との御金言を胸に刻み、皆様方のご協力を賜りながら、来年四月二日の恩師の七回忌を、五月三日をめざして、再び広宣流布への一歩前進の陣頭指揮をとっていく決意でございます」
 新たなる前進の獅子吼が轟き渡った、
のであります。

 一方、公明政治連盟も大きな飛躍を遂げ、地方議員は千名を上回るまでになって、世間の目を引くようになってきた。
 四月に行われた統一地方選挙の際に、一部の評論家や マスコミが “学会は保守か、革新か” という問題を盛んに取り上げていた。宗教団体である創価学会を、政治的な狭い次元で論じようとするのだから、的外れにならざるを得ない。 
 そこで先生は、総会の場で、正式に、学会の根本的な立場について、言及されました。

 「経文には、『無量義とは一法より生ず』 と仰せですが、南無妙法蓮華経を、御本尊を根本として、日蓮大聖人の生命の大哲理を根底に、全世界の民衆を幸福にし、永遠の平和を築いていくのが、学会の精神であります。
 したがって、保守の人であろうが、革新の人であろうが、三世の生命のうえから、すべて平等に幸福の道を教えていくのが、私どもの使命といえます。
 自由主義も、自身を律する生命の規範がなければ、退廃と混乱の弱肉強食の社会になってしまう。社会主義もまた、人間自身の革命がなければ、人間を抑圧する冷酷な制度となってしまう。
 自由主義も社会主義も、保守も革新も、ともに指導していく大哲理に生きるのが、わが創価学会です。その意味では、もし革新という言葉を使うならば、学会は、現在、社会でいわれている “革新勢力” とは次元を異にした、真実の革新ということができます。
 大聖人の仏法は、永遠不滅の、三世にわたる幸福を説く生命の大法であり、一切衆生の成仏のための法であります。また、御本尊の力は無限であり、宇宙大であります。
 私どもは、その法を弘めて、現実に三百万世帯を超す人びとに、幸福の道を開いてまいりました。
 この人間革命を機軸とした、民衆の蘇生の大運動に確信をもって、保守か革新かといった、極めて政治的な狭い次元にとらわれることなく、堂々と、わが使命の道に邁進してまいろうではありませんか」
 ………
 伸一は、大事な会員が、学会を政治の次元でとらえようとする世間の論評に惑わされ、信仰の王道を見失っていくことを憂慮していたのである。
  (新・人間革命8巻・24P)

 創価学会は、“保守とか、革新とか” どちらか一方に決められるような存在ではない。保守も革新も、そうであると言えばそうだし、そうでないと言えばないのである。
 では、何なのかと言えば、それは 「中道主義」 なのである。この 「中道」 は、足して二で割るとか、右・左の中間を行くという中庸の概念ではないのである。
 「中道」 とは、日蓮大聖人の大生命哲理を根底にして、政治を行っていくのです。これは 「人間主義」 「生命尊厳主義」 とも言い得るものです。この正しい 「法」 に則って進むのが 「中道」 です。
 先生は、“大事な会員が、学会を政治の次元でとらえようとする世間の論評に惑わされ、信仰の王道を見失っていくこと” のないようにとご指導されています。十分に、気を付けてまいりましょう。

 〔清流〕
 言論は、人間の人間たる証である。
 暴力、武力に抗して、平和を築きゆく力こそ言論である。
 広宣流布とは、言論によって、精神の勝利を打ち立て、民衆の幸福と永遠の平和を建設する、新しき ヒューマニズム運動といえる。
  (同書・192P)

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「新・人間革命」第9巻〔新時代の章〕(人間革命の執筆について)

 『新・人間革命』 第9巻は、1964年(昭和39年) 4月から12月までが主な舞台である。
 この年、第18回 オリンピック東京大会が開催された。 訪れた海外の人々も “敗戦国・日本” の復興に目を見張った。
 11月17日、「日本の柱 公明党」 「大衆福祉の公明党」を スローガンに掲げ、「公明党」 が結成された。
 12月2日、池田先生は、戦禍の地 沖縄より、小説 『人間革命』 の筆を起こされました。
 その 『人間革命』 第1巻 〔黎明〕 の冒頭の文は、                                       
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 だが、その戦争はまだ、つづいていた……」
であります。

 〔新時代〕
 生命は永遠である。
 それゆえに、人間革命が必要である。
 それは、何故か。
 今世の善への修行が、因果の厳しき理法により、来世への、永遠の自己それ自体の生命となるからである。

 一九六四年(昭和三十九年)四月一日――。
 この日、総本山に落成した大客殿で、第二代会長 戸田城聖の七回忌法要のお逮夜(たいや)が、海外を含む代表五千人が参列し、盛大に営まれたのである。


 戸田先生の七回忌法要のお逮夜での、池田先生のご挨拶のなかで、小説 『人間革命』 の執筆までの思いが語られています。
 「戸田先生は、小説 『人間革命』 を書き残してくださいました。その小説は、戸田先生ご自身を モデルにした、主人公の “巌(がん)さん” が、独房のなかで、生涯を広宣流布に捧げる決意を固め、こう叫んだところで終わっております。
 『彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知る』
 この彼とは、孔子のことです。当時、戸田先生は、数え年 四十五歳であり、孔子が 『四十にして惑わず、五十にして天命を知る』 と述べていることに対して、ご自身の境地を語られているところであります。
 ………
 戸田先生が、“妙悟空” という ペンネームで、『人間革命』 を書き始められた時、先生は私に、『伸一、この小説を読め。もし、直すところがあったら、自由に直してもよろしい』 と言われたことがありました。
 また、『人間革命』 を書き終えられた時、先生は、大変に嬉しそうなお顔をされていたことが忘れられません。
 その先生が、出獄後のことについては、何も書こうとはされなかった。
 そこには、“私の出獄後の 『人間革命』 の続編は、伸一、お前が必ず書け 私が死ぬまでの姿を、厳然と書き残していくのはお前である” との、深いお心があったことを、私は先生の言々句々から、痛感いたしておりました。
 そして、その先生の意志を、胸深く受け止めてまいりました」
 ――山本先生が、いよいよ 『人間革命』 の続編を書かれるのだ
 同志の顔に光が走った。
 ………
 「したがって、この戸田先生の七回忌を期して、先生の出獄から、亡くなられるまでの歩みを、『人間革命』 の続編として書き残すための準備に、取りかかってまいりたいと思います。それが、弟子としての、報恩の誠の一つであると考えております。
 先生は “妙悟空” という ペンネームを使われましたので、弟子の私は、“法悟空” という名前にいたします。二人の名前の最初の文字を合わせれば、“妙法” となります。
 “悟空” というのは、仏法で説く 『空』 を 『悟る』 ということです。妙法の 『妙』 は、仏法では仏界を意味し、『法』 は九界を意味します。また、『妙』 は法性、すなわち悟りであり、『法』 は無明、すなわち迷いです。その原理からいえば、『妙』 は師であり、『法』 は弟子ということになります。
 期間はどのくらいかかるかわかりませんが、三巻、五巻、七巻、十巻と巻を重ね、これまで、戸田先生から賜った指導を全部含め、先生の業績を書きつづってまいります。
 また、先生をいじめ、弾圧してきた人間たちのことも書き残します。さらに、学会への、評論家や学者、政治家などの誹謗や批判についても、それを、ことごとく打ち破る小説にしていく決意であります。………」
 参加者は、期待に胸を弾ませながら、盛んに拍手を送った。
   (新・人間革命9巻・20~23P)

 昭和32年の8月、思い出のひとときを過ごした軽井沢の地で、単行本として発刊された、戸田先生の小説 『人間革命』 が話題になった。
 戸田は、照れたように笑いを浮かべて言った。
 「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先にたってできないということだよ」
 その師の言葉は、深く、強く、伸一の胸に突き刺さった。
 ………
 それからあとの実践については、戸田は、何も書こうとはしなかった。
 伸一は、この軽井沢での語らいのなかで、広宣流布に一人立った、その後の戸田の歩みを、続 『人間革命』 として書きつづることこそ、師の期待であると確信したのである。
   (同書・385P)

 池田先生は、“『人間革命』 の執筆を発表した時から、覚悟してきたことではあったが、この連載が、相当、自分を苦しめるであろうことは、目に見えていた” と。
 また、『新・人間革命』 の 〔はじめに〕 には、“その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない” と、壮絶なるご覚悟のほどを述べられています。
 “また、先生をいじめ、弾圧してきた人間たちのことも書き残します。さらに、学会への、評論家や学者、政治家などの誹謗や批判についても、それを、ことごとく打ち破る小説にしていく決意であります” と語られていますように、小説 『人間革命』 は、創価学会の広布の 「歴史と真実」 が、余すところなく解き明かされています。
 したがって、地涌の菩薩を自認し、広宣流布に戦う勇者にとって、小説 『人間革命』 は、学ばなければならない必修の書である。
 
 かつて、4~50年位前のことですが、青年部の活動方針として、
 (一) 師匠に帰命せよ。
 (二) 『人間革命』 の読了。
 (三) 利他の唱題30分(三千遍)。 という目標が打ち出されました。
 『人間革命』 を読むことすら、宗門は、大聖人の教義から逸脱していると、横やりを入れてきました。
 その根底には、“池田先生に帰命せよ” と言った 「帰命」 とは、仏さまに対する用語であると、ゆえに、血脈のある法主に帰命せよと言いたいのである。
 世間でも、事業を継承するには、その事業主(師匠)のところで、修行(弟子入り)するのである。学ぶためには、弟子は師匠に帰命しなければならない。帰命することは、師弟関係(師弟不二)が成立するのである。

 仏の大願たる広宣流布を実現せんとすれば、広宣流布を成し遂げた、創価学会の戸田先生・池田先生を師匠として帰命し、教えを請うことは当然のことである。
 広宣流布の実績のない宗門や法主には、広宣流布を論ずる資格はないのである。
 ただ、神秘的な血脈なるものを振りかざし、徳もない法主を、御本尊と不二の尊体だとか言って権威づけ、御本尊を私物化し、徒に信徒たちを隷属させようとしている。

 創価学会は、「世界広布新時代 拡大の年」 にあたり、 「師弟不二」 の信心で、二十一世紀を 「生命の世紀」 「希望に世紀」 へと築き行こうとしているのであります。
 
 〔鳳雛〕
 若さには、無限の可能性がある。
 その胸には、果てしない希望の翼が広がり、熱き情熱が脈打ち、向上の心が泉のごとくあふれている。
 人類の無限の財宝――それは次代を担う若き力だ。


 「このたび、青年部に、新たに、『高等部』 『中等部』 を設置いたします!」
 青年部長の秋月英介がこう発表すると、東京・台東体育館は大拍手に揺れた。

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「新・人間革命」第10巻〔言論城の章〕(学会精神)

 第10巻では、1965年(昭和40年)元旦から、翌年 3月 5日の壮年部結成大会までの模様が描かれている。

 〔言論城〕
 人間革命 ―― そこには、いっさいの原点がある。
 すべての根本をなしているのは、人間であり、自己自身であるからだ。
 ゆえに、自分自身の生命の変革が、家庭を変え、地域を変え、社会を変える。時代を変え、歴史を変え、世界を変える。
 その人間革命をなしゆく仏法の力の大潮流が、渦巻き、怒涛となって大海を走り始めた。

 「勝利の年」 と銘打たれた、一九六五年(昭和四十年)の新春は、会長山本伸一の小説 『人間革命』 の新聞連載で始まった。
  (新・人間革命10巻・7P)

 「勝利の年」 と銘打たれた昭和 40年。聖教新聞元日付から小説 『人間革命』 の連載が始まった。
 また聖教新聞は、7月15日付から日刊化されました。その準備が進む、編集、印刷、広告、業務の各担当者の奮闘の模様が語られています。実に、“仏法の力の大潮流が、渦巻き、怒涛となって大海を走り始めた” という感に打たれます。
 ある時、池田先生は職員と懇談され、“聖教を世界最高の言論城に” と指導激励されました。

 「聖教新聞は広宣流布の機関紙だということを忘れてはならない。
 一般紙は不偏不党の立場で、物事を客観的に報道するということが基本だ。 しかし、機関紙というのは、自分たちの主張を、どう伝え、いかに波動を起こし、共感を広げていくかが勝負になる。……」
 ………
 「では、聖教らしさとは何か。
 第一に、どこまでも、広宣流布のための機関紙であり、読めば、民衆の幸福と平和のために立ち上がろうという思いがわき起こる、新聞でなければならない。
 また、邪悪とは敢然と戦う、折伏の精神がみなぎっていることが大事だ。
 第二に、すべての人が、真実の仏法とは何かを、よく理解することができる新聞だ。 聖教新聞に触れることは、仏法に触れることになるんだからね。 そして、生命の大哲学の視点から、あらゆる物事を的確にとらえ、問題の解決の方途を示していくんだ。
 第三に、読者に勇気と希望を与える、“励ましの便り” でなければならない。
 聖教は、すでに学会員以外にも読者をもち、広く 『人間の機関紙』 として愛読されている。 その人たちが人間としての生き方を学び、活力の源泉となるような新聞にしていくことだ」
  (同書・72P))

 さらに日刊化によって一般の ニュースも入るようになるし、“よくまとまっていて、わかりやすいと言われるようにすべきだ。 また、文化欄、家庭欄などは、仏法を根底にした人間主義のの視点からの企画、論調が大事になってくる” と指導されています。
 ところが、大闘争の最中、米子支部長が、交通事故で、42 歳の若さで亡くなってしまった。周囲から、“学会の信心が正しくて、御利益があるのなら、なんで、幹部が事故で死ぬのか” 等々の疑問や不信が爆発し、学会を批判し始める会員の姿が見られたのである。
 先生は、急きょ、米子会館で行われていた地区部長会に出席され、次のように指導されています。

 人には宿業があるが、その宿業の深さはわからない。 たとえ、若くして亡くなったとしても、信心を貫いた人は、宿業を 「転重軽受」(重きを転じて軽く受く) しての死なのである。
 ともあれ、真の信仰者として広宣流布に邁進している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。
 初期の仏典には、次のような話がある。
 ―― 摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
 すると、仏陀は言う。
 「摩訶男(まかなん)よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹(き)は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に、倒れるであろうか」
 摩訶男は答えた。
 「その樹木が傾き、伸びている方向です」
 仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
 また、日蓮大聖人は、南条時光に、弟の死に際して与えられたお手紙で、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」(1568P) と仰せになっている。信心に励んだ人の、成仏は間違いないとの御指南である。
  (同書・20P)

 先生のご指導のなかの釈尊の説話は、非常に解りやすく、心から納得のいくものである と思いましたのでご紹介しました。
 修行に励んでいる人は、たとえ、事故や事件に巻き込まれて不慮の死を遂げたとしても、成仏の道から外れることはないのである。
 ここで、涅槃経の文を思い出しました。「菩薩悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無れ悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能(あた)わず、悪知識は二倶(とも)に壊るが故に、悪象の若(ごと)きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」 (452P) という経文です。
 三趣とは、地獄・餓鬼・畜生のこと。悪知識とは、謗法の悪友である。悪友に随い謗法を犯せば、必ず三悪道に堕ちるのである。心して重々気を付けなばならない。

 8月に入り、伝統の夏季講習会が、本山で実施された。
 先生は、この講習会で、学会精神をわが同志の胸に深く打ち込まれました。
 
 ―― 「本門の時代」 に入り、広宣流布の流れは、社会のあらゆる分野で、仏法の人間主義ともいうべき思想を実現していく、多様多岐にわたる 「展開」 の時を迎えた。 そうであればこそ、皆が原点である学会精神に立ち返ることが、何よりも大切になる。
 学会精神 とは、浅きを去って深きに就く、一人立つ 「丈夫の心」 である。
 殉難を恐れぬ、「死身弘法」 の決意である。
 間断なき、「未曾暫廃」 の持続の闘争である。
 情熱と勇気の、「勇猛精進」 の実践である。
 いかなる難も、莞爾として耐え忍ぶ、「忍辱大力」 である。
 大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く、「如説修行」 の行動である。  
 邪悪を許さぬ、「破邪顕正」 の精神である。
 正しき信心の血脈に結ばれた、「師弟不二」 の道である。
 堅固なる 「異体同心」 の団結である。
 一人ひとりを仏を敬うがごとく大切にする、「当如敬仏」 の心である。
 この学会精神を伝えるには、どうすればよいのか ―― 答えは明らかである。 自らが行動することだ。 精神の継承は、振る舞いのなかにのみある。
  (同書・90P)

 上記のように、学会精神を 10項目に分けて教えてくださいました。“この学会精神を伝えるには、自らが行動することだ。 精神の継承は、振る舞いのなかにのみある” と、先生は自ら どこで出会ったメンバーにも、寸暇を惜しんで激励を続けられました。
 “そのお姿自体が、「勇猛精進」 であり、「未曾暫廃」 であり、「当如敬仏」 であった” のであります。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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