「聖人御難事〈上〉」を拝す

 大白蓮華10月号の名誉会長講義 「世界を照らす太陽の仏法」 は、第6回 『聖人御難事』 です。副題に “民衆仏法――「人間の宗教」 の時代の開幕” とありました。
 この御書は、大聖人の 「出世の本懐」 が説かれている重要な御書であると位置づけられております。
 「出世の本懐」 とは、仏が “この世に出現した真実究極の目的” のことで、それは、一切衆生を一人も残らず成仏させるという大目的であります。
 宗門は日寛教学に基づき、「弘安2年の御本尊」 の御図顕をもって、日蓮大聖人の 「出世の本懐」 としています。
 創価学会は、昨年11月、会則の教義条項を改正し、“大謗法の地にある 「弘安2年の御本尊」 は受持の対象とはいたしません” と発表しました。
 そして、今年の1月、“教義条項改正に関する解説” が発表され、「出世の本懐」 についての説明がありました。

 上記の件に関する拙ブログ記事 ―→ ここから

 弘安2年(1279年)の10月1日の御著作となる 『聖人御難事』 は、「熱原の法難」 の渦中で認められました。
 「熱原の法難」 とは、富士方面の熱原郷(静岡県富士市)で農民信徒 20人が、直接、権力から無実の罪で捕らえられた法難である。念仏を唱えれば許すとの強要にも屈せず、最後まで題目を唱え続けたという。
 首謀者と目された、神四郎・弥五郎・弥六郎の三人(熱原の三烈士)は斬首され、残る17人は追放となった。権力の不当な迫害と断固、戦って勝利したのである。

 池田先生は、「熱原の法難」 の意義について、
 この法難こそ、偉大なる使命に生きる民衆が、権力の魔性と対峙した大闘争なのです。
 いわば、「熱原の法難」 とは、大聖人の獅子吼を継承した弟子が、正義の精神闘争によって 「魂の勝利」 を打ち立てた歴史でもあったのです。
 熱原の農民門下が、大難に負けない信仰を示したことこそ、師弟不二の信心に基づく 「死身弘法の実践の模範」 です。これは、後世万代のために、民衆仏法の凱歌を轟かせた大偉業であったといえるでしょう。
と、指導されています。

 民衆仏法とは、法華経の万人成仏に基づき、全ての人々の尊厳性・尊極性・平等性を十全に開花する思想です。その主役を担うのは、人間から離れた超越者ではなく、現実の世界の中で、社会の中で、地域の中で実践を繰り広げる法華経の師弟です。弟子も、師と同じ実践を共有し、目覚めた民衆を一人でも多く誕生させていく。いわば、民衆仏法とは、使命を自覚した民衆自身が主役となり、民衆の勝利を開きゆく 「人間の宗教」 なのです。

 民衆仏法について指導されています。その主役は、現実の世界・社会・地域の中で活動する人間自身である。決して、人間から離れた超越者などではないのである。
 超越者といえば、外道で説く 全知全能唯一絶対神、権大乗教の 阿弥陀や大日如来等の権仏は、人間ではなく架空のものなので、“弟子も、師と同じ実践を共有” する 「師弟の義」 は成り立ちません。
 ゆえに、このように人間を疎外する宗教は、民衆が主役の 「人間の宗教」 には、成り得ないのであります。

 無名の庶民である熱原の農民門下は、正法の信仰のゆえに大難を受け、三世永遠の魂の自由を勝ち取る戦いをしました。法華経の精神である三大秘法の南無妙法蓮華経を受持し、御本仏と共に戦う偉大な民衆が遂に登場したのです。まさに、民衆仏法の基盤が確立しました。ここにこそ、大聖人の出世の本懐の成就があるのです。不軽菩薩を模範とする民衆、深き使命の地涌の菩薩そのものである民衆の出現こそが、日蓮仏法の魂です。
 まさしく、大聖人一門にとって、この熱原の農民に代表される不惜身命の弟子の涌現は、万年に輝きわたる不滅の礎となったのです。
 (2015-10月・大白・38P)

 御本仏と共に戦う偉大な熱原の農民門下の出現こそが、民衆仏法の基盤が確立したことになります。
 “ここにこそ、大聖人の 「出世の本懐」 の成就があるのです” と指導されています。
 では何故、“不惜身命の弟子の涌現” が必須の条件となるのかと言うと、それは、日蓮大聖人は 「本因妙の教主」 で あらせられるからであると思います。
 釈尊は 「本果妙の教主」 で、万人に仏界が具していることを明かした “法華経” を説くことが、釈尊の 「出世の本懐」 となります。
 正法・像法の時代は 「本已有善(本と已に善有り)」 の上根・上機の衆生なるが故に、あとは自身の力で成仏することができた。
 一方、末法の時代は 「本未有善(本と未だ善有らず)」 の下根・下機の衆生なるが故に、自身では成仏することはできません。
 大聖人は、根源の一法たる “南無妙法蓮華経” を顕し、凡夫身のまま、仏になる本因の菩薩道を説き、行じられた。ゆえに、「本因妙の教主」 と申し上げます。
 大聖人は、大慈悲を起こされて竜の口等の大難を忍ばれ、万人成仏の プロセスを、ご自身の体験を通して教え諭してくださいました。したがって、成仏や宿命転換を成すには、難や苦しみは必須の要件なのである。まさに 「難即悟達」 であります。
 したがって、熱原の三烈士の如く “不惜身命の弟子の涌現” があって、はじめて 「令法久住」 が証明され、「民衆仏法」の基盤が確立され、大聖人の 「出世の本懐」 も成就するのであります。
  
 池田先生は、弟子たちに呼び掛けられています。
 さあ、人間勝利の黄金時代へ 本格的な弟子の戦いの本舞台が始まりました。
 一人一人が見事に栄光の創立85周年を勝ち飾り、さらなる一閻浮提広宣流布の拡大に向かって、力強く朗らかに、師弟共戦の凱歌の大行進を開始していきましょう
 と。 (同大白・41P)

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「聖人御難事〈下〉」を拝す

 前号に引き続き、池田先生の講義は 『聖人御難事』 であります。副題に “師子王の心――「一人立つ」 心に創立の精神” であります。
 前回の10月号は、本抄の前半部分を拝し、熱原の農民門下の不惜身命の戦いによって、「民衆仏法」 の基盤が確立されました。これこそが、大聖人の 「出世の本懐」 の成就になるのです。
 今回の後半部分は、難に打ち勝つための 「師子王の心」 について教えられています。 

 「皆が 『師子王の心』 を持つ」 という項目には、
 その上で大聖人は、「各各師子王の心を取り出して」(1190P) と仰せです。……
 これこそが、日蓮仏法の精髄です。「各各」 とあるように、一人一人、誰人の胸中にも、本来、「師子王の心」 が必ずある。それを 「取り出す」 源泉こそ、師弟不二の信心なのです。
 広宣流布のために、恐れなく道を開いてきた師匠の心が 「師子王の心」 です。その心と不二になれば、わが生命に 「師子王の心」 が涌現しないわけがない。
 ………
 戸田先生は、「蓮祖の御遺命である広宣流布に勇猛に戦い続けた人が、菩薩であり、仏である」 と、よく言われました。
 「師子王の心」 とは、「不退の心」 です。「負けじ魂」 「学会魂」 であるといってもよい。難と戦えば仏になれる。そのために 「師子王の心」 を取り出すのです。信心とは、絶えず前進し続ける 「勇気」 の異名なのです。
  (大白・11月・32P)

 “誰人の胸中にも、本来、「師子王の心」 が必ずある” と指導されています。自分にはそのような力は無いんだと、自身を卑下することは全くありません。
 信心とは、勇気の異名です。先ずお題目をあげれば勇気が出ます。そして、周りの一人の人に、新聞啓蒙でも折伏でもよい、何か一言でも声をかけるのです。それが、もう既に 「師子王の心」 を取り出しているんです。
 先生は、「一ミリでも、一歩でも、進んだ人が勝利者です」 と。「信心の世界は、どこまでも真面目に信心を貫いた人こそが、最後は必ず栄冠を勝ち取るのです」 と指導されています。 

 「御本尊は 『法華弘通のはた(旌)じるし』」 という項目で、
 戦後の学会再建の中で、恩師は叫ばれました。「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚しました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」 と。
 この広宣流布への自覚が学会の中心思想となって会内に広がり、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」 「創価学会常住」 の御本尊を奉戴(ほうたい)し、戸田先生は 「発迹顕本せる学会」 となったと語られています。
 御本尊は 「法華弘通のはた(旌)じるし」(1243P) です。大聖人の御遺命である一閻浮提広宣流布を遂行し、民衆を幸福にしていくための御本尊です。しかし、700年余りの間、その根本の大願を真に実現しゆく弟子は現われませんでした。
 20世紀になって、初めて牧口先生・戸田先生が日蓮大聖人の御遺命のままに、地涌の菩薩の自覚に立って、広く庶民に慈悲の折伏を展開し、広宣流布の大進軍が開始されたのです。そして、192ヵ国・地域へと妙法は広まり、今、大聖人の仏法の功徳は、世界の隅々にまで流れ通っています。
 私たちは、日々、広宣流布を請願して行動しています。宗祖の一閻浮提への大法弘通、すなわち世界広宣流布を大願成就する団体は、事実のうえで創価学会しか存在しないのです。
  (同誌・40P)

 熱原の農民信徒の不自惜身命の殉教から “700年余りの間、その根本の大願を真に実現しゆく弟子は現われませんでした” と述べられています。
 その間、出家者・個人では、何人かは居られたようであるが、在家の身では、熱原の三烈士以来、約700年間、殉教者は牧口先生が、はじめてであった。
 このことは、末法の 「民衆仏法」 の広布実現への主体者は、出家者ではなく、在家の地涌の菩薩が担うということ物語っている。
 『本尊抄』 に、「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責(かいしゃく)し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(254P) と仰せです。まさに、 賢王とは在家者である。

 事実、戦時中、軍部政権から神札を祀らないといって弾圧を受け、日蓮仏法は滅亡の危機に瀕(ひん)した。この一大事に、出家者の宗門は弾圧に屈し、本山に神札を祀るという謗法を犯し、法主は焼死するという仏罰を受けたのである。
 一方、在家教団の創価学会は、神札を断固拒否したがゆえに、牧口・戸田両先生は逮捕・入獄され、牧口先生は獄中にて殉教なされました。
 戸田先生は大難に耐え、“獄中の悟達” という大功徳を得られ、危機に瀕した日蓮仏法を見事に再建なされました。そして、広宣流布の師匠である 戸田・池田両先生のご指導により、今や世界192ヵ国までに広布拡大を成し遂げることができました。

 以上の事実が示すように、出家は世情にうとく、世間知らずの僧らには、世界の広宣流布を実現させるだけの力はないのである。
 したがって、今回の 「御祈念文」 の制定におきましても、現時代の在家の広宣流布の永遠の師匠である 「三代会長への報恩感謝」 へと改定されたことは、時宜に適ったものであると思います。
 池田先生は “宗祖の一閻浮提への大法弘通、すなわち世界広宣流布を大願成就する団体は、事実のうえで創価学会しか存在しないのです” と。
 創価学会だけにしか、日蓮大聖人の御精神を体して実践している教団は無いのだ、と肝に銘じていきましょう。

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学会永遠の五指針①(一家和楽の信心)

 池田SGI 会長講義 「世界を照らす太陽の仏法」 は、第9回 「創価学会永遠の五指針①」 であります。副題に “一家和楽の信心――わが家を幸福安穏の城に” とあります。

 五指針とは、戸田先生の御遺言ともいうべき 「永遠の三指針」 に、後に二指針を加えた師弟共同の指標が、「創価学会永遠の五指針」 です。
 すなわち――
  一、 一家和楽の信心
  二、 幸福をつかむ信心
  三、 難を乗り越える信心
  四、 健康長寿の信心
  五、 絶対勝利の信心

 の五指針です。この 「永遠の五指針」 の先生の講義を学んで参りたいと思います。

 〔「成長家族」 「創造家族」 に〕 という項目には、
 私は、「成長家族」 「創造家族」 という言葉が大好きです。
 家庭は、人生の基本となる 「安心」 と 「希望」 の拠点であり、「幸福」 と 「平和」 の基地にほかならない。日々の生命と活力の蘇生の場であり、前進と充実を生み出す創造の絆であり、和楽と成長の城です。
 ………
 家族は、日蓮仏法の信仰において、かけがえのない テーマです。ゆえに 「一家和楽の信心」 が1番目に掲げられているのです。


 「家庭」 について、その意義を簡潔に述べられており、文も詩的でありますので、暗唱し易いのではないかと思います。

 「和楽」 という、世界平和の縮図を実現するために、いかにあるべきか。
 第一は、自らが 「家庭の太陽」 となって、慈悲の陽光で皆を包み込むことです。
 第二は、親子、夫婦という家族の絆は、三世の宿縁であることを知って、互いに尊敬し合うことです。
 第三は、社会に貢献しいくことと、その後継の流れを創り出すことです。


 以上の 「和楽」 についての三点は、いずれも重要なことでありますが、ここでは後継について学びたいと思います。

 〔女子は門をひらく〕 という項目のところに、
 大聖人が時光に与えられた御書で 「女子(おなご)は門をひら(開)く・男子(おのこご)は家をつ(継)ぐ」(1566P) と仰せの通り、信心を継承した女性の使命とは、一家一族の 「幸福の門」 を開き、地域社会の 「繁栄の門」、そして広宣流布の 「勝利の門」 を開きゆくのです。
 ………
 ともあれ、親から息子や娘へという、信心継承の ドラマの中に、一家和楽の要諦もあるといって過言ではありません。そのためにも戸田先生は 「子どもは、学会の庭で育てなさい」 と繰り返し訴えられていました。
 家族で一緒に会合に参加することにも大きな意味があります。子どもたちが、今は分からなかったとしても、信心の息吹を肌から感じることで、偉大なる仏縁を結んでいることは間違いないのです。なかんずく、未来部の担当者の方々の存在は、尊い尊い善智識です。
 親は、どこまでも子どもたちの可能性を信じることです。誰もが末法閻浮提の広宣流布を約束した地涌の菩薩です。いつかその使命に目覚めて立ち上がる時が必ず来ます。
 その時まで諦めずに成長を祈り続けられるかどうか、親の信心が試されているのです。


 わが家にとっても、この後継の問題に悩んでいます。子どもは女子・男子・女子の三人ですが、いずれも、まともな学会活動はしてないようです。
 特に、長男は高校卒業以来、大学・就職といつも遠地で、今は大阪に住んでいて、結婚もせず一人暮らしです。家族の絆が薄かった故か、このごろは留守電ばかりで、返事一つして来なくなっています。
 先生は、“家族で一緒に会合に参加することにも大きな意味があります” と述べられています。私たち夫婦は、子どもの幼児の時から、いつも留守番をさせて活動してきました。寂しい思いをさせた と反省しています。後は、地涌の菩薩として立ち上がることを願っています。
 先生の “親は、どこまでも子どもたちの可能性を信じることです” 並びに “その時まで諦めずに成長を祈り続けられるかどうか、親の信心が試されているのです” とのご指導を、胸に刻み頑張って参ります。

 〔「和楽」の哲学が人類の希望に〕 という項目には、
 五指針の根本中の根本である 「一家和楽の信心」 を目指す実践のなかに、仏道修行の根幹が含まれています。また、ここに、広宣流布への確かな道も含まれているのです。
 ………
 しかし、私たちは、皆、創価家族です。久遠元初からの誓願という最も深く、最も麗しい生命の絆で結ばれています。
 苦労を分かち合い、困難を克服し、互いの成長をたたえ合い、感謝し合う。愚痴を祈りに変え、非難を励ましに変え、苦楽を共にする価値創造の家族から、地域や共同体を変革する希望が生まれます。和楽の家庭が築かれてこそ、真の平和社会が創出されていきます。
 今、世界中で妙法の和楽の家庭が陸続と輝き、そこから、友情と調和と平和の連帯が幾百万、幾千万にも広がっています。家庭革命こそ、人類の宿命転換に直結するのです。
 社会に安心を与える生命の オアシス――それが、私たちの 「一家和楽」 の実証によって、この地球(ほし)の至るところに誕生しています。
 まさに、創価の 「和楽」 の家庭こそ、人類宗教の希望の太陽なのです。
  (大白・2016-1月・29P)

 池田先生は、日蓮仏法を 「人類宗教」 と、グラフSGI には 「地球文明」 と仰っています。新時代は来ているのだ。
 1月度の本部幹部会を拝聴いたしまして、“この地球(ほし)の至るところに”、SGI の戦いによって、“友情と調和と平和の連帯が幾百万、幾千万にも広がっている” 状況を、目のあたりにしたように感じられました。
 この 「世界広布拡大」 の “時に遇(あ)う” ということの身の福運を、一人でも多くの人に語っていきたいと思います。

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学会永遠の五指針②(幸福をつかむ信心)

 創価学会永遠の五指針② は、「幸福をつかむ信心――自他共に遊楽の人生を」 であります。  

 日蓮大聖人の仏法の目的は何か――。
 人間は、幸福になるために、この世に生まれてきました。不幸になりたくて生まれてきた人は誰一人としていません。ゆえに 「幸福」 は、古来、哲学の根本命題でした。
 そして、宗教は、本来、人間の幸福のためにこそ存在するのです。


 〔「つかむ」 という能動の姿勢〕 という項目には、
 先生(戸田)は、「幸福をつかむ信心」 と言われました。この 「つかむ」 という一言には、深い深い哲学があります。
 幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で 「つかむ」 しかありません。必ず 「つかむ」 ことができる信心なのです。


 先生は、「幸福をつかむ」 という一言に、各人が自発能動の信心で 「つかむ」 以外にないと指導されています。
 その 「つかむ」 べき幸福とは、相対的なものではなく 「絶対的幸福」 という幸福感である。そして 「常楽我浄の人生」 を築いていきなさいと呼び掛けられています。
 もう一つは 「衆生所遊楽」 とあるように、遊楽するには、強い生命力を発揮しなければならない。どんな苦難も悠々と楽しみながら上って行き、こうした人生の醍醐味を、味わってほしいと指導されています。

 そして、「祈り」 について、
  祈りとは、負けじ魂です。
  祈りとは、無限の希望です。
  祈りとは、絶対の安心です。
  祈りとは、不屈の前進です。
  祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです。
 次に 「自受法楽」 とあります。法楽(法の楽しみ)を自由自在に自ら受けきっていける、まさに仏の境涯です。
 絶対の法に則り、ゆるぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです。

 “必ずそうなるのだ” と、絶対の確信に立てと呼び掛けられています。

 〔自他共に喜ぶ事なり〕 の項目には、
 法華経に説かれる 「随喜」 について 「御義口伝」 に、「喜(き)とは自他共に喜ぶ事なり (中略) 然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり」(761P) の御金言を用いて指導されています。
 「喜とは自他共に喜ぶ事なり」 と。自分も、他者も共に喜ぶ。そこに真の歓喜が、幸福があると言われるのです。
 幸福とは、各人が自らつかむものであり、自身の生命で感得するものです。しかし同時に、自分一人だけの幸福もありません。自分さえ幸せならあとは関係ない――それでは、利己主義です。だからといって、“自分はいいから、他の人が幸せに” というのも、十全ではない。そうではなく、“自分も人も一緒に!” というのが、本当の幸福でしょう。
 ………
 幸福もまた、「自他共に」です。

 先生は、“苦楽を分かち合う関係の中で、幸福はより大きくなるのです” と指導されています。

 〔全ての人の幸せを願う〕 という項目には、
 幸福は、誰かから奪い取ったり、誰かを踏み台にして得るものではありません。どこまでも 「自他共に」 です。ゆえに私たちは 「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」 という生き方を目指してきました。

 次に、「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」 ―― 「智慧と慈悲」 とは、仏の境涯そのものです。どんな困難に直面しても、決して負けずに、すべてを乗り越える智慧、人々を救う慈悲の精神が湧いてくるのです。
 さらに、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり」 と仰せです。
 三身とは、法報応の三身です。
  自他ともに本来、尊極の仏であり、妙法の当体である――これが法身です。
  その深き自覚に立って、自他共の幸福を創りゆく智慧――これが報身です。
  そして、自他共の幸福のための具体的な慈悲の振る舞い――これが応身です。
 妙法を唱えゆく時、私たち凡夫の身がそのまま偉大な三身具足の仏となると明かされているのです。


 「つかむ」 べき幸福とは、「絶対的幸福」であり、それは、信心をもって仏界の生命を涌現させることに尽きます。
 先生は、この幸福すなわち、仏界・仏の境涯について説明されていますが、なかなか難しいです。“仏とは何ぞや” というのは、仏法の永遠のテーマだと思いますので、これからも、うまず弛まず研鑽していきたと思います。 

 〔幸福と勝利の波動を世界に〕 という項目には、
 大聖人は、「随喜する声を聞いて随喜し」(1199P) と仰せになりました。
 今、「幸福をつかむ信心」 の歓喜の波動が、国境を越え、民衆や言語などの差異を越えて、グローバルに拡大しゆく 「世界広布新時代」 を迎えました。
 それは、全人類がともに幸福をつかむ、民衆凱歌の世紀を開く挑戦です。
 幸福とは、日々の着実な積み重ねです。
 そして、私たちが幸福を目指す人生の根幹には、日々最高の 「祈り」 があります。
 私は今日も真剣に祈り抜き、そして、いつまでも祈り続けます。
  大切な皆様が健康・長寿であるように
  所願満足で、現世安穏であるように
  使命を成就し、後生善処であるように
  一人も残らず、幸福であるように
  大勝利の人生を勝ち飾れるように


 なんとあり難きことか、先生は “今日も真剣に祈り抜き、そして、いつまでも祈り続けます” と仰って、祈ってくださっています。我らは弟子として、世界の平和と一切衆生の幸福のために、世界広宣流布の大願成就と、池田先生・奥様の御長寿と御健康を御祈念申し上げます。

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学会永遠の五指針③(難を乗り越える信心)

 創価学会永遠の五指針③ は、「難を乗り越える信心――獅子の心で挑みゆけ」 であります。
 冒頭、池田先生は、“レオナルド・ダ・ヴィンチ” の例を引かれて、人間生命に秘められている偉大な力について語られています。

 人間は元来、偉大な存在です。
 逆風を発条(ばね)に飛翔する精神の力を本然的に持っているからです。
 ………
 “大切な仏子を一人ももれなく幸福に” との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」 です。


 御義口伝に云く 妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり。(750P)

 〔真の安楽とは〕 という項目には、上記の 「御義口伝」 の文を通して講義されています。
 真の安楽とは、苦難と戦う中にこそあるという 「難即安楽」 の法理を示されています。
 「難」 には、まず、正しい信仰ゆえに、三類の強敵から迫害を受けるという法難の次元があります。また、自身の仏の境涯を開くために、人生に生ずる困難や宿命とあえて戦うという次元があります。いずれにしても、信仰を破壊する三障四魔に打ち勝ってこそ、一生成仏も広宣流布も、成就するのです。

 では、「安楽」 とは、どのようなことを言うのでしょうか。
 天台大師は、「安楽」 の字義について、「安」 とは 「不動」、「楽」 とは、「心に憂悩無き」 ことであると示しています。
 つまり、「安」 とは、何があっても揺(ゆ)るがない信心であり、「楽」 とは、何があっても憂(うれ)いなく生き抜いていける信心です。

 戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩すことのできない境涯となっていくのである」 と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。
 「一つ一つ」 です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。「剣なんどは大火に入るれども暫(しばら)くはとけず是きたへる故なり」(1169P) と仰せの通りです。
 ………
 「難を乗り越える信心」 とは、「難を乗り越える祈り」 であり、「難を乗り越える唱題」 の異名です。
  (大白・2016‐3月・36P)

 一般的に 「安楽」 とは、心身に苦痛がなく、楽々としていることをいう。しかし、仏法では難や苦悩のあることが 「安楽」 になるという。とは言っても、苦難=安楽 と言っているのではない。ここでは、“妙法蓮華経を修行するに” という前提条件があるのである。
 考えてみますと、安楽な生活を願っていても、凡夫の生身の体では、何時、丁度 5年前の東日本大震災のような災難に遭わないとも限らない。そうなれば、安楽な生活なぞ、望みようもないものである。
 仏法は、環境によって変わるような安楽ではなく、どんな困難が起こってもそれに打ち勝つことで、真の安心立命の境地が獲得できると説いています。それには、難や苦痛は、絶対・必要条件なのです。

 〔どこまでも 「積極的人生」 を〕 の項目には、
 私たちは、いかなる障魔が競い起ころうとも、強き信心で、御本尊に祈ることができます。そして、共に励ましあえる同志がいます。
 したがって、学会とともに歩む人生、それ自体が、最高の 「難即安楽」 の人生を歩んでいることになるのです。
 ………
 「さあ何でも来い」 「難があるからこそ、人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」 という、究極の積極的人生にこそ、真実の安楽があると教えられているのです。
  (同誌・37P)
 
 〔難に対する姿勢の大転換〕 という項目には、
 戸田先生は、「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」 と語られました。
 地涌の使命を自覚すれば、偉大な力が出る。難は、民衆を救うために、自ら願って受けた難となる。そして、それを乗り越えることで、人々を救うという願いを果たすことができる。使命を果たすために難はあるのです。
 「なぜ自分が」 という嘆きから、「だからこそ自分が」 という誇りへ、難に対する姿勢の大転換を教えられているのです。
  (同誌・39P)

 「積極的人生」 は、ただ難に打ち勝ち自身の安楽を得るだけでなく、人々を救うという “地涌の使命” を果たすためにあるのである。
 そこには、難に対する姿勢を、受動ではなく能動的に “自ら願って受けた難だ” とする価値観の転換がある。これを 「願兼於業(願、業を兼ぬ)」(203P) とも言います。

 〔師子王の如く悠然たる第境涯を〕 の項目では、
 法華経の安楽行品には、「游行するに畏(おそ)れ無きこと 師子王の如く 智慧の光明は 日の照らすが如くならん」(法華経・447P) と説かれています。
 ………
 正しき信仰とは、永遠の 「勇気の翼(つばさ)」 であり、「幸福の翼」 であり、「勝利の翼」 です。
 苦難の烈風があればあるほど、喜び挑(いど)んで悠々と飛翔し、境涯をどこまでも高めていけるのです。
 さあ、胸を張り、頭(こうべ)を上げて、不撓不屈の誉れの 「創価の翼」 で、常勝の空へ晴れ晴れと舞ゆこうではありませんか
 難を乗り越えて、「私は勝った」 「私たちは勝った」 と、見事なる凱歌の人生を飾っていこう 皆の勝利の報告に、恩師がほほ笑んでいます。


 池田先生は、“「創価の翼」 で、常勝の空へ晴れ晴れと舞ゆこうではありませんか” と、そして “皆の勝利の報告に、恩師がほほ笑んでいます” と、我ら弟子たちの戦いを見てくださっています。
 7月の戦いを、師に大勝利の報告でお答えして参ります。

 聖教 3・11 の 「わが友に贈る」 は、
  我ら創価家族には
  変毒為薬の信心がある。
  「悲哀」 を 「勇気」 に
  「宿命」 を 「使命」 に
  自他共の幸福を開け

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

学会永遠の五指針④(健康長寿の信心)

 創価学会の永遠の五指針④ は、「健康長寿の信心――『心の財』 の輝きは不滅」 であります。
 牧口先生の持論は、「幸福の第一条件は健康である。健康のためには、活動を第一とする」 でした。学会は 「生命の安全地帯」 なのです。同志と共に、広宣流布のために活動することが、どれほど健康長寿の活力となり、幸福の源泉になっていることか。  (大白・2016-4月・39P)

 池田先生は、“学会は 「生命の安全地帯」 なのです” と、これほど、言い得て妙なる言葉はありません。
 また、“広宣流布のために活動することが、どれほど健康長寿の活力となり、幸福の源泉になっていることか” とご指導されています。学会活動のなかに、あらゆる問題の解決の道があるといっても過言ではない と思います。
 今回は、五指針の中の 「健康長寿の信心」 であります。いまの高齢化社会の現況を鑑(かんが)みて、共々に学んでいきたいと思います。

 〔「いかなる病さは(障)りをなすべきや」〕 という項目のところでは、
 今まさに治療中で、病と闘っている同志もおられるでしょう。
 ………
 生老病死は人生の実相であるゆえに、避けることはできません。逃げていては、真の幸福を勝ち取ることはできない。
 大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(1124P) とも仰せです。
 病魔を恐れず、侮(あなど)らず、闘い挑む 「強い信心」 が、仏界を力強く涌現させるのです。病魔の 「挑戦」 に対し、「応戦」 していくのが、私たちの信心です。
 病気になることが不幸なのではありません。病苦に負けてしまうことが不幸なのです。
 仏にも、「少病少悩」 と言って、病や悩みがあります。しかし、常に生命は健(すこ)やかです。心はいつも強く、皆を包み、励まし、希望を送っていく境涯を築き上げているからです。
  (同誌・41P)
 
 先生は、“病魔を恐れず”、“侮らず”、“闘い挑む”、“強い信心” で “「病魔に勝つ」 と一念を定めて題目を唱える” ことの大切さを指導されています。
 そして、仏界を力強く涌現させて、「一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為(た)るべし」(1343P) との御金言の如く、たとえ病室に在っても、病魔に打ち勝ち、悠々と “常楽我浄” の境涯を感得することができると仰っています。

 〔いよいよ若々しく、生き生きと〕 という項目のところで、戸田先生の指導が載っています。
 「人生の本当の偉さというものは、どこにあるのか。 それは一つは、若い時に決めた希望、信念というものを、一生涯貫いていく。 もう一つは、一生涯、若々しい情熱を持(たも)ちきっていけるかどうかである」
 「年齢には三つある。 肉体的な年齢、 精神的な年齢、 生まれてから数えている年齢である。 たとえ肉体は老いても、生命力は強く、若々しくなければ駄目だ」
 ………
 「信心は形式ではない。一瞬一瞬を大事に生きるということだ」 「一瞬の一念に何を思ったか、行動したのか、その積み重ねで、成仏が決まるのだ」 と。

 皆、「生涯青春」 です。多宝会・宝寿会・錦宝会の皆さまが、後輩の創価家族を慈しまれながら、「今生人界の思出」 を輝かせることが、永遠不滅の境涯を約束し、無数に続く地涌の友が仰ぎ見る希望となるのです。  (同誌・47P)

 〔「健康の 4モットー」を胸に〕 の項目には、健康のための 四つのモットーがあります。
 健康長寿の人生を歩むための ポイントは、
 ① 張りのある勤行
 ② 無理と無駄のない生活
 ③ 献身の行動
 ④ 教養のある食生活  の 4点です。
 根本は基本を守ることです。
  (同誌・48P)

 〔三世永遠に常楽我浄の大境涯を〕 のところでは、
 信心に 「定年」 はありません。仏典では、人間は 「120歳まで生きられる」 とまでと説いています。張り切って学会活動に励むことが、最高の健康長寿の人生を歩むことになる。今日も広布のために、今、自分のできる戦いを起こし、前進していくのが、色心共に真実の健康長寿の要諦です。
 法華経に 「長寿にして衆生を度せん」(法華経505P) とあるように、長生きした分だけ、多くの友に勇気と希望を贈ることができます。共々に三世永遠の 「心の財(たから)」 を積む衆生所遊楽の勝利劇を示していけるのです。
  (同誌・49P)

 「健康長寿の信心」 の人生を歩むには、“張り切って学会活動に励むこと” に尽きる、これが結論なのである。
 ここで大事なことは、“今、自分のできる戦いを起こす” ことである。仏法に、「随力演説(各人の力に随って法を説くこと)」(1386P) という教えがあります。
 トインビー博士のモットーは、「さあ、仕事を続けよう でした。気分が乗らない時でも、決めた時間には、必ず机に向かったそうである。一歩前進の行動が肝心であります。

 最後に、池田先生は、さあ、どこまでも私と一緒に、同志と共に、広宣流布の大願に生き抜き、所願満足の人生を悔いなく勝ち飾っていきましょう と。先生の御期待にお応えして参りましょう。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

学会永遠の五指針⑤(絶対勝利の信心)

 創価学会永遠の五指針⑤ は、「絶対勝利の信心――師弟誓願の不二の祈り」 であります。
 日蓮大聖人は、                        (大白・2016‐5月・37~47P抜粋)
 「仏法と申すは勝負をさきとし」(1165P)
 「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(1169P)
と仰せです。  

 〔信仰と人生の究極の目的〕 という項目には、
 「絶対勝利」 ――これこそ、私たちの信仰と人生の究極の目的です。戸田先生が衰弱したお体をおして熟考され、発表してくださった 「永遠の三指針」 の奥底を貫く、根本の精神です。

 ゆえに池田先生は、戸田先生の三指針に、二つの指針を加え、恩師と不二の心で 「創価学会永遠の五指針」 を定めた際に、その結びを 「絶対勝利の信心」 としたのです。全学会員の幸福勝利を願われた戸田先生のお心を深く拝してのことです、と述べられています。

 〔一切は 「師弟」 の二文字に凝縮〕 の項目には、 
 『法華初心成仏抄』 の 「よき師と・よき檀那と・よき法と此の三(みつ)寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(550P) の御金言を引かれて講義されています。

 日蓮仏法の根幹は、「師弟」 にあります。「絶対勝利の信心」 も、その要諦は、詮ずるところ、「師弟」 の二文字に凝縮されます。
 「師弟相違せばなに事も成べからず」(900P) だからです。師弟の ギァがかみ合っていなければ、何事も成就せず、広宣流布の進展もありません。…… これこそが、学会精神の神髄です。

 
 『法華初心成仏抄』 の 「よき師」 について、
 末法万年の民衆救済のため、如説修行の実践で自行化他にわたる南無妙法蓮華経を弘められた日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であり、「よき師」 であられます。
 そして、この根本義を踏まえられた上で、現時点においては、
 大聖人の御遺命のままに、広宣流布のため、不惜身命で戦い抜かれた先師・牧口先生、恩師・戸田先生、SGI会長・池田先生 は、私たちにとって、広布と人生の 「よき師」 であります。   (下線部分は筆者挿入)
 したがいまして、創価学会の初代・二代・三代の御歴代会長先生を、広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、その死身弘法の御徳に報恩感謝申し上げるのであります。

 次に 『祈祷経送状』 の 「其れに付いても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たしか)に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(1357P) の御金言を引かれて、法華経の行者の 「絶対勝利」 の信心と実践について、3点にわたって御指南されています。

 〔①不退と決定の信心〕
 第1 に 「信心に退転無く」 と仰せです。決定した信心です。どこまでも妙法根本に生きるとの大誓願です。わが一念に迷いやためらいがあったり、臆病であってはならない、ということです。
 「進まざるは退転」 です。


 〔②信念と正義の信心〕
 第2 に 「身に詐親無く」 です。行動や振る舞いにおいて、偽り親しむことなく、常に誠実に信念の行動を貫くことです。信ずる道をどこまでもまっすぐ進むのです。
 また、悪を見て黙っているのは、「詐親」 になってしまいます。正法に背く悪に対しては毅然と責めていくことが、「身に詐親無く」の実践となるのです。


 〔③如説と確信の信心〕
 第3 に 「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば」 とは、仏の心である法華経を如説修行することです。私たちの立場でいえば、どこまでも南無妙法蓮華経の御本尊を根本とし、信行学を貫き、御書に仰せのままに広宣流布の大願に生き抜くことです。
 そして、「広宣流布のために」 との祈りと行動に徹すれば、自身に本来具わる、仏の無限の智慧と勇気と力が湧いてきます。それゆえに、不可能を可能へと転じていくことができるのです。


 池田先生は、大聖人の 「絶対勝利の信心」 の この三つの御指南を金言の如く修行して、昭和31年の参院大阪地方区に、白木候補を立てて戦い “まさかが実現した” と、世間に アッと言わしめたほどの大勝利を勝ち取りました。
 翌年(昭和32年)、広布を阻もうとする “魔” によって、大阪事件が起きました。
 先生は、“権力の横暴を恐れず、信念と正義を貫き、「忍辱(にんにく)の鎧」 を着て、ただただ御本尊に身を任せての戦いを誓いました” と仰っています。
 4年半にも及んだ裁判は、昭和37年1月25日、池田先生は見事、無罪判決を勝ち取り、“正義は必ず勝つ” ことが証明されたのであります。

 〔仏とは、魔と戦う勝利者の異名〕 という項目には、
 悪と戦うことで、わが生命が鍛えられます。清められます。「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(762P) です。悪と戦う中にこそ、功徳も成仏もあるのです。
 釈尊も、魔と戦い、勝って成仏しました。「降魔成道」 です。………
 すなわち、「仏」 とは勝利者の異名であり、魔と戦い勝ってこそ 「仏」 であるということです。

 ゆえに、「絶対勝利の信心」 で 行かなければならないのです。

 〔創価の人間主義が輝く新時代へ〕
 “最後は、信心しきったものが必ず勝つ” ――正義と真実は満天下に示され、地域で、社会で、そして世界で、創価の人間主義が希求される新時代を迎えました。 ………
 創価学会・SGI の永遠の五指針は、私たちの信心を深めゆく不変の原理です。一生成仏の源泉であり、広宣流布の指標です。
 全世界の皆さんが、和楽の道、幸福の道、栄光の道、健康の道、長寿の道、勝利の道を力強く歩んでいくことが、創価の三代の師弟の根本の誓願です。
 創価学会は、永遠に師弟不二で絶対勝利の信心を貫き、凱歌の歴史を刻んでいくのです。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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