大悪起れば大善きたる

 『大悪大善御書』 に 「大事には小瑞なし、大悪をこ(起) れば大善きたる」(1300P) と述べられています。今回の東日本大震災は、大悪なる事件だと思います。“大善きたる” と言っても、何もしなくて手をこまねいていては、何も変わりません。

 近代日本史では、二つの大変革期があったと思います。一つは 「明治維新」 であり、もう一つは 「太平洋戦争敗戦」 の時だと思います。

 明治維新は、それまでの徳川幕藩体制を崩壊させて、天皇制の統一国家を形成した改革であった。封建社会から資本主義社会へ移行したが、主権はあくまで天皇にあった。天皇のもとにあっては国家主権が大事にされ、富国強兵策がとられ、国民は常に犠牲を強いられた。日清・日露戦争に勝利し、欧米列強に肩を並べるまでになったが、富国強兵策の行き着くところ、軍国主義化し、挙げ句の果ては太平洋戦争で敗戦の憂き目を見た。

 敗戦の結果、欧米より自由・民主主義思想が取り入れられ、天皇主権から国民主権国家へと改革された。個人の自由・権利は謳歌され、戦後経済は急速に回復し、短期間の内に先進国の仲間入りを果たした。国民は幸福に成ろうと一生懸命に働き、経済的には裕福になったが、それに反して心・精神面では貧しくなってしまった。

 かつて阪神・淡路大震災の被災者の方が “形のあるものは全て失った。残ったのは命だけだった。(趣意)” と語っていたというお話を聞いたことが有ります。今回の大震災においても、同じような思いをなされている方々も、多々居らっしゃると思います。
 このことは幸福とは、決して物や金で贖えるものではないことを物語っています。幸福とは、自身の生命の中に築き上げるものであり、己心の外に求めるものではないのであります。

 日蓮大聖人は 「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり」(1173P)・「ただ心こそ大切なれ」(1192P) と、自身の生命の変革こそ、第一義であると仰せられています。

 以上の点を考えて見ますと、二つの歴史的変革は、日本国自らの変革ではなく、外国からの軍事的圧力による変革であった。明治維新では国民はみな、民族・国家に、戦後は金・地位・技術などに幸福を求めたが果たせなかった。

 東日本大震災は不幸な大変な災害ではあるが、わが国が三番目の歴史的変革を成し遂げる絶好のチャンスではないかと思います。天災とはいえ、自国で起こった事件である。仏法ではあらゆる現象は、人の心から起こると述べられています。今度こそ、自らの力で自国の変革を可能ならしめねばならない。

 日本民族の宿業の故か、世界で真っ先に火薬が使われたのが蒙古襲来の時である。原子爆弾もまた世界初である。今度は放射能災害まで起きた。今まで小規模のものはあったが、原発4基が同時に放射能漏れを起こすなんて世界初である。

 地震と津波と放射能災害の甚大さと悪影響の拡大さ思えば、日本沈没にもなりかねない国難級の災害である。そんな中で、ボランティアや義援金などの助け合いの心、被災者や停電のことを思い、節約や生活態度を改善しようとするなど、確かに国民の意識は変わりつつあります。この流れを善導して、最高の 「善の価値」 を、皆が求めるようにならなければならないと思います。

 ここで注意しなければならないのは、今のままの総理・政党では頼りないから、もっと強い指導者・政治・経済・技術力などに頼ろうとすることです。これらは己心の外にあるものであり、利用・活用こそすれ、これらに頼ろうとすることは、力のあるもの、すなわち、国家権力や集団の力に頼ろうとすることになります。これは独裁主義・全体主義・国家主義への道を開くことに成りかねません。かつて通って来た道であります。

 創価学会は、あくまでも 「人間革命」 が第一義であり、自身の生命の変革をもって、社会に貢献する団体であります。
 『小説・人間革命』 の主題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 というものであります。  
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大功徳を感じて

 統一地方選の前半戦が終た。公明は残念ながら、二ヶ所落としました。後半戦は油断なく、全員当選で勝利しましょう。

 戦った会員の方々に、先生よりご伝言を頂きました。「私は、永遠の大勝利の輝きを放つ、信心の大勲章を贈ります。形のない勲章といわれるかもしれない。しかし、己の三世の生命の根本に永劫に輝きわたる、最高無二の誉れ高き大勲章である。どうか大功徳を感じとって下さい。(趣意)」 と、当落ともに “大功徳を感じとって” いける信心を致したいと思います。

 今回の大震災に際しましても、「難即悟達」・「生死即涅槃」であり、「大功徳を感じとって」いけるのが日蓮仏法であります。

 海外の メディアは、日本の民衆が、災害に遭っても理路整然と行動し、ボランティアなど助け合いの心に満ちて活動している姿に感動し、日本は絶対に立ち直ることが出来ると報道しているそうである。

 諸外国では、往々にしてこのような災難の時には、暴動や略奪が起こるのである。救援物資を運んでいるトラックを、途中で武装グループが襲撃したり、イラク戦争のとき国立博物館の貴重な収蔵品の大半が、略奪されたことは記憶に残るところである。

 戦後66年、焼け野原の中より立ち上がり、幸福を求めてひた走ったが、その幸福は 「天界」 止まりであった。“天人五衰” と言われるように、天界の喜びはやがて衰える。それは欲望を追求する欲界の頂上には 「第六天の魔王」 がいて、この世界を支配するからである。

 池田先生は 「行き詰まりの根本は、目が 『外』 ばかりを見て、『内』 を見ていないところにある。なかんずく、『生老病死』 という人間の根本問題から目をそらしているところにある。その閉じた目を開くのが法華経であり、寿量品です。
 人間は生死を見つめてこそ、真の人生へと開眼する。生と死という淵に立てば、浅はかな自己満足など吹っ飛んでしまうでしょう」
と指導されています。(法華経の智慧四巻・192P)

 今回の大震災は不幸な出来事であるが、現代人に人生の生老病死の実相を、むき出しで見詰めさせているために、かえって、人生の正道への道・四聖への道に、目覚めさせるものになると信ずるものである。

 大震災で多くの方々の心身が傷つきました。そういう人たちに癒しの手を差し伸べなければならない。その 「人間の絆」 が、人々に生きる力を与えるのである。

 池田先生は、「学会は、ありがたいところだね。人の面倒をみた分だけ――つまり、人の 『生きる力』 を引き出した分だけ、自分の 『生きる力』 も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』 と 『自利』 の一致です。
 利他だけを言うと、傲慢になる。人を救ってあげているという偽善になる。自分のためにもなっていることを自覚してはじめて、『修行をさせてもらっている』 という謙虚さが出る。自他不二です。ゆえに菩薩道しかないのです」
と指導されています。(同書237P)

 “菩薩道しかないのです” と、菩薩道が人類を救うのです。社会の底流を自分中心から人類愛へ、利己主義から慈悲へと変えていく戦いです。
 
 日本がどうなるのかと、世界の国々が固唾をのんで見守っています。この難関を見事に突破し、人類を救う道・地球を救う道の規範を示すべき使命が、日蓮大聖人御生誕の国・法華経種性の国・日本国民にはあると思います。
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鑑真と羅什

 『法華経見宝塔品第十一』 で釈尊は、「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏の前に於いて 自ら誓言を説け」 と、このような趣旨を3回にわたって勧め命じました。これを 「三箇の鳳詔(勅宣)」 と言います。

 これを受けて 『勧持品第十三』 で、八十万億那由佗の菩薩たちは、「唯願わくは 慮(うらおも)いしたもう為(べ)からず 仏の滅度の後の 恐怖悪世の中に於いて 我等当に広く説くべし」 と、十方世界の弘通を決意した。そして如来滅後に “三類の強敵” があろうとも、「我身命を愛せず 但無上道を惜しむ」 との誓願を発したのである。

 この “三類の強敵” を説いた経文を 「勧持品の二十行の偈」 と言います。 日蓮大聖人は 「身・口・意」 の三業をもって、この勧持品の二十行の偈を読まれ、法華経身読の “末法の御本仏” としての御確信に立たれました。

 三類の強敵と言えば地涌の菩薩を思い出しますが、迹化の菩薩たちも地涌の菩薩に劣らず、仏法東漸のために命を賭して戦いました。その例を、鳩摩羅什と鑑真について述べて見たいと思いました。

 鳩摩羅什は、七歳の時、母と共に出家し、須利耶蘇摩大師より法華経を授かる時 「仏日西山に隠れ遺耀(いよう)東北を照らす、玆(こ) の典東北の諸国に有縁なり、汝慎(つつし)んで伝弘せよ」(71P) との付嘱を受けた。

 十二歳の時、亀茲(きじ)国に帰り大乗仏教を弘めた。その名声は中国にも及んでいて、前秦王符堅は羅什三蔵を得るため、呂光将軍に七万の兵を与えて亀茲国を討たしめた。呂光は長安への帰路、符堅の死を知り、姑臧(こぞう)に後涼国を建てた。羅什三蔵も此処に十六年在住し、この間に漢語を完璧に自分のものとした。

 やがて、後秦王・姚興(ようこう)は、六万の兵を派遣して後涼国を討ち、羅什三蔵を獲得した。こうしてようやく長安に入ることが出来た。羅什・五十二歳の時であった。

 五胡十六国時代は、各国が覇権を争った戦乱の時代でした。羅什の長安への道は、戦乱の中で翻弄(ほんろう)され、拉致され他動的であるが、師・須利耶蘇摩や母との誓いの 「法華経を東土に伝えるのは自分の使命である」 という強き自覚の一念が、なさしめたものであると思う。

 鳩摩羅什が漢訳した 「妙法蓮華経」 は 「教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ」(1007P) と、仏意にかなった名訳であり、天台・伝教・日蓮大聖人が用いられて、万人成仏の根源の一法となったのである。
 
 鑑真は、中国唐代の僧で揚州の大明寺に住し、日本の入唐僧、栄叡(ようえい)・普照の請を受け、渡日を決意した。唐は国民の出国を禁じており、国禁を犯しての渡航であった。

 第1回743年(55歳) から 第5回748年(60歳) まで、その間・暴風雨で遭難したり、密告により官憲に捉えられたり、そんな過酷な状況の中、栄叡は命を落とし、鑑真は眼病で失明してしまう。

 第6回753年(65歳)、ついに第十回目の遣唐使がやって来た。帰国船にやっとの思いで潜り込み、12月20日薩摩の地を踏んだ。翌754年2月4日(66歳)、鑑真は平城京に到着した。第1回の密航から11年、6度目で悲願を達成した。その生き様は、壮絶としか言い様のないものである。

 鑑真は渡来した時、仏舎利・律・経典などを渡したが、なかでも天台大師の 「摩訶止観・法華玄義・法華文句」 は、後に伝教大師がこれを学び、日本天台宗の興隆に大きく貢献した。この様に迹化の菩薩たちも、釈尊との霊鷲山会の誓いを忘れず、仏法東漸のために命を懸けて実践しました。

 日蓮大聖人は 「剰(あまつさ)へ広宣流布時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360P)。 「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(265P) と仰せられています。日蓮大聖人の本弟子、地涌の菩薩と自覚するならば、仏法西還のために戦おうではないか。

 戸田先生は “青年訓” の中で、「霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、『末法の青年は、だらしがないな』 と、舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書が泣くことを知らなくてはならない。
  奮起せよ 青年諸氏よ。  闘おうではないか 青年諸氏よ」 
と、呼びかけられています。 

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 82歳
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