太陽会

 創価学会に、「多宝会」 という高齢者のグループがあります。その中の壮年で昼間に活動ができる方を、とくに 「太陽会」 と名づけており、“まだまだ若い者には負けられん”と、広宣流布に頑張っております。

 私は75歳までアルバイトをしており、今年8月に太陽会の一員になりました。定例会 (部員会) には、持ち回りで御書の勉強をしょうと決まり、10月は私がその担当を命じられました。

 教材は、その月の大白蓮華の池田先生の 「勝利の経典 『御書』 に学ぶ」 です。10月は 「阿仏房御書 (宝塔御書)」 です。先生の講義の中に、我われ太陽会のメンバーにとって、重要なご指導がありましたのでご紹介させて頂きます。

 先生の 『阿仏房御書』 講義より抜粋します。
大聖人は、南無妙法蓮華経と唱える者は、「我が身」 が 「宝塔」 であり、また、「我が身」 が 「多宝如来」 ですよと仰せです。
 「多宝如来」 と言われているのは、法華経の証明者であるということです。証明者とは、決して傍観者ではありません。法華経が説かれるところには必ず飛び込んでいくことを誓っている。法華経が最高真実の教えであり、仏に成る道であると証明してきたのです。
 私は、敬愛する多宝会、宝寿会、錦宝会の皆様方の英姿を想起せずにはいられません。
 戸田先生は、円熟の人生の友を、よく 「多宝の証明の方々」「多宝の尊き同志」 と讃えておられました。
 20年、30年、50年と純真に信仰を貫き、私と共に広布と人生の波乱万丈の山を乗り越えながら、「この仏法はすごい」「学会は正しい」 と叫び、身をもって証明してこられた皆様方です。たとえ無名であっても、仏法上、そして人間として最高に尊貴な大英雄です。
 その確信の一言の重さは、人生そのものの重さです。生きる姿そのものが妙法の証明です。
 (2011・10月大白・49P)

 先生は、太陽会 (多宝会) の方々は 「多宝如来」 であると称讃して下さいました。多宝如来とは法華経の証明者であると、また、傍観者であってはならないと指導されています。これからはより一層、広布の多宝如来の自覚で、日蓮仏法のすごさ、学会の正しさを証明して行きます。

 ご指導の中で、「その確信の一言の重さは、人生そのものの重さです」 の一文に、私は一番感銘を受けました。確信のことは常日頃言われていますが、「人生そのものの重さです」 に新たな思いがわきました。

 確かに、確信のある人生を歩むのか・どうかで、人生はずい分変わってきます。その確信を何に求めるのかによって、人生の幸・不幸が決まると言っても過言ではありません。

 大聖人は、「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(1173P) と仰せです。
 財産・地位また技術・健康よりも、心 (生命) の中に正しき確信を打ち立てねばなりません。妙法を根本とした確信こそが、生死の苦しみを乗り越える力となることを確信します。

 『御義口伝』 に、「四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり」(740P) と仰せです。
 生老病死という人生の根源の苦しみさえ、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが身を荘厳する、常楽我浄の四徳の香と成るのである。

 『総勘文抄』 に、「我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る、然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり、善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏す可き身を以て、善知識に値(あ) うと雖(いえど)も猶(なお)草木にも劣つて身中の三因仏性を顕さずして黙止(もだ) せる謂(いわ) れ有る可きや」(574P) と仰せです。
 
 このような無心の草木でさえ、春の風雨にあえば芽も出て花も咲く、秋には実が熟れて、一切の有情を養育し、ついには成仏の徳用を顕わすのである。これを疑う者が居るのでしょうか。
 今生人界に生まれ、広宣流布の時に会いながら、なお草木にも劣って、我が胸中の仏性を顕わさずしまいになるなんて、黙って居られようか。“今生においてこそ、生死の紲(きずな) を切るべきである” という、大聖人様の大慈悲のお言葉であります。
 この世に、何のために生を受けたのか、もう一度、その意義を噛みしめたいと思います。
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牧口先生の入信

 11月は創価学会の創立の月である。今月の 『大白蓮華・巻頭言』 には、次のように指導されています。
 “創立の父・牧口常三郎先生が妙法の信仰を始められたのは、昭和三年(1928年)、五十七歳であった。
 先生は晴れ晴れと語られている。「この信仰は、何か狭い世界に入るんじゃない。自在の福徳の世界にでるんだよ!」”
とあります。 (2011-11月号)

 創価学会が出現したればこそ、戦時中、滅亡の危機にあった日蓮大聖人のご精神は、蘇えることが出来たのである。そのきっかけは牧口先生が、日蓮仏法の信仰を始められたからであり、どのような御縁があって入信されたのか、興味の湧くところである。

 当時、牧口先生は白銀尋常小学校の校長でした。ある日一人の男がやって来た。教材を売って歩くセールスマンである。中にはゴロツキのような悪徳業者もいて、大抵の学校は嫌がらせを恐れて、何がしかの物を買ってやるのが普通であった。

 牧口先生は、からんできた男に “要らないものは買わない。それが道理じゃ。(趣意)” と、断固として拒否しました。その眼はけいけいとして光り、一点の悪も許さぬ威厳があった。男は圧倒されて、つい頭まで下げてしまった。そしてきまり悪そうに、“参りました。さすがに音に聞く校長さんだ。私はあんたの様な人に巡り会ったのは、これで二度目ですよ。(趣意)” と言った。

 牧口先生は、この男の言葉に非常に興味を持たれました。もう一人・自分と同じような人物がおるんだと!、恐らくは、“信念の人” だと感じられたのではないか! と思われます。その人物は “三谷素啓” という方で、目白商業学校の校長をしていて、池袋の常在寺の講の講頭でもあった。後に 「立正安国論精釈」 を著わしたほどの学者である。

 牧口先生は、思い立つと直ぐに行動に移す実践家であります。10日間ぐらい毎日のように三谷氏宅を訪問し、納得のいくまで対話をし、その上で信仰の道に入りました。後に、この時の感慨を 「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新する」 と述べられています。

 牧口先生は、価値論の大家であり、それまでのカント派の 「真・善・美」 に対し 「利・善・美」 の価値概念を提唱しました。そして 「美」 よりは 「利」、「利」 よりは 「善」 の価値を追求することが幸福への道であると指導致しました。

 しかし、思いまするに 「善」 の内容について、何が根本の最高の 「大善」 なのか、「善」 の価値概念の思想・哲学的な規範の必要性を痛感されていたのではないか! と思われます。それを常に思索され、求められていたところ、その探求のアンテナに、あの男の一言がキャッチされたと思います。

 『法華経寿量品』 に、「遣使還告(けんしげんごう)」(使いを遣わして還って告ぐ) という一文があります。思いますに、私は大聖人が大慈悲をもって、牧口先生を妙法に導かんがために、一人の男を、仏の使いとして遣わして下さったのではないか!と思えてなりません。

 聞き流してしまえば、ただの世間話に過ぎないが、それをガッチリと受けとめられて、妙法を求め、それを実生活の上に実証し、創価学会を創立された牧口先生は、偉大なる求道者であり、開道者であります。また、命を法華経に捧げた尊き殉教者であります。

 牧口先生のお蔭で、いま我々は会い難き御本尊に会い、成仏への道を歩むことが出来ました。何んたる幸せなことでしょう。この御恩を決して忘れてはならぬと決意するものである。

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戸田先生の獄中のエピソード

 戸田城聖先生の入信は、師である牧口先生のおっしゃることに、素直に随われた故であります。後に、創価教育学会が弾圧された時も、牧口先生に随って共に入獄いたしました。不退の信心で師弟不二の道を貫き通し、あの 「獄中の悟達」 の功徳を得ることが出来ました。

 戸田先生は、牧口先生の三回忌法要の席上、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師倶生』 と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で,地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」 と、感謝のことばを申し上げております。

 そこで、戸田先生の獄中でのエピソードを、一つご紹介しょうと思います。

 戸田先生が、自宅にて逮捕されたのは、昭和18年7月6日の朝方であった。同じ日に牧口先生も、伊豆の下田にて逮捕されました。その後・同年11月の中旬頃、牧口先生の後を追うようにして、東京拘置所へ入られました。

 拘置所内での唯一の楽しみは読書であった。拘置所では、一定の日に、図書館にある本の借入れを申込んで配達してもらうことになっていた。そこで面白そうな小説を選んで申込んだのに、配達されてきたのは、『日蓮宗聖典』 であった。日蓮宗といえば身延であるし、小説の面白さに引きずられて、何もかも忘れようとしているのだから、それを読む気は全然なく、机の片隅に飾ってしまいました。

 明日は大晦日、三十日の午後、仲の良い雑役夫が扉を開けて、正月に読む本を決めろといって目録を渡した。
 そこで巌さん(戸田先生)は小説の部を見て面白そうなのを選び、日蓮宗聖典を返した。
 「この前みたいに間違えたら承知しないぜ。こんな堅いものは頭が痛くなる。不自由な監獄生活でわざわざ頭を痛くするのは、おれは嫌なんだ。いいかい。間違えるなよ」
 その雑役夫は文字とか本などに縁のない男、持っている箱の中へ、日蓮宗聖典を放り込んで帰って行った。
 ………
 明けて三十一日の夕方、巌さんが独房の机に向かって腕を組み、…… 感慨に耽っていると、扉が開いた。
 「おい! 正月に読む本だ!」 
 雑役夫の声がして、扉が閉まり、監獄にも歳末がきているらしく、なにか、あわてているような足音が遠くなって行った。
 ………
 (そうだ、正月に読む本 ……) 
 彼は扉のところへ行って、落ちていた本を取上げた瞬間、胸を衝(つ)かれた形になって、眼鏡の底の眼を瞠(みは)り、本を手にして、そこに坐って凝然(ぎょうぜん)となった。
 昨日、強く念を押して、雑役夫に返した日蓮宗聖典が投込まれていたのだった。
 (正月の読み物に、この聖典を読めというのか ……)
 文字にも書物にも、なんの関心もない雑役夫が、作意で投込むはずがない …… とすれば、この間違いは、なにを暗示しているのか ……。
 (御遺文を読むのか …… それとも、法華経を読むのか ……)
 独房の中の夕闇が濃くなって、電燈がともった。
 (宗学の研究をせよという暗示であろうか ……)
 巌さんは薄暗い電燈の明かりで、日蓮宗聖典を開いて見た。
 そこには法華経の序品があったが、返り点もなければ仮名もふってない白文であった。
 巌さんは開いたところへ眼を落とし、刻まれた像のよう、一時間ばかりは身動きもしないで凝然となっていたが、突然、
 「よし! 読もう! 読切って見せる! 法華経を読むんだ!」
大きな声で叫んで立上がり、押しいただいて机の上に置いた。
  (戸田先生の文庫人間革命下・232P)
 
 昭和19年の元旦を期して、法華経を読みきることと、題目を一日・一万遍以上あげることに挑戦しました。その結果、11月の学会創立の日と同じ頃、荘厳なる虚空会の儀式に参列しているという、不思議なる仏の境地を感得することが出来ました。

 大聖人は 「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり」(781P) と仰せです。人の忌み嫌う獄舎にあっても、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その住処は寂光土となり、仏身を成ずることが出来るのである。この御金言を、戸田先生は自らの身をもって、我われにご教示くださったのであります。

 法華経を読むきっかけになったのは、返却した聖典が不思議にも、また舞いもどってきたことである。これには何か、御本仏日蓮大聖人の御意志が働いているようで、戸田先生に日蓮仏法の再生を託されたとしか思えてなりません。
 この一事を以ってしても、創価学会は仏意仏勅の広宣流布の団体なのである。このことを “11・18 創価学会の創立の日” に、あらためて確認する次第である。

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池田先生の入信

 池田大作先生の入信は、「我らの勝利の大道(57)・8月24日の誓い(上)」 に、「師はご存じだった」 として、次のように述べられています。

 喜びに 心躍らせ 今日もまた 広布の青春 何と尊き

 「日本の敗戦から二年後の夏八月。いまだ空襲の焼け野原が痛々しい東京・大田区の座談会で、永遠の師と仰ぐ戸田先生に、私はお会いすることができた。
 『いくつになったね』
 『十九歳です』 先生は旧知に向けた言葉で尋ねてくださった。

 じつは、先生は事前に、地域の方から、私のことをよく聞いておられた。
 兄を戦争で亡くしたことも、家を空襲で焼かれたことも、働いて父母を支えながら苦学していることも、ご存じであった。
 『わが地域には、こういう青年がいます』 と、戸田先生につないでくださった地元の方々のことが、感謝とともに偲ばれる」
  とあります。

 池田先生は戸田先生に、「正しい人生とは」・「ほんとうの愛国者とは」・「天皇をどうお考えですか」 等々のことを質問をなされました。
 戸田先生の回答は、簡明直裁であった。理論をもてあそぶような影は、さらさらなかった。
 池田先生は、―― なんと、話の早い人であろう。しかも、少しの迷いもない。この人の指導なら、自分は信じられそうだ。―― と思われました。

 池田先生は、意を決して 「先生、ありがとうございました。…… 先生が、青年らしく勉強し、実践してごらんと、おっしゃったことを信じて、先生について、勉強させていただきます。
 いま、感謝の微意を詩に託して、所懐とさせていただきたいと思います。下手な、即興詩ですが ……」 と、軽く眼を閉じ、朗々と誦しはじめた。

 旅びとよ  いづこより来り  いづこへ往かんとするか
 月は沈みぬ  日 いまだ昇らず
 夜明け前の混沌(カオス) に  光 もとめて  われ 進みゆく
 心の 暗雲をはらわんと  嵐に動かぬ大樹を求めて  われ 地より湧き出でんとするか


 「戸田は、この詩のの最後の一行を聞いた時、にこやかになっていた。
 山本は、仏法の 『地涌の菩薩』 という言葉など、知るはずもなかった。ただ、最後の一行は、戦後の焼け野原の大地のなかから、時が来ると、雄々しく、たくましく、名も知れぬ草木が生いしげり、緑の葉が萌えるのを見て、その生命力と大自然の不思議さを、なんとなく心に感じ、胸に抱いていたのをうたったのであった」
と述べられています。 (人間革命第2巻・地涌の章より)

 まだ、法華経を知らなかった池田先生が、不思議にも 「われ 地より湧き出でんとするか」 との句を詠じられたことは、内証においては、もうすでに 「地涌の菩薩」 の使命を感じられていた方だと思います。

 地涌の菩薩とは、法華経従地涌出品第十五にて、釈尊の滅後の弘通を勧める呼びかけに応じて、大地の底より湧き出でてきた菩薩たちである。神力品二十一において釈尊は、上行等の四菩薩を上首とする地涌の菩薩に、妙法蓮華経を付嘱し末法の弘通を託したのである。

 友人や地域の方々が、末法弘通の使命のある池田青年を、戸田先生に会せよう・会せようとされていたことも、何か不思議な諸天のはたらきの様なものを感ぜざるを得ません。

 この座談会の日より十日後、昭和22年8月24日・池田先生は入信なされました。
 また、日蓮大聖人が、「立正安国論」を提出し、国家諫暁を行われた文応元年7月16日は、ユリウス暦では、1260年の8月24日に当たっている。これも不思議な時の一致である。

 以上のように、入信の時のことだけでも、池田先生は、並の尋常な方ではないのである。その実績は、未だかって誰人たりとも成し得なかった、世界192ヶ国まで妙法の広宣流布を拡大し、仏教史上に燦然と輝く大偉業を成し遂げられました、広布の指導者であり、我われの仏道の師匠であります。

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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