友岡氏の講演から

 先月の25日に、関西池田記念会館を訪問しました。受付のガードはなかなか固かったんですが、幸いにも友岡雅弥氏にお会いすることが出来ました。友岡氏は 「ブッダは歩む・ブッダは語る」 等々の本をお出しになっている仏教学者で、いろいろお話をお聞きすることができ幸運でした。

 帰宅し暫らくしてから、友岡氏のことをもっと知ろうと思って、氏のお名前をネットで検索したところ、「大聖人は血脈否定論者だった」 という講演の文がありました。そこで、その文の冒頭のところを引用させて頂きます。

 〔大聖人は「血脈」否定論者だった〕
 以前は、出版物の最終チェックは、全て日蓮正宗がやってたんです。何故かて言うと、それは、日本の宗教団体ていうのは、全部、坊さんに「教義解釈権」があるんです。これが日本の宗教の風習やったんです。
普通は正しい事を知ってる人間が説くんですけど、日本の場合は、やっぱり江戸時代の封建檀家制度で、坊さん以外は教学を説いてはいけなかった。
一般信徒が説くときも坊さんと違うことを言ってはいけなかった。

 この事件 (編者注:第2次宗門問題) が起って、『最初から悪いてわかってたら、言うてくれたらいいのに。今頃になってそんな事言うのおかしいし』 という人もおるんですけど、実はそういう事だったんですね。
 教義解釈権が向こうにありましたので、全ての文書に関して向こうが最終にチェックしてたんですね。
 「唯授一人血脈付法 」 は、大聖人の御書にはひとつも載ってないんですよ。実は、御書には、2箇所だけ出てくるけど、それは有名な 「百六箇抄」 と 「本因妙抄」 の “小さい字の所” ね。有名な、後の時代に付け加えた偽物の所でね。あそこにしかない言葉なんですね、これをやっと言えるようになったんですが。


 以上の文を読みまして、坊さんに 「教義解釈権」 があったなんて、今まで知りませんでした。それで池田先生の教学部大会での講義に、いちゃもんを付けてきたことも理解できます。
 戦後の自由主義の時代、国権の検閲を思わせるようなことが、旧仏教界に罷り通っているなんて、早くこの悪弊は打破しなければならないと思います。
 それには民衆が・信者たちが、賢くなり、偽物に騙されないようにしなければなりません。

 12月の本部幹部会において、正木理事長は 「なぜ偽物にだまされるのか。…… より本質的には、本物をよく知らないがゆえに、偽物にだまされてしまう」 と。
 「C作戦」、「あれは決して宗門と学会の分離などではありません。その本質は、まさに 『師弟の分離作戦』 であった。
 また、日蓮門下の歴史にあって、現実の上で御書の通りの大難を受け、かつ、世界広布を実現した人は誰か。それは創価三代のの師弟、なかんずく池田先生以外には断じておりません。この正しい師匠の存在こそ、学会と宗門を決定的に隔てる信心の違いをもたらし、広布拡大の実践を生んだ生命線であります」
と述べられています。

 日顕が学会に 「破門通告書」 を送りつけてきた 「魂の独立」 から20年、宗門は信徒数を2%に減らし、学会は世界192ヶ国まで広布拡大を成し遂げました。正・邪の判定は歴然であります。

 日蓮大聖人は、「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(404P) と。
 「伝教大師は 『法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す』 等云云、文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり」(1439P) と仰せです。

 この 「法華経の心」・「法華経の精神」・「皆成仏道の信心」 を、正しく教えてくださるのは、池田大作先生であり・創価学会しかないと云うことを断言するものであります。

 友岡雅弥氏の講演 → ここから
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人生の総仕上げ

 聖教新聞連載中の 「新・人間革命・共戦の章」 は、昭和52年の時の山口県指導が載っています。
 山口開拓指導 (昭和32年) から20年、共に戦った草創の同志も、大半の方々が六十代、七十代となり、人生の総仕上げの時代に入っていました。

 池田先生は、“総仕上げ” とは、いかなる生き方を意味するのかと仰せられ、指導されています。私も後期高齢者の仲間入りをし、人生の総仕上げの時に入りました。わが身につまされる問題で、感慨深く読ませて頂きました。そこで、抜粋ですが引用させて頂きます。

 「第一に、報恩感謝の思いで、命のある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完結させることです。正役職から退くことはあっても、信心には引退も、卒業もありません。“去って去らず” です。
 そうでなければ、これまでの決意も誓いも、人にも訴えてきたことも、結局は、すべて嘘になってしまう。後退の姿を見れば、多くの後輩が失望し、落胆します。そして、それは、仏法への不信の因にもなっていきます。
 『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136P) と大聖人が仰せのように、最後まで、いよいよ信心の炎を燃え上がらせていくんです」
 (聖教・新人間革命25巻・共戦28)

 先生は 「正役職から退くことはあっても、信心には引退も、卒業もありません。“去って去らず” です」 と仰せです。私は正役職を退いていて、電話の数は極端に少なくなり、下手をすると連絡もなく、置いてけぼりを食らうことになります。
 “去って去らず” は当方の決意次第であり、「幹部だった人は、終生、同志の生き方の手本となっていく使命と責任があるんです」 とのご指導を、肝に命ずべきであると決意します。

 ある草創の高齢の同志の亡くなるお姿をとおして、 (詳しくは聖教新聞へ)
 「息絶える瞬間まで、法を説き、唱題し抜こうとする様子を聞き、私は感動しました。仏を見る思いがしました。まさに、広宣流布に生き抜いた、荘厳な、美しい夕日のような、人生の終幕といえるでしょう。
 そこに待っているのは、美しき旭日のごとき、金色に包まれた未来世の幕開けです。生命は永遠なんです」
 (同・共戦29)
 この様な素晴らしい臨終を迎えたいと思います。
 
池田先生は、「日蓮大聖人は、『須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んのみこそ今生人界の思出なるべき』(467P) と言われています。つまり、一心に唱題と折伏に励み抜いていくことこそ、人間として生まれてきた、今世の最高の思い出となると、御断言になっているんです。
 私たちは、人間として生まれたからこそ、題目を唱え、人に仏法を語ることができる。
 一生成仏の千載一遇のチャンスを得たということです。ゆえに、地涌の菩薩として、今世の使命を果たし抜いていくんです」
 (同・共戦30) と、ご指導されています。

 日蓮大聖人は 「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(1173P) と仰せです。
 本当の幸福は、「心の財(たから)」 を積んでいくなかにこそあるのだと、“一生成仏” の大切さを改めて確認しました。

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真言密教

 真言宗のことを、密教とも云う。密教とは秘密仏教ということで、真言宗は顕教・密教という二教の経判を立て、大日経は法身の大日如来が説いた真実の秘密の教えである故に 「密教」 という。
 他経の法華経等は応身仏の他受用身の所説の法で、顕わに説かれた浅い教の 「顕教」 であるとの邪義を立てている。しかし、大日経等の真言の三部経は、仏の 「四十余年未顕真実」 の中の経教である。

 日蓮大聖人は、「抑(そもそも)大日の三部を密説と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密(おんみつ)の密なるか微密(みみつ)の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭(こ)むるは微密なり、二には疵(きず)・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成(しじょう)と説く故に長寿を隠し二乗を隔(へだ)つる故に記小(きしょう)為(な)し、此の二は教法の心髄・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり」(144P) と。 (記小…二乗作仏) 
 また、「真言の高祖・竜樹菩薩・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず」(145P) と仰せです。

 そもそも、真言の三部経 (大日経・金剛頂経・蘇悉地経) を密教と云い、その外の法華経等を顕教と云うことは、釈尊の金言・経文には無いのである。自分勝手に称している邪義なのである。
 
 次に密教の密は、隠密(おんみつ) の密なるか、微密(みみつ) の密なるかと問いかけられています。
 「微密」 とは、微妙秘密のことで、微妙、深遠で外からは容易に分からないということで、微密は金銀などを蔵に秘蔵することに譬えられる。故に、微密は法華経を指すのである。

 「隠密」 とは、物事を人に知られないように覆い隠す意味で、疵や欠点を隠し、教説などの文に仏の本意を隠して示さないことを云う。すなわち、真言密教は隠密なのである。
 その訳は、始成正覚を説く故に、寿量品の久遠実成を隠し、二乗を弾呵する故に、記小(二乗作仏) すなわち、成仏の法理である一念三千の理は、説かれて無いのである。この法華経の久遠実成と二乗作仏は、「教法の心髄・文義の綱骨なり」 とまで仰せられています。

 そうであるのに、真言宗は 「理同事勝」 の邪義を構え、有りもしない 「即身成仏」 を、さも有るように大日経などで説いて、衆生を惑わせ・誑(たぶら)かしているだけで、成仏の実質が伴っていない 「有名無実」 の論理なのである。

 密教はインドにおいて、ヒンズー教・バラモン教の神秘主義・呪術的な加持祈祷の作法を取り入れた。その結果、仏教は本来、神秘主義でも呪術主義でもなく、自分自身が修行をして仏果を成ずるという修行法なのに、僧侶や能力者に祈祷して貰って功徳を得させようとする密教は、仏教をはなはだ不合理な、ご都合主義的な、いい加減なものに貶(おとし)めてしまったのである。

 真言宗の説く即身成仏は、手に 「印契」 を結び、口に 「真言」 を唱え、心が三昧に住することで、身口意の三業において、行者と仏が一体になるとしている。しかし、それはあくまでも象徴のレベルに過ぎない。ただ主観的に成仏したと主張しているだけで、客観的・理論的・現実的な裏付けは何もないのである。
 
 そのような真言密教のいう即身成仏は、「神がかり」 などの没我状態と同列の主観的な神秘体験の一種であり、自己の向上と完成を目指し、生命境涯の根本的変革を意味する、仏教本来の 「即身成仏」 とは、似て非なるのもである。

 日蓮大聖人は、「真言師等の所談の即身成仏は譬えば窮人(ぐうにん)の妄(みだ)りに帝王と号して自ら誅滅(ちゅうめつ)を取るが如し、王莽(おうもう)・趙高(ちょうこう)の輩外(ほか)に求む可からず今の真言家なり」(1027P) また、「真言は亡国の悪法」(173p) と厳しく破折なされています。

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如来秘密 神通之力

 法華経の秘密は 『如来寿量品第十六』 に、「如来秘密 神通之力」(如来の秘密・神通の力) とあります。本当の如来秘密は、法華経のみにあるのです。
 その外の文証は、
 「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り」(292P)
 「故に天台の云く二乗根敗す之を名けて毒と為す、今経に記(き)を得る即ち是れ毒を変じて薬と為す、論に云く余経は秘密に非ず法華は是れ秘密なり」(984P)
 等々、数多くあります。

 如来の秘密について、『三大秘法抄』 に、
 「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す、又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す、仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」(1022P) と仰せです。

 「三身」 とは、法身・報身・応身の三種の仏身を云います。
 爾前経では、「法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」(198P) と云われるように、三身が別々に説かれました(秘)。
 法華経にきて初めて、一身に三身を具し、かつ三身の無始・無終(常住)が説かれました(密)。
 また、「四十余年・未顕真実」 とあるように、仏は四十二年間、法華経を説かず(秘)。
 「唯仏与仏・乃能究尽・諸法実相」(唯、仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり) とあるように、仏のみが諸法の実相を知っている(密)、 のである。
 以上のことは、釈迦仏法(文上) の所談である。

 日蓮仏法(文底) では 『御義口伝』 に、「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり」(760P) と仰せられ、御本尊のことを指し示している。

 すなわち、如来秘密は、中央の 「南無妙法蓮華経 日蓮」 を現わし、神通之力は、「左右の十界三千の姿」 を現わしているのである。
 『諸法実相抄』 に、「如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」(1358P) と仰せられ、本体及び心具の十界三千は、ともに日蓮大聖人の 「一身の当体」 であり、即・「三大秘法の大御本尊」 を現わしているのであります。

 池田先生は、「如来秘密神通之力」 を、南無妙法蓮華経(文底) から読まれて、次のように講義をなされました。
 南無妙法蓮華経を悟った境地こそ、あらゆる仏の本地です。その生命自体が、仏の本体であり、本仏なのです。
 南無妙法蓮華経の仏すなわち、「南無妙法蓮華経如来」 が文底の 「本仏」 なのです。
 この 「南無妙法蓮華経如来」 が文底の 「如来秘密」 となります。そして、久遠実成の仏による永遠の衆生救済の働きも、南無妙法蓮華経の働きととらえられます。これが、文底の 「神通之力」 です。
 したがって、文底では、南無妙法蓮華経が本仏であるのに対して、釈迦・多宝などの一切の諸仏は、南無妙法蓮華経の働きを表した迹仏となります。

 この文底の法門がなぜ大切なのでしょうか。
 それは、あらゆる仏を仏にした根源の一法、すなわち南無妙法蓮華経が明かされない限り、現実の凡夫が成仏する道が開けないからです。
 「凡夫の成仏」 こそ寿量品の核心です。
 寿量品一品の内容を示した 「如来秘密神通之力」 とは、“凡夫成仏の道” を指し示しているのです。
 (小冊子・方便品寿量品講義②・45P)

 『御義口伝』 に、「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり」(753P) と仰せです。

 大聖人は、即身成仏と開覚することを如来秘密神通之力と云うのである。すなわち成仏すること以外に、神通も秘密もあり得ないのである。このように成仏は、大御本尊に南無する “信の一字” をもって成就することができると仰せです。

 池田先生は、「人間の生命ほど不思議なものはない。尊いものもありません。凡夫がその身そのままで成仏できる。平凡な人間であっても、仏と同じように生命の奥底から満足しきった幸福境涯を確立できる。これ以上の秘密はない。神通之力はありません。
 あらゆる人々に、最高の幸福境涯を満喫させる力 ―― これが仏の 『如来秘密神通之力』 です。いわば 『全人類の境涯を高める力』 です。
 そして、これこそが、御本尊の偉大な功力なのです」
 (同書・51P) と指導されています。

 追記:「別釈」があります。

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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