戸田先生の悟り (1)(はじめに)

 戸田先生の 「生命論」 を述べるにあたって、『人間革命第四巻』 の 「生命の庭」 の章から、池田先生の文章を引用させて頂きました。
 そこには、生命論にいたるまでには、その前に深い “発想の場” があり、デカルト(フランスの哲学者・1596~1650) の哲理の 「私は考える、故に私はある」 にいたるまでの発想の場と、戸田先生のそれとを対比して論じられています。
 ここでは、デカルトについては述べませんので、詳しくは 『人間革命第四巻・生命の庭』 を繙(ひもと)いてください。
 
 この 「生命の庭」 の章の前半部分には、戸田先生の 「獄中の悟達」 について述べられています。仏法の 「悟り」 というものが、どの様なものであるのでしょうか これまた、非常に貴重な示唆に富んだものであります。
 このように重要な、戸田先生の 「悟り」 という精神的・内面的な事がらについて、私ごとき無智な者が、軽々に ブログなどに取り上げることに対して、やってよいのかと躊躇(ちゅうちょ)するものがあります。

 しかし、戸田先生が、ご自身の貴重なる体験を 『人間革命(妙悟空著)』 に発表されてから約60年、池田先生も50年になろうとしています。もうすでに、公表されている事がらでありますから、本質的に逸脱しなければ、許されるものであると思いました。
 
 それにもまして、戦後の日本国民は幸福なるものを、己心の外の外面的・物質的なものに求め、内なる精神的・宗教的なるものを求めようとはせず、あまつさえ、蔑視(べっし)し・蔑(ないがし)ろにしてきたのである。
 その結果が、今日に見る “いじめ・親子殺し・自殺・災害” 等となって、殺伐とした見るも無残な世相の姿である。

 なかには、否 そうではない。戦後、信教の自由が保障され、有名な神社仏閣は大いに繁盛している、という方々もおられるでしょう。しかし、では、そのなかで本当に信仰している人が何人おるのでしょうか。殆んど観光客なのであります。
 このような現状のなかで、“悟りや成仏” という仏教の根本思想や課題に、少しでも関心を持つことは重要なことであり、これが縁となって 「三大秘法の大御本尊」 に、お会いすることが出来ますように願うものである。

 ひるがえって、我が人生にとって一番大事な宗教(妙法)を信ぜずして、悪口・罵詈(めり)し、あまつさえ、邪教の神社仏閣に詣でることは、法華経に云く 「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」(29P) 等の 『立正安国論』 の誡文に迷うことになるのである。

 関連記事 “立正安国論” ―→ ここから

 「獄中の悟達」 と称されるように、戸田先生の悟りは牢獄の中でありました。
 それは、わが国が無謀にも太平洋戦争に突入すると、軍事国家は挙国一致のため国家神道を、思想・宗教・言論統制の支柱とし、国民に神社参拝と神札の護持を強要した。
 戦争反対を唱え、神札の受取りを拒否したが故に、“創価教育学会” は弾圧され、昭和18年7月6日、“治安維持法違反” と “不敬罪の容疑” で、牧口会長・戸田理事長以下二十数名が逮捕・投獄されて、学会は壊滅的打撃を受けた事件がありました。

 戸田先生は、大正九年・牧口先生とお会いし師弟の縁を結ばれました。昭和18年の大弾圧の時も、牧口先生に随って獄に下られ、お二人して、最期まで信仰を貫き通したのである。
 獄中において、宅下げした 『日蓮宗聖典』 が、不思議にもまた戻ってきたとき、戸田先生は、これは何か意味があるのだ と感じられ、「よし 読もう 読み切って見せる 法華経を読むんだ と決意しました。
 
 その時の “獄中のエピソード” ―→ ここから
関連記事

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

戸田先生の悟り (2)(一回目の悟り)

 戸田先生の 「獄中の悟達」 は、二つあります。
 一回目は、昭和19年3月初旬、開経である 「無量義経徳行品第一」 を読まれていたとき、
 二回目は、同年11月中旬、「法華経従地涌出品第十五」 を読まれて、地涌の菩薩の自覚に立たれました。

 『無量義経徳行品第一』 に、仏の 「其の身」 について説かれた偈(げ) があり、この偈(韻文の形で述べたもの) の部分が、十二行からなり、「……に非ず」 という否定が、三十四もある。何とも、思議し難い経文である。

 それは 「其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種種の色に非ず」 という経文であります。

 戸田先生は、昭和19年元旦を期して、毎日 『日蓮宗聖典』 のなかの白文の法華経を読むことと、日に一万遍以上の題目をあげることを実践し、寒い二か月間で3回読破し、4回目に入った三月初旬。

 戸田城聖は、いまは前三回の時のように、気楽に読みながすことはできなかった。彼の日々の唱題と、いまは法華経を身で読みきろうというすさまじいばかりの気迫が、彼をいつか踏みとどまらせていたのである。
 彼は思った。
 ―― 三十四の 「非」 は、形容ではない。厳として実在する、あるものを解きあかそうとしているのだ。しかし、その実在は、有るのでもない。無いのでもない。…… 四角でもなく、丸くもなく、短くもなく、長くもない、という。…… 動くのでもなく、転がるのでもなく、じっと静かだというのでもない。…… まるで判じものだが、いったいなんだというのだろう。いま、自分に解かっていることは、このような判じものの表現をとらなければ説きあかすことのできない、ある偉大な、眼にうつらない実在が、厳としてあるということである。……
 ………
 戸田城聖は、この十二行の偈を心から納得したいと願った。さもなければ、もう一歩も先へ進まぬと決めた。彼は、法華経に対して背水の陣を張ったのである。その決意は、いわゆる観念の決意ではない。生命の対決であった。
 ………
 彼は、この十二行の意味するものの、確実な実体が存在することを、直観せざるをえなかった。
 彼は唱題を重ねっていった。そして、ただひたすらに、その実体に迫っていった。三十四の 「非」 を一つ一つ思いうかべながら、その三十四の否定のうえに、なおかつ厳として存在する、その実体はいったい何か、と深い深い思索にはいっていた。時間の経過も意識にない。いま、どこにいるかも忘れてしまった。
 彼は突然、あっと息をのんだ。 ――「生命」 という言葉が、脳裏にひらめいたのである。
 彼はその一瞬、不可解な十二行を読みきった。

 
 「生命」 は有に非ず亦無に非ず
 因に非ず縁に非ず自他に非ず
 方に非ず円に非ず短長に非ず
 …………………………………
 紅に非ず紫種種の色に非ず

 
 ―― ここの 「其の身」 とは、まさしく 「生命」 のことではないか。知ってみれば、なんの不可解なことがあるものか。仏とは生命のことなんだ 
 ―― 仏とは生命なんだ 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ
 
 
 戸田先生は、劣悪な極寒の獄舎にあって、命を賭(と)して “仏の本体・本質” ともいうべきものを、解き放し明らかにしてくださいました。このことについて、池田先生は引き続き、次のように述べられています。

 戸田城聖のこの時の悟達の一瞬は、将来、世界の哲学を変貌(へんぼう)せしむるに足る、一瞬であったといってよい。それは、歳月の急速な流れと共に、やがて明らかにされていくにちがいない。
 この折の、彼の明晰(めいせき)な悟達は、仏法を見事に現代に蘇(よみがえ)らせ、近代科学に優に伍して遜色(そんしょく)のないものとした、といえよう。そして、仏法に鮮明な性格と、現代的な理解とを与えたのである。いや、そればかりではない。日蓮大聖人の生命哲学を、あらゆる古今の哲学のうえに位置せしめた、記念すべき強力な発条(ばね)であったというべきではなかろうか。
 法華経には 「生命」 という直截な、なまの言葉はない。それを戸田は、不可解な十二行に秘沈されてきたものが、じつは真の生命それ自体であることを、つきとめたのである。
   (文庫人間革命第四巻・14~19P抜粋)
関連記事

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

戸田先生の悟り (3)(二回目の悟り)

 その後も、戸田先生はさらに法華経を読み進めました。少なくとも文々句々については、殆んど理解できるまでになりました。
 しかし、ここで戸田先生は、法華経に対して、第二の疑問を懐くようになった。それは、釈迦はいったい法華経二十八品で、何を説きあかしたかったのであろう、という根本的な疑問がおきたのであった。
 先生の頭は、寝ても覚めても、法華経の真理とは何か、具体的に何か、と問いつづけていて、かってない苦悩におそわれたのであります。 

 十一月中旬、元旦から決意した唱題は、すでに二百万遍になろうとしていた。
 そのようなある朝、彼は小窓から射しこむ朝日を浴びて、澄みきった空に、澄みきった声で、朗々と題目をあげていた。
 彼は、何を考えていたのだろう。何も考えていなかった。…… あえていうならば、ここ数日、再三読みかえしている法華経の従地涌出品第十五だけが、頭の片隅に残っていた。
 ………
 ―― 是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて、下より発来せり。一一の菩薩、皆是れ、大衆の唱導の首なり。各六万恒河沙等の眷属を将(ひき) いたり。況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや。況や ……

 彼は自然の思いのうちに、いつか虚空にあった。数かぎりない、六万恒河沙の大衆の中にあって、金色燦然たる大御本尊に向かって合掌している、彼自身を発見したのである。
 夢でもない、幻でもなかった。それは、数秒であったようにも、数分であったようにも、また数時間であったようにも思われた。はじめて知った現実であった。喜悦が全身を走り、―― これは嘘ではない、おれは今ここにいる と、自分で自分に叫ぼうとした。

 彼は一瞬、茫然となった。両眼からは熱い涙が溢れてならなかった。彼は眼鏡をはずして、タオルで抑えたが、堰を切った涙はとめどもなかった。おののく歓喜に全生命をふるわせていた。
 彼は涙のなかで、「霊山一会、厳然未散」 という言葉を、ありありと身で読んだのである。彼は何を見、何を知ったというのであろう。 

 ―― 此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり ……

 ―― あの六万恒河沙の中の大衆の一人は、この私であった。まさしく上首は、日蓮大聖人であったはずだ。なんという荘厳にして、鮮明な、久遠の儀式であったことか。してみれば、おれは確かに地涌の菩薩であったのだ 
 ………
 ―― よろしい、これでおれの一生は決まった。きょうの日を忘れまい。この尊い大法を流布して、おれは生涯を終わるのだd 
 
 彼は同時に、わが使命をも自覚したのである。そして、来し方を思い、はるかな未来を望みながら、彼はいま四十五歳であることを念(おも)った。
 …… 孔子が生涯をかえりみて、弟子のために、年齢と思想との理想的な調和を十年単位で説いた図式が、念頭に浮かんだ。
 ―― 四十ニシテ惑ハズ、五十ニシテ天命ヲ知ル。
 四十五歳の彼は、そのどちらでもない。しかし、いまの彼は、この二つを一時に知覚したのである。
 彼は大股に歩きまわりながら、なにものかに向かって叫んだ。
 
 「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先だつこと五年にして天命を知りたり」 (文庫人間革命第4巻・21~24P)
 
 戸田先生の 「獄中の悟達」 は、先生ご自身の広布の使命と優れた資質によることは当然でありますが、それだけでは無くそれ以上に、牧口先生との共同作業、すなわち、「師弟不二の戦い」 の結果であると思っています。

 獄中の悟達の日は、何時だろうかと思い人間革命を見ますと、“十一月中旬”、“唱題が二百万遍” になろうとしていた、“そのようなある朝” とだけしか書かれていません。そこで、僭越なことでありますが、私の考えを述べさせて頂きます。

 「師弟不二の悟達」 であるならば、それは 「11月18日の朝6時」 ごろ、牧口先生のご逝去と時を同じくしていたのではないかと思われます。
 なぜ、そのように思うかといえば、昭和21年11月17日、牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は、次のように述べられています。 

 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで 『在在諸仏土・常与師俱生』 と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながら身読することができました。何たる幸せでございましょうか」 と、報恩感謝の言葉を述べられております。  (文庫人間革命第2巻・86P)

 “牢獄まで連れていってくださった。お供した” と言うことは、「師弟不二」 のお姿・以外の何ものでもないと思います。「師弟不二」 ならば、「生死不二」 であるはずです。
 「妙は死・法は生なり」(1336P) と。妙法即生死です。師匠の牧口先生は 「死」 を表し、弟子の戸田先生は 「生」 を表しています。これまた、明暗同時・「師弟不二の成仏」 であると思っています。

 日蓮大聖人は、「生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」(1504P) と仰せです。「生」 と 「死」 というかたちは違っていても、師弟共々に、虚空会の久遠の儀式に参列し、金色燦然たる大御本尊に向かって合掌して、霊山一会、厳然未散という言葉を、ありありと身で読んだのであります。

 牧口先生の時代は、折伏は価値論から入り、御本尊を最高価値としたものの、帰納的な価値論の思考から、なかなか抜けきらないでいました。牧口先生は、それ故に “学会は発迹顕本しなければならない・発迹顕本しなければならない” と、常々仰せられていたそうです。
 
 戸田先生の 「われ地涌の菩薩なり」 との悟達は、それはそのまま創価学会の 「発迹顕本」 であり、牧口先生の願い通りの質的転換というべきものがなされたと思います。
 戸田先生の 「獄中の悟達」 によって、学会創立記念日の 「11月18日」 は、学会総体として 「地涌の菩薩の使命」 に目覚めた 「創価学会・原点の日」 となったのであります。
関連記事

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

板御本尊(1)

 去る9月16日、関西交流に参加し、関西池田記念会館の 「九州兄弟会勤行会」 に出席しました。
 担当幹部として東京より、池田博正副理事長がご出席してくださいました。

 建物は、言うまでもなく立派なもので、エスカレーターで大広間まで上られ、内部は椅子席でした。
 お仏壇は金色に輝いていて、御本尊は板御本尊でした。創価学会の会館で、板御本尊を拝したのは初めてでした。黒漆の板面に、金色の文字が浮かび上がるように輝いて見えました。

 聞くところによると、この御本尊は、戸田先生が請願なされ、日昇上人より御下付された、「創価学会常住」 の御本尊とのことである。かかる御本尊を、おりおり拝することができる関西の同志は、幸せだなぁ! と思いました。 (注…追記)
 そこで、この 「創価学会常住」 の御本尊について、「人間革命」 に記載されていることを、思いだし繙いてみました。

 戸田城聖先生は、昭和26年5月3日、創価学会第二代会長に就任なされました。
 就任式の席上、先生は烈々たる気迫のご決意を披歴なされています。

 「私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます!
 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。…… もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は品川の沖に投げ捨てなさい!よろしいいか!」

 最後の言葉は短かった。だが、戸田の火を吐く烈日の気迫は、聞くものすべての肺腑を打たずにおかなかった。   (文庫人間革命第5巻・51P)

 戸田先生は出獄されたその日から、創価学会の再建のために、獅子奮迅の活動をなされました。だが、敗戦下の多くの新興宗教の急激な発展に比して、正法受持の学会の活動が、じつは空転しているのではないかと思われてならなかった。
 先生は、生き生きとした組織の構築のために、何が必要なのか、何かが欠けている。その欠けているものの本質はなんであろうか、と深く反省なされました。その果てに、一切の方法論を、ひとまず捨てて、そして、鋭い洞察の下に、次のように結論いたしました。
 
 ―― 人びとの心は、いつか形式面にとらわれ、現象面を追って右往左往してしまう。われわれの組織は妙法のそれである。妙法流布の組織である以上、組織の中心軸は、いうまでもなく純粋無垢な信心でしかない。―― そう思いいたると、彼はこれまでの学会に欠けていたものこそ、この御本尊に他ならぬと悟ったのである。創価学会に、金剛不壊の大車軸としての御本尊のご安置がなくして、妙法の組織が生命の力をもつはずがない。
 そこで彼は、推戴式の席上、すでに提案していた学会常住の御本尊が下賜されるための請願書の作成を、心をこめて急いだ。

 
      請 願 書
 顧みますれば、昭和三年入信、昭和五年初代会長牧口常三郎、創価学会建設以来、大御本尊の慈悲をこうむる身となりました。私共同志は只々広宣流布を念願して参りまして、牧口会長、大御本尊に身を奉るの日には会いましたが、未だ広宣流布の大願は程遠く、思いをこがして七年になりました。
 大聖人宗旨御建立七百年を明年にひかえまして、去る五月三日に戸田城聖が第二代の会長の任をとり、不思議の因縁をもちまして、戸田会長の下に集う同志は五千を数うるに至りました。
 時あたかも、東洋あげての大動乱の現実に当面し、つらつら私共愚かな心にて、宗祖大聖人の御予言を立正安国論等にて拝し奉るに、遂に一国大折伏の時期到来せりと考えざるを得ないので御座います。
 この時に当たり、私共謹んで仏勅を奉じ、広宣流布実現に身命を賭せんと深く期する処であります。
 御法主上人猊下におかれましては、右(上) の真情を嘉せられ、大折伏大願成就の為の大御本尊を賜りますよう、創価学会の総意を以て誓願申し上げます。
                                 創価学会
                                   会長 戸 田 城 聖
  日蓮正宗総本山
    法主上人猊下
     昭和二十六年五月十二日 願之
 

 この請願書は、創価学会創立いらい、じつに二十一年目のことである。ここに、ようやくさまざまの苦闘の足跡を経て、広宣流布大願成就のための大御本尊の請願となったのだ。すなわち、創価学会の発迹顕本の晴れ姿なのである。戸田城聖の 「広宣流布は、おれがやる!」 という堅い決意と、もはや一歩も退くことのできぬところまできた彼の使命の自覚が、如実にこの請願書にこめられていたといえよう。
 この日、彼は、ある知人に歌をおくっている。


  春の花 秋の紅葉も なにかせん
      広宣流布に われは往くなり
     

 この御本尊の脇書きには、 向かって右の方に 大法弘通慈折広宣流布大願成就 とあり、左の方に 創価学会常住 とお認めの御本尊である。  (同5巻・71~74P)

 この 「広宣流布大願成就」 の御本尊を根本とし、一致団結して、戸田先生の御指導を仰ぎ広宣流布に邁進した結果、先生の願業であらせられる “七十五万世帯” を達成し、世界広布の道を大きく開くことができました。


 *追記
 私の早とちりで、関西の御本尊を 「創価学会常住」 の御本尊と申し上げましたが、関西にも日昇上人御下付の 「関西本部安置」 の御本尊があります。ゆえに、この御本尊のご謹刻の板御本尊であると思いますので、この点、訂正させて頂きます。

 池田先生は、昭和三十一年一月四日、はじめて関西本部を訪問なされ、関西本部の 「所願成就」 の御本尊に深く御祈念なされました。 「人間革命」 に次のようにあります。

 「この御本尊様は、すごい御本尊様です」
 彼はまた眼を御本尊様に移しながら、一語一語区切りながらつづけた。
 「大法興隆所願成就 ―― まさしく関西に大法が興隆して、一切の願いが成就するとお認めになっている。すごい御本尊様です。これで、こんどの関西の戦いは勝った!」 
 ………
 たしかに、向かって右の中央に 大法興隆所願成就とある。そして左の肩に 授与之創価学会関西本部安置 願主戸田城聖とある、
 御本尊様です。  (文庫人間革命第10巻・12P)

 つきましては、この御本尊の御下付された趣旨は、戸田先生の 「請願書」 に尽きると思いますので、上段の記事は、そのまま、利用させて頂きます。
 ご迷惑をおかけして、真に済みませんでした。
関連記事

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR