「青年学会 勝利の年」を思う

 「青年学会 勝利の年」明けましておめでとうございます。本年も “創価随想” を宜しくお願い申し上げます。
 本年は世界広布の本陣である、総本部が完成します。その大勝利に相応しい戦いが、北九州市議選・東京都議選・参議院選であると思います。わが北九州市議選の大勝利をもって、その突破口を開きたいと思います。
 
 池田先生は、聖教新聞の元旦第2部で、“勇気” の大切さについて述べられています。

 勇気は 生命の太陽なり。
 ゆえに我らは 新たな一年も 勇気に燃えて生き抜く!
 これが一番 幸福になりゆく道であるからだ。
 
 勇気の光がなければ 不幸の闇は打ち破れない。
 勇気の熱がなければ 冷酷な世は凍えてしまう。

 わが創価の丈夫たちよ!
 君が一人立ち上がれば そこから 蘇生の夜明けが始まる。……

 
 大白蓮華の巻頭言には、“新年の歌” が掲載されていました。そして、“祈り” について、三つの指針を示してくださっています。
 
  元初より 誓いし我らの この一年  勝利の大城 厳と築けや
 わが師・戸田城聖先生は言われた。
 「題目は、個人の悩みから社会や人類の課題まで、一切を打開していける大良薬である。信心で勝つと決めて祈り抜くのだ。題目は無限の勇気である」 と。 

 我らの祈りは、「人間革命の祈り」 である。
 人や周囲が変わってくれるのを待つのではない。強盛な一念で自分自身が変わり、その波動を広げるのだ。
 我らの祈りは、「自他共の幸福の祈り」 である。
 あの友も、この友も、共々に仏の生命を開きながら、絶対に幸福をつかんでいくための原動力なのだ。
 我らの祈りは、「誓願の祈り」 である。
 広宣流布の大願へ、拡大と勝利を誓い、自ら行動を起こし、実現していくのだ。ここに地涌の菩薩の誉れがある。

 
 我らの信心修行の要点である、“勇気と祈り” ついて指導されています。
 また、大白の企画 「本門の陣列は立つ!」 の証言者のなかに、旧知の方の名があると、“先輩もお元気で活躍されているのだなぁ!” と、懐かしく想われます。
 先月号のなかに、山田光子さんが載っていました。山田さんは、北九州で女子部の幹部として、第一線で戦われた方であります。その証言のなかに、信心のポイントとも言うべきものがあると思いますので、ご紹介させて頂きます。
 
 ◆証言(山田光子さん)
 “昭和25年から26年にかけて戸田先生の事業が最も大変だった時に一人、池田先生が師匠を守られた場面が綴られている第4巻に、「この期間の秘史のなかに、今日の創価学会発展と存在との真の要因があったといえよう」 とありますが、その 「秘史」 について、さらに綴っていただけるのでしょうか” と――。学会を発展させた 「秘史」 を学びたかったのです。

 先生は短く、「それは、あなた自身の人間革命なんだよ」 と。

 ハッと胸を突かれました。学会発展の 「秘史」 は、ほかでもない私たち一人一人の人間革命、境涯革命にある、成長にある。そう先生は教えてくださいました。小説 『人間革命』 は、私たち弟子のために書かれていたのです。
  (大白2012-12月・21P)

 ここには、“学会発展の 「秘史」 は、私たち一人一人の人間革命にある” とのことです。この 「秘史」 を 「勝利」 と置き換えても、意は通ずるものと思います。
 「青年学会 勝利の年」 も、わが身に当てはめなければ、ただ単なるスローガンに終わってしまいます。その成否は、じつに我が身の 「人間革命」 にあるわけです。人間革命した姿をもって、お応えする決意であります。
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法華経の心(1)(南無妙法蓮華経)

 前の 「戸田先生の悟り(11)」 のところで、チヨット触れましたが、「法華経の心」 を知って行ずるのと、知らずして行ずるのとでは、大きな差が出るのである。

 日蓮大聖人は、「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(404P) と仰せです。爾前の経の利益のなかには、成仏の利益はありません。しからば、成仏ができないとなれば大問題である。
 したがって、「法華経の心」 を知るとは、どういうことなのか、考えてみたいと思いました。

 「法華経の心」 の “心” とは、精神・心髄・肝要・肝心・根本・原点等々に約されると思います。要するに法華経は、何を言わんとしているのか、何を説き伝えたいのか、と言うことであろうと思います。
 そのように考えて、まず思いついたのが 「南無妙法蓮華経」 という一法であります。そこで日蓮大聖人は、どの様に仰せられているのかと思い、御書を繙いてみました。

 『曽谷入道殿御返事』 に、「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり」(1058P)
 『報恩抄』 に、 「如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復・一切経の肝心・一切の諸仏・菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり」(324P)・ 「問うて云く汝が心如何答う南無妙法蓮華経肝心なり」(325P)
 上記のように、「南無妙法蓮華経」 の一法こそが、法華経の “心” であり “肝心” であると仰せであります。

 『秋元御書』 に、「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072P) と仰せです。
 また、日寛上人は、「種子を覚知するを作仏と名づくるなり」(三重秘伝抄) と、この 「南無妙法蓮華経の種子」 を覚知して、わが身が 「一念三千の当体」、すなわち、仏なりと覚知することが成仏であります。
 “三世十方の仏” と言えば、釈尊は当然のこと、竜樹・天親・天台・伝教等すべての仏菩薩たちは、みな 「南無妙法蓮華経」 を 「種」 として仏になったのである。

 かかる大事な、三世諸仏の能生の根源である 「南無妙法蓮華経」 ではあるが、法華経一部・八巻・二十八品の中には、文上の字面のどこを探しても説かれてないのである。それは 「文の底」 に秘し沈められていたのである。
 『開目抄』 に、 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(189P) と仰せになっています。

 では、竜樹・天台は知っていながら、なぜ説かなかったと言えば、「答えて曰く、一には自身堪えざるが故に、二には所被の機無きが故に、三には仏より譲り与えられざるが故に、四には時来らざるが故なり」(1028P) という訳なのであります。

 釈尊はご自身が成仏した本因を、ただ 「我本行菩薩道」 としか明かさず、如何なる仏に会い、如何なる法を修業したのか、そのことの答えは、末法の仏である日蓮大聖人に譲られたのである。
 『三大秘法禀承事』 に、「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし) かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」(1023P) と仰せになられています。

 しこうして、日蓮大聖人は、法華経寿量品の文の底より 「南無妙法蓮華経」 という “根源の一法” を取り出だして、末法の我ら衆生に与えてくださいました。これによって、初めて 「万人成仏」 の道が開かれたのである。

 法華経の会座は 「二処三会」 もあり、登場する仏菩薩も多く、それらの説話は多くの話題を提供し、説話文学論や芸術論として、数多くの論者から讃嘆されています。(二処とは霊鷲山と虚空。三会とは前霊鷲山会・虚空会・後霊鷲山会のこと)
 しかし、幾ら法華経を読み讃嘆しようとも、寿量品の文の底に秘し沈めてある 「南無妙法蓮華経」 が解からなければ、伝教大師のいうように 「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」(1439P) ということになります。

 したがって、三大秘法の 「南無妙法蓮華経」 を信じ、唱題に励む創価学会員は 「法華経の心」 を知っている正信の方々であります。 
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法華経の心(2)(御本尊)

 次に、法華経は何を、言わんとしているのかと言えば、それは 「三大秘法の御本尊」 のことであると思います。
 法華経ほど釈尊の滅後のことを、それも正法・像法よりも末法のことに、心をくだかれた経典はありません。
 
 『観心本尊抄』 に、涅槃経に云く 「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て心則ち偏に重きが如し」…… 然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり。(253P) と仰せです。

 末法の衆生は、「本未有善(本と未だ善有らず)」 の者で、“貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)” の三毒(むさぼり・いかり・おろか)熾盛(しじょう)の荒凡夫ばかりである。かかる極重病人を、仏は大慈悲心をもって救わんとなされましたが、如何せん、釈迦仏法は 「本已有善(本と已に善有り)」 の衆生を、得脱(成仏)させるための 「脱益(だっちゃく)仏法」 なのである。 
 「脱益」 とは、過去に仏道修行してきた善根のある衆生のみを、得脱させる役目だけの教法である。ゆえに、釈尊と縁のない末法の衆生は救えないのである。

 『法華取要抄』 に 「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、…… 安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり、滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり」(333P) と仰せの通りです。
 
 したがって、法華経は在世の衆生のためと言うより、滅後・末法の衆生のため、なかんずく日蓮大聖人のために説かれたと言えるのである。
 そこで釈尊は、末法の衆生を救うべき 「久遠の仏」 と 「久遠の法」 を、法華経のなかの文の底に秘し沈めて、末法の教主・日蓮大聖人に譲り渡したのである。

 その付嘱ための荘厳なる儀式が、見宝塔品の 「虚空会の儀式」 であります。そこには、巨大な七宝の塔があり、大地より涌出して空中に住在し、その中より多宝如来が 「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」 と証明した。
 引きつづき、宝塔の中へ釈迦・多宝の二仏が並坐(びょうざ) し、諸の天・人・迹化の大衆も皆虚空に置いて説法が始まります。
 
 『見宝塔品第十一』 に、「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏の前に於いて 自ら誓言を説け …… 当に大願を発(おこ) して 久しく住することを得せしむべし」 とあります。

 釈尊のこのような弘経の呼びかけは、数品にわたり再三再四要請されています。これに応えて迹化の菩薩たちは、「六難九易」(宝塔品)「三類の強敵」(勧持品) が競い起っても、そのなかで耐えて、法華経を弘通するという誓願を立てた。

 しかし釈尊は、迹化の菩薩たちの誓願を 「止みね善男子」(涌出品) と退け、自分には久遠からの弟子がいると言って 「地涌の菩薩」 を大地の底から呼び出します。
 この 「地涌の菩薩」 の出現に驚いた迹化たちの疑念を代表して、弥勒菩薩が 「若し此の経に於いて 疑いを生じて信ぜざること有らん者は 即ち当に悪道に堕つべし 願わくば今為に解説したまえ 是の無量の菩薩をば 如何にしてか少時に於いて 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる」(涌出品) と、滅後・末法の衆生のために、説法を請うたのである。

 この請いを受けて説かれたのが、『如来寿量品第十六』 である。ここでは、釈尊の本地が明かされるのである。
 「我成仏してより已来(このかた)、甚(はなは) だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」 と説き、「五百塵点劫」 という久遠より、すでに成仏していたのだと、“本果(仏界)の常住” が明かされます。
 「是れより来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」 と、仏の “本国土は娑婆世界” であると宣言されます。
 「我本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」 と、“本因(九界)の常住” もあわせて明かされます。このことを 「三妙合論」 と言います。

 釈尊は寿量品で明かされた法華経の肝要を 「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の藏、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」(神力品) と、「四句の要法」 に結んで、地涌の菩薩の上首・上行菩薩に付嘱されました。(結要付嘱)
 この 「四句の要法」 は、文底より拝すれば 「三大秘法」 になります。
 
 日蓮大聖人は、外用・上行菩薩の再誕として付嘱を受けられ、末法の教主として決起なされました。
 「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし) かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承(ぼんじょう) に芥爾(けに) 計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」 
 「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」(1023P)
 と仰せです。

 大聖人は大慈悲を起こして、この三大秘法を含めたる法華経の中より 「妙法五字の珠」 を取り出だして、末法の衆生のために大難を忍んで、「十界の文字曼荼羅御本尊」 を御図顕してくださいました。

 以上の流れを見てみますと、「法華経」 とは、御本仏・日蓮大聖人が、末法に出現するという予言書なのである。
 また、釈尊の説かれた荘厳なる 「虚空会の儀式」 は、御本尊のお姿を描き顕わしている設計図なのである。
 そして、天台大師の三大部(法華文句・法華玄義・摩訶止観)の 「十如実相・一念三千論」 は、御本尊のことの説明書であります。

 『顕仏未来記』 に 法華経の第七に云く 「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(505P) と仰せです。
 釈尊が・天台が・伝教が・三世十方の仏菩薩たちが、共に 「令法久住」 を願い、護り念じてきたものは 「三大秘法の大御本尊」 であります。
 
 たとえ、“南無妙法蓮華経” と唱えていても、この 「十界の文字曼荼羅御本尊」 が解からない・信じられなければ、それは 「法華経の心」 を死(ころ) すものとなるのであります。 
 その点、御本尊を信じ、朝夕の勤行を実践し、学会活動に励んでいる創価学会員は、自身の自覚が有ろうが無かろうが、基本的に 「法華経の心」 を知る “地涌の菩薩” であります。

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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