法華経の心(6)(広宣流布)

 「法華経の心」 について、釈尊は何のために、法を説いたのかを知らなければならないと思う。それは、一切衆生の救済のためであります。
 釈尊の 「四門出遊」 の説話にあるように、人生には 「生・老・病・死」(四苦)という、誰人にとっても逃れることのできない、本源的な苦しみがあります。この四苦からの解放・救済を目指したのが仏教である。
 
 釈尊は数多くの経文を説かれましたが、その中で真実・最高の経典である、『法華経方便品第二』 に 「一大事因縁」 という教えが説かれています。
 そこには 「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に、…… 衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、…… 衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、…… 衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」 とあります。
 仏がこの世に出現した目的は、衆生の生命に内在する仏知見を、“開かしめ・示し・悟らしめ・入らしめん” がためであるというのである。
 同じく 『方便品』 に、「欲令一切衆 如我等無異」(一切の衆をして 我が如くして異なること無からしめんと欲しき) とあります。
 これも同じく、仏が御自身と等しい境地にまで、一切衆生を導くことが目的であると言っています。

 『崇峻天皇御書』 に、「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(1173P) と仰せです。衆生を救う方法には、
 第一に、“蔵の財” 即ち、物質的な物や金銭を与えること、これは一時的なものである。
 第二に、“身の財” 即ち、教育を施して知識や技術を身につけさせること、これは前者よりも長期的に救うことができる。
 第三に、“心の財” 即ち、己身の生命次元からの改革である。凡夫の煩悩に覆われた無明の心を、仏の法性の心へと変革する戦いである。即ち人間革命である。これは永続性があり、根本的な救済方法なのであります。
 ゆえに、仏は一切衆生の救済のために、法華経の 「広宣流布」 を願われたのである。

 『波木井三郎殿御返事』 に、仏記して云く 「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布し閻浮提に於いて断絶せしむること無けん」 等云云、天台記して云く 「後の五百歳遠く妙道に沾(うるお)わん」 等云云、伝教大師記して云く 「正像稍(やや)過ぎ已つて末法太(はなは)だ近きに有り 法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」 等云云、此れ等の経釈は末法の始を指し示すなり(1372P) と仰せです。
 「末法の始」 とは、広宣流布の時である。釈尊を初め天台大師・伝教大師・三世十方の諸仏までも、みな 「令法久住(法をして久しく住せしめん)」(宝塔品) を念じ、末法の始めを願行したのである。

 日蓮大聖人は、「御義口伝に云く大願とは法華弘通なり」(736P) と、
 『報恩抄』 に、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(329P) と仰せです。
 
 大聖人の御心は、「広宣流布」 にあります。この御精神を持して広宣流布に邁進している教団は、創価学会のみであり、その指導者は、池田大作先生であります。
 池田先生は、ありのままの凡夫が、奧底の一念を 「広宣流布」 に向けることによって、生命の基底部が仏界になっていくと、次のように指導されています。

 名誉会長 そのためには、広宣流布への強き責任感に立つことだ。
 「だれかがやるだろう」 とか、「何とかなるだろう」 という、いいかげんな気持ちが一念にあれば、自分で自分の仏界を傷つけるようなものだ。
 たとえば今月の予定・スケジュールが決まる。それをただ手帳に書いているだけなら、自分の一念の中に入っていかない。なすべきことを全部、自分の一念の中に入れていくことです。入れていけば、それが祈りとなっていく。一念三千で、勝利の方向へ、勝利の方向へと全宇宙が回転していく。
 自分の魂の中、一念の中に、「広宣流布」 を入れていくのです。一切の 「我が同志」 を入れていくのです。広宣流布を祈り、創価学会の繁栄を祈り、我が同志の幸福を祈り、行動するのです。それが広宣流布の大闘士です。
 悪人は 「悪鬼入其身(悪鬼其の身に入る)」(勧持品) だが、その反対に、いわば 「仏(ほとけ)入其身」 とならねばならない。
 広宣流布こそ仏の 「毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)」(寿量品) です。この一念をともにしていこうとするとき、仏界が躍動し、はじめて真の十界互具・一念三千となっていく。
 凡夫の九界の身に、御本仏の生命がわいてくる。十界互具です。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(790P) です。
 “億劫の辛労” です。広宣流布のために、極限までの辛労を尽くしてこそ、仏界は太陽のごとく輝いていく。この御文にこそ、十界互具の要諦があるのです。 
(法華経の智慧第四巻・295P)

 まさに、仏の大願たる 「広宣流布」 こそ、「法華経の心」 であります。広宣流布に反対しその破壊を企てる者は、「其人命終 入阿鼻獄」(其の人命終して 阿鼻獄に入らん)(譬喩品) の人に当たるのであります。
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会い難き御本尊 (1)(五老僧は本尊が解らなかった)

 前の 「法華経の心(2)」 のところで、いくら法華経を読んでいても、日蓮大聖人の御図顕された “三大秘法の御本尊” がわからなければ、「法華経の心」 を知ったことにはならないと申し上げました。
 それについて、かつて “五老僧は御本尊のことがわからなかった” という文を、読んだことを思い出し捜してみました。それは 『人間革命第7巻』 の 〔原点の章〕 にありました。そこのところを引用させて頂きます。
 
 戸田先生は 「方便品・寿量品講義」 の後で、質問会を催されました。
 そのとき一人の壮年が、“『富士一跡門徒存知の事』 のなかに、五老僧たちが御本尊を、非常にお粗末にしているとあります。大聖人様は、御本尊を大事にされていますのに、五老僧とまで言われる方が、どうして御本尊をお粗末に扱ったのか、それが私には、どうしてもわからないのですが?” という質問であります。
 大聖人御在生の時、高弟六人を定めました。日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六人(六老僧)です。五老僧とは、第二祖・日興上人以外の五人を言います。

 『富士一跡門徒存知の事』 には、本尊の事について次のようにあります。
 一、五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を崇(あが) め奉る可しとて既に立てたり、随つて弟子檀那等の中にも造立供養の御書之れ在りと云云、而る間・盛に堂舎を造り或は一躰を安置し或は普賢文殊を脇士とす、仍(よ) つて聖人御筆の本尊に於ては彼の仏像の後面に懸(か) け奉り又は堂舎の廊(ほそどの) に之を捨て置く。(1605P)
 一、上の如く一同に此の本尊を忽緒(こっしょ) し奉るの間・或は曼荼羅なりと云つて死人を覆(おお) うて葬る輩も有り、或は又沽却(こきゃく) する族も有り、此くの如く軽賎(きょうせん) する間・多分は以て失せ畢(おわ) んぬ。(1606P)
  (忽緒……軽んずる ・ 沽却……売り払う)

 五老僧のこのような御本尊を拝する姿勢は、何たることでしょうか。惨憺(さんたん)たる状態です。
 戸田先生は、上記の質問に次のように答えられています。

 「第一に、五人は大聖人様のお傍での給仕が足りなかったのです。故に師弟としての深い境地の一致に欠けるところがあった。みんな大聖人様に心服して、南無妙法蓮華経を弘めにかかりましたが、いつもお傍で本当のことを聞く時間が足りなかった。これが一つ。
 それから、大聖人様の仏法の行き方を、お傍ですっかり見なかったからわからない。なぜならば、第一番に大聖人様が仰せになったのは、南無妙法蓮華経だけなんです。しかし、南無妙法蓮華経を言われるまえに、法華経、法華経とおっしゃっておられた。これも教相と観心の問題ですが、五人は教相の面において服していた。みんなそのころの学者の通例なのです。法華経ということは知っていたが、南無妙法蓮華経の真実はわかっていなかったのです。
 大聖人様は、まず南無妙法蓮華経ということを沁(し)みこませようとなされた。それから佐渡へおいでになってから、御本尊のご出現となる。そこで、佐渡以後の本尊建立ついては、五老僧はさっぱりわからないのですよ。
 ですから、御本尊とはどういうものか、どれほどのものかということは、常随給仕と申しましてね、ずっと傍について離れなかった、御開山日興上人しかわからなかったのです。御本尊に関しては、厳密にいうと、唯授一人と申しまして、ただ一人にしかわからぬことなのです」

 
 回答は明確であったが、問題は極めて微妙なところにさしかかった。…… そして、現代と鎌倉時代とを思いくらべながら話を続けていった。

 「あの当時は、今のように交通機関も発達していませんから、大聖人の指導というものも、伝えにくい時代であった。ともかく南無妙法蓮華経なんて聞いたこともない時代です。そういう時代の人びとですから、南無妙法蓮華経とわかっただけでも感心と思いますね。
 それで、ともかく五人は地方在住の棟梁(とうりょう)でした。ところが、ただ南無妙法蓮華経だけ覚えて、御本尊を覚えないでしまった。それだから、日興上人はお叱りなったのです。『南無妙法蓮華経がわかったら、御本尊がわからない理由はないではないか』 と。
 あのころの宗教の風習として、人が死んだら、阿弥陀とか大日如来などを棺(ひつぎ)の中に入れてやるのです。それで、大聖人様の御本尊も平気で棺の中に入れちゃったのでしょう。まったく愚かな、困った弟子たちです。
 そこで日興上人から 『もったいない、御本尊を全部集めなさい』 という命令が出されて、御本尊を集めたのです。
 こんなわけで、五老僧というのは、題目論はわかったが、本尊論がわからなかったのです。ここに三重秘伝の奥義がある。いま、学会で日寛上人の 『三重秘伝抄』 をやかましく勉強させているのは、このためなのです。五老僧は日興上人に叱られたのであって、なにも反対していたのではない。『五人所破抄』 の御文は、そういうふうに読まなければならんのです。
 まァ、こういうわけです。どうです、納得しましたか。……」 
(文庫人間革命第7巻・117∼120P)

 五老僧は、お題目を唱えなければならないことは解かったが、大聖人御図顕の御本尊と爾前経の画像・彫像の仏像との判別・勝劣が解からなかったのである。すなわち、大聖人の下種仏法と釈迦・天台の熟・脱益仏法の違いが解からず、大聖人は 「釈迦の法華経」 を身読し、それを再び末法に於いて、弘通しておるのだという位の認識しかなかったのである。

 その故か、五老僧は大聖人御入滅後、すぐさま “われわれは天台沙門だ” と言い出したのである。
 この点に関しては、次の人の質問の回答で、天台沙門と名のった経緯が述べられています。ここのところで、大事なことも指導されていますので、ぜひ 「人間革命第7巻・原点の章」 の質問会の続きをお読みください。

 五老僧ともあろう高弟からして、日蓮大聖人の出世の本懐たる 三大秘法の 「文字曼荼羅本尊」 が解からなかったのである。それほど大聖人の仏法は、釈迦仏法の範囲・概念を超えた、画期的・革新的な法門で、凡人の想像を絶するものがあるのである。

 ただ一人、日興上人のみ、大聖人の正義を受け継ぎ、御本尊についても、「日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」(1606P) と決定なされております。 
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会い難き御本尊 (2)(信徒たちも理解できなかった)

 日蓮門下の高弟たる五老僧からして、御本尊のことが解からなかったと申し上げました。今回は在家の信徒について、その点を見てみたいと思います。

 御書を繙(ひもと)いて見ますと、富木常忍殿や四条金吾殿に与えられた御書に、釈迦の仏像を造立したという御書があります。入信以来、釈迦仏法は時に合わず謗法になると教えられてきましたから、何か腑(ふ)に落ちず違和感がありました。その仏像造立の御書を書き出してみます。
 
 真間釈迦仏御供養逐状(950P)     文永七年(1270年)九月  富木常忍  佐渡以前
 四条金吾釈迦仏供養事(1144P)    建治二年(1276年)七月  四条金吾  佐渡以後
 日眼女造立釈迦仏供養事(1187P)  弘安二年(1279年)二月  日眼女     〃
 四菩薩造立抄(987P)           弘安二年(1279年)五月  富木常忍    〃

 「佐前佐後」 という用語があります。佐渡流罪以前と佐渡流罪以後ということであります。
 『三沢抄』 に 「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(1489P) と仰せです。
 日蓮大聖人は、文永八年九月十二日、竜の口の法難で 「発迹顕本(垂迹を開いて本地を顕す)」 され、すなわち御本仏の生命を開顕なされました。それまでは、ただ題目の流布にとどまりましたが、佐渡以後は、御本仏として “御本尊の御図顕” とその流布につとめられました。

 したがって、富木殿・金吾殿は、誰よりもまっ先に御本尊を授与されていたと思います。ところが、佐渡以後においても、釈迦仏を造立したという報告があります。
 大聖人は、それらの造仏の報告を受けられて、「釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや」(950P) ・ 「釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり」(1187P) 等々、いずれも造仏を讃嘆されています。

 大聖人が、造仏を讃歎された理由について、第二十六世日寛上人は次のように述べられています。
 一には、一機一縁の為の故なり、謂(いわ)く、此等の造立は皆一体仏なり。開山釈して云く 「一体の形像豈(あに)頭陀(ずだ)の応身に非ずや」 と云云。 一宗弘教の初めであり、取捨宜しきにしたがわれた。
 二には、弥陀造仏に対する故なり。謂く、日本国中一同に弥陀を以て本尊と為す。然るにその中に希(まれ)に釈尊を造立す、猶(なお)、曇華(どんげ)の如し、豈(あに)讃歎せざるべけんや。 架空の阿弥陀仏を廃し、此土有縁の教主釈尊を立てることを讃嘆されました。
 三には、内証の観見に約す。謂く、宗祖の観見に約すれば、並びにこれ己心の一念三千即自受用身の仏なるが故なり。(文段集・531P) 大聖人のお心(内証)には、真実の仏と映ぜられたからである。

 『四菩薩造立抄』 のほうは、造仏した報告ではなく、「本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士(きょうじ)には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼(かね)て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何(いずれ)の時かと云云」(987P) とありますように、久成の釈尊と四菩薩がいつ出現されるのかと、大聖人にご質問申し上げたことが伺われます。
 前々から “久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には上行菩薩等の四菩薩を造立し奉る” と、再三お聞きしていたようです。
 御本尊を拝すれば、釈迦・多宝の二仏をはじめ、上行等の四菩薩が書き顕されております。この “造り奉り・造立し奉る” ということは、「十界の文字曼荼羅御本尊」 を書き顕すことを意味しております。
 
 富木殿は、曼荼羅の御本尊を拝しながら、“造り・造立” という言葉の故か、釈尊・その外の四菩薩の造立を、絵像・木像の仏像であると考えていたようです。
 富木殿に与えられた 『観心本尊抄』 に 「其の本尊の為体(ていたらく)本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居(こ)し …… 末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(247P) と仰せられていますように、御本尊の相貌(そうみょう)をお説きになっています。富木殿はそれが末法の本尊たる 三大秘法の 「本門の本尊」 であることが理解できなかったようであります。

 また、『諸法実相抄』 に 「日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗(ほぼ)ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先(まず)作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり、日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん」(1359P) と仰せです。

 日蓮大聖人は、「上行菩薩の弘め給うべき所の妙法」 と仰せのように、外用の辺は 「上行菩薩の再誕日蓮」 であり、内証の辺は 「久遠元初の自受用報身如来・即ち末法の御本仏」 であらせられます。
 この肝心のところが解からなかった富木殿は、日蓮大聖人を目の前にして、“上行菩薩(四菩薩)は何時出現するのでしょうか” と、お聞きしてしまったと思います。ましてや、末法の御本仏であらせられることなど、夢にも思われなかったことでしょう。

 これも止むを得ないことであると思います。今まで、本果妙の釈迦仏法しか知らない者に、急に本因妙の日蓮仏法を信受しなさいと言っても、それは無理な話です。
 当時の世の中は、信教の自由や人権思想など全く無い、封建時代であります。また、通信・交通機関も発達してなく、大聖人の御指導も伝え難く、広宣流布の困難な時代でありました。
 前掲のところで、戸田先生は 「第一に、五人は大聖人様のお傍での給仕が足りなかったのです」 と述べられていますように、高弟からして直接・大聖人にお会いすることすら、困難であったのである。

 そのほかにも、新しい概念を説明するには、既成の概念・言葉を使って説明するしか、方法はないわけです。
 たとえば、末法の 「仏」 の概念を説明するのに、大聖人は “教主釈尊” や “釈迦仏” という言葉を多用されています。
 当時の聴聞していた弟子・信徒たちは、皆それぞれ 「仏」 というイメージを、インド応誕の釈尊と受け取ってしまった。実は、それが大聖人様のことであるとは、夢にも思わなかったのである。

 佐渡期の 『生死一大事血脈抄』 に、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解(さと)りて ……」(1337P) との御金言があります。
 この御金言は、末法の御本仏・日蓮大聖人のことを 「久遠実成の釈尊」、南無妙法蓮華経の御本尊のことを 「皆成仏道の法華経」 と称して説かれています。この御書を正しく信解できたのは、当時・何人いたでしょうか。
 第二祖・日興上人以外は、皆無に等しかったのではないでしょうか。
 
 『総勘文抄』 に 「語(ことば)も只同じ語なり文字も異ること無し斯(こ)れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う」(560P) との重要な戒めの言葉があります。諸宗の元祖たちの陥った誤りが、ここに指摘されています。
 この権実の差別を分別するには、「法華経の心」 を会得した “正しい師” に随って教えを受けなければなりません。
 それには、『譬喩品第三』 に 「以信得入(信を以て入ることを得)」 とありますように、己心の智慧のみでは、法華経の極理は解からないからであります。

 日蓮大聖人が、末法の “御本仏” であり、法華経の説く “凡夫が仏” であるという仏法哲理や 「十界の文字曼荼羅御本尊」 を、一般大衆が信受できるまでには、立宗宣言(建長5年・1253年)から、じつに 約七百年の時の経過が必要であったのである。
 この妙法広宣流布の大事業は、歴代会長のご指導のもと、創価学会の出現によって、初めて実現されたのである。
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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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