A級戦犯問題

 A級戦犯とは、 ポツダム宣言に基づき、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、「平和に対する罪」 という新しい戦争犯罪の概念により、有罪判決を受けた者たちである。
 中国や韓国は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に、首相ほか国の公人が参拝することに、猛烈に反発し外交問題にまで発展している。これが 「A級戦犯問題」 である。

 1978年(昭和53年)10月、靖国神社は、A級戦犯を合祀しなければ、東京裁判史観を容認することになるからといって、すでに死亡していた14名を 「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として合祀に踏み切った。

 東京裁判の 「平和に対する罪」 は、それまでの国際法には無かったもので、事後法と言われるものである。
 ゆえに、インドのパール判事は、この裁判は法の不遡及の原則に反しているとして、被告人全員の無罪を主張したが、受け入れられなかった。ただ、そこには法の正義・法の真理を取り戻さなければならないという、判事の決意がうかがわれる。
 パール判事が、無罪を主張したからと言って、我が国が起こした太平洋戦争の行為を、いささかも肯定しているものではない。

 後日、パール博士が来日した時、「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ」 と述べています。
 勝者が敗者を裁くというものは、いかに法律的な装いをこらしても、所詮は、執念ぶかい復讐とならざるを得ないのである。

 このような問題点のある東京裁判の判決であるが、ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した我が国は、これに従わざるを得ないのである。
 また、サンフランシスコ平和条約において、東京裁判並びに国外の他のBC級戦犯の裁判を受諾した上で、講和条約を締結し、国際社会に復帰できたのである。この歴史的事実を、重く受け止めねばならない。
 いくら国内法で、戦争犯罪人の汚名が回復されたとしても、国際法上ではいまだ、そのままの状態であるという認識である。
 そのような現状のままで、A級戦犯を合祀している靖国神社に、一国の首相ほか国会議員が団体を組んでまで参拝するようなことは、はばからなければ、ならないのではないでしょうか。
 それは、サンフランシスコ平和条約の和解と信頼の精神によって、もたらされた戦後の国際社会秩序に、日本は不満なのかと受け取られる危険性があるのである。

 もともと靖国神社は、戦死者を祀ることになっていた筈である。合祀されたA級戦犯は、戦死者ではなく、刑死並びに勾留中に病死した人である。この点は、靖国神社の本来の趣旨に反することである。
 また、軍国主義国家の精神的支柱となり、そこへ合祀された人々を 「英霊」 と称えることで、戦争を正当化し、美化し、侵略戦争を 「聖戦」 とするための施設として発展してきたのである。

 このような問題のある施設に、その上にA級戦犯まで祀って崇め奉っているところに、慰霊に行くと言えば、直ちに靖国神社だと、無思考・無批判的に受け入れて参拝している。このことが、首相ほか国の指導者層にあるということは、いかに国家神道という邪教の病根の深さに憂慮するものがある。

 慰霊のためならば、政府主催の全国戦没者追悼式で十分である。その他、広島・長崎・沖縄等、各地でも行われている。
 靖国神社でなければならない必然性はない。それどころか靖国神社は、慰霊・追悼のところではない。そこは戦争を肯定・讃美し、戦死の将兵を神として顕彰するところである。顕彰するを慰霊と思う、はき違えてはならない。
 
 しかるに、慰霊・哀悼の誠をささげるといって、当然のように振る舞っている。このことは、次回また考えてみましょう。
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慰霊を考える

 慰霊とは、“死者の霊魂をなぐさめること” と、広辞苑にあった。

 始めに、お断わりしておきますが、仏教は俗にいう “霊魂” とか、“人だま” とか、そのようなものは認めておりません。
 仏教も、生命の永遠性は説いていますが、死後の生命については、有ると思えば、どこを捜しても無い。無いのかと言えば、縁にしたがって出てくる。何とも不思議な 「空」 という状態で存続すると説いている。
 また、御書にある 「日蓮がたましひ(魂)を……」(1124P) と仰せられているのは、“生命” の意味であります。    

 死後の生命の記事 ―→ ここから

 原始宗教は、みな霊の類いを説いている。神道も御多分に洩れず霊魂を認めています。そのなかで特に、戦死や横死など非業の死を遂げた者の怨みの怨霊を、鎮めるため(鎮魂)の祭祀を行った。
 平安朝時代、都に天変地異が起こったのは、筑紫に流された菅原道真、讃岐に流された崇徳上皇、朝敵として滅ぼされた平将門等の怨霊の “たたり” であると、人々から恐れられて、それが怨霊信仰となっていった。

 怨霊信仰は御霊信仰とも言われ、主に鎮魂を目的としていた。ゆえに戦死者の場合、昔はむしろ敵方の怨霊を恐れて、あつく弔ったのである。やがて、もう少し積極的になり招魂すなわち、死者の霊を招こうとすることになるのである。靖国神社の前身は東京招魂社である。この辺までは、慰霊・追悼の義が残っていた。

 ところが、靖国神社となってからは、戦死者を神様と祀り上げることによって、慰霊の情は吹っ飛んでしまった。そこにあるのは “あなた方は立派な神様になられて、おめでとうございます” という称讃の詞であり、軍神・英霊・御霊(みたま)とか言って、顕彰するところとなったのである。 
 したがって、顕彰に値する者は、錦の御旗を掲げた皇軍の兵士のみであり、賊軍である敵国の兵や自国民でも文民は除かれたのである。このように、同じ戦没者の霊にたいしても、差別し排除したのである。
 
 仏教の目からみれば、死んだら神様になるとか、仏様になるとか、そんなことは一切無いのである。ましてや、霊魂が靖国のやしろに在るとか、どこそこに眠って居るとか、その様なこと言うのは馬鹿げた話である。
 ただ、親族や関係者の心のなかに、懐かしさや悼みや悲しみの情としてあるのである。
 ゆえに、戦死者にとっては、靖国も何もないのである。慰霊も招魂も葬式等の死者にかかわる全てのものは、生者が生者のためにする営みである。
 
 そうであるならば、生者にとって 「慰霊」 とは、どのように考えれば良いのだろうか。前の広辞苑では “霊魂をなぐさめること” とある。
 慰めると言うならば、侵略を受けた関係諸国の感情を逆撫でにして、あえて波風を立ててまで、A級戦犯合祀の靖国神社に参拝することが、“なぐさめること” になるのであろうか? そうは思えないのである。

 私は、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれている 「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」 という碑文が、慰霊という言葉を端的に言い表していると思います。
 “安らかに眠ってください” と、死者を政治的に利用したり、それで問題を起こしてはならないのです。安らかにしてあげることである。
 “過ちは繰返しませぬから” と、戦死者は自身が、神として祀られることを願って死んだのではない。みんな家族や同胞の無事安穏を願い、戦争のない平和な国家・社会の出現を願って逝かれたのである。
 したがって、後に残った生者は “戦争という過ち” を絶対に繰り返してはならないのである。

 『人間革命』 の冒頭に 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」 と、戦争の実態を述べています。
 戦争の恐ろしさは、一たび起これば、第六天の魔王は権力の魔性を発揮し、特攻隊のように人間生命は手段化され、戦争のための道具や物に過ぎなくなる。さらに、虐殺・迫害・略奪・強姦など、有りとあらゆる極悪・非道が競い起って、残酷な悲惨な状況になるのである。その極みは原爆である。
 この戦争の真実の姿を知るならば、「お前の方が悪いのだ」 とか、「俺の方は正しい戦争だ」 とか、「誰がやった・誰にやられた」 とか、とやかく言うことよりも、もう二度と戦争は絶対に起こしません。“過ちは繰返しませぬから” という平和への決意と実践が、何よりも戦没者に対する 「真の慰霊」 になると信じます。

 したがって、国家神道の靖国神社への参拝は、戦争を美化し、肯定するところの軍国主義・国家主義への道に通ずるものであって、決して戦没者の “霊をなぐさめること” にはならないのである。
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靖国参拝は止めよう

 靖国神社問題について、何点か考えてみました。それで私は、“靖国参拝は止めるべきである” と思っています。靖国神社が、先の戦争で果たした役わりを考えれば、これを是認するようになる参拝は、厳に慎むべきであると思う。
 したがって、私は日蓮大聖人の教えを拝し、靖国神社・護国神社・国家神道を、亡国の悪法として謗法払いにするのが、最善の方法であると信じますが、現時点での実現は、はなはだ厳しい。時を待つべきのみか。

 次に、言いたいことは、“憲法に違反している” ことである。
 『日本国憲法第二十条』 に 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。…… 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」 と定めている。
 「国及びその機関」 には、総理大臣、その他の大臣、国会議員も含まれている。
 靖国神社は、墓地・供養塔・慰霊碑の類いではない。戦前、わが国の多数の戦死者を祀り、国教的地位を獲得し、国民を戦争へと駆り立てる精神的支柱の役割を果たした。
 戦後、侵略戦争の反省も何もない儘で、宗教法人になった靖国神社に、首相その他の公人が参拝することは、特定の宗教団体に国が関わることになり、憲法の禁ずる宗教的活動に該当し、「憲法違反」 になるのは当然のことである。
 各自が、それぞれの檀家寺や先祖の墓に参るのとは、訳が違うのである。

 『北条時宗への御状』 に、「諌臣(かんしん)国に在れば則ち其の国正しく争子(そうし)家に在れば則ち其の家直し、国家の安危は政道の直否に在り仏法の邪正は経文の明鏡に依る」(170P) と仰せです。 (争子=親の不徳・不義を諫める子)

 「国家の安危は政道の直否に在り」 と、憲法を順守しなければならない立場の行政の長からして、自ら意図的に憲法を破るとは、政道を曲げていることになり、国の前途を危うくするものである。
 慰霊と称して参拝している者は、自分は正しく、「憲法違反」 などしていないと思っているだけに、始末に負えない。
  
 その次に、中国や韓国が異議を唱えているのは、“A級戦犯が合祀されている” 点である。
 そうであるならば、A級戦犯の合祀を取り下げれば良いのである。しかし、靖国神社は一旦、合祀したものは取り下げや分祀はしないと言う。それは、A級戦犯はわが国のために戦った忠義の士であり、悪いことは何もしていない、無罪であると言っている。
 しからば、国家権力を用いて取り下げさせれば良いが、これも我が国は、信教の自由を保障している国であるが故に、一宗教団体の教義に首を突っ込めば、それこそ 「憲法違反」 である故に、これも出来ない。
 
 靖国神社の方は、東京裁判は勝者が敗者を裁いた偏向裁判だから、パール判事の全員無罪の意見書を、鬼の首でも取ったように誇っている。それでは、あれだけの悲惨な戦禍をもたらした太平洋戦争を指導した者たちは、誰ひとり罪もなく、責任もない。誰も責任を取ろうとする者もいない、と言うことになる。何だか、腑に落ちないものがある。
 
 なにゆえに、その様なことになるのかと言えば、戦争は国家の行為であり、個人の行為とは言えない。ゆえに、今までの戦争裁判で、個人の責任を追及された例は無かった(直接手を下した非人道的行為を除く)。そのかわりに、敗戦国は賠償金や領土の割譲を求められ、戦争責任の代償としたのである。

 このあいだの “世界ふしぎ発見” で、スリランカ特集があった。スリランカ人の回答者が、サンフランシスコ講和条約の時、真っ先に対日賠償請求を放棄したのは、スリランカであると語っていた。
 それはスリランカ代表が、釈尊の教えの 「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈愛によってのみ消え去るのである」 という、仏教の慈悲の精神を訴え、世界中の人々を感動させた。わが国は、賠償に苦しむことなく、急速に戦後復興を成し遂げることができた。
 この代表の話を、スリランカでは小学生以上は、みな知っているが、日本では誰も知らないと言っていた。恩を忘れることは、実に嘆かわしいことである。

 日中国交会談のとき、日本の田中首相は 「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」 と謝意を表したが、“ご迷惑” の解釈をめぐって、擦ったもんだの挙げ句に、「中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」 と表記された。
 中国の周総理は 「日本国民も共に軍国主義の犠牲者である」 と言われ、賠償請求を放棄して下さったのである。このようなわけで、A級戦犯のことも含めて、日中戦争の “責任と反省” のうえに、国交が回復されたのである。

 この基本的な事実関係を無視して、自民党の党三役の一幹部議員からして、“先の戦争は侵略戦争ではない、自衛戦争だ” という趣旨の発言をするとは、如何なものかと思う。
 また、安倍首相も 「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」 と公言している。
 戦争の犠牲者である一般の兵士と、戦争へ・亡国への道を切り開いた国の指導者を同列に論じ、“死ねばみんな罪は許されて、神様仏様となって尊崇を受けるのだ” と。 “これが日本の伝統だ、文化だ” と声高に叫んでも、こんな伝統文化は、諸外国に理解されることは無いであろう。

 今や、米国をはじめ世界の諸国は、わが国の 「憲法違反・A級戦犯合祀・歴史認識」 等の問題について、厳しい眼で見ているのである。
 したがって、近隣諸国との平和・友好と民衆の幸福を思えば、靖国神社の参拝は、直ちに中止すべきであると主張するものである。
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昭和天皇に学べ

 明治維新のときの倒幕運動で、尊皇攘夷論は偉大な力を発揮した。その過程に於ける戦で、戦い散った者を褒め称えるために、その霊を祭神として祀り、顕彰するための施設として、建設されたのが靖国神社である。
 ゆえに、“天皇主権国家” とその精神的支柱である “国家神道” と具体的施設である “靖国神社” は、本来、一体不二のものである。そこから、天皇と靖国神社は、切っても切れない縁があることが想起される。しかし、その天皇があることを境にして、参拝しなくなりました。それは、「A級戦犯の合祀」 以後である。

 昭和天皇は戦後、国家の命により戦死した者の霊をなぐさめる為に、1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年に計8度、靖国神社に参拝しました。だがしかし、1975年(昭和50年)11月21日を最後に、その後は参拝していません。今上天皇も行幸されていません。

 その理由は、1978年(昭和53年)10月17日に、A級戦犯が昭和殉難者として靖国神社に合祀されたことにあると言われていた。その後、富田メモ(元宮内庁長官・富田朝彦)が発見され、A級戦犯の合祀が天皇の参拝を妨げていることが明らかになった。富田メモには、

  「私は或る時にA級が合祀され
  その上松岡・白取までもが
  筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
  松平の子の今の宮司がどう考えたのか
  易々と
  松平は平和に強い考えがあったと思うのに
  親の心子知らずと思っている
  だから私あれ以来参拝していない
  それが私の心だ」


 松岡は、元・外務大臣の松岡洋右、日独伊三国同盟を締結し、白鳥と共に、戦争への道を開いた。
 白取は、元・駐イタリア大使の白鳥敏夫
 筑波は、1966年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった、宮司の筑波藤麿
 松平は、最後の宮内大臣で合祀に慎重であった、宮司の松平慶民
 松平の子は、長男でありA級戦犯を合祀した際の宮司だった、松平永芳

 靖国参拝を推進する面々は、この富田メモを “ねつ造だ・天皇のお心と違う・私的なメモを発表する事すらおかしい” 等々、とやかく批判しておるようであるが、私はこのメモが出ようが出まいが、有ろうが無かろうが、A級戦犯の合祀以後、昭和天皇が参拝していない事実の重みを、噛みしめなければならないと思います。

 昭和天皇は国の主権者として、先の戦争を阻止できなかったことに、悔恨の情を持たれ、深く反省なされていたと思われます。それは終戦直後、マッカーサー元帥との会見の時のお言葉に見ることができます。マッカーサーの回想記によれば、

 天皇は、「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」
 元帥は、「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」 と記されている。
 
 天皇は命乞いに来たのではなかった。軍部に踊らされていたご自分の責任を、自ら負おうとされる勇気に接して、マッカーサー元帥は、深く感動したのである。
 
 敗戦による国土の荒廃と人心の混乱により、当時、1000万人の餓死者が出るであろうと予測されていた。昭和天皇の国民を思いやる捨て身の会見は、その後、米国による大量の食糧援助となって、国民は本当に救われたのである。この歴史的事実と受けた御恩を、わが国民は決して忘れてはならない。

 『日本国憲法第一条』 に 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、……」 とあります。
 
 この 「日本国民統合の象徴」 であらせられる天皇が、御自ら “だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ” と仰せになられている。このご発言の重きことを考えれば、私は “昭和天皇の御心に学ぶべきである” と申し上げたいのであります。 
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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