トインビー対談

 きょう10月2日の 「世界平和に日」 の聖教新聞の一面トップは、「池田国際対話センター 設立20周年記念セミナー」 が盛大に開催されたと報じている。
 各国・各界を代表する識者約60人が出席。創立者・池田大作SGI会長は祝福の メッセージを贈り、同センターが文化・宗教・学問の分野を超えた対話の舞台となり、新しき生命 ルネサンスの光源になりゆくことを願った。
 そして、SGI会長の メッセージのなかに、トインビー博士との対談最終日の模様が述べられていますので、ご紹介したいと思います。(抜粋)

 20世紀から21世紀への大転換の20年、わがセンターは、「地球市民ネットワークの要たれ」 「『文明の対話』 の懸け橋たれ」 「『生命の世紀』を照らす灯台たれ」 との遠大な モットーを掲げて、一歩また一歩と前進してまいりました。……

 人類のために
 一、 発展しゆく、わがセンターの姿を、そして、きょうのこの晴れの集いを、ぜひとも、ご覧いただきたかったと思う先哲の一人が、イギリスの歴史家 アーノルド・トインビー博士であります。
 40年前(1973年)の 5月19日――。
 ロンドンの博士のご自宅にて、2年越しで続けてきた対談の最終日のことを、私は鮮烈に思い起こします。
 ちょうど、この日、ニュースでは、当時のソ連共産党のブレジネス書記長が西ドイツを訪問し、ブラント首相と会談したことが大きく報じられていました。その話題に及んだ時、トインビー博士は毅然と語られたのであります。

 「政治家同士の対談に比べ、私たちの対談は地味かもしれません。しかし、私たちの語らいは、後世の人類のためのものです。このような対話こそが、永遠の平和の道をつくるのです」 と。
 深い信念に満ちた凛乎(りんこ)とした声の響きを、私は忘れることができません。
 対談を終える際、博士は私の手を握りしめながら言われました。
 「私は、対話こそが、世界の諸文明、諸民族、諸宗教の融和に、極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください。ロシア人とも、アメリカ人とも、中国人とも……」

 この時、トインビー博士は 84歳。 私は 45歳。
 博士は慈父の如く、若い私に、人類の未来を開く 「文明の対話」 「民族の対話」 「宗教の対話」 のバトンを託してくださったのだと感じ取りました。
 (聖教・2013‐10‐2・3 面)

 その外に、お越しいただきたかった、もう一人の先哲として、経済学の巨人 ジョン・ガルブレイス博士を挙げられています。詳しくは聖教新聞へ。

 私はトインビー博士の “政治家同士の対談に比べ、私たちの対談は地味かもしれません。しかし、私たちの語らいは、後世の人類のためのものです。このような対話こそが、永遠の平和の道をつくるのです” とのご発言に、深く感動を覚えます。
 たしかに今、アメリカ・ボストン近郊の国際対話 センターで行われている記念 セミナーは、どの一般紙でも、一行も報道していません。ゆえに、聖教読者以外は、誰も知らないということです。
 しかし、博士より池田先生に託された 「平和への対話」 は、世界各地に於いて、着実にその成果を発揮しています。いまや SGI は、世界 192カ国までに、発展していることがそれを物語っています。
 池田先生は、対話について述べられています。

 名誉会長  どこまでも 「同じ志」 に立って、語りあうことです。
 次元は違うかもしれないが、「対話」 は善です。連帯を築き団結を創(つく)るからです。 「拒絶」 は悪です。分断を招き破壊をもたらすからです。まず会うこと、そして話すことです。相手と違う面があるのは当然です。 しかし、話し合えば、違いがあっても信頼が芽生える。 社会にあっても、対話は平和の礎(いしずえ)であり、拒絶は戦争の門です。
  (御書の世界第1巻・237P)
 
 ひるがえって、わが身に当てはめて考えれば、「平和への対話」 「文明間の対話」 と言っても、何も難しく考えることはありません。“対話は平和の礎” であれば、勇気をもって実践する以外にありません。
 我が本国土の地域の中で、一人ひとりの日常の振る舞い、そして友情と地道な対話を通して、「生命の尊厳」 への思いを高め合う中で、世界は平和へと一歩一歩前進していくのであります。
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法華経展

 10月1日、九州講堂で開催されている 「法華経 平和と共生のメッセージ展」 に行ってきました。
 会場は広々としていて、平日の昼間だったからか、あまり混んでなく、ゆっくり見学ができました。開催は14日までですので、混まないうちに、早く行かれることをお勧めします。

 会場に入って、直ぐ左手の “法華経流布のコーナー” は、インドから日本までの仏教正統の流れの歴史が、絵を描いたパネルで、簡潔に分かり易く説明されていました。

 “日蓮真蹟コーナー” では、国宝の 『立正安国論』『観心本尊抄』、重要文化財の 『妙一尼御前御消息』(冬は必ず春となるの事)の真筆の原寸大複製を展示、それから、日蓮所持の 『注法華経』(法華経の行間に、日蓮自ら経論の要文を二千百ヵ所、書き込む)の寿量品の冒頭のところが展示されていた。行間の注釈も漢文で書かれていましたが、私には読めませんでした。
 「安国論」 の本文中に使われている “国” の字は、はじめは普通の 「国」 が(11ヶ)、「國」 が(5ヶ)使っているのですが、だんだん 「★」(くにがまえに民)の字になって、全部で56カ所、約8割になるそうです。この 「★」 の文字も、分かり易く展示されています。
 大聖人は 「国」 の概念を、「王」 が支配する、「或」 は武力で守るところという意味から、「民」 即ち、民衆が生活している所であると考えられていた。これ即ち、庶民が主人であるという「主権在民」の思想であり、「立正安国論」は「世界最初の民主宣言書」であると言えます。

 “仏教経典コナー”では、サンスクリット語、その外多くの言語に訳され書写された、貴重な文献が数多く展示されている。発掘・発見された領域は、シルクロードと言われる広大な地域で、その中で法華経が一番多く、各民族間で信じられていた。パネルには、 
 無数の苦難を超えて 「法」 を運んだのは、「人」 であった。いずこにも素朴に幸福お求め、平和を求める民衆がいた。それらの人々の胸中を 「だれでも、今どんな状況にある人でも、必ず仏になれる」 と説く法華経は、太陽のごとく希望の光で満たしていった。その意味で 「法華経伝来の道」 は 「希望の伝来の道」 であった、 と。

 法華経を弘通したのは、王侯貴族や特権化した僧侶ではない。名もない一般庶民の在家の菩薩たちである。法を求める求道心を起こし、一切衆生救済の誓願を立て、法をして久住せしめんがために身を犠牲にして法を護ったのである。これらの在家の菩薩たちの尊い信心の戦いのお蔭であることを、ゆめゆめ忘れてはならない。

 日蓮大聖人の 『顕仏未来記』 の御予言を実証したのは、名もない庶民の 「創価学会」 である。決して宗門や僧侶ではないのである。ここのところを、はき違えてはならない。
 
 きょうの聖教新聞に、“世界広布の本陣 総本部が竣工”とあった。そして、引渡式が行われたとある。
 原田会長は総本部は、「1930年の創価学会の創立以来、83年にわたって民衆勝利の歴史を刻んできた一つの総決算」であり、「世界192カ国・地域の全メンバーの希望そのもの」であると力説。
 「総本部は、創価の新しい歴史を開く偉大な一歩である。ここから、世界の平和・文化・教育の興隆に、ますます貢献してまいりたい」と訴えた、
 とありました。
 総本部は、池田先生の御指導のもと、名もなき庶民が世界192カ国までに、妙法流布した大偉業の金字塔であると思う。そして21世紀の歴史を開く創価の新たな第一歩であると確信します。
 
 参考:仏教東漸の羅什・鑑真の戦い ―→ ここから 
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本部幹部会(一人立つ精神)

 きょうの聖教新聞に、「中国総会」 の意義を込めた 「新時代第68回本部幹部会」 が、広島池田平和記念会館で晴れやかに開催されたと報じています。
 来たる2014年のテーマは 『世界広布新時代 開幕の年』 と紹介された。

 また、小説 『新・人間革命』 の第27巻第1章を 「若芽(わかめ)」 の章として、10月21日から連載を再開すると発表された。
 先生は、「第1章は、1978年(昭和53年)の4月、東京創価小学校の開校のドラマから綴っていきます。…… 創価小学校の誕生をもって、幼稚園から大学までの創価一貫教育が完成した意義を記し留め、創立の月に牧口先生、戸田先生に捧げたいのです」 と仰っています。
 さらに、11月を 「世界広布新時代第1回」 として、新たに本部幹部会を行っていくことが発表されました。

 この幹部会の席上、先生からのメッセージが紹介されました。先生は 「一人立つ精神」 について指導なされていますので、ご紹介したいと思います。
 名誉会長のメッセージ (抜粋)

 我ら創価の原点があります。
 それは、初代・牧口常三郎先生と2代・戸田城聖先生が貫かれた、「一人立つ精神」 です。
 ………
 日蓮大聖人御自身が、日本国中から命を狙(ねら)われながらも、なぜ勝ち越えることができたのか。それは、「一人なれども心のつよき故なるべし」(1220P)、すなわち 「一人であっても心が強いからである」 と断言されております。
 この大聖人のお心に真っ直ぐに連なり、創価の師弟は、創立以来83年間、「一人立つ精神」 で、戦って、戦って、戦い抜いてきました。
 だからこそ、御聖訓通り、三類の強敵から迫害されても、絶対に負けなかったのであります。
 ………
 創価の偉大な父母(ちちはは)たちが、いかなる宿命の嵐も乗り越え、人々の幸福に、世界の平和に尽くしてきた歴史こそ、最も誇り高き 「人間革命」 の勝利劇であり、「生命尊厳」 の大証明なのであります。そして、この潮流を、今、21世紀を担い立つ青年たちが立派に受け継いでくれております。
 私は、皆さんと共に、声を大にして宣言したい。
 平和とは、「一人立つ精神」 の人材を拡大することなり、と。
 一人を励ませば、そこから 「希望」 が生まれます。
 一人を育てれば、そこから 「未来」 が開かれます。
 一人とつながれば、そこから 「平和」 が広がります。

 わが青年部スクラムに、世界の識者も絶大なる期待を寄せています。
 ………
 さあ、世界広布の新時代が開幕しました。
 「大法弘通」「慈折広宣流布」という創価の大願を高らかに掲げて、牧口先生の如く、戸田先生の如く、私と共に、新しい挑戦、新しい開拓闘争を開始しようではありませんか
 皆さん、体に気を付けて 悠々と、幸福の勝利者の道を歩み続けてください。
 どうか、お元気で
  (聖教・2013-10-7・3面)

 さあ 「11・18 創価学会創立の日・総本部落慶の日」 へ、新しい挑戦と開拓を開始しょう!!
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三重秘伝

 六巻抄と日寛上人について少々述べて見ましたが、その際 「三重秘伝抄」 については、日蓮仏法の奥義が説かれた書ですので、久しぶりに手に取ってみました。
 
 『三重秘伝抄』 は、日寛上人が 「開目抄」 を講義なされたとき、“文底秘沈” の句に至って、其の義甚だ深く、其の意は難解であると観じられた。故に、此の文を三段に分け、その義を十種の法門に開いて講義なされ、後継の弟子に仏法の奥義を教えられたのである。
 「此れは是れ偏(ひとえ)に法をして久住せしめんが為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云」(六巻抄・3P) と述べられ、日寛上人が三大秘法の広宣流布の大願を期せられて著した重書である。

 その 『開目抄』 の文は、「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」(189P) という御文です。
 
 御書の文中で、二行ばかりの短い語句でありますが、日蓮仏法にとって甚深の意義を明かした、重要な御金言であります。
 日寛上人は、この 「文」 を “標・釈・結” の三段に分ち、甚深の 「義」 を “十門” に開いて詳釈なされ、文底に秘し沈められた大法を明かされて、末法流布の大百法であることを示されました。

 「標」 とは、標題ということで 「一念三千の法門は」 のところになります。要するに、この御文では一念三千の法門がテーマになっている分けです。
 「釈」 とは、解釈ということで 「但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」 のところです。一念三千の法門を、どのような角度から論ずるのか、ということです。
 「結」 とは、結論ということで 「竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」 までの部分です。一念三千という標題を、解釈していって、そこから導き出される結論ということです。

 この御文の「釈」の部分を解釈すると、そこには三つの意味が含まれている。
 「釈の文に三意を含む、初めは権実相対・所謂 『但法華経』 の四字是なり、次は本迹相対・所謂 『本門寿量品』 の五字是なり。三は種脱相対・所謂 『文底秘沈』 の四字是なり。是れ即ち従浅至深して次第に之を判ず。
 ………
 応に知るべし、但法華経の但の字は是れ一字なりと雖(いえど)も、意は三段に冠(こう)むるなり。謂(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在りて分明なり」(六巻抄・12P)


 はじめに 「但法華経」 とありますが、何に対して 「但法華経」 かといえば、爾前・権経であり、法華経との比較相対でありますから、“権実相対” になります。
 次に、「本門寿量品の五字是なり」 ですが、これにも 「但」 の字がかかってきます。「但本門寿量品」 と読めば、法華経の中の迹門に対して、「但本門寿量品」 でありますから、これは “本迹相対” になります。
 さらに深く見れば、「文の底にしづめたり」 となります。これは寿量品の文上に対して、「但文の底」 という分けですから、“種脱相対” になります。
 この 「但」 の字は、一字でありますが「但法華経」「但本門寿量品」「但文の底」というように、三段階にかかってきます。このように、三重に亘って 「一念三千の秘法」 を解釈していますので、“三重秘伝”というのであります。

 「結」の部分は、「結とは是れ正像未弘を結す意は末法流布を顕わすなり、亦二意あり、初めに正法未弘を挙げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり」(六巻抄・12P) と仰せです。

 種脱相対して明かされた 「一念三千の法門」 は、正法・像法時代には未だ弘まらなかった、というのが結論である。しかし、その心は末法に広宣流布することを顕わしている。
 この “権実相対”“本迹相対”“種脱相対” の三つ相対はともに、正法時代には竜樹・天親さえも弘めていない。ゆえに 「正報未弘」 である。
 像法時代、天台大師は本迹相対までは宣べたが、種脱相対は、知っていたけれど懐にしまったままで、宣べなかった。ゆえに 「像法在懐」 という。
 では、“種脱相対” はどうなのかと言えば、それは末法に、日蓮大聖人によって流布される大白法であるというのが、「開目抄」の御文から読み取れる結論なのである。

 この三種の相対は、「一には爾前は当分・迹門は跨節(かせつ)なり是れ権実相対にして第一の法門なり、二には迹門は当分・本門は跨節なり是れ本迹相対にして第二の法門なり、三には脱益は当分・下種は跨節なり是れ種脱相対にして第三の法門なり、此れ即ち宗祖出世の本意なり故に日蓮が法門と云うなり、今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意此にあり」(六巻抄・13P) と仰せです。 (跨節…節を跨ぐ、更に深く一重立ち入った立場)

 以上のことを、図示すれば次のようになります。

 標……… 一念三千の法門

 釈……… 但法華経……………権実相対(第一法門)
       但本門寿量品………本迹相対(第二法門)
       但文底秘沈…………種脱相対(第三法門)

 結……… 正報未弘(竜樹・天親)……通じて三種を結し
       像法在懐(天台大師)……別して第三を結す……末法流布を顕わす  

 日蓮大聖人は、「開目抄」 で示された、権実相対を第一法門、本迹相対を第二法門、種脱相対を第三法門と名づけられ、此の 「第三法門の種脱相対」 にこそ “出世の本意” があり、故に “日蓮が法門” と仰せられています。 
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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