戸田先生の獄中闘争(3)(二撃)

 高輪警察署に留置されてから二週間経った七月二十日の朝、次に、桜田門と向き合っている警視庁の留置場へ移されました。
 九月初めのある日の午後、取調べが済んで留置場へ入ろうとして、入口へきた時、中から出てきた牧口先生に、一瞬顔を合わせることができました。
 途端に、『創価教育学体系』 の中の田辺寿利氏の序文の一節が、ありありと想い出されました。

 「…… 一小学校長たる ファーブルは昆虫研究のために黙々としてその一生をささげた。学問の国 フランスは、彼を フランスの誇りであるとし、親しく文部大臣をして駕(が)を枉(ま)げしめ、フランスの名に於て懇篤(こんとく)なる感謝の意を表せしめた。一小学校長たる牧口常三郎は、あらゆる迫害あらゆる苦難と闘いつつ、その貴重なる全生涯を費して、終に画期的なる 『創価教育学』 を完成した。文化の国日本は、如何なる方法によって、国の誇りなるこの偉大なる教育者を遇せんとするか ……」
 巌さんは薄縁の上に坐っていて烈しい憤怒に包まれ、逞(たくま)しい身体を震わせている。
 (日本は、偉大なる牧口会長に投獄をもって報いようとしている
 その日、牧口常三郎が同じ留置場にいることが判ったので、巌さんはおよその方角へ向かってそれからは朝夕に、心の内で挨拶をはじめた。
  (戸田・人間革命下・196P)

 それからは毎日、「私はまだ若い、先生は七十三歳でいらせられる。どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」 と大御本尊に祈りました。
 その後、ここの刑事室で、… 牧口会長が刑事の取調べを受けているとき、話は出来ないが、父親のような会長の顔を泌々(しみじみ)と見ていられることは筆紙に尽くせない嬉しさであった、… と述べられています。

 〔二回目の難〕
 牧口先生が、東京拘置所に移されてから半月ばかりして、十一月十一日の午後、秋の日が落ちて、市街に夕霧が漂いはじめた頃、戸田先生も、牧口先生の後を追って東京拘置所へ入られました。
 拘置所の独房に入れられて、五日目には本と布団の差入れがあった。六日目の朝、目を覚まして起きようとしたら、ちくり 尻を刺すものがあって、布団へ手をやってみると針であった。
 (酷(ひど)くあわてて布団を縫って、粗相(そそう)をしたんだろう ……)
 その針の先で、薬の包紙へ文字の穴を開け、今度は、楊枝の先を噛砕(かみくだ)いた筆へ、お茶の葉を粉にして、飯粒と水で作った インクをつけて、その穴を塗っていくと立派に文字が書けた。そうして、法華経の一節を書いて楽しみにされました。そうしていたら、文字を書いていたことを、看守に見咎(みとが)められました。
 独房へ入れられる者は重大犯人あり、重大犯人には必ず連類者がいるもので、その連絡は紙でするか音でする。
 それを警戒し防ぐために、監獄には紙へ文字を書いた者を重罪にする特殊の法規があって、軽くても、両手を後ろに縛って、二週間は、自由に行動が出来なくするのだそうだが、先生は知らなかった。

 看守の顔の表情が異様に厳しかったことも思い浮かべて茫然となっていたが、布団から針が出てきたればこそ、文字を書く気にもなったのだから、二度と書く気の起らないように針を渡してしまうがよいと考えた。
 そこで釦を押すと、扉が開いた。
 「この針があったので、穴をあけて見ただけです。お渡しします」
 看守が嶮(けわ)しい眼で睨んだ。
 「どこにあった、この針は……」
 「ここにありました。私の入る前にあったのです。だから、お経の文句を書いてみたんです」
 看守は烈しい狼狽(ろうばい)の色を見せながら針をもって行った。
 囚人の自殺に針や紐は便利な品物で、独房には絶対に入れないことになっている。だから、このことが上司の耳へ入れば、看守の過失になって責任を問われるのだ。
 しばらくの間、看守たちが寄って話している声がぼんやり表から聞こえていたが、扉が開いて、針をもって行った看守の顔が覗いた。
 「出てこい
 巖さんは怒気を含んだ声を耳にして、酷(ひど)い目に遭う覚悟をして草履をはいた。
 「そこへ座れ 眼鏡を取れ
 巖さんが廊下に座って眼鏡を取ると、烈(はげ)しい平手打ちが四つばかり、左右の頬へきた。
 「おまえの大それた罪は、これで許してやる。針のこと、誰にもいってはならんぞ
 巖さんは焼けるような痛みを頬に感じながら房へ入ってきて、扉が閉じられると、胸を喘(あえ)がせて机へ突っ伏し、口惜し涙を落とした。 
 (同書・220P)
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戸田先生の獄中闘争(4)(三撃)

 その後、検事の取調べは一月(ひとつき)ばかりで済み、判事の取調べがはじまっても、一月ほどで済めば、正月前後には帰れる …… そう目算して、ただただ帰りたい一念の拘置所生活でした。
 諸般の心配ごとの苦悩を、小説を読みふけって消そうとしていました。そうして、正月に読む面白そうな小説を選んで申込んだところ、間違って配達されてきたのは、『日蓮宗聖典』 であった。
 戸田先生は、これは何か 意義のあることであると感じられて、昭和十九年正月元旦から、毎日、法華経は、どこまで、題目の数は一回幾百、一日一万以上あげるということを、実践しはじめました。 
 そして法華経を白文で三度読み返しましたが、釈尊の本懐がどんなものなのやら、(仏とは、いかなる実在か……)、(南無妙法蓮華経とは、いかなる実体なのか……)、御自身には、汲取ることが出来なかった。
 先生は、白文の法華経を前にして、思索に耽(ふけ)り、思索に疲れると、題目を唱え、題目を唱えて、気力を回復してくると、思索に没入して、それで解らなければ、もう一歩も先へ進まぬと、背水の陣を張って、法華経と対決いたしました。
 
 三月初旬の寒い日であった。
 巌さんは法華経の開経である無量義経を前にして、眼鏡の底の眼を鋭く光らしていた。
 開経とは、本経を説かれる前の予備、下準備に説かれる序経のことで、論文に序論、本論、結論とある …… その序論に当たるのだ。

 「……其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種種の色に非ず……」

 巌さんの眼鏡の底の眼は無量義経の徳行品第一を読んで行って、偈(げ)のところへくると、白い炎のように光って、最早、眼が読み進んでいるのではなく、頭で読んでいるのでもなく、彼はその一字一句へ逞(たくま)しい身体を叩きつけているのだった。
 この時、巌さんは仏の三身の説……仏身を三つに分けて、法身、報身、応身とされていることを知らない。
 天台大師が 「止観」 で境について法身となし、智について報身となし、用を起すを応身となすといって、真理の主体としての法身、その真智の霊体としての報身、その現実の救済者である応身とを見ている、その三身の説を知らない。
 彼はただ仏の実体を汲取ろうとして思索に入り、応身の説は略(ほぼ)分かるような気がしたが、無量義経で説かれている法身、報身の説は、いくら思索を重ねても頷(うなず)けない。
 思索を打切って題目を唱えだした声が独房に響き渡り、それが消えると、彼は死物狂いの思索に入っている。
 「仏とは生命なんだ
 巌さんが机の前で叫んだ時、凍った海底のように、寒さを湛(たた)えて シン となっていた部屋に、強く両手を打合わせた音が ぱあん と響いた。
 「仏とは、生命の表現なんだ 外にあるものではなく、自分の命にあるものだ いや、外にもある それは宇宙生命の一実体なんだ
 巌さんは一人叫びつづける。紅い血が頬に躍っており、眼鏡の底の眼が妖(あや)しいまでに輝いている。
 「仏とは生命なんだ
 巌さんは椅子を立って大きく呼吸をした。それから両手を握り合わせて部屋の中を歩き廻ったが、ふと、早春の薄陽(うすび)が射している窓を見て足を止めた。
 (ほう 四時間も経っていたのか)
 早い昼食を済ませて思索に入ったのに、午後三時になっている。
 ………
 (よし 大聖人の御遺文を読んで照らし合わせてみよう
 巌さんが躍り上がるような歓びに包まれて机へ行こうとしたら、廊下から声が聞こえてきた。
 「入浴用意」 
  (戸田・人間革命下・236~239P)

 池田先生の 『人間革命』 の記述 ―→ ここから
 
 〔三回目の難〕
 入浴は、月に三回か四回で、以前はゆっくり入れたそうであるが、今は入浴時間は五分、看守たちが何月何日入浴 …… と拘置所の日記へ書くための入浴で、囚人に身体を洗わせるためではない。
 戸田先生は三十分も待たされて、身体は冷切ってしまい、急いで入ろうとすると、風呂の湯は熱湯であった。…… 水を加減して身体へかけたが、冷切っている身体は温まらない。
 もう一度と思って湯を汲んだが、…… 後の者が困ると考え、お湯を無駄にしないようにと、体にかかった湯が風呂へ落ちるように、身体を斜めにして浴びた。湯を粗末にしなかったことを、心の内で喜んだ時であった。

 「この野郎 町の風呂へでも入っている気か
 湯煙が濛々(もうもう)と渦巻いている風呂場に、看守の怒鳴り声が響いたので、巌さんが振返ると、怒気を含んだ顔が近付いていた。
 「貴様 生意気に、悠々(ゆうゆう)と湯を浴びたろう けしからん奴だ 横着野郎
 看守の罵声(ばせい)が轟(とどろ)くと同時に、彼の頬はぴしゃり ぴしゃり ぴしゃり 三度、音を立てた。
 巌さんは手桶を置いて立つと、腕を伸ばして、看守の胸を掴み、燃上がっている忿怒を叩きつけようとしたが、次の瞬間、唇を強く噛んで手を放した。
 権力をもっている看守の前に、囚われの身は狼の前の子羊も同様なのだ。
 彼は激情を抑えて手拭(てぬぐい)を絞り、身体を拭いていると、両眼からはらはら涙が落ちた。
 「今日で三度目 ……」
 巌さんは独房へ帰って行きながら、ふと、呟(つぶや)いた。
 警察の留置場で一度 …… ここへきてから二度 …… 三度目になる。
 (そうだ もう一度、撲(なぐ)られるぞ 四度目に撲られたら、それは帰れる時だ) 
 (同書・ 240P)

 戸田先生は三度目の後、(そうだ もう一度、撲られるぞ 四度目に撲られたら、それは帰れる時だ) と感じられました。
 どうして四度目になるのか、述べられておりませんので分かりません。ただ、そのように感じられた三度目の難は、「仏とは生命なんだ と悟られた直後であります。
 それまでに、法華経を三度も読み返し、題目を唱えぬいていったとき、殴打され苦しまなければならないのも、全部、自分自身の宿業であり、看守がそれを消してくれているのだということが解かりました。
 四度目のことも、生命の因果の理法を深く洞察され悟られた、戸田先生の深いご境涯の上からの、感得されたものであろうと思います。
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戸田先生の獄中闘争(5)(四撃)

 戸田先生は、秋の十月に入ってから、時々、地方裁判所へ呼び出された。地方裁判所へ運んで行く看守たちの中に、戦地から帰ってきた青年で、高橋というのがいた。
 今までに、高橋看守には、三度ばかり咎(とが)められたことがあったので、次の四度目は、どのような形の咎めを受けるのか、と思っていた。
 ことによると、思いきり撲られるのではあるまいか、という恐怖を抱く反面、四度、暴力を受けた時は、それで自分の宿業が変わり、運勢が開ける …… という気持ちがあって楽しみでもあったと、述べられています。

 〔四回目の難〕
 その日は、空が曇っていて、風がなく、なにか苛立(いらだ)ちを覚える陰鬱(いんうつ)な日であった。
 地方裁判所から東京拘置所へ帰ってきた時は、もう午後七時を過ぎていた。
 囚人たちは溜(たまり)で、看守に麻縄から放たれ、手錠を外されていた。
 裁判所での取調べが済むまでに、囚人たちは心の疲労を覚えるらしく、帰って溜へ入ると動作がのろのろしていて手間取るのが例であった。
 厳さんは縄も手錠も免(ゆる)されているから、それを眺めていたのだが、高橋看守が麻縄を腕へ巻いて、囚人たちの手錠を苛々(いらいら)と外しているので、声をかけた。
 「高橋さん、随分、長くかかるね」
 途端(とたん)に、高橋看守が巌さんへ顔を向けたが、面を取替えたように獰猛(どうもう)な顔であった。
 「貴様 なにを生意気をいうか 高橋さんと呼ぶ資格が、貴様にあるか
 「あッ」  
 巌さんは叫んで身体を反らした。
 高橋看守が腕の麻縄を取って振上げたからであった。
 「懲(こら)してやる
 憎々しげに叫ぶと同時に、巌さんの背中は麻縄で烈しく打たれ、それが一遍ではではなく、ぴしり ぴしり ぴしり 濡(ぬ)れた物を叩いているような音を響かせて二十数回続き、溜にいた囚人が総立ちになったのであったが、彼が背中に火が走るような感じを受けたのは、最初の一遍だけ、二遍目からは、きた 四回目 四回目がきた と心で叫んでいるだけで、少しの痛みも感じてはいなかった。
 「これで、赦(ゆる)してやる」 
 高橋看守が力いっぱいに巌さんの背中を打って、汗の粒々を額や鼻の頭に光らせていった瞬間、彼は心の内で、罪が終わった 四回目がきて、罪が終わった と叫んでおり、薄暗い電燈のともっている独房へ帰った時は、顔いっぱいに歓喜を漲(みなぎ)らせており、眼鏡の底の両眼が星のように輝いていた。
  (同書・246P)

 概略、獄中の受難について述べてみました。ここで感じたことは、狂暴なる看守たちは、ごく些細なことで権力を傘にきて、自分の感情のまま、囚人たちを殴打していることである。
 牧口先生も、また同じような目に遭われたと思います。「人間革命」 には、次のようなことが載っています。
 
 牧口先生の夫人と長女が、弁当と安全剃刀を差入れして帰っていった。
 牧口常三郎はそれを見送ると、椅子を立って、斉藤刑事の机へ行き、断わりもなく安全剃刀を取った。
 わが家で朝夕に使っていた剃刀が懐かしく嬉しかったのであろう。謹厳な顔を綻(ほころ)ばせて、安全剃刀を感慨深げに眺めていると不意に斉藤刑事の手が伸びて烈しく頬を打った。
 「牧口 誰の許しを受けて剃刀をいじる 警察では刃物は厳禁なんだぞ 万一のことがあったら、誰の責任になると思う 年甲斐もなくわきまえのない奴だ
 斉藤刑事の平手が飛んで、牧口常三郎が烈しく頬を打たれるのを見ると、巌さんの怒りは頂点に達し、ガバッ と椅子を立って、斉藤刑事へ飛びかかろうとしたが、二、三歩出たところで強く後ろへ引かれたので、見ると、長刑事が着物の袂(たもと)を掴んでいた。
 その時から、法華経の正しい信者である牧口常三郎に暴力を加えた斉藤刑事に、巌さんは仏罰があるはずだと確信した。
 特高を首になった斉藤刑事がわざわざ訪ねてきて、不良ばかりの子供が三人いるが、その中で、この子ばかりは、今に良くなると頼りに思っていた末の子が、夫婦が知人の結婚式へ出席した留守に、近所の貯水池へ頭を突っ込んで死んだと話したのは、彼の出獄後であった。
  (同書・205P)
 
 そのような暴力の前に、戸田先生は初めは訳も分からず、ただ驚くばかりであった。しかしそうした中で、不思議な縁で法華経を読み、題目をあげ抜いていったとき、殴打されることにより、自分自身の宿業を消しているのだ、ということが理解できるようになりました。
 『御義口伝』 の常不軽品のところに、次のような教えがあります。

 第十六此品の時の不軽菩薩の体の事
 御義口伝に云く不軽菩薩とは十界の衆生なり、三世常住の礼拝の行を立つるなり吐く所の語言は妙法の音声なり、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢(あえ)て軽慢せざるなり、罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり。(767P)
 と仰せです。

 「獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり敢て軽慢せざるなり」 とは、獄卒が杖を取つて罪人を呵責するのも、その獄卒の本体としての行動であり、罪人の罪を滅せしめ、善性に立ち返らせんとの目的に立っての行動である。
 ゆえに、これは不軽菩薩の本体・本質の礼拝行なのであり、あえて罪人を軽慢しているものではないのである。

 「罪人我を責め成すと思えば不軽菩薩を呵責するなり折伏の行是なり」 とは、獄卒が呵責するのを、罪人が自分の罪障を見つめず、また獄卒の立場を認めず、獄卒が悪意をもって自分を呵責するのだと思い怨恨(えんこん)を懐けば、それは不軽菩薩を呵責して罪を得た、上慢の四衆の生命と同じことになる。
 ゆえに、どんなに反対され迫害されても、それは自分の罪障を消しているのだと、喜んで受けきっていくべきであり、それが、我々の生命に約したときの “不軽の行” である。
 そして、反対する者の仏性を信じて、あえて迫害を受けても、妙法を教えていくのが “折伏の行” である。
 
 迫害されても感謝し、難に遭っても喜ぶことなんか、凡人のとうてい成し得ることではないが、仏法の眼は、生命の因果律を解明して、かくなる大境涯のあることを教え諭(さと)しているのである。
 日蓮大聖人は、この法理を自ら身読なされて、種々の大難に遭われても 「流人なれども喜悦はかりなし」(1360P) と申され、竜の口で死罪に処しようとした平左衛門尉 等をも、「相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ」(916P)・ 「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争(いかで)か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(917P) と申されている。
 その上に、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(509P) と、仏様の大慈悲心を以って救わんと願われました。

 戸田先生は、看守が殴打するのも、全部、自分の宿業を消すために、打ってくれているのだと確信でき、(きた 四回目 四回目がきたと心で叫んで、感涙にむせびました。
 そして、見事に宿命は転換され、程なくして “獄中の悟達” という大楽を得ることが出来ました。
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戸田先生の獄中闘争(6)(大功徳)

 戸田先生は、無実の罪で法華経のゆえに入獄されるという、“大難” を受けることによって、我、地涌の菩薩なり という悟りの “大功徳” を得ることが出来ました。
 この 「獄中の悟達」 については、池田先生の 「人間革命第4巻」 に記述されております。
 「第4巻」 のブログの記事 ―→ ここから
 
 しかし、オリジナルの戸田先生(妙悟空著)の 『人間革命』 を所持してない方もおられると思いますので、紹介させて頂きますので、ご参照ください。 (抜粋)

 戸田先生は、「仏とは生命なんだ 自分自身の命にあるものだと悟り、歓喜をもってより一層、法華経と取組み、疲れれば題目をあげるという獄中闘争でした。
 しかし、経文は読めても意味が判らない。一句一句の意味が解せても、全体の意味が解せないので悩みは増して行くばかりであった。
 「ああ! 判りたい 法華経の真理を知りたい」 と、拳で頭を打ち、独り言をいい、檻(おり)に入れられた熊のように、独房の中を歩き廻り、身悶(みもだ)えするほど苦悩しました。
 
 十一月中頃の、水のように空が晴れている …… ある朝のこと、先生の唱題している声から挑(いど)みかかるような烈しさが消えて、静かに澄んだ音声であった。
 “日夜、苦悶(くもん)をつづけて、今は疲労のどん底にいるのだが、法華経と取組んで熱烈に思索し、深く瞑想(めいそう)し、苦悶を続けることによって、心の濁りや身体の錆(さび)が落ちてきたとは言えないであろうか” と述べられています。
 先生の唱題の数が進むにつれて、春に降る雪を見るように、しんしんと心が落着いてきて、清々しく、ほのぼのとした楽しさが湧いてきました。

 「南無妙法蓮華経…… 南無妙法蓮華経……」
 巌さんの心は、今、春の野を吹く微風のように軽く柔かくて譬えようもなく平和であった。夢でもない、現(うつつ)でもない …… 時間にして、数秒であったか、数分であったか、それとも数時間であったか …… 計りようがなかったが、彼は、数限りない大衆と一緒に虚空にあって、金色燦爛(さんらん)たる大御本尊に向かって合掌している自分を発見した。

 そして、法華経の二十八品の内の従地涌出品にある、「是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて、下より発来(ほつらい)せり。一一の菩薩、皆是れ、大衆の唱導の首なり。各(おのおの)六万恒河沙等の眷属を将(ひき)いたり。況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや。況や復(また)、乃至一恒河沙、…… 況や復、単己にして遠離の行を楽(ねが)えるをや。是の如き等比(たぐい)、無量無辺にして、算数譬喩も知ること能(あた)わざる所なり。是の諸の菩薩、地より出で已(おわ)って、各虚空の、七宝の妙塔の多宝如来、釈迦牟尼仏の所(みもと)に詣(もう)ず。到り已って、二世尊向いたてまつって …… 」 彼は経文通りの世界にいることを意識している。

 巌さんはこの大衆の中の一人であって、永遠の昔の法華経の会座に連なっているのであり、大聖人が三大秘法抄で仰せられている、「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり ……」(1023P) というお言葉が、彼の胸へ彫(ほ)り込まれてでもいたように、この時、ありありと浮出してきた。
 (これは、嘘ではない 自分は、今、ここにいるんだ 彼は叫ぼうとした時、独房の椅子の上に坐っており、朝日は清らかに輝いていた。
 巌さんは一瞬茫然となったが、歓喜の波がひたひたと寄せてきて、全身は揉(も)まれ、痺(しび)れるような喜びが胸へ衝上げて来て、両眼から涙が溢(あふ)れだし、袂(たもと)を探ってハンカチを取出して、眼鏡を外して押さえても、堰(せき)を切ったように涙が湧いてとめどがなく、彼は肩を震わせて泣きつづけた。

 しばらくして、巌さんは椅子を立って題目を高々と唱えだした。
 「南無妙法蓮華経…… 南無妙法蓮華経……」
 題目を唱え終った刹那(せつな)、彼の胸の内に叫び声が起こった。
 (おお おれは地涌の菩薩ぞ 日蓮大聖人が口決相承を受けられた場所に、光栄にも立会ったのだぞ
 巌さんは眼鏡の底の眼を大きく見開き、歓喜に戦(おのの)く胸を抱きしめて独房の中を歩き廻っていたが、やがて机へ帰って、法華経を開き、従地涌出品を読みなおし、寿量品を読み、嘱累品を読みなおした。
 (ほぅ
 彼は眼鏡の内で幾度となく瞬(またた)いたが、今、眼の前で見る法華経は、昨日まで汗を絞っても解けなかった難解の法華経なのに、手の内の玉を見るように易々と読め、的確に意味が汲取れる。それは遠い昔に教わった法華経が憶(おも)い出されてきたような、不思議さを覚えながらも感謝の想いで胸がいっぱいになった。
 (よし ぼくの一生は決まった この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ
 中国の聖人孔子は四十にして惑わず、五十にして天命を知るといったとか、彼はうん とうなって立上がった。そして部屋の中を行きつ戻りつしながら叫んだのであった。
 「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先立つこと五年にして天命を知る」
 時に彼の年は四十五歳であった。  (完)
  (戸田人間革命下・253~255P)

 戸田先生は獄中の大難の中、法華経の 「虚空会の儀式」 に、自らが参列していることを感得なされました。それ故に昨日まで、あれだけ難解であった法華経が、手の内の玉を見るように易々と理解することが出来ました。それは今世で理解したと言うより、過去世で勉強したことを思い出した、と仰っています。
 このことは、“生命は永遠である” という、仏法の 「三世の生命観」 を実証したことになると思います。
 戸田先生は、この確証の上に立たれて、未だ誰人も成しえなかった 「妙法広布の大願」 を成就なされました。戸田先生につきまして、池田先生の 『人間革命』 の記述がありますので、ご参照ください。

 池田先生の 「人間革命」 の文は ―→ ここから

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
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