四度の大難(竜の口の法難)

 大難の四度目は、「竜の口の法難と佐渡流罪」 であります。
 佐渡流罪は、竜の口の法難に引き続いて起こりましたので、この場合は、一つの難として数えます。
 
 文永八年(1271年)九月十二日、日蓮大聖人が竜の口(鎌倉幕府の刑場)で、斬首刑に処せられようとした法難のことである。この法難については、文永五年から建治二年まで九か年間の御自らの御振る舞いを 『種種御振舞御書』(909P) に詳しく述べられています。
 特に、この九か年間は、大聖人御一生のなかで、大聖人の法華経の 「身業読誦」 と 「発迹顕本」 の御姿を通し、御本仏としての御振る舞いを示されました。

 身業読誦(しんごうどくじゅ)とは、「身・口・意」 の三業のうち、身をもって経文を読むことをいう。その代表的な経文が、法華経勧持品第十三の 「二十行の偈(三類の強敵)」 の文である。
 『勧持品』 に、「諸の無智の人の悪口罵詈(あっくめり)等し及び刀杖を加うる者有らん」(224P) とあります。
 日蓮大聖人においては、“刀の難” は 「小松原の法難」 と 「竜の口の頸の座」 の二度も遭われており、少輔房(しょうぼう)に法華経第五の巻で顔を打たれたことが代表的な “杖の難” に当たります。

 当時の社会情勢は、文永五年(1268年)正月十八日、大蒙古国より従わなければ兵を用いるという牒状が到来した。これは、文応元年の 『立正安国論』 で予言した 「他国侵逼(しんぴつ)の難」 の適中である。
 幕府は、大聖人の諫言を用いようともせず、なす術も知らず、ただ諸宗に命じて敵国調伏の祈祷をなすばかりの無策ぶりであった。

 大聖人は十月十一日、幕府の権力者並びに諸大寺に十一通の書状を送って、国を救うため正邪を決せんとして、公場対決を要請した。
 これに対して、表面上は何の反応も示さなかったが、裏では極楽寺良観をはじめ七大寺の僧らは、周章狼狽し、権力者や上臈(じょうろう)・尼御前たちに対して、大聖人を不当な讒言(ざんげん)をもって訴えた。
 幕府は蒙古対策に苦慮しており、内部を固めるために、いわゆる悪党鎮圧に乗り出していた。
 大聖人に対しては、安国論の国家諫暁以来、幕府に楯突き、世間を乱す不逞の僧侶という認識であり、折あらば、逮捕し無きものにしょうと企てていたのである。

 かくして、文永八年九月十二日午後四時ごろ、松葉ヶ谷の草庵に平左衛門尉が直接、数百人の兵士を率いて逮捕しに来たのである。その様相は、たった一人の身に寸鉄も帯びてない僧侶を捕えるのに、あたかも謀叛人の徒党に向かうような、法に過ぎたものであった。

 「さて平左衛門尉が一の郎従・少輔房と申す者はしりよりて日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出しておもて(面)を三度さいな(呵責)みて・さんざんとうちちらす、又九巻の法華経を兵者(つわもの)ども打ちちらして・あるいは足にふみ・あるいは身にまとひ・あるいはいたじき(板敷)・たたみ(畳)等・家の二三間にちらさぬ所もなし、日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら(殿原)但今日本国の柱をたをすと・よばはりしかば上下万人あわてて見えし、日蓮こそ御勘気をかほれば・をく(臆)して見ゆべかりしに・さはなくして・これはひが(僻)ことなりとや・をもひけん、兵者どものいろ(色)こそ・へんじて見へしか」(912P)

 大聖人は、第五の巻で顔を打たれ、他の経巻類も家中、打ち散らして、あるいは足で踏み、身にまとったりして、散々狼藉(ろうぜき)を働いた。
 当時は今よりも、文字を書いている文物は大事にされていた。特に、仏教の経文・経巻は、崇拝の対象にもされていたほどの貴重なものである。それを足蹴にするとは、“平左衛門尉が・ものにくるうを見よ” と一喝されたように、正気の沙汰ではないのである。
 そして、お前たちの行業は、“但今日本国の柱をたをすと” の大聖人の確信ある大音声に触れた、兵者たちは “これはひが(僻)ことなりとや・をもひけん、兵者どものいろ(色)こそ・へんじて見へしか” と、自分たちは間違ったことをして地獄へ堕ちるのではないかと思い、顔色が蒼白になったのである。

 そして一瞬、静まったところで、ゆうゆうと平左衛門尉に向かって強く諫めたのである。
 『撰時抄』 に、「日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦(はしら)を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人・他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやき(焼)はらいて彼等が頚をゆひ(由比)のはま((浜)にて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」(278P) と仰せです。
 これが、二度目の 「国家諫暁」 のときであります。

 法華経・第五の巻について、『上野殿御返事』 には、
 「杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり、されば・せうばうに日蓮数十人の中にしてう(打)たれし時の心中には・法華経の故とはをもへども・いまだ凡夫なればうたて(無情)かりける間・つえ(杖)をも・うば(奪)ひ・ちから(力)あるならば・ふみをり(踏折)すつべきことぞかし、然れども・つえ(杖)は法華経の五の巻にてまします」(1557P)

 第五の巻には、勧持品第十三が含まれている。勧持品には如来の滅後末法において、法華経を弘通するとき 「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん …… 悪口し顰蹙(ひんじゅく)し数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられん」(224P) と、二十行の偈文をもって 「三類の強敵」 が出現することを予言している。
 ゆえに、“うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり” と、不思議なる符合であり、非常に感慨深いことであると仰せです。
 したがって、日蓮大聖人にとって 「刀杖の難・流罪の難」 ともに、勧持品の予言を 「身・口・意」 の三業で読まれたということは、末法の 「法華経の行者」 すなわち、「御本仏」 であることの証明である。

 『御義口伝』 に、「勧とは化他・持とは自行なり南無妙法蓮華経は自行化他に亘(わた)るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり」(747P) と仰せです。
 
 この勧持品の精神は、勧とは折伏(化他)、持とは唱題(自行)である。全世界の人々に一日でも早く、“南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり” と、世界広宣流布の実践に尽きるである。 
 『富木入道殿御返事』 に云く、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(955P) と。
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四度の大難(頸の座)

 日蓮大聖人は、松葉ヶ谷の草庵にて逮捕され、その後、「日中に鎌倉の小路をわたす事・朝敵のごとし」(1525P) とありますように、謀叛人に対するのと同じような処遇で連行されました。
 そして、何の裁判もなく、いきなり佐渡流罪の処分が決められていた。しかし、「外には遠流と聞えしかども内には頚を切ると定めぬ」(356P) とありますように、内内では大聖人を斬首する意向であった。

 子の刻(午前零時頃)、秘密裡に大聖人は、馬に乗せられ武装した兵士に囲まれて、竜の口の刑場に連行されます。
 その途中、若宮小路に差し掛かった折、「日蓮云く各各さわ(騒)がせ給うなべち(別)の事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまこと(実)の神か」(912P) と、“法華経の行者・日蓮が、このような大難に遭っているのに、八幡大菩薩の守護がないのは如何なる訳か。釈尊との誓いを踏みにじるのか” と、烈々と叱咤したのである。

 鶴岡八幡宮といえば、源頼朝公以来の鎌倉幕府の守護神である。その八幡大菩薩を叱り飛ばしたのである。聞いていた兵士たちは驚愕(きょうがく)した。
 しかも、平左衛門尉さえ止めさせることも出来ないほど、堂々とした威厳のある振る舞いである。
 昨夕来の平左衛門尉の “ものにくるう” 態度と眼の前の大聖人との対比は、どちらが正か邪か、兵士たちに動執生疑(執着の心を動かせて疑いを生じさせる)のに十分であった。兵士たちは、何かを思い悩むようになった。
 それは当時、一般的に “僧侶を殺せば無間地獄に堕ちる。後々七代までも祟(たた)る” 等々、後生のことが、真に信じられていたのである。
 ここに至って、竜の口への一行の様相は、大聖人は、馬上で堂々として主導権を握り、警護の兵士は、“屠所の羊” のような姿ではなかったかと思われる。まさに主客転倒である。

 やがて、由比ヶ浜に出ます。そして、「しばし・とのばら・これにつ(告)ぐべき人ありとて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子を・つかわしたりしかば・いそぎいでぬ、」(913P) とありますように、これから起こるであろう宗教的現象の現認者として、信心堅固な四条金吾を呼び出します。
 急を聞き兄弟と共に、徒(かち)はだしで駆け付けて来た金吾は、馬の轡(くつわ)に取り付いて、殉死の覚悟でお供しました。

 いよいよ刑場に着いた時、金吾は感極まって、
 「左衛門尉申すやう只今なりとな(泣)く、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそく(約束)をば・たがへらるるぞと申せし時、江のしま(島)のかたより月のごとく・ひかりたる物まり(鞠)のやうにて辰巳(たつみ)のかたより戌亥(いぬい)のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ(昧爽)人の面(おもて)も・みへざりしが物のひかり月よ(夜)のやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥(ふ)し兵共(つわものども)おぢ怖れ・けうさ(興醒)めて一町計りはせのき」(913P) とありますように、“月のごとく・ひかりたる物まり(鞠)のやうにて辰巳(東南)のかたより戌亥(西北)のかたへ・ひかりわたる” という不思議な現象が起き、幕府権力をもってしても、大聖人のお命を奪うことは出来なかった。

 この 「光り物」 については、2013年2月15日、ロシアでの隕石落下が、一応、参考の一つになるのではないかと思います。
 ロシアの場合は、地上まで落下しましたが、竜の口の場合は、一瞬、人々の顔もハッキリ見えほど強く光り、あとは大気圏内で消滅したか、海へ落下したかのどちらかであろうと思います。
 何れにせよ、大聖人の頸が斬られようとした 「その瞬間」 に、現れたという事実こそが大事なことであります。
 大聖人は、「三光天子の中に月天子は光物(ひかりもの)とあらはれ竜口の頚(くび)をたすけ」(1114P) と、諸天善神の月天子が 「光り物」 として現れたと仰せになられています。
 「竜の口の法難」 について、池田先生は次のように指導されています。
 
 名誉会長  「これほどの悦びをば・わらへかし」 です。
 こうした大境涯が、どうして形成されるのか。人間は、かくも偉大になれるのか。
 不思議といえば、これ以上の不思議はありません。私は、これが誓願の力だと確信する。深き誓いと正しい理想に生きた時、人間の心は無限大に広がります。
 仏法で説く 「久遠の誓い」 とは、無明を破り、法性のままに生きる心を確立していくことです。具体的には、自他共の幸福を願う心であり、広宣流布の大願です。
 この本願の誓いに目覚めた人間の心を阻むものは、何もありません。身は斬られても、心を切り裂くことはだれもできない。これが、慈悲に生き切る人間の力です。ただ一人、地獄のような境遇にさらされても、何も怖いものがない。反対に、このように恐れるものが何もない人間に対しては、周りが、本当の意味で怖さを感じます。
 日蓮大聖人の大難また大難の御一生は、人間の研ぎ澄まされた魂の力が不滅であることを証明した御生涯であられた、と言えるでしょう。
 “人間は、かくも偉大なり” ということを全生命を通して宣言されている。
   (御書の世界2巻・101P)
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四度の大難(発迹顕本)

 「竜の口の法難」 において斬首されようとした事件は、仏法上から見ますと、甚深の意義があります。それは、「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」(迹を発(ひら)いて、本を顕す) ということで、仏が垂迹(仮の姿)を開いて、本地(本来の境地)を顕わすことであります。

 釈迦仏法では、法華経如来寿量品第十六で、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したというのは、衆生を教化するために迹を垂れたものであり(始成正覚)、その本地は五百塵点劫以来、三世常住の仏(久遠実成)であると明かしたことをいう。
 末法における発迹顕本は、日蓮大聖人が竜の口の法難によって、凡身の迹を開かれて、“久遠元初の自受用報身如来” という本地を顕されたことをいう。

 『開目抄』 に、「日蓮といゐし者は去年(こぞのとし)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ、此れは魂魄(こんぱく)・佐土の国にいたりて返年(かえるとし)の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをく(贈)ればをそ(畏)ろしくて・をそ(怕)ろしからず・み(見)ん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」(223P) と仰せられています。

 ここで、実際に頸をはねられたわけではないのに、「頸はねられぬ」 と仰せられているのは、それまでの “上行菩薩の再誕” というお立場は終わったという意味の表現です。
 そして、新しいご境地すなわち、「魂魄」 というものを感得なされました。このことについて、日寛上人の 『開目抄愚記』 に、次のように指導されています。

 一、子丑の時に頸はねられぬ文。
 「子の時」 は鎌倉を引き出(いだ)し奉る時なり。…… 夜半は即ち子の時なり。
 「丑の時」 は正しく頸の座に引き居(す)え奉るなり。……
 今 「子丑」 というは、これ始終を挙(あ)ぐるなり。
 「頸はねられぬ」 とは、只この義は頸を刎ねらるるに当るなり。…… これ則ち 「及び刀杖を加う」 の文に合するなり。
 「魂魄・佐土の国にいたりて」 とは、「数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられん」 の文に合するなり。故に蓮師は 「不愛身命、但惜無上道」 の法華経の行者なること、誰かこれを疑うべけんや。仍(なお)これ附文の辺なり。
 問う、元意の辺は如何。
 答う、……
 この文の元意は、蓮祖大聖は名字凡夫の御身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身(しんしん)の成道を唱え、末法下種の本仏と顕れたまう明文なり。(文段集・191P)

 問う、その謂(いわれ)如何。
 答う、凡(およ)そ丑寅の時とは陰の終り、陽の始め、即ちこれ陰陽の中間(ちゅうげん)なり。またこれ死の終り、生の始め、即ちこれ生死の中間なり。……
 宗祖云く 「相かまへて相かまへて自他の生死はし(知)らねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならず・むか(迎)いにまいり候べし、三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり・とら(寅)のきざ(刻)みの成道なり、仏法の住処・鬼門(きもん)の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし」(1558P) 等云云。
 故に知んぬ、「子丑の時」 は末法の蓮祖、名字凡身の死の終りなることを、故に 「頸はねられぬ」 というなり。
 寅の時は久遠元初の自受用身の生の始めなり。故に 「魂魄」 等というなり。(同・192P)

 一、をそろしくて・をそろしからず文。
 今謂(いわ)く、経に云く 「濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖(くふ)有らん乃至身命を愛せず、但無上道を惜しむ」 と云云。この文の意なり。…… 良(まこと)に濁劫悪世の中に多く諸の恐怖あらん、故に一往は怖しきに似(に)たり。
 然りと雖も、日蓮は 「不愛身命、但惜無上道」 の法華経の行者なり、何の恐怖かあらん。故に 「をそろしくて・をそろしからず」 と云云。
 「み(見)ん人いかに・をぢぬらむ」 とは、「不愛身命」 の志の決定せざる人なり。(同・193P)
 

 以上、少々長くなりましたが、下手に現代語や解釈を加えて冗長になるよりは、“そのまま” 引用した方が良いように思いました。
 “三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり・とら(寅)のきざ(刻)みの成道なり” と、丑の刻(午前二時ごろ)は陰の終わり・死の終わり、寅の刻(午前四時ごろ)は陽の始まり、生の始まりを意味し、丑寅の刻(午前三時ごろ)は陰陽生死の中間であり、諸仏の成道する時刻とされるのである。
 釈尊の明星の耀う菩提樹下における成道も、日蓮大聖人が竜の口の頸の座で発迹顕本されたのも、この丑寅の刻であった。

 平左衛門尉が、私怨をもって貞永式目を破り、真夜中に、秘密裡に斬首しょうとした悪業も、仏法の成仏の眼から見れば必要であったのである。
 ゆえに、「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿(こうどの)ましまさずんば争(いかで)か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(917P)
 「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(509P)
 とまで仰せられました。
 法華誹謗の悪業ゆえに、無間地獄に堕ちなければならない者たちに、“最初に之を導かん”、 救ってあげたいと大慈悲をくだされたのである。

 名誉会長  日寛上人は、この 「開目抄」 の一節を次のように解説しています。
 「この文の元意は、蓮祖大聖は名字凡夫の御身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身と成り給い、内証真身の成道を唱え、末法下種の本仏と顕れたまう明文なり」
 つまり、日蓮大聖人が竜の口の法難の時に、名字凡夫という迹を開いて、凡夫の身のままで久遠元初自受用報身如来という本地を顕されたことをいいます。
 言い換えれば、凡夫に身のままで、宇宙本源の法である永遠の妙法と一体の 「永遠の如来」 を顕すということです。
 この発迹顕本以後、大聖人は末法の御本仏としての御立場に立たれます。すなわち、末法の御本仏として、万人が根本として尊敬(そんぎょう)し、自身の根源として信じていくべき曼荼羅御本尊を御図顕されていきます。
 また、ここで注意しなければいけないのは、「発迹」 の 「迹を発(ひら)く」 という意味です。「発(ほつ)」 は 「開く」 ことです。


 斉藤  ここが誤解されやすい所ですね。
 「迹を発く」 からといって、何か別物になるというわけではないということですね。確かに、「迹」 と 「本」 では天地雲泥の違いはあります。そこだけ注目すると、全く別物に見がちです。

 名誉会長  どこまでも凡身のうえに、自受用身の生命が顕現していくのです。ここを見誤ると、成仏とは、人間を離れた超越的な存在になることだという誤解が生じる。
 日蓮大聖人も凡夫の身を捨てられたわけではない。凡夫の身そのものに久遠の仏の生命が赫々(かくかく)と顕れている。
 もう一つ、大事なことを言いたい。それは、この原理は私たちにとっても同じである、ということです。
 苦難を超(こ)えて、信心を貫き、広宣流布に生き抜く人は、発迹顕本して、凡夫身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命を涌現することができるのです。
 日寛上人は次のように仰せです。
 「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」 (『日寛上人文段集』)
 「人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」(同)
 「法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」(同)
 
 ありがたい仏法だ。超越的な別な理想人格がゴールだったら、私たち今世で幸福になることはありえなくなる。

 ………
 名誉会長 私たちの一生成仏の手本を、大聖人が身をもって示してくださったのです。いかなる苦難も越えて、無明を打ち破り、法性を現していくいく自分を確立することが発迹顕本です。大難を受けるほど、仏界の生命は輝きわたっていく。そういう自分を確立することが、一生成仏の道です。
 真の意味の人間性の練磨は、難をのり越える信心のなかにあるのです。
   (御書の世界2巻・105~108P) 

 “凡夫の身そのものに久遠の仏の生命が赫々と顕れている”・“この原理は私たちにとっても同じである” と、すなわち、人間を離れて 「仏」 も 「仏性」 も何もないのである。そして、現に我が身が、「仏」 に成ることができるのである。
 何と有り難いことか、これほど素晴らしい教えや仏法が、他に有りますでしょうか。

 他宗教は、有りもしない架空の仏や神を立て、極楽だ天国だと、これら架空の楽土を憧れさせ、少しばかりの道徳論と功徳論を信じ込ませ、そして多くの衆生を惑わし誑かせて、苦悩の淵に沈めさせているのである。
 大聖人は、「六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり」(1046P)・「我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん」(509P) と仰せです。
 この法理を信ずる我らは、“未だ死せざる已前に此の大善を進めん” と、民衆救済・国土安穏を願って、仏の大願たる法華弘通に精進するのみである。

 池田先生は、捨てるべき迹とは 「弱気」 です。「臆病の心」 です。大聖人は、「勇気」 の本地の御姿を示すことで、発迹顕本を万人に示された。
 この大聖人の 「勇気」 の御心を、自身の決意として、あらゆる困難に莞爾(かんじ)として立ち向かっていくことが、今度は私たちの発迹顕本につながる。 (同書・110P)
 とご指導されています。
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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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