原理主義

 『第三文明 5月号』 で佐藤優氏は、異教よりも異端の方が、いろいろと面倒くさい問題が生じてくると言われています。
 そこで思い出しますことは、「原理主義」 という言葉です。「原理主義」 とは、原理・原則を厳守して、その徹底をはかろうとする立場である。これの対極にあるのが 「修正主義」 である。

 かつて 1960年代頃、中ソ論争が起きて、喧しく遣り合っていたことを思い出します。
 現在は IS (イスラム国)が出現し 「イスラム原理主義」 を唱え、イスラム世界の西欧化・世俗化を否定し、原点に帰ってイスラム法の適用された国家・社会を築こうとしている。
 IS の行動規範は、敵対する者は武力によってでも殲滅するという 過激なもので、過日、日本人二名を拘束し殺害して、世界を震撼(しんかん)させた。
 「原理主義」 と 「修正主義」 を比較した時、どうも 「原理主義」 の方が ドグマ(教条主義) 的であり、それによって反社会的な問題行動を起こすようである。
 
 宗門は、御書・日寛教学を厳守して、その徹底をはかろうとする立場であるから、あえて言えば 「原理主義」 といえよう。
 御書・日寛教学を基本としていると言えば、日蓮仏法の正統派のように聞こえるが、ご多分に洩れず ドグマ によって思考停止に陥り、硬直化し役に立たなくなってしまった。

 ゆえに、教義条項の解説に 「日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊(ひへい)した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある」 と述べられている。  (大白2015/4月・94P)

 この点について、『第三文明4月号』 の対談の中で、松岡幹夫氏の論点を主にご紹介したいと思います。
 松岡  今回、その日寛教学のなかの時代的制約がある部分については再検討し、普遍的な部分についてはしっかり受け継いでいく…… 「時代的制約がある部分」 は、言いかえれば 「普遍的ではない」 ということになりますが、学会はそのことを 「悪い」 と言っているわけではないんです。
 ………
 ただ、そのような時代的制約がある部分について、二一世紀の今になって固執(こしつ)することは間違いです。宗門はまさに、時代的制約がある部分に固執しつづけてきた。それゆえに、現代の人々を救えない宗教になっているのです。
 ………
 その原理自体は普遍的で変わらないわけですが、原理の表現 ―― Expression の仕方が、宗門と現在の学会では異なっているのです。
 日寛教学においては、日蓮大聖人が弘安二(一二七九)年に御図顕された御本尊に求心性を持たせる表現の仕方をしてきました。特に宗門の正統性が問われた時代には、各人の信仰を深めるうえでも、大石寺の御本尊の意義を強調する必要がありました。
 しかし、日蓮仏法が世界中に広まった今は、そうした求心性の段階を経て、むしろ平等性や民衆性が求められる段階に入っています。布教のうえでも、平等性・民衆性を前面に出すやり方でなければいけないでしょう。 教学部の解説で “世界広布の伸展に対応して教義解釈の見直しを行う” と発表されたのは、そういう意味からだと思います。


 佐藤  同感です。私も 『潮』 の連載 「新時代への創造」 のなかで、今回の改正について、「これによって教義においても創価学会は日蓮正宗から完全に決別した。その結果、日本という ナショナルな枠組みにとらわれない世界宗教として発展していくことになる」 と書きました (『潮』 二〇一五年二月号)。   (同誌4月号・54~55P)

 世界広宣流布の時代が来り、御本尊の意義・絶対性を強調することよりも、布教のうえでは 平等性・民衆性や尊厳性を前面に出すやり方でなければ、世界には通用しないのである。
 宗門は僧侶の職業化によって、「大願とは法華弘通なり」(736P) の御遺命を忘れ、弘安二年の大御本尊の唯一絶対性を称え、御本尊の袖の下に隠れて供養を窺(うかが)っている計りである。

 涅槃経に云く 「我れ涅槃の後・像法の中に当に比丘有るべし持律(じりつ)に似像(じぞう)して少(わず)かに経典を読誦し飲食(おんじき)を貪嗜(とんし)して其の身を長養せん袈裟を服(き)ると雖(いえど)も猶(なお)猟師の細視(さいし)徐行するが如く猫の鼠を伺(うかが)うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善(けんぜん)を現し内には貪嫉(とんしつ)を懐く唖法(あほう)を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像(かたち)を現じ邪見熾盛(しじょう)にして正法を誹謗(ひぼう)せん」等云云(228P) とあります。まさにこの経文通りなのであります。

 要は 「原理主義」 と言われ、「修正主義」 と呼ばれようとも、どちらが正統派なのか 
 宗祖日蓮大聖人の御遺命を奉じて、大聖人の仏法を世界へ広宣流布したのは誰か 
 それは 「創価学会」 なのであります。なかんずく、池田大作先生であります。
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「久遠元初の法」(平成5/5/3 の指導)

 今まで 「三大秘法」 と言えば、「本門の本尊・戒壇・題目」 の三つの秘法であると、その名称は知っていましたが、それ以上の詳しいところは余り知りませんでした。
 「三大秘法」 について、「教義条項の改正について」 には、 (大白4月号・86P)

 「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇として具体的に顕されたのであります」 と述べられています。

 すなわち、日蓮大聖人が全民衆の成仏のために、目には見えない宇宙の根本の法を、具体的に目に見える形として顕してくださったのが、「三大秘法」 なのであります。
 成仏とは宇宙の根本の法、すなわち、「久遠元初の法」 を覚知することを言います。この久遠の法を、大聖人が具現化してくださったことが、一番有り難く、偉大なことであります。
 このことによって、正法・像法時代のような戒を持して瞑想することもなく、ただ御本尊受持の一行ばかりで成仏することが可能になり、ここに万人成仏の道が開かれました。

 かつて池田先生が、有識者と対談された時 「久遠の法」 について言及されたとのことです。
 このことについて、いろいろと批判的なことを言っている方も居るようです。このような場合は、切り文ではなくその前後の文も併せて見なければ、正しく理解できないと思って文献を捜してみました。
 
 それは、平成 5年 5月 3日、「5・3」 記念勤行会でのご指導であります。 
 先生はきょうは、寄せられた識者の声を紹介しておきたいと述べられ、その一人、日本を代表する宗教社会学者の方は、山崎副会長らとの懇談の折、次のように語られました。

 「今回、名誉会長が訪問された南米諸国のほとんどが、カトリックの国です。その国々で、大統領や大学などから、数多くの顕彰(けんしょう)を受けられたことは、それ自体、名誉会長が、異文化への理解と寛容性をもたれた偉大な指導者である証明です。本当に素晴らしいことです」

 池田先生は、「カトリックの国で日本の仏教者が、これほど評価されることは並大抵のことではないと言われている。普通なら全部、相手にされないか、批判だけである。それでは広宣流布はできない。その国のために、その国を理解し、その国に尽くしていく―― 私は常にその決心できた」 とご指導されています。
 そしてその方は、先生と初めてお会いした時の思い出も回想されたという。
 
 「名誉会長と初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。その時、名誉会長は言われました。『カトリックの人々は、苦難の歴史、苦闘の道を歩まれた。そうした行動の次元においてカトリックは、私たちの “兄” といっても過言ではありません』 と。私はまず、その謙虚な言葉に驚きました」

 キリスト教は、弾圧に次ぐ弾圧、殉教に次ぐ殉教を経て、世界へと広がった。近年の日蓮正宗の僧侶のだれが、そうした努力をしたのか。だれもいない。大聖人の仏法を初めて世界へ流布したのは学会である。
 教えの浅深は別として、世界への “行動” という観点から、私は “兄” と申し上げたのである。


 「その折、私は 『究極に求められるものは何でしょうか』 と質問しました。恐らく “板曼荼羅の御本尊” と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は 『久遠元初の法です』 と答えられたのです」
 「このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板曼荼羅に、偏狭(へんきょう)にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」


 もとより御本尊が、私どもの 「根本尊敬」 の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。
 当然、そこに計り知れない御仏智があられると拝されるが、曼荼羅としてあらわされた 「法」 は永遠である。
 いずれにしても、大聖人の仏法の真髄である 『久遠元初の法』 を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける。この方は、そこに普遍的なものを感じとられたのであろう。
 (小冊子創価のルネサンス52号・10~13P)

 会談された有識者の方は、キリスト教を信仰されている方だと思います。その方の “究極に求められるものは何でしょうか” との質問に、先生は “久遠元初の法です” と答えられました。
 おそらくは、その方はキリスト教の神を通して “永遠不滅の法” を探究されていて、先生の “久遠元初の法” の答えに接し、「ああ!永遠の根源を求められている。私と同じである。同じく求道者である(推察)」 と信頼され、“非常に感動し、創価学会の普遍性と、発展の因を見た” と言われたと思います。そして、創価学会の協力者となられたのである。

 「法」 を伝えようとしても、非常に難しいのである。たとえば、釈尊や日蓮大聖人を教えようとしても、クリスチャンはキリストを、イスラム教徒はムハンマドを思い浮かべるであろう。幾世代に亘ってすり込まれた潜在意識はなかなか抜き難いのである。
 その意識・思想変革の困難さを、法華経には 「六難九易」 の譬えをもって説いています。
 「六難九易」 の記事 ―→ ここから

 然るに宗門が言うように、日寛上人の 「就中(なかんずく)弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(文段集・452P) と。
 この文をもって、正義は我にありと思い上がり、大御本尊をもって総てのものに当て嵌めようとしている。まさに ドグマ (教条・独断)ではないか。

 池田先生は、「大聖人の仏法の真髄である 『久遠元初の法』 を根本としてこそ、永遠の妙法流布の道が開ける」 とご指導されています。
 日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174P) と仰せです。
 この御金言を、よくよく思索・吟味しなければなりません。
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大聖人と三大秘法

 「三大秘法」 について、もう少し知りたいと思い 『御書の世界』 第3巻 を読んでいましたら、次のような指導がありました。
 
 名誉会長  …… 大聖人の誓願成就においては、三大秘法の開顕とともに、大聖人と心を同じくして広宣流布に戦う弟子が陸続と出現してくることが絶対に不可欠なのです。

 森中  …… 大聖人は、熱原の民衆の不惜身命の信心を御覧になって、出世の本懐を遂げられました。
 すなわち、誓願を継承する弟子が出現したからこそ、大聖人は出世の本懐を遂げ、誓願を成就されたと言えます。  

 名誉会長  弟子による誓願の継承とは、言い換えれば、「広宣流布を目指す信心」 の確立です。
 その根幹は 「不惜身命の信心」 です。その継承が 「信心の血脈」 です。
 そして、その信心を核とする躍動的な広宣流布の和合の組織を確立することです。
  (御書の世界3巻・279P)

 宗門は 「弘安2年の大御本尊」 の御図顕をもって 「出世の本懐」 としているが、どうも静的な感じで、ただそれだけでは、動的な信心の息吹き、燃えあがる広布大願への躍動感は感じられない。この信心実践なくしては 「出世の本懐」 だと幾ら強調しようとも、一本筋が通らない・魂のないもののようになってしまう。
 それゆえに先生は、“大聖人と心を同じくして広宣流布に戦う弟子が陸続と出現してくることが絶対に不可欠なのです” と指導されています。
 これまでの大聖人の 「四つの大難」 は、御自身が受けられた大難であった。しかし 「熱原の法難」 は、農民信徒の弟子たちが、自ら起こし・殉教し・勝利した法難であった。
 この 「不惜身命の信心」 の継承があって、はじめて 「出世の本懐」 とされたのである。
 したがって教義条項の解説には、“「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である” と述べられている。
 
 名誉会長  その戦いのなかで、三大秘法が確立していき、大聖人の誓願が成就するのです。
 三大秘法は、広宣流布を戦い抜かれた大聖人の御生命から開き顕された法体です。したがって、広宣流布への信心と闘いがなければ、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持したことにはなりません。三大秘法の受持には、広宣流布の誓願の継承が肝要なのです。


 斉藤  三大秘法は、もともとは大聖人の戦う御姿のなかにあるといえます。
 「本門の本尊」 は、大聖人におかれては、妙法と一体の大聖人の御生命に躍動する尊極の仏界の生命であり、大聖人己心の妙法蓮華経です。ゆえに私たちは、御本尊を 「観心の本尊」 と拝します。

 森中  「本門の本尊」 を根本と尊敬して、いかなる悪の生命も打ち破っていくという確固たる誓願を持ち続けて戦われる大聖人の御姿にこそ防非止悪の戒が持たれています。その大聖人がましますところが 「本門の戒壇」 です。
 私たちにとっては、単に御本尊を御安置するだけでなく、誓願を継承して広宣流布に戦ってこそ、そこが 「本門の戒壇」 であるといえるのではないでしょうか。

 名誉会長  「本門の題目」 は、本尊への信とその証である唱題を、自行化他にわたって実践し、弘めていく大聖人の実践です。
 大聖人は 「報恩抄」 で、本門の題目を 「声もをしまず唱うるなり」(328P) と仰せです。これは不惜身命の信心が、「本門の題目」 の根本であることを示されている、と拝せます。
 このように三つの次元で、大聖人が実践された法体を私たちに示してくださったのが三大秘法です。大聖人の御生命と実践の全体が継承されるように示されているのです。その核心は、広宣流布の誓願の継承です。
 三大秘法は、いわば妙法を個人の生命に、国土に、そして全世界に具現化させていけるように示された法体なのです。
 その三大秘法の受持のために大切なのが、大聖人と同じように、魔と戦いきる強盛の信心です。
 悪世において、その強盛の信心を起こして、魔を打ち破り、三大秘法を持ち続けていくのが地涌の菩薩です。
 さらに悪世滅後の弘通は、誓願を継承した地涌の菩薩である和合僧団の存在が最重要となる。一人また一人と同志を糾合して 「日蓮が一門」 を確認しあい、「日蓮と同意」 で広宣流布に前進していく地涌の絆を再確認する場がどうしても必要だからです。


 斉藤  創価学会の会合は、まさに地涌の菩薩が誓願を確認し、深めあう場ですね。

 名誉会長  そうです。戦う地涌の菩薩が集っているのです。虚空会を今に現出した姿であるといってよい。
 「時のしからしむるに有らずや」(329P) です。
 濁劫悪世の今こそ、ますます広宣流布を強力に推し進める 「時」 にほかなりません。
 それが創価学会の三代会長を貫く確信です。
  (同書・280~283P)

 池田先生は、“三大秘法は、広宣流布を戦い抜かれた大聖人の御生命から開き顕された法体です” とまた、“大聖人の戦う御姿のなかにある” と指導されています。

 「本門の本尊」 は、“大聖人の御生命に躍動する尊極の仏界の生命であり、大聖人己心の妙法蓮華経” をいいます。
 『御義口伝』 に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(760P) と仰せです。

 「本門の戒壇」 は、「三類の強敵」 を打ち破り、法華弘通の誓願を持ち続けて戦われる大聖人の御姿のなかに 「防非止悪(非を防ぎ悪を止む)」 の戒が持たれています。
 ゆえに、その誓願を継承して広宣流布に戦うところが 「本門の戒壇」 になります。

 「本門の題目」 は、“本尊への信とその証である唱題を、自行化他にわたって実践し、弘めていく大聖人の実践です” と、題目を 「声もをしまず唱うるなり」(328P) と仰せの不惜身命の信心が、「本門の題目」 の根本である と指導されています。

 そして、“三大秘法は、いわば妙法を個人の生命に、国土に、そして全世界に具現化させていけるように示された法体なのです” とのことです。
 この “具現化させていける” ところが、すごいところであると思います。この法理によって、“南無妙法蓮華経” と唱え奉れば、我が身は即身成仏し、国土は仏国土となり、世界平和も実現できるのである。
 この日蓮大聖人の御遺命を奉じて、世界広宣流布に邁進している仏意仏勅の宗教団体は、“創価学会” だけであります。 
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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