「希望の源泉」(8)(現実を変革する哲学)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 8 回 は〔『法華経の智慧』 と 「世界宗教の条件」〕 であります。 (雑誌・第三文明3月・52P)

 〔なぜ 「法華経の智慧」 だったのか〕
 佐藤 優  『法華経の智慧』 は池田会長が創価学会の 「世界宗教化」 を見据え、「S G I が世界宗教となった時代」 のために用意した書物であると、私は捉えています。 「世界宗教としての創価学会」 が、全編に通底する大きな テーマなのです、 と。
 そして、世界宗教化の途上にあるということを、日本の識者たちも少しずつ認めつつあるとの見解を示されています。

 その端的な例として 「朝日新聞」 に、原田創価学会会長への インタビュー記事(2016‐9‐22日付)が掲載された。
 佐藤  何が重要かといえば、第一に、“現在の創価学会は、原田会長をはじめとした執行部で相談して大きな方向性を定める 「集団指導体制」 になっている。 ただし、重要な問題については、執行部は池田会長に報告し、指導を受け、判断を仰いでいる” ということを明言している点です。
 これは、世間にはびこる無責任な噂(うわさ)を打ち破る発言だと思いますし、それを 『朝日新聞』 が掲載したことに大きな意義があります。………
 さまざまな客観的事実から、原田会長は真実を語っていると朝日が判断したからこそ、掲載された発言なのです。

 朝日新聞といえば、我が国一流の新聞社である。私はどちらかといえば、学会に対して非友好的な考えの新聞社であると思っていました。
 しかしその新聞社からして、創価学会の世界192ヵ国に亘る 「世界宗教化」 という現況を鑑みたとき、もうそれを無視することができない時代に入った、ということだろうと思います。

 第二に、原田会長の発言のなかに、「世界宗教」 という ワーディング(言い回し)がきちんと入っている点が重要です。 「(創価学会は)どのような行動原理なのですか」 という質問に対して、会長は次のように答えているのです。
 「(宗祖である)日蓮の思想には世界の民衆を救うという目的がある。 私たちが国内にとどまらず 『世界宗教』 を目指すのもそれが根本にあるからです」

 創価学会が、ただ単なる特殊的な日本の教団ではなく、普遍的な価値観を持ち、実践して、世界宗教になりつつあることを、偏見を持たず、“正視眼” で物事を判断できる優秀な編集幹部がいるということだと思います、と語られています。 

 ――  日蓮仏法の卓越性を訴えるためには、『法華経の智慧』 ではなく、ストレートに 『日蓮の智慧』 『日蓮仏法の智慧』 などとしたほうが、ある意味で 「手っ取り早かった」 かもしれません。 との問いに、

 佐藤  私は思うに、あえて 『法華経の智慧』 を テーマに据えたのは、日蓮仏法よりも釈尊と法華経のほうが、現時点での世界的知名度・浸透度が大きく上回っているからでしょう。 つまり、釈尊と法華経を表に出したほうが、世界の人々にすんなり受け入れられやすかった。………
 ただ、これだけの消極的な アプローチだけではなく、
 むしろ、釈尊と法華経という入り口から入り、そこから日蓮仏法へと論を展開していくからこそ、釈尊と日蓮の関係性や、「正法・像法・末法」 という仏教史的 スケールにおける日蓮と創価学会の位置づけ、「地涌の菩薩」 の意義などが、くっきりと浮かび上がる構成になっているのです。

 釈尊の法華経は、末法では “時と機” が違い役に立たないと切り捨てしまえば、日蓮仏法はその存立基盤が失われることになります。日蓮仏法といえども、法華経を根底として打ち立てられた法門なのである。
 日蓮大聖人は、法華経の文の底に秘し沈められていた大法、久遠元初の妙法を “南無妙法蓮華経” と名付けて、我ら衆生に与えて下さいました。
 これを証明するためには、法華経に説かれている、“久遠j実成” “上行菩薩” “虚空会” 等々の法理を援用することが必要である。 ゆえに、「日蓮仏法の智慧」 より、『法華経の智慧』 のほうが、的を射ているように思います。

 〔「現実変革の哲学」 としての法華経〕
 佐藤  私が学会員の皆さんと接するなかで、大きな魅力の一つとして感じるのは、決して極端に走らない バランスのよさです、 と語られています。
 ………
 池田会長の次のような発言を読んで、学会員の皆さんの 「バランスのよさ」 は、法華経そのものが内包する志向性の反映なのだなと感じたからです。
 「“この世に埋没する” 現実追従。 “この世に目をつぶる” 現実拒否。 “あの世に逃げる” 現実逃避――。 大聖人は、旧来の天台宗を、また禅宗・念仏宗を強く批判された。 それらはすべて 『諸法の実相』 に背いているのです」 (「普及版」上巻・206P)

 「現実追従」 は天台宗に対応している。天台本覚思想によれば、人間の本性は仏そのものなのであり、成仏を目指しての修行は何ら必要なかった。現実のすべてをありのままに受け入れ、変革の努力を放棄したところに宗教思想としての堕落の面を見ることができる。
 「現実拒否」 は禅宗である。戒・定・慧の三学のうち、特に定を強調している。坐禅入定の修行によって、我が身が即仏する(即身即仏)というもので、仏祖にもよらず、画像木像をも否定し、教外別伝・不立文字といって仏典をも否定する。仏の所説に従わないのは、魔の所為以外の何ものでもない。ゆえに、大聖人は 「禅宗は天魔の所為」(1073P) と喝破されている。
 「現実逃避」 は念仏宗である。浄土の三部経以外の一切経を 「捨・閉・閣・抛(しゃへいかくほう)」 といって、“聖道を捨て……定散の門を閉じ……聖道門を閣(さしお)き……諸の雑行を抛(なげう)ち” して、現実の娑婆世界を穢土として厭い、在りもしない弥陀の西方十万億土を欣求するとは、実に はかなく虚しい宗教である。
 日蓮仏法における現実との向き合い方は、このいずれでもないのである。

 佐藤  池田会長は同じ個所で、次のように言葉を続けています。
 「法華経の諸法実相は 『現実を変革する』 哲学です。
 運命論には従わない。あきらめにも同調しない。それ等の無力感をはね返す “ばね” を開発する。 『だからこそ変えていくのだ』 と闘志を奮い立たせる。 そして 『自分は今、何をすべきか』 と問い続ける責任感を呼び起こすのです」
 (同)
 この一節にはまさに、運命の波浪のなかでも自分の使命というものを決して忘れない。 学会員の皆さんの 「強さ」 と 「バランスのよさ」 が、見事に表現されていると感じます。

 「現実を変革する」 まさに、“人間革命” のことであります。引き続き、先生のご指導がありますのでご紹介します。  (「法華経の智慧1巻・237P)
 池田先生は人間革命は即、社会革命・環境革命になる。
 ………
 依報も正報も、別々のものではない。 不二です。 ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼から見れば、森羅万象は、ひとつの生命体です。 正法だけの幸福はありえない。 依報だけの平和もありえない。 自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。 人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいる限り、自分の幸福も完全ではない。 こう見るのが諸法実相であり、ゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」 が、諸法実相の心なのです。
 ………
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。 創価学会はある。 人類を幸福にするために創価学会は戦う。 それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。 どれほど尊いか。
 諸法実相の眼で見れば、「いま」 「ここ」 が、本有の舞台です。 本舞台なのです。 「此(ここ)を去つて彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(781P) です。
 「宿命」とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の 「使命」 を果たしていくべき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。 出会う人々、出あう経験のすべてが、かけがえのない 「宝」 となる。
 
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テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

「新・人間革命」第11巻〔暁光の章〕(ブラジル指導)

 〔暁光〕
 深き闇を破れ!
 険しき峰を越えよ!
 そこに、新しき時代の希望と栄光の眺望が広がる。

 一九六六年(昭和四十一年)三月十日――。
 ジェット機は、未明の南米大陸上空を、ブラジルの リオデジャネイロに向かい、順調に飛行していた。 (同書・7P)


 池田先生の初めての ブラジル訪問は、一九六〇年(昭和三十五年)十月のことであった。今回も前回と同じように、激闘のすえ体調を崩され発熱のあるお体での訪問であった。
 五年半前の ゼロから会員約八千世帯に発展し、三月十三日には、サンパウロ市内で、大々的に文化祭を開催することになった。
 しかし、当時 ブラジルは軍政下にあり、創価学会を誤認識して警戒を強めており、文化祭の外 一切の会合も、政治警察の監視の下で行われた。
 このような状況下、ある著名な ジャーナリストが、先生に インタビューをしたいとやって来た。
 先生は、“学会への偏見と誤解を正しておかなければならない” と言われてお受けになりました。
 この インタビューの記事は、我々も知っておいた方がよいと思いましたので、少々長くなりますがご紹介します。

 この ジャーナリストが、最も関心をもっていたのが、公明党と学会の関係であった。
 質問の裏には、学会は世界各国で、政治支配を目論んでいるのではないかという、疑問があったようだ。 ジャーナリストは尋ねた。
 「では宗教団体である創価学会が、なぜ政界に進出したのか、お伺いしたいと思います」
 伸一は、大きく頷きながら答えた。
 「宗教は、なんのためにあるのでしょうか。
 人びとに幸福をもたらすためです。 世界の平和を築くためです。 よりよい社会を建設するためです。―― それが本来、宗教が果たさなければならない使命です。 したがって、もし、宗教が、人びとの苦悩や社会の現実に対して目を閉ざし、無関心を決め込んでいるなら、それは、死んだ宗教といわざるをえません。
 さて、仏法の精髄である法華経では、慈悲の道を教えるとともに、万人に仏の生命があることを示し、生命の尊厳と平等を説いています。 創価学会は、この仏法の哲理を、人間の営みである文化や教育など、あらゆる分野で生かし、人びとの幸福と平和に寄与することを目的としております。 その考えに基づき、私たちは、政界にも メンバーを送り、さらに、政党をつくったんです」


 畳(たた)みかけるように、ジャーナリストは尋ねた。
 「すると、創価学会は、日蓮仏法と政治の一体化、つまり、政教一致をめざしているということですか」
 「いいえ、違います。 政治には、確固とした政治哲学、政治理念が必要です。 それがなければ、根無し草のように、ただ状況に流されるだけの政治になり、民衆は動揺し、不幸になってしまう。
 私たちは、仏法で説く慈悲や、生命の尊厳の哲理を理念とし、“根底” とした政治の実現をめざして、公明党をつくりました。 だが、それは、宗教を直接、政治の世界に持ち込むこととは違います。
 公明党は、広く国民のために寄与することを目的とした政党であり、党と学会とは、運営面などでも、一線を画しております。 公明党も、創価学会も、平和と人びとの幸福を実現するという根本目的は同じですが、政治と宗教とは役割が異なります。
 宗教は人間の精神の大地を耕すものです。そして、その広大な大地の上に、芽吹き、花開き、結実する草木が、政治も含め、広い意味での文化です。 私たちは、精神の土壌を耕し、政党という種子を植えました。 今後も、全力で応援はしますが、それがいかに育ち、どんな花を咲かせ、実をつけるかは、草木自体に任せるしかありません」


 重ねて、ジャーナリストが、鋭く質問した。
 「今までのお話からしますと、宗教は、必然的に、政治に関わらざるをえないということになるように思えますが、ブラジルでも政党をつくる計画があるのでしょうか」
 これが、彼の一番聞きたかった問題のようだ。 伸一は微笑(ほほえみ)みながら言った。
 「私は、信仰上のことでしたら、アドバイスもしますが、それぞれの国にあって、政治にどう対応していくかということは、その国のメンバーが話し合って決めるべき問題です。 日本人である私が決定し、指示するようなことではないし、また、そんなことがあってはならないというのが、私の考えです。
 そのうえで、個人的な感想を申し上げると、ブラジルをはじめ、各国にあっては、政党結成の必要は、全くないと思っています」


 すかさず、次の問いが返ってきた。
 「さきほど、宗教は、よりよい社会をつくるためにあると言われましたね。それなのに、なぜ各国で政党をつくる必要はないと思われるのですか」
 さらに踏み込んだ質問であった。
 「よき時代をつくり上げる、また、よい社会をつくることは、仏法者の社会的使命です。 また、政治という問題が、人びとの生活に深く関わり、社会の在り方を決定づける重要な要素であることも確かです。 しかし、だからといって、必ずしも政党を結成するなど、教団として、まとまって何かを行うということではありません。
 創価学会は、各人が信仰によって、それぞれの人生を充実させ、完成させ、勝利していくことを指標としています。 つまり、幸福を創造する人格をつくることであり、これを人間革命といいます。
 そして、人間として幸福に生きていこうとするならば、よりよい社会を建設していかなければならない。 そのために、宗教を根本に、自身の信念のうえから、“よき市民” として、社会のために貢献していこうというのが、私たちの生き方です。 そうした人格を磨くことこそ、宗教の大きな役割であると思っています。
 したがって、政治に対しても、各人が、よりよい社会の実現を目指して、個人のもつ政治観に基づき、個人の責任において行動していくのが、本来の姿といえます」


 追い打ちをかけるように、質問が続いた。
 「それならば、どうして日本では、政界に学会員を送り、さらに、公明党を結成するに至ったのでしょうか」
 「核心」 をつく質問であった。 伸一の回答にも、一段と力がこもった。
 「それには、幾つかの日本独自の理由があります。
 その一つが、日本の再軍備という問題でした。 日本は、戦後、戦争放棄を掲げて スタートしましたが、アメリカの要請で警察予備隊を新設し、それが保安隊となり、一九五四年(昭和二十九年)には自衛隊が発足しました。 国をどう守るかということは、極めて大事な問題ですが、この急速な再軍備の流れを、私の恩師である戸田第二代会長は深く憂慮していました。
 かつて日本は、アジアに侵略したにもかかわらず、本当の意味での、反省もない。 それで軍備に力を入れればどうなるのか。 軍事大国化し、間違った方向に進みはしないか ―― という懸念でした。
 また、戸田会長は、東西の冷戦のなかで深刻化する核の脅威に対し、日本は世界最初の被爆国として、反核を訴え、世界平和の発信国となる責任があると考えておりました。
 そして、日本が、そうなっていくには、戸田会長が提唱していた地球民族主義、つまり、地球共同体という人類意識に立った政治家の存在が不可欠であると、痛感されていました。
 しかし、日本の政界には、東西冷戦の対立の構図が、そのまま持ち込まれていたんです。
 各政党の政策も、政治家たちの主張も、イデオロギー色が濃厚であり、人類意識、真実の平和主義に立脚した政治家はいませんでした」


 ジャーナリストは、目を輝かせ、盛んに ペンを走らせた。
 「また、当時、日本には、大企業やその経営者を擁護する政党や、大企業で働く組織労働者のための政党はあっても、町工場や小さな商店で働く、未組織労働者を守ろうとする政党はありませんでした。
 しかし、その人たちこそ、人数も多く、苦しい生活を強いられている。
 私たちは、そこに政治の光を送り、政治を民衆の手に取り戻さなければ、真実の社会の繁栄は、永久になくなってしまうだろうと考えました。
 そこで、戸田先生は、一九五五年(昭和三十年)の地方議会の選挙に、弟子の代表を候補者として立て、政界に送ることを提案されました。………」
 (同書・19~25P)

 戦後、日本の政界は、東西両陣営の大国の顔色ばかりをうかがい、国民不在の権力闘争に明け暮れていた。
 現在でも、国連の核兵器禁止条約交渉への不参加を表明した。唯一の被爆国として核廃絶へ一歩でも、前進させるための音頭を取るべきではないのかと思う。国の指導者のなかに、“人類意識、真実の平和主義に立脚した政治家” はいないようである。

 この インタビューをまとめた リポートは、その後、しばらくして、ブラジルの有力週刊誌に 「山本氏の晴れ渡った世界」 と題して掲載された。
 それは、創価学会を ファシズムなどと危険視する批判の検証というかたちをとっており、極めて客観的な リポートになっていた。伸一の主張も的確にまとめられ、学会の真実に迫るものとなった。
 池田先生は、「真実は、語らなければわからない。沈黙していれば誤解や偏見のままで終わってしまい、結果的に誤りを容認し、肯定することになる」 と指導されています。

 以来八年、ブラジルの メンバーは、先生をお迎えしょうと学会理解への戦いを真剣に行い、一九七四年(同四十九年)三月、文化祭の開催が決まっていたが、入国 ビザ(査証)が発給されず、先生のご訪問は実現できなかった。
 再訪問ができたのは、じつに十八年後、一九八四年(同五十九年)の二月のことでした。
 この間の メンバーの血の滲むような戦い、先生をお迎えし、大文化祭での大歓喜の模様など、本書をお読みくだされば幸いに存じます。 
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テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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