「新・人間革命」第12巻〔新緑の章〕(人間疎外)

 〔新緑〕
 必ず、新しい朝が来る。
 朝は希望である。心に希望をもてる人は、新しい朝を迎えることが楽しい。
 さあ、出発だ 黄金の扉を開け 生命の扉を開け
 新しき世紀の風は吹き渡り、青き海原に希望の波は、金波、銀波と躍る。
 新しき人生の出港の銅鑼(どら)を、力いっぱい、高らかに打ち鳴らせ 我らの尊き使命の、偉大なる決戦の大航海が、今、始まるのだ。 わが友とわが同志と一緒に

 一九六七年(昭和四十二年)五月三日――。
 この日、山本伸一の会長就任七周年となる第三十回本部総会が、両国の日大講堂で、晴れやかに開催されたのである。
 (同書・7P)

 会長就任七周年記念の本部総会が開催され、総務の十条潔氏が先生の第三代会長就任以来の歩みを語った。
 就任時の百四十万世帯からこの七年で、今や六百二十五万世帯となり、支部数は六十一から、国内だけで三千三百九十三と、大飛躍を遂げたのである。
 そして、「まさしく、この大偉業、大発展は、山本先生が億劫の辛労を尽くされたからであると、痛感いたしております。そのことに対し、私は心から先生に、御礼、感謝申し上げたい。……」 と述べられた。

 そして会長講演となり先生は、現代社会に鋭い分析の眼を向け、「人間疎外」 の問題について論じられた。
 「現代の思想家、知識人が憂(うれ)えている文明の行き詰まり等の問題は、究極的には、人間性喪失、すなわち、人間疎外の問題であります。
 これは、物質文明、機械文明の目覚ましい発達に比べて、精神文明が立ち遅れ、人間が主体性を失い、生命の尊厳を忘れたゆえであります。
 その幾つかの局面を挙げてみますと、まず、生活のあらゆる部門が機械化され、人間は機械に従って動いていればいいような、機械が主人で、人間が家来といった関係になってしまった。 企業でも、機械化、合理化のために、労働者が首を切られるという現象も起きております。
 また、いわゆる官僚機構に見られるごとく、組織が膨大となり、人間一人ひとりは、その歯車にすぎなくなってしまっております。 そこでは、組織それ自体が巨大な メカニズムとなり、個人の意思を超えて動き、個人は言い知れぬ無力感と虚無感に覆(おお)われている。
 さらに、マスメディアによって、情報、ニュースが、洪水のように流されるなかで、現代人の多くは、ただ、それを受け取るだけになっているというのが、悲しき現状であります。
 そうした状態が続くうちに、自分から意欲的に主体性をもって働きかけるよりも、いつも何かを待っているような、受け身的で消極的な、弱々しい精神構造になりつつあるといえます。 また、生き方、考え方の確固たる基準がないところから、理性的な判断に欠け、その場、その場で、衝動的、本能的に行動してしまう傾向が強くなってきている」
 (同書・13P) 

 このほかにも核兵器の脅威などをあげ、人間疎外の現実を乗り越えていくには、「機械文明の力を自在に使いこなしていける、強い自己自身をつくっていくことが肝要であり、そのためには、支柱となるべき思想、宗教が不可欠であることを述べた。
 しかし、西洋の資本主義の基盤となったキリスト教も、また、共産主義も、行き詰まりを呈しており、色心不二の大生命哲学、すなわち、日蓮仏法こそが、新しき精神文明を開きゆく力である」
と訴えられました。 

 池田先生は、「人間疎外の進行に、強い危機感をいだいていた。 そして、人類の未来のために、解決の糸口を示さなければならないと、考えてっ来たのである」 (同書・14P) と述べられ、すでに五十年も前から、ほとんどの弟子たちが気付いていない 「人間疎外」 という難問題の解決への道を教えてくださいました。
 それは、万人に等しく尊厳性(仏性)を見い出していく法華経、すなわち “日蓮大聖人の色心不二の大生命哲学” であります。

 現在、世界の情勢は、何やら きな臭いにおいがしてきました。
 アメリカ軍が、シリアの空軍基地に対して、化学兵器使用のかどで、巡航ミサイル 「トマホーク」 で攻撃を加えた。アサド政権に対する軍事攻撃は初めてであるとのこと。
 また、北朝鮮海域へ原子力空母を派遣しているとのこと。トランプ氏は、「20年来のアメリカの対北朝鮮戦略は失敗であった。中国が何もしないのなら、単独でもやる(趣意)」 と、北朝鮮の対応如何によっては、先制攻撃も辞さないという発言をしているそうである。
 このような状況を、過小評価してはならないと思います。

 絶対に、戦争はしてはならない。核戦争を起こしてはならない。
 われら地涌の菩薩たちは、異体同心にして、宇宙の果てまで届く題目で、諸天善神を動かし行くのだ。
 池田先生は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」 と、一人の生命変革の偉大なる力を教えてくださいました。
 大聖人は、「速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや」(32P) と仰せです。
 
 いまこそ、戦う時だと思います。 「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361P) の御金言を体して。 
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「希望の源泉」(9-a)(科学の危険性と創価という名前)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 9回は、〔「何のため」を問い続ける思想〕 であります。
 この 9回(第三文明・4月号)で、「方便品」 の章についての語らいは一区切りつき、途中から 「譬喩品」 の章に入ります。

 〔目的観を見失った現代科学の危険性〕
 佐藤 優  それは、「人間に希望をあたえる学問を」 という、この章の最後の項目(「普及版」上巻・227P)についてです。 ここでは、科学者のあるべき姿勢について論じられています。
 このなかで、斎藤(当時・教学部長)さんの 「人間を無気力にさせる科学ではなく、人間に、勇気を与える科学であってほしいですね」 という発言を受けて、池田会長は次のように言われています。

 「そう、学問は人間に希望をあたえなければならない。 そうでなくて何のための知性か」 (上巻・229P)

 対談者は、科学の世界では 「新奇性(novelty)」 の追求それ自体に創造の源があるのだから、「人類の幸福のために研究する」 などという “限定” をつけてしまったら、自由な発想が損なわれてしまう、という考えがあると発言しています。
 佐藤氏は、マックス・ウエーバーは、資本主義が発展していくと、“「精神なき専門人」 と、「心情なき享楽(きょうらく)人」 が跋扈(ばっこ)してくる” という言い方でその問題を表現しました。
 そして、「何のため」 という目的観や倫理観を見失い、ただ新奇性だけを追い求め、「研究のための研究」 に終始する科学者は、「精神なき専門人」 その者でしょう、と語っています。

 佐藤  ただ、何の限定もつけない 「科学のための科学」 を志向していくことは、結果的に 「権力者のための科学」 に堕してしまう危険性が強いと思います。……… 特に、巨額の国家予算を投じる 「ビックサイエンス(巨大科学)」 の研究には、そのような難しさがあります。
 だからこそ、いわば 「正しいバイアス(偏り)」 を科学に与えるため、宗教が果たす役割も大きいのです。その意味で、『法華経の智慧』 で池田会長が “科学は人間に希望を与えるものであるべきだ” と主張しておられることに、私は全面的に賛同します。


 池田先生は、創価学園生に 「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」 との指針を贈りました。
 佐藤氏は、現代科学が 「何のため」 を見失いつつある今だからこそ、学問について 「何のため」 を問い続けてきた池田思想が、ますます光彩を放っているのです、と語っています。
 
 〔「創価」 という名前自体に見る 「世界宗教性」〕
 佐藤  さて、『法華経の智慧』 「方便品」 の章の終盤には、この章の内容をまとめるような重要な発言がありなす。池田会長による、次のような言葉です。
 「生命は、物質学的な因果律に支配されるだけのたんなる機械ではない。 もちろん物質でできている以上、生命体に “機械の側面がある” のは当然である。 しかし、“機械にすぎない” のではない。
 生命は本来的に、“価値を創造しょう” という要素をもっている。 価値も 『関係性』 の概念ですが、『関係の織物』 であるこの世界にあって、つねに 『よりよき関係』 すなわち 『より大きな価値』 を創造しょうとしている。
 より美しい織物(美)、より役に立つ織物(利)、より善なる織物(善) を織ろうとする。 この 『価値(価値創造)作用』 に、生命の大きな特色があることは確かだと思う」
 (上巻・234P)
 これは、「方便品」 の章で展開されてきた池田会長の生命論のいわば結論であり、牧口初代会長の 「美・利・善」 の 『価値論』 をふまえ、「創価」 の哲学を生命論のなかに位置づけた言葉と言えます。

 ――  “創価作用こそが生命の特質だ” との指摘は、言い換えれば 「生命はすべてを生かす」 という主張であり、法華経 「方便品」 に説かれる 「諸法実相」 の法理の現代的説明とも言えそうですね。

 佐藤  そのとおりです。 そして、このような生命観は、「生命は遺伝子の乗り物にすぎない」 と見る、リチャード・ドーキンス(イギリスの進化生物学者)らのような遺伝子還元論や、ド・ラ・メトリー(18世紀フランスの哲学者・唯物論者)の 『人間機械論』 のように、「生命は機械にすぎない」 と見る生命観に対する論駁(ろんぱく)にもなっています。

 対談者は、佐藤・松岡対談集 『創価学会を語る』 のなかで、“「創価学会」 の 「創」 の字は、キリスト教の 「天地創造」 を連想させるから、仏教団体には合わないのではないか” という日蓮正宗宗門の意見が紹介されていましたね。 牧口会長は断固譲らなかったそうですが、という、発言に対して、

 佐藤  私のような キリスト教徒から見ると、「価値創造」 という中核概念があることによって、むしろ創価学会に対する親近感がわきます。
 もう一歩立ち入って考えるならば、創価学会は、「創価」 という名称をつけたことによって、創立時からすでにある種の 「世界宗教性」 を孕(はら)んでいたのです。 なぜなら、キリスト教にも イスラム教にも 「創造」 の概念があるため、世界の キリスト教徒、イスラム教徒は、創価 ― 価値創造という概念それ自体に親近感を覚えるはずだからです。


 キリスト教徒やイスラム教徒は、“むしろ創価学会に対する親近感がわきます” との発言に、驚きを禁じ得ませんでした。私ごとき頭ガチガチの者には、このような発想は生まれてきません。
 さすがに キリスト教神学を究められておられる 佐藤氏だからと感心いたしました。
 これから 「世界広布新時代 青年拡大の年」 の益々の拡大の姿が見られることは、これほどの歓喜はありません。
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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