「新・人間革命」〔雄飛の章〕(九州から反転攻勢)

 現在 「聖教新聞」 に連載されている 「新・人間革命」 の 〔雄飛の章〕 には、第五次中国訪問の模様と、お疲れのところ、わざわざ長崎で途中降りられて、会員を激励され、反転攻勢の戦いの模様が記されています。

 池田先生は、第五次中国訪問の帰途、一九八〇年(昭和五十五年) 四月二十九日の午後、九州の長崎空港に到着されました。
 当時、第一次宗門事件の真っ最中で、宗門は池田先生に対して、理不尽にも “一切の会合に出てはいけない。会員に指導してはいけない。聖教などの機関紙誌に載せてもいけない” 等々と、創価の師弟の絆を引き離そうとする、広布破壊の魔の正体を現わしていた。
 先生は、退転・反逆者や宗門僧らによる謀略の鉄鎖を断ち切って、新生の広宣流布の道を開くために、長崎から福岡、大阪、名古屋などで、記念勤行会や各種会合に出席され、全力で同志を励まそうと決意されました。

 長崎では報道各社の合同の記者会見があり、そのあと、訪中団メンバーとの懇談を行い、皆をねぎらいました。
 懇談が終わったあと、伸一に同行していた 「聖教新聞」 の記者が言った。
 「帰国報道のほかに、先生が長崎文化会館で長崎支部結成二十二周年記念幹部会に出席されたことも、記事にしたいと思います」
 「かまいません。事実を隠(かく)す必要はない。創価の師弟が分断され、不二の心が失われていけば、広宣流布はできない。 だから私は、同志と共に戦いを開始します。 私の今後の予定も発表しょう。 さあ、反転攻勢だ 戦闘開始だよ
 翌 四月三十日付の 「聖教新聞」 一面には、伸一の帰国や記者会見の模様、記念幹部会への出席の報道とともに、「名誉会長は、長崎のあと福岡、関西、中部の会員の激励・指導にあたると予定になっている」 と記されていた。
 この一文は、読者の目をくぎ付けにした。 日本列島に歓喜の激震が走った。


 福岡へ移動する三十日、先生の乗った特急列車は、停車するどの駅にも学会員が集まってきていた。福岡行きは、既に新聞発表されていたために、どの列車に乗られるかは容易に察しがついたのである。
 皆、先生の姿を見つけると、満面の笑みで手を振り、信心修行に頑張ることを決意したのである。

 五月一日午後、福岡市早良区の九州記念館を訪問。
 夜には博多区の九州平和会館での福岡県本部長会に出席し、獅子の魂を注ぎ込む思いで訴えた。

 「『広宣流布の胸中の旗』 を、断じて降ろしてはならない
 「『折伏の修行の旗』 を、決して降ろしてはならない
 「『一生成仏の、信心の光』 を、消しては絶対にならない

 彼は、この言葉を、強く繰り返した。
  (雄飛 二十二・聖教・2017-7/10・3面)

 この雄飛の章の九州指導が始まって、私は上記の指導が何時・記載されるのか、心待ちにしていました。
 当時、約一年間、聖教新聞には先生のお写真やご指導は一切なく、皆・何となく寂しい想いや元気をなくしていました。このような時に、先生の上記の三指針のご指導に接し、目の覚める思いで、また、やらんかなの意気に燃えたことを懐かしく思い出します。

 今まで私は、このご指導は、長崎で発せられた九州指導の第一声の指導であると思っていました。しかし、「新・人間革命」 では福岡の本部長会での指導となっています。私の記憶の間違いなのかもしれません。
 しかし、先生は “この言葉を、強く繰り返した” と仰っています。ゆえに、ただ一か所の一回限りの指導ではないと思います。
 この反転攻勢の戦の中、折に触れて同趣旨の指導は、何回も繰り返されていると、僭越ながら推察申し上げるものであります。

 今年の梅雨時に、福岡・大分両県にまたがる、筑後川支流の山あいの地域に大災害が発生しました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。とともに、何時・大難に遭うのか、他人事とは思えない感がいたします。
 これからの一生、如何なる困難なことが起ころうとも、御本尊を抱きしめて、この三指針の、
 「広宣流布の旗」 「折伏の旗」 を決して降ろしてはならない。「信心の火」 を絶対に消してはならない という、先生の “獅子の魂を注ぎ込んだ” このご指針を、肝に銘じて頑張ります。
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「新・人間革命」第3巻〔月氏の章〕(マハトマ・ガンジー)

 今月(平成29年7月)の人間革命・池田塾は、『新・人間革命』 第3巻 〔月氏〕 の章を研鑽することになりなした。
 それは、インド(BSG)青年交流団が日本を訪問、北九州では7月23日(日)に、「インド・北九州 先駆青年友情総会」 が開催されます。
 これにちなんで、池田先生が1961年(昭和36年)、「仏法西還」 の道を開かれた模様が記載されている、第3巻の 〔月氏〕 の章を研鑽します。
 当時のインドには、学会員は一人も居ませんでしたが、日蓮大聖人の御予言である、一閻浮提広宣流布の大願成就のため、釈尊成道の地である ブッダガヤに記念として、「東洋広布」 の石碑 と 「三大秘法抄」 などを収めた ステンレスケースを埋納し、「仏法西還」 の第一歩を印したのである。

 〔月氏〕
 この章には、ほかに、仏法の慈悲を根底に政治を行った “アショーカ大王” の事績も述べられていますが、ここでは、無血革命を成し遂げた “マハトマ・ガンジー” についてご紹介いたします。
 インド独立の偉大なる “父” こそ、マハトマ・ガンジーである。
 1893年、23歳の時、弁護士として商用で、南アフリカに渡り、そこで不当な人種差別、迫害を体験、インド人の人権擁護の闘争で、ガンジーが組織したのが 「非暴力」 の民衆抵抗運動であった。
 1915年、南アフリカでの戦いに勝利し、帰国した ガンジーを同胞は英雄として迎えた。彼は45歳になっていた。
 「非暴力の抵抗運動」 について、先生は次のように述べられています。 
 
 ガンジーにとって、非暴力は、単なる手段や戦術ではなかった。 人間の真理そのものであり、全人生を貫く信念であった。 ゆえに、彼は、それを 「サティヤーグラハ」(心理を堅く守り抜くこと) と呼び、こう断言した。
 「非暴力 は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である」 (『わたしの非暴力1』 M・K・ガンディー著、森本達雄訳、みすず書房)
 ガンジーは、民衆の心のなかに 「筋金」 を入れたのである。 インドの独立といっても、民衆自身の 「精神の独立」 なくしては、真の独立とはいえないからだ。
 彼は、何よりも民衆の心に染(し)みついた 「恐怖」 を追い払った。 民衆が毅然と顔あげ、背筋をぴんと伸ばした時、民衆の上に君臨する、傲慢なる権力者は転げ落ちていかざるをえない。 ネルーは、民衆の心から 「恐怖」 を追い払ったことを、ガンジーの 「最大の贈り物」 と評している。
 「恐怖」 とは何か。 それは、自分の心がつくりだした幻影にすぎない。 怯(おび)えるものは、自身の心の陰に怯えているのだ。
 「恐れるな――遥(はる)かな昔、かの釈尊は、こう説いた。 今、ガンジーもまた、「民衆よ、恐れるなと叫んだのである。 その叫びに、民衆は立ち上がった。 ここに、インド独立の真の夜明けが始まったといってよい。
 政治という現実を見すえて、人権闘争の旗を掲げた ガンジーは、しばしば 「政治に迷う聖者」 と揶揄(やゆ)されもした。 また、聖職者たちからは、「政治にかかわらないで、瞑想(めいそう)生活に専念すべきだ」 との忠告も受けた。
 しかし、ガンジーは現実の真っただ中を歩み続け、民衆に献身し続けた。 そして、最も差別された不可触民の人びとを 「ハリジャン(神の子)」 と呼び、その自由と平等のために尽くしている。 そこには、あふれんばかりの人間愛がある。 ヒューマニズムの輝きがある。
 では、いったい何が、ガンジーのその原動力となったのか。
 彼は答えている。 「純粋に宗教的なものです」 と。
 およそ人間は 「宗教性」 を抜きにして、他者への奉仕に徹しきることなどできない。 彼の言葉は、宗教は人間の精神を培(つちか)い、人間の営み全般に道徳的基盤を与えることを示していよう。 ゆえに、こうした 「宗教性」 をまったく欠いた政治は、ガンジーが 「宗教を離れた政治はまったく汚いもの」 と鋭く指摘したように、権力と金力の パワーゲームとなってしまうにちがいない。
 彼は 「奉仕することが私の宗教です」 とも語った。 それは、階級や民族を超えて、一人ひとりの人間に至高の価値を見い出してこそ、初めて可能になろう。
  (「新・人間革命」3巻・116~118P)

 イギリスの植民地であった インドの多くの民衆は、無知と貧困に打ちひしがれ、誇りも自信も失っていた。そのような民衆に対して、植民地支配の誤り・不当なることを教え、人びとの心に自尊・独立への覚醒を促したのである。
 そして、権力者からの横暴な迫害に対して、「恐れるな・恐れるな……」 と叫び、その叫びに民衆は立ち上がった。そして遂に、1947年(昭和22年) 8月15日、インドは 「独立」 を達成しました。

 独立から 5カ月半が過ぎた、1948年 1月30日、午後 5時過ぎ、78歳の ガンジーは、三発の凶弾に倒れた。白衣は血に染まったが、顔は、安らかだった。
 先生は、記念の聖地になっている ラージ・ガートに立ち、しみじみとした口調で言いました。

 「ガンジーは 『私の宗教には地理的な境界はない』 と語っている。 彼のその慈愛は、インドの国境を超えて、世界の宝となった。
 戸田先生も、『地球上から “悲惨” の二字をなくしたい』 と言われ、そのために戦われた。 先生の慈愛にも国境はない。 私は、そこに 二人に共通した崇高な精神を感じる。
 そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
 ガンジーが行った民衆運動は、それまで、だれもやったことのない闘争であった。 だから 『出来るわけがない』 『不可能だ』 との批判も少なくなかった。 それも当然かもしれない。
 しかし、彼は厳然と言い切っている。 『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』 と……。
 断固たる大確信です。 どこまでも人間を、民衆を信じ抜いた言葉です。 そして、ガンジーは、この言葉の通り、インドを独立に導き、民衆の勝利の旗を高らかに掲げた。
 広宣流布の遠征も、未曽有の民衆凱歌の戦いだ。 まさに非暴力で、宿命の鉄鎖(てっさ)から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る戦いです。 歴史上、だれもやったことがない。 やろうともしなかった。 その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」
  (同書・121P)

 池田先生は、「一個の人間として、ガンジーの “魂の火” を永遠に消してはならぬと、深く心に誓っていたのである」 と述べられています。
 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者、劉暁波(りゅうぎょうは)氏(61)が 7月13日、実質的に獄中にて亡くなりました。  氏は、天安門事件のデモ隊の中心的指導者であった。
 テレビで何回も、銃を叩き壊している映像が流されていたように、非暴力の革命を目指していました。いまだ、氏の夢の民主革命は成就してないけれど、非暴力主義を目指してのことは、インドのマハトマ・ガンジー、アメリカのマーティン・ルーサー・キング牧師と同じであり、尊いことだと思います。
 
 我らの広宣流布の戦いについて、先生は “まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る戦いです” と述べられています。宿命の鉄鎖からの解放と言われていますように、より本源的な生命次元からの変革であります。
 必ずや、後世の歴史家は、世界広宣流布に戦った、創価三代の先生方と地涌の菩薩たちを、絶賛することは間違いないと確信します。
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「希望の源泉」(12)(信仰と理性)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く)の第 12回は、「信仰と理性」 の関係めぐる根源的思索 であります。  (第三文明・2017/7月・53P)

 何かを信じていない人間などいない
  まず、「信解品」 という タイトルについて、鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢文に訳す際、声聞の弟子たちが 「信」 によって仏の智慧を開いたという内容であることから、「信解」 と意訳しました。

 佐藤 勝  信解の 「解」 は理性を意味するものと捉(とら)えられますから、「信解」 という言葉それ自体が信仰というものの本質を一語で示しているかのようですね。
 「信」 だけで 「解」 がないのでは妄信になってしまうし、「解」 だけで 「信」 がないのではそもそも信仰とは呼べません。 信仰者にとって、「信」 と 「解」 は一体であるべきなのです。 その意味でこの 「信解品」 の章は、「そもそも信仰とは何か?」 という大テーマに迫った内容と言えるでしょう。
 池田会長も、次のように語られています。

 「重要なことは、この 『信解』 という二文字のなかに 『信心と智慧』 『信仰と解脱(げだつ=悟り)』 という仏法上の根本問題が凝縮(ぎょうしゅく)されていることです。
 ひいては 『信仰と理性』 『信じることと知ること』 という哲学と文明の根源的な課題にも連なってくる」
 (法華経の智慧2巻・57P) 

 日本では 「自分は無宗教だ」 と思っている人が多数派である。そう言う無宗教は、たいていの場合 「宗教に対する無知」 からきているようです。
 そもそも、「自分は無宗教だ」 と思っている人でも、何かを信じて生きているものです。つまり、無神論者は 「無神論を信じている」 のだし、「お金だけがすべてだ」 という人は、「拝金教」 の信者である。このように、何も信じていない者など、実はいないのである。
 
 佐藤  「『生きる』 ということは、何らかのものを 『信じる』 ところから出発するわけです。 社会全体が、互いの信頼なくしては成り立ちません」 という話を受けて、池田会長は、次のように述べているのです。
 「『信』 は人間の生の基本的条件であり、人間は 『信ずるか』 『信じないか』 を選択することはできない。 選択できるのは 『何を信ずるか』 ということだけなのです。 そして、この 『何を信じ、何を信ずべきでないか』 を体系化したのが宗教であり、その意味で宗教は、万人の人生・日常と密接にかかわっているのです」 (同書2巻・61P)

 先生は “「信ずるか」 「信じないか」 を選択することはできない。 選択できるのは 「何を信ずるか」 ということだけなのです” と述べられています。
 したがって、宗教においても数多くある中で、どれも一緒で同じだと言うのは、味噌も糞も同じだと言っているようなものである。
 ゆえに、宗教の高低浅深・善悪邪正を厳しく正して行かなければなりません。 信ずる宗教の如何によって、人生の幸・不幸が決まってしまうからです。これが 「立正安国論」 の教えであります。

 真の宗教は理性に反するものではない
 佐藤  池田会長が語られている次の一節は、「信仰と理性」 のあるべき関係を的確に説明していて、実に見事だと思います。
 「何らかの信念が、その人の生きる基盤となっている。 だから、その人の信念それ自体は最大に尊重されなければならないことは言うまでもない。 しかし、その信念も 『理性』 と 『事実』 による検証(テスト)を受けなければ、自分の主観のなかで終わってしまい、他に対する普遍性をもちません。
 法華経で説かれる信が、解と一体になった信、すなわち 『信解』 であるということは、その信がたんなる主観とどまっていないことを意味している、と言えるでしょう。
 もちろん、仏の悟った根源の法は 『言語道断・心行所滅』(『摩訶止観』) で、言葉や理性の働きで把握し尽くせるものではありません。 しかし、言葉や理性のおよぶ範囲では、その働きを最大に尊重していくのが仏法の立場です。 仏の悟りは理性のおよぶところではないとしても、少なくともその悟りは理性に敵対し、理性的批判を拒絶するものではないのです。
 信解の 『解』 とは、『智慧』 のことです。 理性そのものではないが、理性と合致し、理性がその一部であるような 『智慧』 です。極限まで理性的でありながら、同時に全人格的である 『智慧』―― それを 『信』 によって得るのが 『信解』 です」
 (同書2巻・64~65P)

 『御義口伝』 に 「信は価(あたい)の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」(725P) と仰せです。
 池田先生は “その意味で、信と解は対立するものではないことはもちろん、信が解を支(ささ)えるというだけの静止的なものでもない。
 本来、一体のものであるが、あえてわければ、「信から解へ」、そして解によってさらに信を強める 「解から信へ」―― この双方向の ダイナミックな繰り返しによって、無限に向上していくのが 「信解」 の本義といえるでしょう。
 そう考えれば、梵語の 「アディムクティ」 が 「志(こころざし)」 とも訳せることは興味深い。 成仏といっても、一つの静止した状態のことではない。 智慧即慈悲を深めつつ、限りなく向上し続ける境涯 ―― それが仏界です。 人間としての限りなき向上へ。 その 「志」 に進む両輪が 「信」 と 「解」 なのです”
 (同書2巻・78~79P) と述べられています。

 ――  池田会長は別の個所で、次のようにも述べています。
 「仏法の 『信』 とは、理性を振り捨てて盲目的に帰依するというような 『狂信』 では決してない。 敬虔(けいけん)な探求心を出発点として智慧を育んでいこうとする、理性的な精神の営みなのです」 (同書2巻・68P)
 佐藤  「信解品」 の章の終盤に、池田会長の次のような言葉もあります。
 「今、必要なのは、現代の諸科学をも視野に入れた、新しき 『信と知の統合』 です。 それは壮大な文明的挑戦です。 『信なき知識』 と 『理性なき狂信』 に引き裂かれた人間社会を、復興させる試みです」 (同書2巻・80P)

 戸田先生の巻頭言 「思想の混乱」 には、「世界の文化人が迷乱している思想に二つある。 一つは知識が即智慧であるという考え方である。 知識は智慧を誘導し、智慧を開く門にはなるが、決して知識自体が智慧ではない」 と。
 池田先生は “今、必要なのは、現代の諸科学をも視野に入れた、新しき 「信と知の統合」 です。 それは壮大な文明的挑戦です” と。 そして引き続いて
 「また、生命という “親” のもとに、“放浪の息子(近代の知)” が帰還する物語ともいえる。
 「信解」。 それは現代という 「精神の漂流時代」 を正しく方向づけ、生命の高みに向かって進歩させていく キーワードと言えるのではないだろうか」
 と述べられています。 
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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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