此経難持 (心の財)

 前回、妙法の難信難解を取り上げましたが、これに類似する語に、「此経難持」(此の経は持ち難し)というのがあります。

 如何して、持ち難いのかと申しますと、御書に 「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(1136P)  と。また、別の御書には 「よ(善)からんは不思議・わる(悪)からんは一定とをもへ」(1190P) と、仰せられています。

 一般の人々は、なにか信仰をしょうとするのは、みな何らかの功徳を求めて行ずる訳であります。
 然るに、大聖人はそれとは真反対に、例えば、事故に遭ったり・病気になったりしても、当然であると心得て、ご本尊を受持し・信行に励めよ、とのことであります。

 このように言われましても、凡夫は “はい、そうですか、分かりました” と、素直には納得できません。この辺のところが、法華経は 「難解難入」・「此経難持」 と言われる所以ではないかと思います。

 事実、学会員の中でも、途中で止められた方は、数多くおります。御書に 「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136P)  と仰せです。
 大聖人は、信仰の目的とするところ 「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり・身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(1173P)  と仰せられています。

 仏と凡夫は、この目的観が違う分けです。凡夫は、蔵の財・身の財を求め、仏は、心の財(信心・仏性・仏界)を目的としています。

 この 「心の財」 を積むために、絶対に必要不可欠なのが、難・煩悩・悪業・等であり、その苦悩の戦いの中でしか、仏性は生じないのであります。
 ゆえに、「難即悟達」 であり、信仰に徹するところ、難は喜びであり、歓喜の中の大歓喜と成るのであります。

 この仏法定理を 「煩悩即菩提・生死即涅槃」 とも言います。御義口伝に 「今日蓮等の類いの修業は妙法蓮華経を修業するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(750P)  と仰せです。

 日蓮大聖人は 「凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(1091P)) と。 
 ゆえに、絶対に愚者にならぬよう自戒すると共に、一人でも多くの方々に、この仏法定理を知らしめんと願うものである。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
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