戸田先生の悟り (8)(「法華経の智慧」から②)

 池田先生は、戸田先生の 「獄中の悟達」 について、『法華経の智慧』 に次にように述べられています。

 名誉会長 大事なことは、私どもの原点である戸田先生の悟達が、この 「獄中」 でなされたという一点です。
 法華経ゆえの投獄です。「四恩抄」 に仰せのごとく、これは四六時中、片時も休まず法華経を身読していることに通じる。そのなかで、戸田先生は 「我、地涌の菩薩なりと、豁然(かつぜん)と悟られた。大難のまっただなかでこそ、人間革命されたのです。難即悟達です。これこそ、まさに 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」 の御金言を身をもって証明された姿といえよう。厳しく言えば、難なくして、本当の 「日蓮と同意」 とは言えないのです。
 この 「獄中の悟達」 こそ、私どもの永遠の原点です。法華経を現代に蘇らせた一瞬であり、「人間革命」 という太陽が現代に昇った一瞬だった。その時、闇は深く、だれも気がつかなかったが、夜明けは戸田先生の胸中で始まっていたのです。
  (法華経の智慧第3巻・313P)

 遠藤 「仏とは生命なり」 との悟達は、どちらかと言えば知的な側面が強いのではないでしょうか。それが、全人格的な体験へと深まったものが 「地涌の菩薩の自覚」 ではないかと思われます。その意味で、二つの悟りは一連のものと言えるのではないでしょうか。

 名誉会長 戸田先生の悟りの全容は、到底、語り尽くせないが、先生は法華経ゆえに投獄された。迫害に耐えて信念を貫いた。そのこと自体が法華経を身をもって読むことであり、全人格的な体験です。忍難即仏界です。難と戦う信心によって、生命に大変革が起きたのです。「諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(234P) との仰せの通りです。
 悟りとは単なる認識ではない。ここが大事です。永遠の生命は認識するものでなく、それを生きるものです。修行が必要なのです。なぜならば、認識しょうとしても、そうしょうとしている自己自身をも支えているのが 「生命」 だからです。「波」 に 「海」 をつかむことはできない。「小」 で 「大」 をつかむことはできない。では、どうするか。
 大いなる永遠の生命を、小さな我が身の上に顕現する ―― 涌現する ―― 以外にないのです。そのためには、全存在をかけた自己浄化が必要です。それが仏道修行です。
  (同書・317P) 

 「虚空会の儀式」 は、釈尊の久遠の仏としての生命の姿を、そのまま虚空に描き出したものであると思います。戸田先生は、獄中で法華経を読み切られることによって、それがそのまま、大聖人の御本尊であることを悟られました。
 昭和20年7月3日出獄の日の夜、法華経の 「虚空会の儀式」 を体得された戸田先生が、ご自宅の御本尊にお会いした時のことが、『人間革命』 に記載されております。

 戸田城聖は、暗幕に遮蔽(しゃへい)された二階の一室で、仏壇の前に端座していた。空襲下の不気味な静けさが、あたりを包んでいた。彼はしきみを口に加え、常住御本尊をそろそろとはずした。そして、眼鏡をはずした。
 彼は、御本尊に頬をすりよせるようにして、一字一字たどっていった。
 ―― たしかに、このとおりだ。まちがいない。まったく、あの時のとおりだ。
 彼は心につぶやきながら、獄中で体得した、不可思議な虚空会の儀式が、そのままの姿で御本尊に厳然として認められていることを知った。彼の心は歓喜にあふれ、涙は滂沱(ぼうだ)として頬(ほお)をつたわっていった。彼の手は、わなないた。心に、彼ははっきりと叫んだのである。
 ―― 御本尊様、大聖人様、戸田が必ず広宣流布をいたします。
 彼は、胸のなかに白熱の光を放って、あかあかと燃えあがる炎を感じた。それは、なにものも消すことのできない、灯(ひ) であった。いうなれば、彼の意志をこえていた。広宣流布達成への、永遠に消えざる黎明の灯は、まさにこの時、戸田城聖の心中に点(とも) されたのである。
  (文庫人間革命1巻・49P)

 名誉会長 有名なご金言に 「此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(1244P) とある。戸田先生は、この御文をありありと実感されたのです。
 そして大聖人が、信心によって 「此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」(1244P)  と仰せの通り、宝塔のなかに入られた。
 御本尊即宝塔、宝塔即自身、その真実を、先生は生命全体で知ったのです。
  (法華経の智慧第3巻・323P)

 大聖人は 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり虚空会に住するなり」(740P) と仰せです。

 戸田先生は、久遠の仏の生命 (永遠の生命) の覚知を、「虚空会の儀式」 に自ら参列している自分自身を発見するという形で、覚知・体得なされました。
 そして、法華経の一文一句は、すべて真実であることを実証されました。それは、歴史的事実としての真実というよりも、“生命の実相・仏の悟り” そのものを、顕わしているという意味で真実なのであります。
 “生命の実相・仏の悟り” などは、現実の事象・現象の次元では、とうてい説明しきれるものではありません。

 「虚空会の儀式」 「地涌の菩薩の出現」 など、700年間、法華経を読んでも譬え話だと思っていたものが、じつは真実であったのである。それを戸田先生は、艱難辛苦の獄中闘争のすえ体得なされ、我われに教えてくださいました。なんと、有り難き偉大なる師匠ではありませんか。
 戸田先生の 我、地涌の菩薩なりの悟達は、我ら弟子たちに、この世に生まれてきた “意義と使命” を教えてくださいました。すなわち、「地涌の菩薩の自覚」 であります。
 今や一千万世帯と世界192カ国における、地涌の菩薩の出現となって実証されたのである。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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