法華経の心(2)(御本尊)

 次に、法華経は何を、言わんとしているのかと言えば、それは 「三大秘法の御本尊」 のことであると思います。
 法華経ほど釈尊の滅後のことを、それも正法・像法よりも末法のことに、心をくだかれた経典はありません。
 
 『観心本尊抄』 に、涅槃経に云く 「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども病者に於て心則ち偏に重きが如し」…… 然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり。(253P) と仰せです。

 末法の衆生は、「本未有善(本と未だ善有らず)」 の者で、“貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)” の三毒(むさぼり・いかり・おろか)熾盛(しじょう)の荒凡夫ばかりである。かかる極重病人を、仏は大慈悲心をもって救わんとなされましたが、如何せん、釈迦仏法は 「本已有善(本と已に善有り)」 の衆生を、得脱(成仏)させるための 「脱益(だっちゃく)仏法」 なのである。 
 「脱益」 とは、過去に仏道修行してきた善根のある衆生のみを、得脱させる役目だけの教法である。ゆえに、釈尊と縁のない末法の衆生は救えないのである。

 『法華取要抄』 に 「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、…… 安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり、滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり」(333P) と仰せの通りです。
 
 したがって、法華経は在世の衆生のためと言うより、滅後・末法の衆生のため、なかんずく日蓮大聖人のために説かれたと言えるのである。
 そこで釈尊は、末法の衆生を救うべき 「久遠の仏」 と 「久遠の法」 を、法華経のなかの文の底に秘し沈めて、末法の教主・日蓮大聖人に譲り渡したのである。

 その付嘱ための荘厳なる儀式が、見宝塔品の 「虚空会の儀式」 であります。そこには、巨大な七宝の塔があり、大地より涌出して空中に住在し、その中より多宝如来が 「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」 と証明した。
 引きつづき、宝塔の中へ釈迦・多宝の二仏が並坐(びょうざ) し、諸の天・人・迹化の大衆も皆虚空に置いて説法が始まります。
 
 『見宝塔品第十一』 に、「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏の前に於いて 自ら誓言を説け …… 当に大願を発(おこ) して 久しく住することを得せしむべし」 とあります。

 釈尊のこのような弘経の呼びかけは、数品にわたり再三再四要請されています。これに応えて迹化の菩薩たちは、「六難九易」(宝塔品)「三類の強敵」(勧持品) が競い起っても、そのなかで耐えて、法華経を弘通するという誓願を立てた。

 しかし釈尊は、迹化の菩薩たちの誓願を 「止みね善男子」(涌出品) と退け、自分には久遠からの弟子がいると言って 「地涌の菩薩」 を大地の底から呼び出します。
 この 「地涌の菩薩」 の出現に驚いた迹化たちの疑念を代表して、弥勒菩薩が 「若し此の経に於いて 疑いを生じて信ぜざること有らん者は 即ち当に悪道に堕つべし 願わくば今為に解説したまえ 是の無量の菩薩をば 如何にしてか少時に於いて 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる」(涌出品) と、滅後・末法の衆生のために、説法を請うたのである。

 この請いを受けて説かれたのが、『如来寿量品第十六』 である。ここでは、釈尊の本地が明かされるのである。
 「我成仏してより已来(このかた)、甚(はなは) だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」 と説き、「五百塵点劫」 という久遠より、すでに成仏していたのだと、“本果(仏界)の常住” が明かされます。
 「是れより来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」 と、仏の “本国土は娑婆世界” であると宣言されます。
 「我本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せり」 と、“本因(九界)の常住” もあわせて明かされます。このことを 「三妙合論」 と言います。

 釈尊は寿量品で明かされた法華経の肝要を 「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の藏、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」(神力品) と、「四句の要法」 に結んで、地涌の菩薩の上首・上行菩薩に付嘱されました。(結要付嘱)
 この 「四句の要法」 は、文底より拝すれば 「三大秘法」 になります。
 
 日蓮大聖人は、外用・上行菩薩の再誕として付嘱を受けられ、末法の教主として決起なされました。
 「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし) かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承(ぼんじょう) に芥爾(けに) 計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」 
 「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し」(1023P)
 と仰せです。

 大聖人は大慈悲を起こして、この三大秘法を含めたる法華経の中より 「妙法五字の珠」 を取り出だして、末法の衆生のために大難を忍んで、「十界の文字曼荼羅御本尊」 を御図顕してくださいました。

 以上の流れを見てみますと、「法華経」 とは、御本仏・日蓮大聖人が、末法に出現するという予言書なのである。
 また、釈尊の説かれた荘厳なる 「虚空会の儀式」 は、御本尊のお姿を描き顕わしている設計図なのである。
 そして、天台大師の三大部(法華文句・法華玄義・摩訶止観)の 「十如実相・一念三千論」 は、御本尊のことの説明書であります。

 『顕仏未来記』 に 法華経の第七に云く 「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(505P) と仰せです。
 釈尊が・天台が・伝教が・三世十方の仏菩薩たちが、共に 「令法久住」 を願い、護り念じてきたものは 「三大秘法の大御本尊」 であります。
 
 たとえ、“南無妙法蓮華経” と唱えていても、この 「十界の文字曼荼羅御本尊」 が解からない・信じられなければ、それは 「法華経の心」 を死(ころ) すものとなるのであります。 
 その点、御本尊を信じ、朝夕の勤行を実践し、学会活動に励んでいる創価学会員は、自身の自覚が有ろうが無かろうが、基本的に 「法華経の心」 を知る “地涌の菩薩” であります。

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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