会い難き御本尊 (2)

 日蓮門下の高弟たる五老僧からして、御本尊のことが解からなかったと申し上げました。今回は在家の信徒について、その点を見てみたいと思います。

 御書を繙(ひもと)いて見ますと、富木常忍殿や四条金吾殿に与えられた御書に、釈迦の仏像を造立したという御書があります。入信以来、釈迦仏法は時に合わず謗法になると教えられてきましたから、何か腑(ふ)に落ちず違和感がありました。その仏像造立の御書を書き出してみます。
 
 真間釈迦仏御供養逐状(950P)     文永七年(1270年)九月  富木常忍  佐渡以前
 四条金吾釈迦仏供養事(1144P)    建治二年(1276年)七月  四条金吾  佐渡以後
 日眼女造立釈迦仏供養事(1187P)  弘安二年(1279年)二月  日眼女     〃
 四菩薩造立抄(987P)           弘安二年(1279年)五月  富木常忍   〃

 「佐前佐後」 という用語があります。佐渡流罪以前と佐渡流罪以後ということであります。
 『三沢抄』 に 「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(1489P) と仰せです。
 日蓮大聖人は、文永八年九月十二日、竜の口の法難で発迹顕本され、すなわち御本仏の生命を開顕なされました。それまでは、ただ題目の流布にとどまりましたが、佐渡以後は、御本仏として “御本尊の御図顕” とその流布につとめられました。

 したがって、富木殿・金吾殿は、誰よりもまっ先に御本尊を授与されていたと思います。ところが、佐渡以後においても、釈迦仏を造立したという報告があります。
 大聖人は、その造仏の報告を受けられて、「釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや」(950P) ・ 「釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり」(1187P) 等々、いずれも造仏を讃嘆されています。

 大聖人が、造仏を讃歎された理由について、第二十六世日寛上人は次のように述べられています。
 一には、一機一縁の為の故なり、謂(いわ)く、此等の造立は皆一体仏なり。開山釈して云く 「一体の形像豈頭陀の応身に非ずや」 と云云。 一宗弘教の初めであり、取捨宜しきにしたがわれた。
 二には、弥陀造仏に対する故なり。謂く、日本国中一同に弥陀を以て本尊と為す。然るにその中に希(まれ)に釈尊を造立す、猶(なお)、曇華(どんげ)の如し、豈(あに)讃歎せざるべけんや。 架空の阿弥陀仏を廃し、此土有縁の教主釈尊を立てることを讃嘆されました。
 三には、内証の観見に約す。謂く、宗祖の観見に約すれば、並びにこれ己心の一念三千即自受用身の仏なるが故なり。(文段集・531P) 真の仏と映ぜられたからである。

 『四菩薩造立抄』 のほうは、造仏した報告ではなく、「本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと云云」(987P) とありますように、久成の釈尊と四菩薩がいつ建立されるのかと、大聖人にご質問申し上げたことが伺われます。
 前々から “久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には上行菩薩等の四菩薩を造立し奉る” と、再三お聞きしていたようです。
 御本尊を拝すれば、釈迦・多宝の二仏をはじめ、上行等の四菩薩が書き顕されております。この “造り奉り・造立し奉る” ということは、「十界の文字曼荼羅御本尊」 を書き顕すことを意味しております。
 
 富木殿は、曼荼羅の御本尊を拝しながら、“造り・造立” という言葉の故か、釈尊・その外の四菩薩の造立を、絵像・木像の仏像であると考えていたようです。
 富木殿に与えられた 『観心本尊抄』 に 「其の本尊の為体(ていたらく)本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居(こ)し …… 末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(247P) と仰せられていますように、御本尊の相貌(そうみょう)をお説きになっています。富木殿はそれが末法の本尊たる 三大秘法の 「本門の本尊」 であることが理解できなかったようであります。

 また、『諸法実相抄』 に 「日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗(ほぼ)ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先(まず)作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり、日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん」(1359P) と仰せです。

 日蓮大聖人は、「上行菩薩の弘め給うべき所の妙法」 と仰せのように、外用の辺は 「上行菩薩の再誕日蓮」 であり、内証の辺は 「久遠元初の自受用報身如来・即ち末法の御本仏」 であらせられます。
 この肝心のところが解からなかった富木殿は、日蓮大お聖人を目の前にして、“上行菩薩(四菩薩)は何時出現するのでしょうか” と、お聞きしてしまったと思います。ましてや、末法の御本仏であらせられることなど、夢にも思われなかったことでしょう。

 これも止むを得ないことであると思います。今まで、本果妙の釈迦仏法しか知らない者に、急に本因妙の日蓮仏法を信受しなさいと言っても、それは無理な話です。
 当時の世の中は、信教の自由や人権思想など全く無い、封建時代であります。また、通信・交通機関も発達してなく、大聖人の御指導も伝え難く、広宣流布の困難な時代でありました。
 前掲のところで、戸田先生は 「第一に、五人は大聖人様のお傍での給仕が足りなかったのです」 と述べられていますように、高弟からして直接・大聖人にお会いすることすら、困難であったのである。

 そのほかにも、新しい概念を説明するには、既成の概念・言葉を使って説明するしか、方法はないわけです。
 たとえば、末法の 「仏」 の概念を説明するのに、大聖人は “教主釈尊” や “釈迦仏” という言葉を多用されています。
 当時の聴聞していた弟子・信徒たちは、皆それぞれ 「仏」 というイメージを、インド応誕の釈尊と受け取ってしまい、実はそれが大聖人様のことだなどとは、夢にも思わなかったのである。

 佐渡期の 『生死一大事血脈抄』 に、「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解(さと)りて ……」(1337P) との御金言があります。
 この御金言は、末法の御本仏・日蓮大聖人のことを 「久遠実成の釈尊」、南無妙法蓮華経の御本尊のことを 「皆成仏道の法華経」 と称して説かれています。この御書を正しく信解できたのは、当時・何人いたでしょうか。
 第二祖・日興上人以外は、皆無に等しかったのではないでしょうか。
 
 『総勘文抄』 に 「語(ことば)も只同じ語なり文字も異ること無し斯(こ)れに由つて語に迷いて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う」(560P) との重要な戒めの言葉があります。諸宗の元祖たちの陥った誤りが、ここに指摘されています。
 この権実の差別を分別するには、「法華経の心」 を会得した “正しい師” に随って教えを受けなければなりません。
 それには、『譬喩品第三』 に 「以信得入(信を以て入ることを得)」 とありますように、己心の智慧のみでは、法華経の極理は解からないからであります。

 日蓮大聖人が、末法の “御本仏” であり、法華経の説く “凡夫が仏” であるという仏法哲理や 「十界の文字曼荼羅御本尊」 を、一般大衆が信受できるまでには、立宗宣言(建長5年・1253年)から、じつに 約七百年の時の経過が必要であったのである。
 この妙法広宣流布の大事業は、歴代会長のご指導のもと、創価学会の出現によって、初めて実現されたのである。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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