文字曼荼羅 (1)(曼荼羅とは)

 前のブログの 「会い難き御本尊」 の中で、日蓮門下の殆んどの弟子たちは、日蓮大聖人の御図顕された御本尊の意義や偉大さが解からなかったと述べました。
 その理由は、色々あろうかと思いますが、その中の一つに、御本尊が 「文字」 で顕わされた曼荼羅であると言うことではないかと思います。
 思えば、それまでの御本尊と称するものは、みな絵像や彫像によって製作されたものばかりだったからであります。その当時にあって、「文字」 で表現するなんて画期的なことでありました。

 「曼荼羅」 は、特に密教(真言宗) で用いられており、胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅が有名である。その他・阿弥陀にも浄土曼荼羅、神道系にも垂迹曼荼羅と称するものもある。
 これらは、仏の悟りの境地、世界観などを絵画を用いて視覚的・象徴的に表したものであると言われている。

 日蓮大聖人は 「曼荼羅」 について、次のように述べられています。
 『日女御前御返事』 に、「十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり」(1244P) と仰せです。

 曼荼羅とは、輪円具足、即ち全てのものが具わって欠けているものはないという意で、十界具足(十界互具) を表わしている。
 真言の曼荼羅のごときは、仏・菩薩のみで、二乗・六道は捨てられてしまっているから、本当の輪円具足、功徳聚(功徳の集まり) とはいえない。したがって、曼荼羅の名にも値しないのである。
 日蓮大聖人は、地獄界の提婆達多ですら成仏を許された法華経の哲理に基づいて、十界すべてを具足した曼荼羅を 「文字」 をもって、御図顕され御本尊とされたのである。

 かかる御本尊でありますが日蓮大聖人は、
 「此の大曼陀羅は仏滅後・二千二百二十余年の間・一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず」(1305P)
 「爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比(ころ)はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり」(1243P)
 と仰せです。

 仏滅後、正法・像法時代には無く、末法二百余年の頃、日蓮大聖人がはじめて御図顕されたところの、未曽有の大曼荼羅であります。
 したがって、この御本尊を初めて見聞きした者たちは、わが耳を惑わし心を驚かして、とうてい信解することが出来なかったのである。この故か、大聖人御入滅後、御本尊を粗末に扱った弟子たちがいたのである。

 日蓮大聖人の御本尊は、真の輪円具足・一念三千・御本仏の当体であるが故に、これを信ずる者ものは如何なる人であれ、生命の変革即ち、即身成仏ができるのである。
 また真の功徳聚であるが故に、如何なる苦悩も解決し、所願満足の生活ができる、素晴らしい御本尊なのである。

 粗末に扱った記事 ―→ ここから

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR