文字曼荼羅 (6)(相貌について先生の指導)

 大聖人は、虚空会の意義を用いて、御本尊を御図顕なされました。その御本尊の相貌(そうみょう)について、池田先生の御指導を学びたいと思います。
 『御書の世界第2巻』 の目次の 「御本尊(下)」 にある、〔十界具足の曼荼羅〕 の項目のところからです。(抜粋)

 名誉会長  御本尊の相貌は宝塔である南無妙法蓮華経を中央の軸として、重層的な構造となっています。
 このことは、「日女御前御返事」 にも記されているね。


 斉藤  はい。「観心本尊抄」 では、列座の衆生として、釈迦・多宝と上行菩薩等の四菩薩、迹化の菩薩、十方の諸仏までが挙げられていますが、「日女御前御返事」 では、その他に声聞や六道の衆生が挙げられ、十界の無数の衆生が御本尊の中にそろっていることが示されています。
 その相貌をもって、南無妙法蓮華経が全衆生を包む大法であり、全宇宙は南無妙法蓮華経を中心軸とし、南無妙法蓮華経に支えられた コスモス(調和的秩序)であることが示されています。

 名誉会長  中央の 「南無妙法蓮華経」 は、根源の真理を示すものです。 いうなれば、生命宇宙の中心軸なので、虚空会の中心に屹立する宝塔で示されている。その左右に、釈迦仏と多宝如来がいる。 これらは、妙法蓮華経のはたらきを示す仏です。
 多宝如来は、過去仏であり、永遠の真理を表す。智慧の対境(対象)としての法を示しています。 釈尊は、現在仏です。法を現実に悟る智慧を表している。
 まさに南無妙法蓮華経の二つの側面です。
 二仏並坐とは、真理と智慧の一致、境智冥合を示すものです。


 森中  大聖人は 「此の境智の二法は何物ぞ但南無妙法蓮華経の五字なり」(1055P) と仰せです。
 斉藤  迹門で示された永遠普遍の真理(迹門普遍真如の理)と、真理に基づきながら具体的な現実の縁に随って発揮される本門の智慧(本門隨縁真如の智)とも重なるものではないでしょうか。

 名誉会長  当然、そうなります。
 大事な点は、釈迦・多宝を本尊とするのではない、ということです。 釈迦・多宝も南無妙法蓮華経によって成仏したのです。 どこまでも、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を本尊とするのです。
 そのことは、御本尊の相貌で、南無妙法蓮華経が中央に大きく認められ、その左右に釈迦・多宝が位置していることにも明らかです。


 森中  さらに、上行等の四菩薩は、釈尊の脇士とされています。

 名誉会長  南無妙法蓮華経を悟った仏は、必ず万人を救う菩薩行を起こします。 その菩薩行の面を示すのが四菩薩です。 上行、無辺行、浄行、安立行と、すべて 「行」 という名がついているのは、悟りの智慧を発揮して現実に行動を展開するからです。
 それは、妙法蓮華経と一体になった無限の生命力に基づく 「最高の行動」 「無限の行動」 「清らかな行動」 「ゆるぎない行動」 といえるでしょう。


 斉藤  涌出品についての 「御義口伝」 では 『輔正記』 を引いて、四菩薩が常・楽・我・浄の四徳波羅密に配されています。

 名誉会長  “永遠に(常) 確固として(我) 清浄で(浄) 幸福な(楽) 境涯を示すもの” といえるでしょう。

 森中  「生死一大事血脈抄」 には、地・水・火・風・空(天)の五大(万物を構成する五元素)の力を、「妙法蓮華経の五字」 のはたらきであり 「本化地涌の利益」 だと仰せです。

 名誉会長  地涌の菩薩は、生命本有の力を発揮し、全衆生、全世界を守り救っていくのです。

 森中  さらに、「文殊・弥勒等」 の迹化の大菩薩は、四菩薩の眷属であると仰せです。これは何を表すのでしょうか。

 名誉会長  生命本有の力が発揮されて成し遂げる、種々の具体的なはたらきを表すといえるでしょう。
 「三人寄れば文殊の知恵」 ということわざもあるように、文殊は “智慧” の象徴です。弥勒は漢訳して 「慈氏」 という。“慈悲” の象徴です。
 その他の迹化・他方の大小の菩薩は、虚空ではなく地上にいると仰せです。 これは、利他の種々の実践を意味しているのではないか。一人ひとりの現実に即して何としてでも皆を救おうとする、さまざまな具体的行動であると言えます。
 これらの菩薩は無数です。余りにも多いので御本尊に文字としてすべてを顕されてはいませんが、その功徳は厳然と具わっていることは明らかです。


 森中  十方の諸仏もまた大地にいると仰せです。
 十方の諸仏とは、釈尊の分身です。釈尊の心を受け継いで、それぞれの地で、その地の人々に応じた教えを説いている応身仏です。

 名誉会長  十方の諸仏は、一面から言えば、釈尊が説いた片端・片端の教えの象徴と言えるでしょう。 妙法という完全な真理の部分・部分を、人々の状況に随って説く、随他意の説といえる。

 斉藤  「日女御前御返事」 には、無数の十界の衆生を挙げられたうえで、「此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(1243P) と仰せです。

 名誉会長  宝塔の妙法のもとに参集した、これら十界の衆生のすべてが、妙法のはたらきの一分、一分を担っているのです。 妙法の光明に照らされて、妙法の当体としての自身を顕し、「本有の尊形」 を示しているのです。 それぞれが個性を発揮し、妙法の豊かさを表している。これが 「自体顕照」 です。
 太陽の光は、プリズムを通ると、赤から紫まで連続した多くの色に分かれます。
 「太陽の光」 は全体、「それぞれの色」 は光が分かれてできた部分、部分です。 太陽の光には無数の色が具わっています。種々の色を含むからこそ、ものを照らした時、それぞれのものがその一部を吸収したり反射したりして、さまざまな色合いを見せます。
 
 ………
 名誉会長  妙法は 「能生の根源」 です。 万物を生み出す源です。 全てが含まれている。全てを含む妙法の陽光で照らすゆえに、あらゆるものが個性豊かに輝くのです。
 大聖人は 「妙の三義」 を説かれた。すなわち、妙とは 「開く義」 であり、「具足・円満の義」 であり、「蘇生の義」 です。
 当然のことながら、御本尊の㓛力には、この三義が具わっています。
 御本尊には、万人の仏性を開く力があります。 御本尊には、あらゆる功徳を具え、あらゆる機根を包摂する力があります。 御本尊には、いかなる悪業や悲惨をも救済しゆく蘇生の力があります。 要するに、御本尊には一切を生かしていく力がある。 「活の法門」 です。
 
 
 森中  インドの碩学であられる ロケッシュ・チャンドラ博士は、池田先生との対談で、虚空会について、こう語っておられます、
 「この宝塔を中心に行われる虚空会こそ、法華経の独自の法門を示すものといえるでしょう。 現在の仏である釈迦と、無限の過去の仏である多宝が、まったく等しいのです。
 永遠の真理と無限の福徳が、今、個々の一個の生命に顕れるということです。 まさに即身成仏の原理が示されているのです。
 日蓮大聖人は、法華経を目で読んだだけでなく、体験し、実行しました。題目の五字は実に成仏への直道であると、身をもって証明したのです。
 多宝如来の塔は、法華経のなかの個々の教義を指し示すというよりも、むしろ、この経の教え全体、精神が卓越したものであることを強調するものです。 ゆえに、宝塔とは題目であり、経そのものなのです」
  (『東洋の哲学を語る』、第三文明社)
 
 名誉会長  鋭い洞察です。
 宝塔とは、縦には三世、横には全宇宙を貫く 「法」 即 「仏」 の象徴です。
 その宝塔を仰ぎ、その高みを目指して無限の向上を図るのです。

 ………
 名誉会長  宝塔が大地の底から生じて娑婆世界の上空にかかるというのは、世界の久遠の根源から生じ、娑婆世界という現実を通じて、未来へ理念・理想を開花することを表しているのではないだろうか。
 釈尊の一族の末裔という、ネパールの シャキャ博士は、こう語っておられた。
 「虚空会の儀式は、仏の偉大な境地の象徴であり、その 『現在』 のうちに、『過去の十方世界』 も 『未来の十方世界』 も含んでいると考えられます。 時空を超越しているのが 『仏界』 です。 虚空会で説かれている世界を悟れば、人間には何でもできる力が出るということです」

 ………
 名誉会長  虚空会は 「時空を超えた世界」 です。 歴史的な特定の時・場所ではない。だからこそ、「いつでも、どこでも」 虚空会につながることができるのです。
 虚空会の儀式を用いて顕した御本尊を拝することによって、私どもは、「いま」 永遠なる宇宙生命と一体になり、「ここで」 全宇宙を見わたす境涯が開けるのです。
 日々の勤行・唱題によって、「いま・ここ」 で永遠なる虚空会の儀式に連なることができる。わが身に、わが生活に、わが人生に、宝塔を光らせていける。 これが御本尊の素晴らしさです。壮大な生命の コスモス(調和的秩序)が開かれ、現実が価値創造の世界と現われるのです。
  (御書の世界第2巻・210~219P) 

 以上、少々長い引用になりましたが、中には難しい・解からない、と仰しゃる方もおられると思います。
 しかし、私が申し上げたいのは、この御本尊は、正法・像法時代には出現されず、末法において、日蓮大聖人がはじめて顕わされた、全世界の中で、未曽有の最高の 「十界互具の文字曼荼羅御本尊」 であります。
 
 他宗の本尊を、比較してみれば、みな仏・菩薩の像はしていても、その実体はない、架空の仮の権仏と言われるものばかりである。
 なかには、蛇や狐狸の類いまで何でもかんでも、ご利益があるからと言って、無思考的・無批判的に、拝んでいる人たちもおります。
 これら間違ったのもを本尊とする信仰は、自身の生命を歪める故に、不幸になり、堕地獄の因となるのであります。
 
 日蓮大聖人は、「諸宗は本尊にまどえり」(215P) 
 日寛上人は、「須(すべか)らく本尊を簡(えら)んで以て信行を励むべし)(六巻抄・81P) と教え諭してくださいました。

 このように、正しい本尊を選び正すことは、信仰する者にとって、最も肝要なことなのであります。
 このことが、少しでもご理解いただけるならば、望外の喜びとするものであります。
 
 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村  

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR