国家神道と国家主義

 明治政府は、天皇に主権を持たせるために、天皇の神格化が最善の方法と考えた。それには、古事記・日本書紀等にある惟神(かんながら)の道を、唯一の教義とする神道を用いた。

 「豊葦原瑞穂ノ国ハ、我子孫(うみのこ)ノ君タルベキ地(くに)ナリ。汝(いまし)皇孫(すめみま)征(ゆ)イテ治メヨ。宝祚(あまつひつぎ)ノ隆(さか)エマサンコト、天壌(あめつち)ト倶(とも)ニ窮(きわま)リ無カルベシ」 とある。

 この天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅を、天皇による国家統治の原理とした。これには、天照大神の子孫である天皇は、生まれながらにして、神の子(現人神)であるというのである。
 このような神代の時代後れの思想を基にして、天皇に絶対的権力を持たせるために、維新後に編成され作られたのが 「国家神道」 である。

 国の基本法からして、『明治憲法』 の第一条は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」 と。
 『教育勅語』 には、「一旦緩急(かんきゅう)アレバ義勇公ニ奉(ほう)ジ、以テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スベシ。是ノ如キハ獨(ひと)リ朕(ちん)ガ忠良ノ臣民(しんみん)タルノミナラズ …」 とあります。

 このように憲法や勅語によって、国民を天皇の臣民と位置づけ、一旦危急なることが起これば、公すなわち、天皇の国家に義勇をもって奉仕し、皇室を永遠に足らしめるべく扶助せよと、法律や勅まで作って国民を縛り付けているのである。
 明治政府は、国民一人ひとりの幸福や安穏な生活よりも、国家が強大な富国になることを目指した。そこには、“国民のための国家” ではなく、“国家のための国民” という転倒せる価値観、すなわち 「国家主義」 への道が開かれていた。

 もともと国家や政府は、国民大衆のためにあるのであって、国民は国家のためにあるのではない。国家は国民の生命・財産・幸福を第一義に考えなければならないのである。
 国家を第一義にして国民を手段とした国家主義が、20世紀に二度にわたる世界大戦を引き起こし、どれ程の民衆の犠牲者を出したことか、計り知れないのである。この転倒せる価値観を正し、生命尊厳主義・絶対平和主義にして行かねばならないのである。
 「国家主義」 について 『法華経の智慧』 には、次のように述べられています。(抜粋)

 名誉会長 国家主義とは何か。その根本には 「力の崇拝」 があります。不軽菩薩と対極です。

 須田 「力の崇拝」 が国家主義の根本にある ―― 難しいですね。

 名誉会長 「権力主義」 と言ってもよいと思う。
 「国家があって人間がある」 という転倒の思想です。忘れてならないのは、国家主義は古代からの 「宗教」 であるということです。
 
 ………
 名誉会長 トインビー博士は、こう言っておられた。
 「キリスト教の後退によって西欧に生じた空白は、三つの別の宗教によって埋められた」 その三つとは、「科学的進歩への信仰」 と 「共産主義」、そして 「ナショナリズム」 すなわち国家主義であると。 その 「国家主義」 とは、どんな宗教か。それは 「人間の集団力」 を信仰の対象にしている。「集団力崇拝」 であり 「国家崇拝」 です。
 ちなみに、トインビー博士は、集団的な人間の力を崇拝している点で、ナショナリズム、ファシズム(全体主義)、共産主義は共通していると喝破(かつぱ)されていた。国家主義という宗教のもとでは、「人間」 は、あくまで 「国家」 の一部にすぎない。手段にされ、道具にされる。「人間の尊厳」 が 「国家のエゴ」 に踏みにじられてしまう宗教です。

 ………
 名誉会長 「集団力崇拝」 の恐ろしさは、「信仰するに価(あたい)しないことがそれほど明瞭にわからないから」 だと、トインビー博士は書いている。
 「そして個人が罪を犯す場合なら、おそらく躊躇(ちゆうちよ)なく良心の呵責(かしやく)をうけるはずの悪業(あくごう)も …… 一人称が単数から複数におきかえられることによって、自己中心の罪をまぬがれたような錯覚におちいるために、とかくこれを大目に見ることになる」 (『一歴史家の宗教観』)

 斉藤 あの、戸田先生をいじめた看守も、「国家主義」 に毒された姿そのものですね。
 「国家」 という強大な力と自分を同一視している。自分まで、力があるかのように振る舞っている。

 名誉会長 戦争もそうだ。通常なら、人を殺すということは 「極悪(ごくあく)」 の行為です。ところが 「国のため」 となると、たくさん人を殺したほうが英雄になる。

 須田 国家主義という転倒の宗教によって、人間が狂わされていく ……。

 名誉会長 戦争をはじめ、こうした流転に歯止めをかけ、人類永遠の楽園を建設する原動力こそ、真実の宗教であると戸田先生は叫ばれたのです。
 人間です、大事なのは。人間のために社会・国家があるのであって、その逆ではない。国家優先の思想は、「力の崇拝」 であり、要するに 「弱肉強食」 になっていく。人間愛の 「不軽菩薩」 と対極です。それで不幸になるのは、結局、庶民なのです。見抜かなければいけない。目ざめなければいけない。 
 (法華経の智慧5巻・138~142P)

 明治維新の変革期に、近代国家を建設するにあたって、古事記等の史実とは異なる、おとぎ話のような神話を基にして、天皇の神格化を国家統治の原理としたところに、すでに滅亡への道が始まっていたのである。 

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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