仏法上の神とは

 では、仏法において 「神」 は、どのように説かれているのでしょうか。
 それは、法華経の行者を守護するとの誓いを立てた 「諸天善神」 として説かれています。
 『法華経安楽行品第十四』 に 「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而(しか)も之を衛護(えいご)し」 とあり、法華経の行者を守護することを誓っている。

 仏法は流布されたとき、その土地の土着の神々を排斥することなく、「法」 の力用(りきゆう)を示すものとして受け入れてきました。
 たとえば、大梵天(だいぼんてん)・帝釈天(たいしやくてん)・四天王・鬼子母神等はインドの神であり、天照大神・八幡大菩薩等は日本の神である。
 これらの土着の神々は、仏法上では宇宙や生命の力用(功徳・作用・働き)の一部を示すものと考えられ、仏法を護る諸天善神としての役割を与えられたのである。
 しかしながら、仏法では 「法」 こそが、根本であるとする立場から、世界創造をなす絶対神やその他の神々への帰依・信仰は認めないのである。ゆえに、この諸天善神そのものを信仰の対象(本尊)としては拝まないのである。

 仏法には、「本地・垂迹(すいじゃく)」 という教判があります。
 『百六箇抄』 に、「立つ波・吹く風・万物に就いて本迹(ほんじゃく)を分け勝劣を弁ず可(べ)きなり」(869P) と述べられています。すなわち、一切の現象、我われの人生・生活についても、本迹、勝劣を立て分けていきなさいとのことです。
 
 では、何が 「本」 で、何が 「迹」 となるのか。
 ここでは、仏が 「本地」 であり、衆生を救うために神として現われた姿・振る舞いは 「垂迹」 である。
 また、生命論から言えば根本とすべきものは、あくまでも 「生命」 であり、人間が 「本」 となるのである。その他、宗教や政治・経済等は 「迹」 にすぎないと、このように勝劣を立て分けるのである。

 「本迹」 について、池田先生のご指導を学びたいと思います。(抜粋)

 中国の天台大師は、この 「本迹」 について、「本」 を 「天の月」 とし、「迹」 を月の影である 「池の月」 に譬(たと)え、「本」 は勝れ、「迹」 は劣るとしている。「本」 とは本体を意味する。一方、「迹」 とは本体の影、または跡(あと)を指す。事実から理論が生まれてくるように、「本」 があっての 「迹」 である。 
 ………
 「理論は一つの物差しです。だから、理論は、事実を説明する規範にはなるが、そのすべてではない。たとえば、現実の人間の生命活動を見ても、瞬間、瞬間、変化です。その変化してやまない本体が生命の事実の姿です。
 一方、この事実から抽出(ちゅうしゅつ)され、普遍化されたものが理論です。そこで、大事なのは、事実と理論を見極(みきわ)める鋭(するど)い目をもつとともに、どこまでも現実の大地に立脚していくことです。
 その根本は 『生命』 です。現実に生きている 『人間』 です。理論やイデオロギーを絶対視して教条主義に陥(おちい)り、かえって、現実の人間を抑圧(よくあつ)した例は、歴史上、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。若き知性の諸君は、この不幸の歴史を変えてもらいたいんです」
 (新・人間革命8巻・147P)

 『神国王御書』 に、「王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし」(1521P)
 『教機時国抄』 に、「必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし先に小乗・権大乗弘らば後に必ず実大乗を弘むべし先に実大乗弘らば後に小乗・権大乗を弘むべからず、瓦礫(がりゃく)を捨てて金珠(こんじゅ)を取るべし金珠を捨てて瓦礫を取ること勿(なか)れ」(439P) と仰せです。

 大聖人は、「金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ」 と、戒められています。
 「必ず先に弘まれる法を知つて後の法を弘むべし」 とありますように、日本国は法華経有縁の実大乗流布の国である。そうであるのに明治政府は、国家主義に走る神道という外道の邪法を、国家の精神的支柱にしてしまった。仏法(本)という金珠を捨てて、神道(迹)という瓦礫を取ったのである。
 その結果、「仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし」 と、大聖人のご予言通り亡国となってしまった。わが国民は、この歴史上の事実を真摯(しんし)に学ばなければならない。

 私は 「靖国神社問題」 を、中国や韓国から クレームが付くから行くなと、そんな次元から言っているのではない。
 一国の指導者が、「国家神道」 という邪法・邪義に染まり、信じ行ずれば、災起り難起り、仕舞いには国が滅亡するからである。
 これが、日蓮大聖人のご確信であり、ご予言であり、「立正安国」 の精神であります。
 
 『立正安国論』 に云く 「言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」(17P) と。 

 参考:安国論の記事 ―→ ここから

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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