慰霊を考える

 慰霊とは、“死者の霊魂をなぐさめること” と、広辞苑にあった。

 始めに、お断わりしておきますが、仏教は俗にいう “霊魂” とか、“人だま” とか、そのようなものは認めておりません。
 仏教も、生命の永遠性は説いていますが、死後の生命については、有ると思えば、どこを捜しても無い。無いのかと言えば、縁にしたがって出てくる。何とも不思議な 「空」 という状態で存続すると説いている。
 また、御書にある 「日蓮がたましひ(魂)を……」(1124P) と仰せられているのは、“生命” の意味であります。    

 死後の生命の記事 ―→ ここから

 原始宗教は、みな霊の類いを説いている。神道も御多分に洩れず霊魂を認めています。そのなかで特に、戦死や横死など非業の死を遂げた者の怨みの怨霊を、鎮めるため(鎮魂)の祭祀を行った。
 平安朝時代、都に天変地異が起こったのは、筑紫に流された菅原道真、讃岐に流された崇徳上皇、朝敵として滅ぼされた平将門等の怨霊の “たたり” であると、人々から恐れられて、それが怨霊信仰となっていった。

 怨霊信仰は御霊信仰とも言われ、主に鎮魂を目的としていた。ゆえに戦死者の場合、昔はむしろ敵方の怨霊を恐れて、あつく弔ったのである。やがて、もう少し積極的になり招魂すなわち、死者の霊を招こうとすることになるのである。靖国神社の前身は東京招魂社である。この辺までは、慰霊・追悼の義が残っていた。

 ところが、靖国神社となってからは、戦死者を神様と祀り上げることによって、慰霊の情は吹っ飛んでしまった。そこにあるのは “あなた方は立派な神様になられて、おめでとうございます” という称讃の詞であり、軍神・英霊・御霊(みたま)とか言って、顕彰するところとなったのである。 
 したがって、顕彰に値する者は、錦の御旗を掲げた皇軍の兵士のみであり、賊軍である敵国の兵や自国民でも文民は除かれたのである。このように、同じ戦没者の霊にたいしても、差別し排除したのである。
 
 仏教の目からみれば、死んだら神様になるとか、仏様になるとか、そんなことは一切無いのである。ましてや、霊魂が靖国のやしろに在るとか、どこそこに眠って居るとか、その様なこと言うのは馬鹿げた話である。
 ただ、親族や関係者の心のなかに、懐かしさや悼みや悲しみの情としてあるのである。
 ゆえに、戦死者にとっては、靖国も何もないのである。慰霊も招魂も葬式等の死者にかかわる全てのものは、生者が生者のためにする営みである。
 
 そうであるならば、生者にとって 「慰霊」 とは、どのように考えれば良いのだろうか。前の広辞苑では “霊魂をなぐさめること” とある。
 慰めると言うならば、侵略を受けた関係諸国の感情を逆撫でにして、あえて波風を立ててまで、A級戦犯合祀の靖国神社に参拝することが、“なぐさめること” になるのであろうか? そうは思えないのである。

 私は、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれている 「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」 という碑文が、慰霊という言葉を端的に言い表していると思います。
 “安らかに眠ってください” と、死者を政治的に利用したり、それで問題を起こしてはならないのです。安らかにしてあげることである。
 “過ちは繰返しませぬから” と、戦死者は自身が、神として祀られることを願って死んだのではない。みんな家族や同胞の無事安穏を願い、戦争のない平和な国家・社会の出現を願って逝かれたのである。
 したがって、後に残った生者は “戦争という過ち” を絶対に繰り返してはならないのである。

 『人間革命』 の冒頭に 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」 と、戦争の実態を述べています。
 戦争の恐ろしさは、一たび起これば、第六天の魔王は権力の魔性を発揮し、特攻隊のように人間生命は手段化され、戦争のための道具や物に過ぎなくなる。さらに、虐殺・迫害・略奪・強姦など、有りとあらゆる極悪・非道が競い起って、残酷な悲惨な状況になるのである。その極みは原爆である。
 この戦争の真実の姿を知るならば、「お前の方が悪いのだ」 とか、「俺の方は正しい戦争だ」 とか、「誰がやった・誰にやられた」 とか、とやかく言うことよりも、もう二度と戦争は絶対に起こしません。“過ちは繰返しませぬから” という平和への決意と実践が、何よりも戦没者に対する 「真の慰霊」 になると信じます。

 したがって、国家神道の靖国神社への参拝は、戦争を美化し、肯定するところの軍国主義・国家主義への道に通ずるものであって、決して戦没者の “霊をなぐさめること” にはならないのである。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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