靖国参拝は止めよう

 靖国神社問題について、何点か考えてみました。それで私は、“靖国参拝は止めるべきである” と思っています。靖国神社が、先の戦争で果たした役わりを考えれば、これを是認するようになる参拝は、厳に慎むべきであると思う。
 したがって、私は日蓮大聖人の教えを拝し、靖国神社・護国神社・国家神道を、亡国の悪法として謗法払いにするのが、最善の方法であると信じますが、現時点での実現は、はなはだ厳しい。時を待つべきのみか。

 次に、言いたいことは、“憲法に違反している” ことである。
 『日本国憲法第二十条』 に 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。…… 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」 と定めている。
 「国及びその機関」 には、総理大臣、その他の大臣、国会議員も含まれている。
 靖国神社は、墓地・供養塔・慰霊碑の類いではない。戦前、わが国の多数の戦死者を祀り、国教的地位を獲得し、国民を戦争へと駆り立てる精神的支柱の役割を果たした。
 戦後、侵略戦争の反省も何もない儘で、宗教法人になった靖国神社に、首相その他の公人が参拝することは、特定の宗教団体に国が関わることになり、憲法の禁ずる宗教的活動に該当し、「憲法違反」 になるのは当然のことである。
 各自が、それぞれの檀家寺や先祖の墓に参るのとは、訳が違うのである。

 『北条時宗への御状』 に、「諌臣(かんしん)国に在れば則ち其の国正しく争子(そうし)家に在れば則ち其の家直し、国家の安危は政道の直否に在り仏法の邪正は経文の明鏡に依る」(170P) と仰せです。 (争子=親の不徳・不義を諫める子)

 「国家の安危は政道の直否に在り」 と、憲法を順守しなければならない立場の行政の長からして、自ら意図的に憲法を破るとは、政道を曲げていることになり、国の前途を危うくするものである。
 慰霊と称して参拝している者は、自分は正しく、「憲法違反」 などしていないと思っているだけに、始末に負えない。
  
 その次に、中国や韓国が異議を唱えているのは、“A級戦犯が合祀されている” 点である。
 そうであるならば、A級戦犯の合祀を取り下げれば良いのである。しかし、靖国神社は一旦、合祀したものは取り下げや分祀はしないと言う。それは、A級戦犯はわが国のために戦った忠義の士であり、悪いことは何もしていない、無罪であると言っている。
 しからば、国家権力を用いて取り下げさせれば良いが、これも我が国は、信教の自由を保障している国であるが故に、一宗教団体の教義に首を突っ込めば、それこそ 「憲法違反」 である故に、これも出来ない。
 
 靖国神社の方は、東京裁判は勝者が敗者を裁いた偏向裁判だから、パール判事の全員無罪の意見書を、鬼の首でも取ったように誇っている。それでは、あれだけの悲惨な戦禍をもたらした太平洋戦争を指導した者たちは、誰ひとり罪もなく、責任もない。誰も責任を取ろうとする者もいない、と言うことになる。何だか、腑に落ちないものがある。
 
 なにゆえに、その様なことになるのかと言えば、戦争は国家の行為であり、個人の行為とは言えない。ゆえに、今までの戦争裁判で、個人の責任を追及された例は無かった(直接手を下した非人道的行為を除く)。そのかわりに、敗戦国は賠償金や領土の割譲を求められ、戦争責任の代償としたのである。

 このあいだの “世界ふしぎ発見” で、スリランカ特集があった。スリランカ人の回答者が、サンフランシスコ講和条約の時、真っ先に対日賠償請求を放棄したのは、スリランカであると語っていた。
 それはスリランカ代表が、釈尊の教えの 「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈愛によってのみ消え去るのである」 という、仏教の慈悲の精神を訴え、世界中の人々を感動させた。わが国は、賠償に苦しむことなく、急速に戦後復興を成し遂げることができた。
 この代表の話を、スリランカでは小学生以上は、みな知っているが、日本では誰も知らないと言っていた。恩を忘れることは、実に嘆かわしいことである。

 日中国交会談のとき、日本の田中首相は 「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」 と謝意を表したが、“ご迷惑” の解釈をめぐって、擦ったもんだの挙げ句に、「中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」 と表記された。
 中国の周総理は 「日本国民も共に軍国主義の犠牲者である」 と言われ、賠償請求を放棄して下さったのである。このようなわけで、A級戦犯のことも含めて、日中戦争の “責任と反省” のうえに、国交が回復されたのである。

 この基本的な事実関係を無視して、自民党の党三役の一幹部議員からして、“先の戦争は侵略戦争ではない、自衛戦争だ” という趣旨の発言をするとは、如何なものかと思う。
 また、安倍首相も 「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」 と公言している。
 戦争の犠牲者である一般の兵士と、戦争へ・亡国への道を切り開いた国の指導者を同列に論じ、“死ねばみんな罪は許されて、神様仏様となって尊崇を受けるのだ” と。 “これが日本の伝統だ、文化だ” と声高に叫んでも、こんな伝統文化は、諸外国に理解されることは無いであろう。

 今や、米国をはじめ世界の諸国は、わが国の 「憲法違反・A級戦犯合祀・歴史認識」 等の問題について、厳しい眼で見ているのである。
 したがって、近隣諸国との平和・友好と民衆の幸福を思えば、靖国神社の参拝は、直ちに中止すべきであると主張するものである。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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