無宗教と無宗派

 9月1日、創価大学の第 40回・夏季大学講座を受講しました。「人間学の扉 ――人間を探求するとはどういうことか?」 という講座名で、講師は文学部教授・山岡政紀先生です。

 「人間学」 といえば、私は “南無妙法蓮華経” と唱え奉ることが、自身を知る人間学の最直道であると確信はしていますが、それでは論理が飛躍しすぎて説得力はありません。そこで大学では、どのようなことを教えているのかなぁ と、思って受けてみました。

 午前90分、午後90分、計 3時間の授業で、スライドを使って分かり易い授業なのですが、何せ、頭が古くなっていて、あまり残ってない状態です。
 それにつけても、受講者の大部分が中年のご婦人の方々で、その向学心には、大いに学ばなければならないと思いました。中には三日間、続けて受講されている方もおります。
 
 はじめに、池田先生より教示された “文学部の三指針” を紹介されました。
 一、生命の尊厳の探求者たれ!
 一、人類を結ぶ世界市民たれ!
 一、人間主義の勝利の指導者たれ!


 昨今の大学を見ますと、卒業しても就職できなければ何もならないと、語学や技術などの実学を重要視する傾向にあるが、しかし、各界のトップの方々の一般的に共通していることは、文学・哲学・歴史等からよく学んでいて、造詣が深いと言うことでした。結局、何を学んできたかが問われているようです。

 つぎに、人間とは何か!動物との違いは何か!と言うことについては、色いろな定義があるが、どれが最も決定的な人間の定義なのかは未解明であるとのことでした。
 その中で、宗教的な人、宗教人について、スライドの画像を通して説明がありました。

 ある事故の現場で、花を手向けている人に “あなたの宗教は何ですか” と聞いたところ、“わたしは何も信じていません、無宗教です” と答えが返ってきた。
 この場合の “無宗教です” という言葉 は、“自分は特定の宗教をなに一つ信じていない” という意味である。すなわち “無宗派” である、ということであって、決して宗教心がない分けではない。それは、花を手向けるという行為自体が、もう既に、宗教的であるからである。
 また、“星に願いをかける” 少女がいたとする。何らかのものに願をかけると言うそのものが、宗教心のあらわれである。
 そのように考えると、人類・誰人と言えども宗教心のない、宗教人でない人間はいないのである。ここのところが、動物と違うところで人類が優れている点である。

 靖国問題で、よく “無宗教” の碑を建てようと言っているが、慰霊や碑は宗教的なものであるから、あれは “無宗派” の碑とすべきである、との指摘がありました。
 そこで、拙ブログの 「靖国と憲法」 の後半のところで、“第三に、新しい施設は、誰でも心置きなく追悼でるように無宗教の施設で ……” と書いていましたが、この無宗教を “無宗派” と訂正させて頂きますので、ご了承ください。
 ブログ 「靖国と憲法」 ―→ ここから

 そのほか、先生の「 トインビー対談」 や 「教育提言」 を通しての講義もありましたが、本を読んで見なければ思い出せませんので、後ほど、ご紹介できれば嬉しく思います。 

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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