講座 「人間学の扉」

 夏季講座 「人間学の扉」 の テキストに、次のようにありました。

 生命の尊厳の探究
 トインビー 「人間は他の動物より遥かに大きな行動の自由を持っています。他の動物より悪いこともできるし、善いこともできます」
 池田 「善と悪を見極める規範がなかったならば、それはもはや人間の社会とはいえません」 (『二十一世紀への対話』より)

 人間には行動の自由があるからこそ、善悪の見極めが必要になります。自らの意思で善の生き方ができる人こそが 「幸福な人」 ではないでしょうか。そして、教育の最大の使命はそのような生き方を啓発していくことにあるのではないでしょうか。
 池田先生は 「学問・教育の本質は、生命の尊厳を教えることである」 と述べられています。そして、生命の尊厳は頭で論理的に理解するものではなく、五感をフル稼働して感じ取っていくものでもあります。その感性を涵養するのは宗教的精神です。その意味で学問・教育は本来、宗教的でなければならないというのが先生のご主張です。
 但し、先生は 「宗教性」 と 「宗派性」 の区別を明言されています。「創価大学では宗教教育を行わない」 とされたのは、厳密には 「宗派教育を行わない」 という意味です。宗派性を超えた普遍的な宗教性、即ち 「人間が誰しももっている生命の尊厳への宗教的感性」 を育てることは人間教育に不可欠な要素です。
 宗教性を育てる方途として、池田先生は、「①対話、②古典文学の精神的遺産に触れること」、この二つを挙げられています。

 以上のように、端的に教えて下さっています。

 生命の尊厳とは、生命は崇高にして侵すべからざるものである。
 生命の輝き・躍動感は数量化できない。ゆえに、人間の研究は、この方法では全く成り立たない。しかし、ありありとしたクオリア(質感・感覚質)がある。
 生命の尊厳のクオリアに、ストレートに アプローチする学問、それが人間学である。そして人間の尊厳を伝え行く教育を、人間教育のための人間学である、と指導されました。

 池田先生の教育提言 「教育力の復権へ――内なる『精神性』の輝きを」 から(抜粋)

 宗教的使命は、人間的・社会的使命と相即不離であって、前者は必ず後者へと昇華、結実していかなければならない。もし、両者を切り離してしまうと、宗教性は宗派性へと歪曲され、ともすると宗教は、人々に害を及ぼす反人間的、反社会的な存在に堕してしまいます。多くの カルト教団が陥りがちな迷妄が、ここにあります。
 私が強調する 「宗教性」 とは、「宗派性」 とは厳しく一線を画しております。人間的・社会的側面での価値創造に繋がっていかない宗教性は、その名に値せず、どこかに偽りがあるのであります。ゆえに、私はかつて「 創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を侵し続ける “力” に対する、内なる生命の深みより発する “精神” の戦いである」 と位置づけたのです。
 この 「“精神” の戦い」 とは、精神性、宗教性の掘り起こしの謂であります。

 宗派性を超えて、精神性、宗教性の普遍的な広がりをもちうるかどうかは、その宗教が21 世紀文明に貢献していくための試金石といってよい。それと同時に、話を教育次元、特に宗派性をもち込んではならない学校教育の場に戻せば、私は、子どもたちの荒れた内面を耕し、緑したたる沃野へと変えゆく古今変わらぬ回路は、そうした精神性、宗教性を豊かにたたえた芸術作品、なかでも書物に接していくこと、即ち読書だと思います。
 コミュニケーション不全の社会に対話を復活させるには、まず言葉に精神性、宗教性の生気を吹き込み、活性化させていかなければならない。その活性化のための最良、最強の媒体となるのが、古典や名作などの良書ではないでしょうか。
   
 こういう古典を熟読吟味することが、どれほど自分の精神世界を豊かに、分厚いものにしてくれるか――優れた精神的遺産を “宝の持ち腐れ” にしておいては、もったいない限りであります。
 トルストイに限りません。ドストエフスキーでもよい。ユゴーでも ゲーテでも、何十年、何百年という時間の淘汰作用を経て生き延びてきた古典や名作には、必ず “何か” が含まれているはずです。外国の大文学が重すぎれば、日本の近代文学、あるいは河合隼雄氏などが推奨している コスミックな児童文学の中からでも、いくらでも拾い出すことが可能でしょう。
 いくら “活字離れ” がいわれても、否、“活字離れ” の時代であればあるほど、私は、時流に抗して、古典や名作と一度も本気で格闘したことのない青春は、何と寂しく、みすぼらしいものかと訴えておきたいのであります。


 先生は “古典や名作と一度も本気で格闘したことのない青春は、何と寂しく、みすぼらしいものか” と指導されています。いまの若者たちは、電車の中までも スマートフォンに、夢中になって使っている姿を、多く見受けられます。貴重な青春時代を、無駄に過ごしているようで、実に残念でなりません。

 山岡教授が、学生たちに読ませている文学作品の中から
 ビクトル・ユゴーの 『九十三年』 と 宮田 輝の 『骸骨ビルの庭』 の二作品の大意を話され、生命の尊厳性について話されました。
 これからは 「人道的競争時代」 になる。“生命尊厳の思想を普及し、社会に実現していく力をより強くもった人々を、育て啓発する教育。その基盤となるのは宗教的信念” である、との御指導でした。
 
 先生の教育提言 ―→ ここから

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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