仏様の本尊

 前にこの大御本尊は、正法・像法時代には出現したことがない未曽有の御本尊であると述べました。

 正法・像法時代は、釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来等の小乗・権大乗の仏を本尊としていましたが、いまだ法華経の本尊は出現していません。それは正像時代は、法華経流布の時では無かった故であると思います。

 そもそも釈尊自らは、本尊というものを説いたり・作ったりはしなかったと思います。仏滅度後一世紀ごろ、ギリシャ彫刻の影響を受け、仏像の彫刻が始まったと言われています。

 それまでは、釈尊の足跡・蓮の華・車輪(法輪)等で、象徴的に表現されたものを拝していました。

 その後は、仏像だけでなく菩薩・二乗・四天王等、挙句の果ては、功徳を求めるあまり狐狸の類いまで、自分より力や能力のあると思われるものを像に刻んで本尊としています。

 日蓮大聖人は 「諸宗は本尊にまどえり」(215P) と仰せです。これ等の本尊は言ってみれば、人師・論師・奪っていえば、迷いの凡夫が作ったものなのである。

 これに対して、我らの信奉する大御本尊は、本因妙の教主・末法の御本仏・日蓮大聖人が、法華経本門の肝心・文底秘沈の大法を、自ら取り出だして顕わされた御本尊であります。

 「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(1124P) と仰せられた御本尊です。
 この御本尊を 「讃むる者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」(291P) のである。

 しかるにある人は、どこそこの不動尊やお大師さんに参ったら、病気が治った・金が儲かったと、功徳のあることを言い張る人もおるでしょう。

 しかし、仏道修行の目的は、そんな金や病気等の小さな功徳を求めることでは無いのである。かえって、妙法に反する謗法によって罪を無間に開くのであります。

 『御義口伝』 に 「功徳とは六根清浄の果報なり、…… 功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり」(御書762P)  と仰せです。

 このように即身成仏するより外の功徳は無い分けであります。皆成仏道の法華経の真意を悟られた 「仏様」 の顕わされた御本尊か、ただ凡夫の作った本尊か、どちらを拝むのか、よくよく思惟して頂きたいと願うものである。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
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