「誤解を解く」と言うが

 安倍首相が政権発足1年目の26日、靖国神社に参拝した。中・韓両国が反発するのは覚悟のうえで、あえて友好親善を阻害してまで行う首相の気が知れない。
 今回は米国まで 「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させる行動を取ったことに米政府は失望している」 との異例の声明を出した。

 安倍首相は、この問題の “誤解を解く” ために対話のドアは何時でも開いていると言っているが、私は中・韓や米国が誤解していることよりも、首相の妄執や確執の方に問題があると思っています。

 安倍首相が誤解だとしている点は、
 1) 日本は戦後、自由と民主主義の平和国家の道を歩んできた。それを無視して靖国参拝にかこつけて、あたかも戦前の日本に回帰するかのように言うのは的外れである。
 2) この問題を政治・外交に絡めて、何時までも長引かせているのは、中・韓の方ではないか。
 3) どこの国の指導者でも、戦没者の追悼儀式に参列している。その国の戦没者をどう追悼するかについて、本来、他国からとやかく言われる筋合いはない。

 以上のような点が見受けられますが、このような点は誤解でも何でもない。相手は先刻承知のうえで、日本外交の弱点を突いてきているのである。このままの状態で首相は、話せば “誤解は解ける” と本気で思っているのであろうか。もしそうであるならば、能天気なことだ。

 靖国神社のことで、中・韓が問題視している点はA級戦犯の合祀である。このA級戦犯の合祀の問題を解決せずして、いくら話をしても “誤解は解けない” であろう。合祀の問題をそのままにして置けば、今度は欧米諸国から指弾を受けるように成るだろう。相手ではない、こちらが変わらなければならない。
 首相は 「すべての戦争で命を落とした方の冥福を祈り、不戦の誓いをした」 と語っているが、先の大戦の時、彼我の関係諸国に多大な人的・物的損害を与えた戦争を指導したA級戦犯を、神様と祀り称えている靖国神社に、不戦の誓いをしても、何ら不戦の誓いにはならない。
 少しでも、侵略され被害を被った相手国の国民感情をも考慮すべきである。

 A級戦犯の過去記事 ―→ ここから

 安倍首相は、第一次内閣のとき参拝しなかったことを 「痛恨の極み」 と言っているが、首相の仕事として慰霊することが、関係国との友好を阻害してまで行わなければならないほど、そんなに大事なことなのでしょうか。
 しかも、公人として一宗教団体に係われば、憲法違反になるのである。
 過去の死者の霊よりも、現在の生者の生活の方が大事な筈だ。仏法では 「本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」(869P) と仰せです。
 どちらが大切なのか。首相として、未来を見据えた判断を誤って貰っては困る。
 国民の幸せな生活と世界の平和のために、ご尽力して下さるよう願ってやまない。

 関連記事・靖国と憲法 ―→ ここから 

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
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