新・人間革命(正義の章)

 新時代開幕の年1月より、聖教新聞には 『新・人間革命第27巻』 の正義の章が連載されています。
 正義の章は、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布の大願に勇往邁進する 「創価学会」 と、広布を忘れ邪教と化した 「日蓮正宗」 との違いを明確にして、我われに成仏得道の道を踏み外さないように教えてくださっています。

 この正義の章に、戸田先生が第二代会長になられて直ぐ、創価学会が宗門と別団体になるための宗教法人格を取得したことが述べられています。このことは、戸田先生の先見の明の確かなることを物語っています。
 正義の章には、次のように述べられています。

 後年、腐敗、堕落した宗門は、「C作戦」(Cはカットの意) なる計画を実行し、一九九一年(平成三年)十一月、学会を “破門” するなどという時代錯誤な暴挙に出た。しかし、いくら一方的に “切る” などと騒いでも、学会は、もとより独立した宗教法人である。なんの社会的な影響力もなかった。
 むしろ、それによって、学会は、邪宗門の呪縛から完全に解き放たれ、魂の独立を果たし、晴れやかに、ますます雄々しく、広宣流布の大空に飛翔していくことになる。
 宗教法人の設立という戸田の英断が、どれほど広宣流布の大発展につながっていったことか。伸一は、未来を見すえた師の慧眼と偉大さに感嘆するとともに、“戸田先生に学会を守っていただいた” との思いを深くするのであった。
 ………
 一方、広宣流布の団体の破壊を企てた宗門は、その後、衰亡の坂道を転げ落ちていくことになる。それは、まさに宗門こそが、日蓮大聖人から破門された証明といえよう。
  (新・人間革命27・正義20)
 
 宗門の僧侶たちは、信仰心を失い、自ら腐敗堕落し、僧が上だと言って信徒を蔑視し、これが聖職者の姿なのかと、その醜態をさらけ出していたのである。
 そして金が貯まってくると我意に従わない者は切るという、坊主根性まる出しで 「C作戦」 を企て、広宣流布を推進する創価学会を “破門” するという暴挙に出たのである。
 この挙は、日蓮大聖人の御精神に反することであり、その後、宗門は衰亡の一途を辿っているのである。先生も “まさに宗門こそが、日蓮大聖人から破門された証明といえよう” と述べられています。

 これまでの各宗派では、すべての信者が一宗教法人のなかに収容されて、一体となった存在であった。ところが、学会の場合は、日蓮正宗という総括法人の外に、さらに創価学会という新たな法人格を作るということである。その理由について、先生は次のように述べられています。

 第一に、大法戦等に際して、総本山に直接の責任や迷惑を及ぼさないためであり、
 第二に、総本山を外護する団体として、思いきった折伏行を断行するためである。
 また第三に、これからの民衆は、いままでの僧侶仏教的な指導や行き方では、なかなか正法を持つまでにはいたらないであろう。しかも、わずか少人数の僧侶をもってしては、多数の信徒を指導することは到底できないからである。
 第四に、信徒だけで構成された団体こそ、もっとも近代的で理想的な民衆仏法であるといえよう。
 妙法を根底にしつつ、そこから一切の社会の各分野にわたって広く活躍していったほうが、はるかに広宣流布の進展も早まるにちがいない。また、それが自然な姿でもあったからだ。
 ………
 今にして思えば、この時の戸田の決断こそ、まさしく他のあらゆる教団を見事にかけはなしてしまい、学会の行き方が正しかったことを実証したのである。
  (文庫・人間革命5巻・218P)

 実際に、広宣流布の戦いの場において、如何ほどの非難・中傷を受けたことか。それを創価学会なかんずく、池田先生が御一人で受けられ、宗門を外護してきたのである。そのお蔭でぬくぬくと育てられた恩を忘れ、学会員を蔑視しその会の破壊を企てるとは、人に道にもとることである。

 このような僧侶の体質は、江戸時代の檀家制度から醸成されてきたのである。牧口・戸田先生の時代にもあったが、大きく具体的な動きとして現われてきたのが、一九七七年(昭和五十二年)の一月十五日、第九回教学部大会での 「仏教史観を語る」 と題しての記念講演からである。
 この講演について、正義の章には、次のように述べられています。

 伸一は、その仏教が、やがて沈滞し、形骸化していった要因の一つは、仏教界全体が “出家仏教” に陥り、民衆をリードする機能を失ったことにあると指摘した。
 そして、衆生を導く、指導者たる “法師” について、本来の意義に立ち返って論及。
 「今いかなる時かを凝視しつつ、広宣流布の運動をリードし、能く法を説きつつ、広く民衆の大海に自行化他の実践の波を起こしゆく存在」 と述べた。つまり、民衆と共に、仏法のために戦ってこそ、真の法師であると訴えたのである。
 また、出家と在家の本義にも言及し、「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましょう。これほど、偉大なる仏意にかなった和合僧は、世界にないのであります」 と宣言した。
 さらに、寺院の歴史についても論を進め、寺院は、人びとが集って成道をめざし、仏道修行に励み、布教へと向かう拠点であり、その本義の上から、学会の会館、研修所は、「現代における寺院」 ともいうべきであると語った。
  (新・人間革命27・正義24)

 この講演は、仏教の本義の上から述べられたものであり、何ら批難されるようなものではないが、宗門の僧侶らは、自らの行状を省みることなく、宗門批判と捉えた。そして、どす黒い嫉妬心を燃やし、創価学会攻撃の材料として利用したのである。
 
 『佐渡御書』 に、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食(はむ)等云云」(957P) と、仏教は外からは破れない。内部の仏弟子の腐敗堕落から破られるのである。
 『法華経』 に、「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)に未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)い我慢の心充満せん」(勧持品) と、末法の僧の実体を説いています。
 頭をまるめ、袈裟・衣を着しておればと、外形から判断してはならない。世の中で、一番信用ならない大悪人は、実は僧侶なのであります。
 妙楽云く 「第三最も甚し後後の者転(うたた)識(し)り難きを以つての故に」(228P) と。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

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弘安2年はスマホからでも見る事ができる

登山なんかしなくてもしなくても、今はサイトから、三大秘宝の大御本尊は、オメドウリは可能なのですね、形式にこだわらなくてもいいのです、正本堂からアクセスした方が良いとおもいます、宗門アクセスでは、誰かが身延山の本尊を混同させて掲載
している大場か者がいます、あのサイトは間違えてしまいますので気を付けてください、本来の元祖と言われる日蓮大聖人直筆の大御本尊のネットワークを広げて行き宗門がいかに意味がないかを実証としてゆきましょう

Re: 弘安2年はスマホからでも見る事ができる

 コメント有り難うございます。

 大聖人御真跡の御本尊は、現在 約130体ぐらいあるそうです。
 大曼荼羅一覧を見ても、一つとして同じものはないようです。
 宗門のいうように、弘安2年の御本尊が「出世の本懐」の御本尊なら、それ以後、御図顕の御本尊には、同じ相貌の御本尊があってもよいのではないかと、勝手に思っています。しかし、同じものはないようです。
 このことは、『聖人御難事』においても、弘安2年の御本尊をもって、出世の本懐とするとは一言も言及されていないことと、何か意味がありそうです。

 「出世の本懐」については、会則の改正に関する解説の通りだと思いますので、宜しくお願いします。

入会だけでは無意味

ひとりごとですが、

仮に、全世界の人が日蓮宗になったとします。その中には、身延に正宗、そして学会とかがあるでしょう。
だから、もし全世界の人が、(事務的には)学会員になったとしても、その中で、正しい信心が出来ている人がどれだけいるでしょうか?

学会員でも正しい信心が出来ていないのであれば、それは他の信仰をしているのと同じだと思います。

だったら、信仰する団体は変えずとも、心は大聖人の立正安国の精神に賛同するケースのほうが、ずっといいと思います。
もちろん、学会員になって、善知識の同志と、先生や大聖人を好きなだけ学べるのが一番ですけどね。

Re: 入会だけでは無意味

>入会だけでは無意味 ではないかとのことですが、

 はじめから立派な信仰心に立脚することは難しいと思います。

>信仰する団体は変えずとも と言われていますが、

 どの宗教団体でも同じであると言いているように聞こえます。

>大聖人の立正安国の精神 この精神を教えてくれて、正しい “師弟不二” の信心を教えてくれるのは、池田先生であり、創価学会だけであります。

 ゆえに、創価学会に「縁」することが大事になります。それを、お手伝いしているのが我ら学会員であります。
 そして、共々に一生成仏、仏国土建設に歩んで行こうと言うのであります。

 したがって、創価学会が最高の宗教団体であると確信すべきである思います。

Re:Re: 入会だけでは無意味

少し言葉足らずで誤解を生んでしまったようですね。申し訳ありません。

端的に行ってしまえば、ゴールと過程の話です。
最終的には、学会の同志を友とし、池田先生を師とし、仏法の人生を歩んで欲しいのは私も変わりません。
しかし、そこに至る道は、時間がかかる回り道でもいいのでは無いかと思います。

例えば、聖教新聞が読みたければ学会員になれ。とか、学会員以外に任用試験は受けさせない。みたいに、「まず学会員になれ。話はそれからだ。」という対応をして、反発を買い、せっかくの道を塞ぐくらいなら、今の信仰教団を変えぬまま、理解を深めていくやり方のほうがいいと思ってます。

ただ、未入会者さん本人は別として、紹介者さんは、ここまでやったからいいだろ。という気持ちは絶対持たず、いつか必ず最終ゴールに到着させてみせる。という意志が大事だと思います。

Re: Re:Re: 入会だけでは無意味

> ゴールと過程の話です。

 過程の話といえば、やり方の問題ですね。
 人によって違いがありますから、ケース・バイ・ケースになろうかと思います。
 ただ、仏法を知らない世界の人々と、小を以て大を打ち権を以て実を破る謗法の者たちとは、自ずから対応は違って然るべきだと思います。
 
> ただ、未入会者さん本人は別として、紹介者さんは、ここまでやったからいいだろ。という気持ちは絶対持たず、いつか必ず最終ゴールに到着させてみせる。という意志が大事だと思います。

 全く、同感であります。
 要は、同苦の心、慈悲の心が大切であって、凡夫にはそれに代わる勇気をもって、対話に頑張って行きたいと思います。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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