本迹相対(啓蒙・日講を破す)

 次に日寛上人は、不受不施講門派の祖と云われる日講(1626~1698年)が、著わした録内啓蒙(御書を注釈講述したもの)の中の本迹一致論を取り上げ、その邪義を破折されています。 

 『三重秘伝抄』に、問う啓蒙の第五に云く「未発迹の未の字・本迹一致の証拠なり已に発迹顕本し畢(おわ)れば迹は即ち是れ本なるが故なり」 云云、此の義如何、
 難じて曰く若し爾(しか)らば未顕真実の未の字・権実一致の証拠なりや、其の故は已に真実を顕わし畢れば権は即ち是れ実なるが故なり、(六巻抄・42P)
とあります。

 日講が云わんとすることは、「いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず……」(197P) とあるのだから、これを逆に言えば、既に真実が顕われたならば、迹は本となり本迹一致になると。すなわち、未発迹の未の字こそ “発迹顕本すれば本迹一致になる” という何よりの証拠の文字だ、というのである。いやはや、何とも無茶なこじ付けである。
 そうまでしても言わなければならないのは、日講が “本迹一致派” であるからである。
 
 これに対し、日寛上人は簡潔に、しかも痛烈に破折されたのである。
 もし未発迹の未の字が本迹一致の証拠だと云うのであれば、未顕真実の未の字は権実一致の証拠になると云うのか。なぜならば、この論法でいくと、法華経に来て真実が明かされると、それまでの権教も実教と同じになると成らなければならない。それでもよいのかと、迫られたわけである。

 日講重ねて会して云く権実の例難僻案(びゃくあん)の至りなり、若し必ず一例なる則(とき)は宗祖何ぞ予が読む所の迹と名づけて但方便品を誦(よ)み予が誦む所の権と名づけて弥陀経を誦まざるや等云云。
 今大弐・莞爾(かんじ)として云く此の難太(はなは)だ非なり、何となれば権実・本迹俱(とも)に法体に約すが故に是れ一例なり、若し其れ読誦は修行に約する故に時に随って同じからず、日講・尚・修行を以て法体に混乱す、況んや三時弘経を知らんや。(同書・43P)


 ここで日講が重ねて反論して云く、今ここで本迹のことを論じているのに、そこへ権実の例を引くことは誤りである。若し本迹を論ずるのに権実を同一の例として取り上げるのならば、日蓮大聖人は、どうして 「予が読む所の迹」 と名づけて、方便品を読んでおきながら、「予が読む所の権」 と名づけて、弥陀経を読まないのか、との問いである。

 大弐とは日寛上人のことである。上人はニッコリと微笑んで、この問いは全くの愚問であると。なぜかならば、権実、本迹と云うのは 「法体」 の問題であり、方便品や弥陀経を読むと云うことは 「修行」 の問題である。したがって、同じ法体の問題として本迹の説明に、権実の例を引くことは一向にかまわない。
 一方、修行というものは、時に随ってその形態が変わってくる。この二つは絶対に混同して論ずべきではない。法体は法体、修行は修行という範疇で、厳格に立て分けて論ずべきものである。
 ところが、日講は本迹・権実という 「法体」 のことを論ずるのに、読誦という 「修行」 の問題を引くという、決定的な誤りを犯しているのである。このような者に、どうして三時の弘経の次第を知ることが出来ようか、と指摘したのである。

 その上で、日寛上人は日講に対して、本迹の相違を論ずるのに権実の例を引いた過去の文証を挙げて諭しています。すなわち、天台大師の法華玄義・文句、妙楽大師の文句記の中から文証を引かれています。
 また、日蓮大聖人の『治病抄』から 「法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり」(996P) の文を引かれ、本迹の相違を説明するのに、“例せば爾前と法華経との” と、権実の相違を挙げられている。
 このように、大聖人をはじめ天台・妙楽の賢聖たちも、本迹の問題を論ずるのに、権実を例証にしているのである。日講お前は、これらの賢聖の義も、ことごとく “僻案の至り” と罵るのか、と破折されています。

 日講の云わんとするところは、法華経の迹門において、多宝・分身の証明があったのだから、発迹・未発迹は問題ではなく、迹門で真の一念三千も明かされ、二乗作仏も決定している、というのである。日講はあくまでも “本迹一致” と言いたいのである。
 発迹顕本し畢(おわ)れば “本迹の相違は水火天地の違目なり” と、これ程ハッキリとしている法理を、勝手に自己流に曲げて我見に執着する日講を、日寛上人は 「難じて云く拙い哉(かな)日講・窃盗を行う者は現に衣食の利あり、何ぞ明文を曲げて強いて己情(こじょう)に会するや」(同書・46P) と痛快に破折してます。

 何故、このように強いて執着するのかと言えば、日講は五老僧の門流の者だからであります。
 五老僧たちは大聖人滅後、比叡山の権威を畏れ “我われは天台法華宗の者だ” と名のりました。
 天台大師は像法の教主であり、法華経の迹門を表となし本門を裏と(迹面本裏)して、衆生を救いました。「本迹一致」 の立場であります。
 戸田先生が、五老僧について述べられた、質問会でのご指導があります(抜粋)、のでご参照ください。
 
 「……大聖人様のご行動というものは、まるで危険思想の持ち主の行動みたいに見られていたのです。だから、あんなご難があった。ご難があったけれども、大聖人様が厳然といらした時は、平左衛門も執権も手を付けられなかった。あまりにも偉大な仏様が、厳然としていらしたからです。ところが亡くなったとなると、彼らにとってはもってこいです。それで二度目の大弾圧があった。その時、五人はみんな逃げ出してしまった。怖かったんですな。
 五人はみな急に 『我々は天台沙門だ』 と言いだしました。『日蓮の弟子ではない』 と言いたかったのでしょう。そこで日興上人がお怒りになった言葉の意味がわかるのです。
 ……もし今夜にでも戸田が眼をつぶってしまい、その後で 『創価学会なんか潰してしまえ!』 ということになって、権力でひどい圧迫を加えられたとき、いったい何人の人が 『私は創価学会員だ』 と、毅然と誇り高く言いきれるか、あやしいものです。『いや、私は日蓮正宗だ。創価学会ではありません』 とか 『お寺の信者ですから、広宣流布なんて考えておりません』 とか『自分だけ信仰しているのです』 とか、諸君たちは言わないとはかぎりませんぞ」

 戸田の眼差しは鋭くなっていた。彼のこの言葉は、誰ひとり平常考えたこともないものであった。戸田一人の胸中にだけ、その様な危機感が、つねに秘められていたのである。

 「……大聖人が亡くなって、いくら幕府の弾圧があったからといって、天台沙門などと名乗る臆病者があるか!……天台の弟子などでは断じてない。……」
 ……日蓮宗各派の誤りは、すでに大聖人入滅直後から、その正体を明白にあらわしていたのだ。彼がこの歴史の事実を思わず強い調子で指摘したのは、今後の創価学会にとっての重要な戒めとしたかったからであろう。  (文庫人間革命7巻・121~123P)

 現代は信教の自由が保障され、弾圧などないと思われている方もいらしゃるでしょうけれど、退転するのは外からの圧迫だけではなく、むしろ本質的には己心の無明の心に敗れるからである。ゆえに、「されば能く能く心をきたはせ給うにや」(1186P) と、ご教訓なされています。

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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