法華経の心(9)(折伏)

 一切衆生に仏性があるという 「法華経の心」 を実践せんがために、常不軽菩薩は一切衆生の人々を礼拝して回りました。この [不軽菩薩の礼拝行」 は、末法においては仏道修行の折伏弘教に当たります。

 「折伏(しゃくぶく)」 とは、破折屈伏ということで、相手の邪義・邪法を破折して、正法に伏させる化導法の一つで、摂受に対する語である。
 「摂受(しょうじゅ)」 とは、摂引容受ということで、相手との違いを認めつつ次第に誘引して、正法に入らせる化導法のことである。

 『佐渡御書』 に、「仏法は摂受・折伏時によるべし」(957P) 
 『開目抄』 には、「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」(235P) と仰せです。

 仏法の弘経の方軌に、摂受と折伏があるが、“無智・悪人の国土に充満の時は摂受を”、“邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす” とあり、そのどちらを取るのかは、章安の云く 「取捨宜きを得て一向にす可からず」(236P) と言われますように、時代の様相によるのである。
 ここに “無智・悪人” とあるのは、愚かでろくでなし・ということではなく、仏法の道理を知らない者、まだ仏法が流布されていない国土の人という意味であります。
 “邪智・謗法” というのは、邪悪な智慧をもって正法(法華経)を謗ることである。
 『開目抄』 に、「日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(235P) とあり、「正像の時の所立の権小の二宗・漸漸・末法に入て執心弥強盛にして小を以て大を打ち権を以て実を破り国土に大体謗法の者充満するなり」(507P) の如き日本国は、折伏の時である。

 折伏は破折屈伏のことであるが、我々が折伏したときによく言われた言葉に、“宗教は自由だ。人の宗教を悪く言うのは、信仰者として有るまじきことではないのか。(趣意)” というものがあります。
 このことについて、先生の 『御書の世界』 のご指導を学びたいと思います。(抜粋)

 名誉会長  「如説修行抄」 等には 「法華経の敵を責める」 と仰せです。 この点について、誤解のないように一言しておきたい。
 誤った教えに執着している人は、たとえ正しい教えが示されても、かえって反発し、誤った教えへの執着を強める。
 だからこそ、粘り強い対話で、教えそのものの誤り、そしてそれを信じることの誤りの両方を明確に指摘し、気づかせ、目覚めさせることが大事です。
 相手が邪見に毒されて悪口している場合は、破折が表になるのは当然です。 「破折」 を忘れたら、大聖人の弟子ではない。 悪への 「破折」 がなくなったら、創価学会の魂はありません。


 森中  「如説修行抄」 には、「諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(504P) とも仰せです。

 名誉会長  ただし、「責める」 といっても、決して言い争いをするとか、まして言論以外の手段を用いるということではない。
 「正邪を明らかにしていく」 ことであり、具体的には、「正法を言い切っていく」 ことです。
 “間違っている” という指摘だけでは、不十分です。 言われた側も納得できない。 “これが正しい” と明確に示してこそ、現実に変革へと一歩、踏み出すことができる。


 斉藤  正義を示す 「第一義悉檀(しつだん)」 と、悪を打ち破る 「対治悉檀」 は、一体不二ですね。

 名誉会長  その根本は、やはり慈悲です。
 大聖人は、「開目抄」 で、御自身が折伏を行じ、諸宗を厳しく破折されている意味を、涅槃経を解釈した章安大師の言葉を引いて示されている。

 
 森中  拝読します。
 「仏法を壊乱するは仏法中の怨(あだ)なり 慈無くして詐(いつわ)り親しむは是れ彼が怨なり 能く糾治(きゅうじ)せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり 彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり 能く呵責(かしゃく)する者は是れ我が弟子駈遣(くけん)せざらん者は仏法中の怨なり」(236P) 
 
 斉藤  ………
 この言葉に照らして見るときに、一切衆生を仏にしょうとの法華経の深い心を踏みにじって、仏法を破壊し混乱させている諸宗を徹底して責めることは、仏法者としての責務であり、真の慈悲の行為です。

 名誉会長  大聖人の実践される折伏行は、どこまでも邪法に惑わされている人々を目覚めさせ、救っていこうとの、大慈悲の御精神に基づくものです。
 私たちの折伏の実践もまた、どこまでも大聖人の大慈悲の御精神に連なって、一人の人を必ず救っていこうとの一念に基づくものでなければならない。
  (御書の世界3巻・26~29P)

 折伏行は、どこまでも大慈悲の御精神に基ずくものであります。それでは、もう少し、折伏の意義、功徳について、お伺いしたいと思います。

 名誉会長  折伏の意義については、何点か述べることができます。
 まず、折伏の核心は、「慈悲」 と 「哲理」 であるということです。
 「慈悲」 とは、苦悩する人々を救う仏の心です。これは、私たちが実践するうえで、友への 「思いやり」 であり、具体的には、粘り強い 「忍耐力」 と、正義を語り抜く 「勇気」 として現れるといえます。
 「哲理」 とは、すべての人が成仏できる “誰もが幸福になる権利をもつ” という法華経の哲理に対する 「確信」 です。

 ………
 名誉会長  折伏の根本は、“すべての人を何としても幸福に” という仏の願いです。 その心をわが心とすることが、末法広宣流布に戦う本物の弟子、地涌の菩薩の誓願です。
 「慈悲」 は、しばしば 「慈」 と 「悲」 に分けて論じられます。
 「慈」 は、人々をわが子のように慈しみ、教え導くことです。
 「悲」 は、人々の苦悩を悲しみ、同苦することです。
 
 ………
 名誉会長  ………
 いわゆる母性的な温かく包み込む愛と、いわゆる父性的な厳しく導く愛の両方に育まれてこそ、人間は心豊かにまっすぐ育っていくことができる。 溺愛では、自立心が育たない。 抑圧では、個性が伸びない。
 仏は、父母両方の親の徳を具えて、人々を導く。
 苦悩から解放するだけにとどまらず、さらに正しい生き方を教えて、境涯を変革させ、現実に幸福を得られるようにはたらきかけるのです。
 折伏とは、この抜苦与楽の慈悲の実践にほかならない。
  (同書3巻・20~23P)

 「抜苦与楽(ばっくよらく)」 とは、苦を除き・楽を与えることで 「慈悲」 のことである。楽を与えることが 「慈」 であり、苦を除くことが 「悲」 である。
 『御義口伝』 に、「一念三千は抜苦与楽なり」(773P) と仰せです。
 本当に、抜苦与楽の力があるのは、一念三千の当体たる南無妙法蓮華経の御本尊様だけであります。
 その御本尊を弘める折伏行の功徳について、学びたいと思います。

 名誉会長  すべての根幹は、仏の心、法華経の心と一致することです。 仏と一体となり、妙法に合致すれば、どんな困難も乗り越えられないことはない。
 仏の心は、万人救済の大慈悲の誓願です。 その誓願に連なり成就せんとする大闘争のなかで、自分の生命が鍛え磨かれるのです。


 森中  人々を救う闘争によって、自分が 「六根清浄」 となるのですね。

 名誉会長  折伏行には自他の無明を打ち破っていく力があるからです。
 ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない。 同様に、人間は人間によってのみ、磨かれ輝くのです。

 ………
 名誉会長  仏の教説のままに、難をも恐れず勇敢に広宣流布を目指して戦う人は、「即身成仏」 「六根清浄」 の功徳があると仰せである。
 勇気をもって戦った分だけ功徳があり、「人間革命」 できるのです。
 「御義口伝」 には 「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(762P) とも仰せです。 勇気をもって自他の悪と戦っていくところにのみ、妙法の善なる力が現れてくる。勇気ある戦いがなければ、偉大な功徳はありません。
 偉大な人生を歩むためには、折伏が大切なのです。
 一人の人の一生は、長いようで短い。 そのなかで自ら体験できることは限られている。
 しかし、一人また一人と、他の人の悩みを我が悩みとして、共に祈り、共に戦い、共に勝ち越えていけば、人生の豊かさは、二倍、三倍、十倍、百倍と無限に広がっていく。
 ほかの人のために悩んだ分だけ、戦った分だけ、「心の財」 を積むことができる。 そして、どんなことが起ころうとも揺るがぬ幸福境涯を確立していくことができるのです。
  (同書3巻・39~40P)

 さらに、末法の折伏には、二つの意義があります。
 一つ は、「法体の折伏」 です。大聖人の法門それ自体が、他宗の教義を破折していることになり、三大秘法の 「十界の文字曼荼羅御本尊」 を顕されたことで、この義は完成されています。
 二つ には、「化儀の折伏」 です。現実社会のなかで、御本尊を護持し、広く流布して、民衆を救済することである。

 「法華経の心」 の実践は、「折伏行」 すなわち、「広宣流布」 であります。日蓮大聖人は、「法体の折伏」 すなわち、「本門の本尊」 である 「十界の文字曼荼羅御本尊」 を御図顕してくださいました。
 そして、その 「化儀の折伏」 すなわち、「化儀の広宣流布」 を、「時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり」(1600P) と、未来の末弟等に御遺命なされました。
 
 この “仏意仏勅” を受けて、「折伏行」 を実践し、法華弘通に邁進している教団は、わが 「創価学会」 のみであります。いまや、「世界広布新時代 開幕の年」 を迎え、池田先生の御指導のもと、わが身の使命と福運を自覚して、一歩前進の行動あるのみである。

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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