戸田先生の獄中闘争(2)(一撃)

 昭和16年12月8日、我が国は ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、勝利の展望のないまま、無謀なる太平洋戦争に突入した。緒戦の華々しい戦果に国民は酔いしれていたが、国力の差と諸天の加護から見放されている我が軍は、昭和17年6月、ミッドウェー海戦を境にして形勢は逆転した。

 この戦況を挽回せんとする軍部政府は、七百余年前の元寇の折り、暴風によって元軍が滅亡したのを、天照大神によって神風が吹いた、という歴史的な迷信にすがり付き、はかない夢に希望を託したのである。まさに、一国の国防方針が神頼みなのである。
 そのために、全国民に無理やり天照大神を拝ませ、“神州不滅” という誇大妄想なる スローガンを掲げ、その奇跡を期待したのである。
 国家権力を背景にして、神札護持と神社参拝を強要すること自体、神道の 「神々」 には力のない証拠である。天照大神を拝まぬものは、非国民と呼ばれ国賊とされた。また反戦思想の持ち主とされ弾圧されるにいたった。

 『立正安国論』 に、「世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還(かえ)りたまわず、是れを以て魔来り鬼(き)来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」 (17P) と仰せである。
 
 天照大神と言っても、法華経守護の善神である。三大秘法の御本尊を拝まずして、天照大神のみを祈るが故に、その神札には善神どころか 魔が住んでいて、祈りは叶わず、人々を狂乱させるのである。 
 このような状況下において、牧口先生は、「日本は危ない 国家諫暁をしなければ、日本は惨澹(さんたん)たる結果を招く と宣言なされました。この大聖人の教えに背けば罰がある、との先生のご確信に、宗門は、軍部からの迫害を恐れだしたのである。

 一九四三年(昭和十八年)六月二十七日、学会の幹部は、総本山に登山を命ぜられた。そして、当時の法主・鈴木日恭ら立会いのもと、宗門の庶務部長から、「神札」 を、一応、受けるようにしては、との話があった。
 牧口は、日興上人の遺誡置文の、厳しい一条を思い起こしていた。
 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(1618P)
 彼は、顔を上げると、はっきりと言い切った。
 「神札は、絶対に受けません」
 牧口は、その場を辞すと、沈痛な表情で参道を歩きながら、激した感情を抑えて、戸田に語った。
 「わたしが嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人のお悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諫暁の秋(とき)ではないか。いったい、何を恐れているのだろう? 戸田君、君はどう考える?」
 ………
 「先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます」
 牧口は、一、二度頷(うなず)いて、初めて、にっこりと笑いかけた。…… 
 この日から十日とたたぬうちに、二人は検挙されたのである。
  (ワイド人間革命1巻・228P)

 戸田先生が、自宅にて不当なる国家権力により逮捕されたのは、昭和18年7月6日の朝方であった。同じ日に、牧口先生も折伏弘教のため訪問されていた、伊豆の下田にて逮捕されています。
 容疑は、ただ 「神札」 を拒否したというだけで、 “治安維持法違反と不敬罪” という罪名である。まったく不当極まりないものである。
 牧口先生が、「神札」 を拒否したことについて、池田先生は次のように指導されています。

 名誉会長  国家悪の恐ろしさを、深く見抜いておられたのが、牧口先生であった。
 神札を受けることを拒否した時、宗内には “形だけなのだから、受けるだけ受けてはどうか” という意見もあった。
 しかし、先生は一歩も退かれなかった。先生が投獄される前から、座談会も特高警察の立ち合いで行われた。話が神札のことになると 「中止」 の声が飛ぶ。先生が話をそらし後、神棚のことに入ると、また 「中止」。周囲の幹部さえ 「注意されることがわかっていながら、どうして牧口先生は、何度も話を繰り返すのかな」 と思っていた。先生の心がわからなかった。先生が 「神札」 を拒否したということは、本質は 「国家崇拝」 を拒否したのです。
 “国家より、人間が大事ではないか 皆が不幸になっていくのを見過ごすことなど、絶対にできないという、やむにやまれぬ叫びだったのです。
  (法華経の智慧5巻・142P)

 〔一回目の難〕
 戸田先生は、逮捕されてからそのまま高輪警察署の留置場へ入れられました。外部との連絡不能に焦りを感じ、特に、牧口先生の年老いた身体への不安が起りました。また、事業のことや家族のことが気にかかり、心は烈しく悶(もだ)えはじめました。

 (どうしたら、外部と連絡できるか …… 家の様子や会社のことを知りたい
 ふと、彼は差入れのことが頭へ浮かんだ。未決監にいる刑事被告人に、その親戚や知己などが好意で品物を届ける差し入れのことである。
 (どういう手続きをしたら、差入れしてもらえるのだろうか … )
 巌(がん)さんは身を揉(も)まれているような烈しい焦燥(しょうそう)から、隣に座っている男に尋ねた。
 「差入れって、どうしてもらうんだろう」
 巌さんの眼鏡のない眼が、髭(ひげ)だらけの男の顔へ向けられた瞬間、留置場いっぱいに怒鳴(どな)り声が響いた。
 「こらッ 貴様、今、なにをいった
 巡査は怒鳴って椅子を立ち、鉄格子へ近付いて、錠前を ガチャガチャ鳴らして戸を開けた。
 「出てこい
 巌さんは呆気(あっけ)にとられ茫然(ぼうぜん)となりながら、部屋から出て行った。
 「そこへ坐れ
 巡査は獰猛(どうもう)な顔になって通路の コンクリートを指さし、佩剣(はいけん)を鳴らして机のところへ帰って、直径一寸ばかり、長さ二尺ぐらい、先が幾重にも結ばれていて拳(こぶし)ほどの瘤(こぶ)になっている …… 太い ロープを手にしていた。
 「貴様 なにをいったか
 巌さんが コンクリートの上へ座ると巡査の手の ロープが風を切って、その先の瘤がびしッ と頬(ほお)を打った。
 「あッ
 厳さんは頬を手で押さえた。
 「なんにもいいはしません。差入れは、どうすればいいか尋ねただけだ。それが、なぜ、悪いんだ
 巖さんは抗弁したが、それよりも、突風のように襲ってきた暴力にただ驚き呆(あき)れている。
 「それだけか 本当に、それだけか
 巡査はそういいながら、巖さんの頬を ロープの瘤で三つ叩いた。
  (戸田先生の文庫人間革命下・183P)

 上記のように、逮捕されて直ぐの日、同室の者に一声かけただけで、理由もへったくれもなく、暴力を加えられ、ただ驚きあきれるばかりであった。牢獄という所の、暴力で人を屈伏させようとする畜生界・修羅界の世界に、投げ込まれたのであります。

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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