戸田先生の獄中闘争(6)(大功徳)

 戸田先生は、無実の罪で法華経のゆえに入獄されるという、“大難” を受けることによって、我、地涌の菩薩なり という悟りの “大功徳” を得ることが出来ました。
 この 「獄中の悟達」 については、池田先生の 「人間革命第4巻」 に記述されております。
 「第4巻」 のブログの記事 ―→ ここから
 
 しかし、オリジナルの戸田先生(妙悟空著)の 『人間革命』 を所持してない方もおられると思いますので、紹介させて頂きますので、ご参照ください。 (抜粋)

 戸田先生は、「仏とは生命なんだ 自分自身の命にあるものだと悟り、歓喜をもってより一層、法華経と取組み、疲れれば題目をあげるという獄中闘争でした。
 しかし、経文は読めても意味が判らない。一句一句の意味が解せても、全体の意味が解せないので悩みは増して行くばかりであった。
 「ああ! 判りたい 法華経の真理を知りたい」 と、拳で頭を打ち、独り言をいい、檻(おり)に入れられた熊のように、独房の中を歩き廻り、身悶(みもだ)えするほど苦悩しました。
 
 十一月中頃の、水のように空が晴れている …… ある朝のこと、先生の唱題している声から挑(いど)みかかるような烈しさが消えて、静かに澄んだ音声であった。
 “日夜、苦悶(くもん)をつづけて、今は疲労のどん底にいるのだが、法華経と取組んで熱烈に思索し、深く瞑想(めいそう)し、苦悶を続けることによって、心の濁りや身体の錆(さび)が落ちてきたとは言えないであろうか” と述べられています。
 先生の唱題の数が進むにつれて、春に降る雪を見るように、しんしんと心が落着いてきて、清々しく、ほのぼのとした楽しさが湧いてきました。

 「南無妙法蓮華経…… 南無妙法蓮華経……」
 巌さんの心は、今、春の野を吹く微風のように軽く柔かくて譬えようもなく平和であった。夢でもない、現(うつつ)でもない …… 時間にして、数秒であったか、数分であったか、それとも数時間であったか …… 計りようがなかったが、彼は、数限りない大衆と一緒に虚空にあって、金色燦爛(さんらん)たる大御本尊に向かって合掌している自分を発見した。

 そして、法華経の二十八品の内の従地涌出品にある、「是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて、下より発来(ほつらい)せり。一一の菩薩、皆是れ、大衆の唱導の首なり。各(おのおの)六万恒河沙等の眷属を将(ひき)いたり。況や五万、四万、三万、二万、一万恒河沙等の眷属を将いたる者をや。況や復(また)、乃至一恒河沙、…… 況や復、単己にして遠離の行を楽(ねが)えるをや。是の如き等比(たぐい)、無量無辺にして、算数譬喩も知ること能(あた)わざる所なり。是の諸の菩薩、地より出で已(おわ)って、各虚空の、七宝の妙塔の多宝如来、釈迦牟尼仏の所(みもと)に詣(もう)ず。到り已って、二世尊向いたてまつって …… 」 彼は経文通りの世界にいることを意識している。

 巌さんはこの大衆の中の一人であって、永遠の昔の法華経の会座に連なっているのであり、大聖人が三大秘法抄で仰せられている、「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)・地涌千界の上首として日蓮慥(たし)かに教主大覚世尊より口決相承せしなり ……」(1023P) というお言葉が、彼の胸へ彫(ほ)り込まれてでもいたように、この時、ありありと浮出してきた。
 (これは、嘘ではない 自分は、今、ここにいるんだ 彼は叫ぼうとした時、独房の椅子の上に坐っており、朝日は清らかに輝いていた。
 巌さんは一瞬茫然となったが、歓喜の波がひたひたと寄せてきて、全身は揉(も)まれ、痺(しび)れるような喜びが胸へ衝上げて来て、両眼から涙が溢(あふ)れだし、袂(たもと)を探ってハンカチを取出して、眼鏡を外して押さえても、堰(せき)を切ったように涙が湧いてとめどがなく、彼は肩を震わせて泣きつづけた。

 しばらくして、巌さんは椅子を立って題目を高々と唱えだした。
 「南無妙法蓮華経…… 南無妙法蓮華経……」
 題目を唱え終った刹那(せつな)、彼の胸の内に叫び声が起こった。
 (おお おれは地涌の菩薩ぞ 日蓮大聖人が口決相承を受けられた場所に、光栄にも立会ったのだぞ
 巌さんは眼鏡の底の眼を大きく見開き、歓喜に戦(おのの)く胸を抱きしめて独房の中を歩き廻っていたが、やがて机へ帰って、法華経を開き、従地涌出品を読みなおし、寿量品を読み、嘱累品を読みなおした。
 (ほぅ
 彼は眼鏡の内で幾度となく瞬(またた)いたが、今、眼の前で見る法華経は、昨日まで汗を絞っても解けなかった難解の法華経なのに、手の内の玉を見るように易々と読め、的確に意味が汲取れる。それは遠い昔に教わった法華経が憶(おも)い出されてきたような、不思議さを覚えながらも感謝の想いで胸がいっぱいになった。
 (よし ぼくの一生は決まった この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ
 中国の聖人孔子は四十にして惑わず、五十にして天命を知るといったとか、彼はうん とうなって立上がった。そして部屋の中を行きつ戻りつしながら叫んだのであった。
 「彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先立つこと五年にして天命を知る」
 時に彼の年は四十五歳であった。  (完)
  (戸田人間革命下・253~255P)

 戸田先生は獄中の大難の中、法華経の 「虚空会の儀式」 に、自らが参列していることを感得なされました。それ故に昨日まで、あれだけ難解であった法華経が、手の内の玉を見るように易々と理解することが出来ました。それは今世で理解したと言うより、過去世で勉強したことを思い出した、と仰っています。
 このことは、“生命は永遠である” という、仏法の 「三世の生命観」 を実証したことになると思います。
 戸田先生は、この確証の上に立たれて、未だ誰人も成しえなかった 「妙法広布の大願」 を成就なされました。戸田先生につきまして、池田先生の 『人間革命』 の記述がありますので、ご参照ください。

 池田先生の 「人間革命」 の文は ―→ ここから

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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