8・15の日を思う(1)

 「八月十五日」 は太平洋戦争の結果、わが国が敗れた日である。敗戦と言わずに 「終戦」 すなわち、ただ戦争が終わったのだと言いうるのは、先の大戦の結果を厳しく顧みない姿勢の表れではないかと思われる。
 その顧みない姿勢の故か、近隣友好どころか、東アジアに不協和音が漂っているのである。早く平和友好を樹立しなければならない。

 この時期になると、広島・長崎の原爆や特攻隊などの悲劇を語り、戦争の残酷さや悲惨さを教えて、“二度と戦争は行ってはならない” と決意している。この戦争を後世に語り継ぐことの大切さは、些かもゆるがせには出来ない。
 しかし、考えてみますと、これは戦争の結果論を語っているだけです。結果を検証することも大事なことですが、もう一つ、その原因を究明することこそ、より一層大事なことだと思います。

 何故、戦争をしたのか。 何故、戦争が止められなくて、亡国への道をひた走ったのか、等々のことを解明し、その過ちを繰り返させないためにも、一部の研究者間だけの問題にしないで、一般国民にも広くこれを認識させ、共有していかねばならないと思います。

 思い起こせば維新以後、明治政府は西南戦争の内戦を含めて、約十年に一度の国運を賭けた戦争をしてきた。これほど戦争をする好戦国家も珍しいのではないかと思う。前の徳川政権の二百数十年に亘る平穏な時代が、嘘のように思われる。
 このような好戦国家になったのは、私はそれは、明治政権が 「国家神道」 を、国の精神的支柱、指導原理として用いたからであると思っています。

 「国家神道」 は明治政権が、神道国教化政策を執行するために、神社神道を皇室神道のもとに再編成して作られた、明治期の新興宗教である。
 その教えの特徴は、天皇を現人神(あらひとがみ)と拝し、絶対化し、天皇制支配の思想的支柱とした。分りやすく言えば、天皇を本尊とした “天皇教” なのである。
 日本書紀から引き出した “八紘一宇(はっこういちう)”(世界を一つの家とする) という スローガンを掲げ、“大東亜共栄圏” 構築のための海外進出を正当化する理論的根拠とした。
 軍部政権の思い上がりも甚だしいもので、この国家神道思想の行きつくところ、民族主義・国家主義・軍国主義と容易に結びつき、挙げ句の果ては、亡国への坂道を転げ落ちたのである。

 このような亡国の姿を予言された聖人が、既に鎌倉時代に御出現なされていたのである。それは “日蓮大聖人” であります。
 大聖人は 『立正安国論』 にて、「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」(19P) (鬼神=思想)と仰せになられて、天変地夭・飢饉疫癘・兵革などの不幸の根源は、みな邪羲邪宗・悪思想にありと喝破され、正法たる法華経に帰依すべきであると、時の為政者並びに一切衆生に対し、警鐘を鳴らし、諫められました。

 明治政府並びに一般国民は、この大聖人の大慈悲の訓戒を信じようとはせず、仏教(法華経)を廃仏毀釈し、低級なる 「国家神道」 を、国教的地位に崇め奉り、国民に強要までして行じさせたが故に、亡国の憂き目を見たのである。
 めぐり来る八月十五日、あらためて太平洋戦争の歴史の教訓を思い起こし、“二度と戦争を行わない” ためには、戦争を美化・讃嘆し、戦争への道を切り開いた悪思想たる 「国家神道」 を徹底的に弾劾して、捨て去らねばならない。

 そして、「一切衆生悉く仏性有り」(1170P) と、根底的から生命の尊厳を説く、日蓮大聖人の “南無妙法蓮華経” の大仏法を奉持し、絶対平和主義・人間革命主義・文化教育主義の創価思想を、全世界に流布させなければならない。
 この “広宣流布への道” 以外に、根本的に “二度と戦争を行わない” とする方法はないと確信します。

 大聖人は、「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(1170P) と仰せられています。 

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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