会則改正と宗門(指導者)

 創価学会と宗門との違いは何かといえば、それは指導者の違いであると述べました。すなわち、在家の者が指導するのか、僧侶が指導するのかの違いです。
 創価学会は、発足当初から在家教団として、僧侶の指導を受けずにやってきました。そして戸田先生は、昭和27年に新宗教法人法が施行されて直ぐ、創価学会の宗教法人格を取得され、宗門とは別団体と致しました。
 今日の宗門関係のことを考えますと、先を見通された明晰なるご英断であったと思います。

 一般的な宗教は、神や仏のもとに、神父や僧侶という聖職者がその中間にいて、一般信者を教導するという上下関係の図式となっている。創価学会には、そのような聖職者は居ないのである。御本尊(仏)と信者とは直結であり、一体になることができるのである。
 仏教の教えは本来、“悟れば仏、迷えば衆生” とありますように、仏と衆生の間には差別はないのである。悟っているか・迷っているかの違いで、身は一つ・心も一つ、一体なのである。
 原始仏典には、釈尊も他の修行者らと、何ら差別することなく修行僧として、行動を共にしていたとのことである。

 日蓮大聖人の鎌倉時代は、産業といっても農業が主なもので、文字の読める者は、僧侶・公家・武家それも上級武士たちで、一般の民・百姓は殆んど文盲であった。
 そんな中で、経文や大聖人の御抄を読んで聞かせ指導したのは、門下の僧侶たちであった。
 したがって、折伏をして広宣流布の戦いをするのは殆んど僧侶たちで、在家は自身の成仏のために唱題し、僧侶に供養し応援する立場であった。
 大聖人の 「三類の強敵」 との戦いのときは、門下は一致団結して励まし・助け合って戦ったのである。そこには立場の違いによる出家・在家の差別は無かったのである。

 ところが、大聖人滅後、僧侶たちは分裂し、世情に流された者たちは僧侶であるという特権意識を持つようになって行った。
 それを決定的にしたのが、江戸時代の檀家制度である。僧侶は宗教の命である布教もせず、寺請証文を発行し、葬送儀礼に係われば、ふんぞり返っていて、飯は満腹に食えたのである。
 そのうえ明治初期になって、僧侶の “肉食・妻帯・蓄髪勝手たるべし” の太政官布告が出て、僧侶の腐敗・堕落はここに極まったのである。

 この状況を見れば、釈尊は嘆き悲しむであろう。
 日蓮大聖人は、「受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯(ゆげ)雑談(ぞうだん)のみして明し暮さん者は法師の皮を著(き)たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一(ひとつ)もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり」(1386P)
 「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食(はむ)等云云」(957P)
と、悪侶が仏法を破るのだと厳しく破折されています。

 日蓮仏法の正統を名乗る “日蓮正宗” と雖も、このような有様で “法師と云う名字をぬすめる盗人なり” である。ところが、門徒の樋田さんは、このような悪侶らを盛んに擁護している。
 『四恩抄』 の 「僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す」(938P) 等の文証を引いて、“僧によって仏宝法宝が住するのだから、すべて僧は三宝の一つの僧宝であり尊崇すべきである(趣意)” と言っている。
 大聖人が仰せの 「僧」 とは、日興上人のような “聖僧” に約するのである。日顕宗の如き “狗犬の僧” を言うのではない。更に、悪侶が “必ず仏法を破るべし” とまで仰っているのである。
 樋田さんは、このようなものの価値判断も出来ず、聖侶も悪侶も・味噌も糞も一緒にして、解釈している。

 いま、広宣流布の拡大の時来って、限られた人数の僧侶だけでは、多数の信者を指導することは到底不可能である。また、国民の識字率は100%にも達し、すでに堕落僧らから学ぶ必要もなくなった。
 産業も広く多岐にわたり、人々の苦悩も多種多様であります。世情に疎い僧侶では、これらの問題を指導する力は、何一つも無いのである。
 ここに、在家が在家を教導するという、今までに無い僧侶抜きの、近代的で理想的な仏教教団・創価学会が出来上がったのである。
 創価学会の指導は、会則の第3条に “牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の 「三代会長」 は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である” とあり、御歴代会長の指導を根底とするのである。

 学会組織内での指導は、入信して早い方で2~3ヶ月位経てば、最初の役職の “先駆長(壮年)・白百合長(婦人)” の任命を受け、10~30世帯位の会員さんを受け持つことになります。
 始めのうちは、仏法や信仰のことは何も分からなくて、座談会や指導会の連絡だけかも知れないが、それを教えて上げることも立派な指導であり、指導者になります。
 自身も先輩から学び、また、それを他の人にも教えて行く、その往復作業(学会活動)の中に、自他共の生命は磨かれるのであり、人間革命の要諦もここにあります。
 そのように考えますと、創価学会には指導者が、何百万人とおる訳であります。
 この方々が 「地涌の菩薩」 の自覚に立って、池田先生の御指導のもと、世界広宣流布の先駆者として戦っております。

 宗教の専門家である日顕宗の僧侶は、日蓮仏法のことは何でも知っていると思っているかも知れませんが、実は肝心要のところは、何も解かってないのである。
 ただ、葬送儀礼を執り行っているだけである。仏法も御本尊も、商売道具の一つぐらいの感覚しか持ってないのである。
 僧侶らは、真剣に題目をあげて問題を解決した・宿命を転換した、という実体験を持ってないのである。これでは、御本尊の・お題目の偉大さなど分かる筈はない。ゆえに、信者を指導する力は持ち合わせてないのである。

 一方、創価学会の御歴代の会長については、多くを語る必要はないと思います。
 “広宣流布実現への死身弘法の体現者” であります。世界広宣流布の師匠は 「SGI 会長・池田大作先生」 であります。この一点は、肝に銘じて間違いのないようにお願いします。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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