公明党を支援する理由②

 創価学会の目的は 「広宣流布」 であると申し上げました。また、「総体革命」 とも言います。
 それは、政治・経済・文化等々、全ての分野に亘って、人間主義を基調とした社会の建設を目指しております。先ず、その第一歩として、政治腐敗の改革から手掛けたのであります。
 民衆の物心両面にわたる幸福について、その責任を自らに課した戸田先生は、現代の政治の病根を深く洞察していました。そのことについて、池田先生は、次のように述べられています。

 ―― 私利に走り、党略に没頭して、権力の争奪に専念する政治家たち、そのような政治家の徒党集団と化していく政党。そして政治から置き去りにされ、その犠牲となるのは、常に民衆である。戸田は、民衆の怒りを肌で知っていた。しかし、権力悪の根源を見抜いていた彼は、民衆の怒りを、直接、政治勢力化して行動を起こしたとしても、それだけでは、真の民衆のための政治の実現という根本的な変革からは、ほど遠いことも承知していた。
 戸田城聖の覚めた心は、彼の半生の結論として、政治の世界に巣くう権力の魔性の存在を、疑うことができなかった。本来、民衆の平和と幸福に奉仕すべき政治が、いつの間にか民衆を苦しめる魔力と化していく ―― その現実を鋭く見抜いていた彼にとって、政治の根底的な変革とは、魔性との戦いにこそ、その焦点があることは明白であった。

 一つの政治権力を打倒され、新たな別の政治権力が登場しても、その魔性は消滅しないことも、彼は知っていたのである。十九世紀から二十世紀にかけ、世界では、さまざまな政治体制の国々が生まれた。しかし、依然として民衆は、政治権力の魔力から解放されたとは言いがたい。どう政治体制が変わっても、いつしか民衆を苦しめる魔性に支配されていく。その愚かな権力の流転の歴史を、戸田は思わずにはいられなかった。この途方もない愚劣さからの脱出 ―― それこそ、民衆が心底から渇望しているものであろう。それは、もはや政治の次元で解決のつく問題ではないのだ。

 民衆の平和と幸福のためになるのであれば、どんな政治形態であっても差し支えないだろう。彼は、政治形態を批判していたのではない。政治そのものに巣食う魔力が、問題の焦点であった。それは、政治権力を握った者、政治家の内にこそ潜(ひそ)んでいることは理の当然である。魔は、自由主義体制や社会主義体制に潜んでいるのではない。それらを支えている政治家、その人間の内部に巣くう魔の力が、それらの体制をむしばんでいることを、彼は問題の帰結としたのである。
 すべての人間は、十界を具しているとする仏法の真理に照らす時、魔の正体は初めて明らかになる。政治権力の魔力も、人間生命に焦点を合わせた時、発生の根拠を初めて知ることができる。
 
 世間の人びとは、この事実に全く気づいてはいない。そればかりでなく、仏法の原理をもって迫っても、耳さえ貸そうとしない。そして、今も権力をめぐる争いのなかで、多くの民衆は、いたずらに犠牲となっているだけだ。これ以上の人類の愚行はないはずだ。しかも、愚行の歴史は数千年にわたっている。
 彼は、立正安国の大事業たるゆえんを、思い返した。そして、この大事業の責任の重さと至難さとを、孤独の心に、いやでも自覚し、自らに鞭(むち)打っていたのである。
  (ワイド人間革命9巻・189P)

 “政治の根底的な変革とは、魔性との戦いにこそ、その焦点がある” と、また、“もはや政治の次元で解決のつく問題ではない” とも。
 要は、民衆の幸福の実現に挺身する政治家を育てる以外にないのであります。“帰するところは人間である。行動の主体者である人間のいかんが、すべて行動を規制している” と述べられています。

 戸田は、あらゆることの帰結として、人間に焦点を絞らなければならなかった。人間、この厄介(やっかい)なるもの ―― この厄介なものは、掲げた理想にもかかわらず、政治悪をも生み出すのである。そして、時に、悪魔にも、天使にもなり得るのが人間である。
 問題は、まともな人間としての政治家を、いかにして育成するか。現代の政治の退廃を思う時、まず、この命題から出発しなければならない。
 いくら民衆の幸福と平和を願ったとしても、権力志向の政党という政党は、ひとたび政治権力を握ると、権力に潜む魔性を発揮して、民衆を犠牲にして恥ずるところがなかった。この魔性こそ、権力に潜むように見えて、実は、人間の生命に、もともと潜在するところのものだ。

 権力は縁にすぎぬ。政治の改革は、政治的次元で事足りるように思われているが、政治体制が政治をするのではなく、根源的に言って、人間の行為に発するところのものである。しかも、政治力が人間をも改革するといった、思い上がった錯覚は、現代政治家のいだく通弊(つうへい)となっている。
 政治の退廃は、この辺にあると、戸田は考えた。つまり政治の退廃は政治家の退廃であり、人間の退廃にほかならぬ。
 この退廃は、現代の社会現象のすべての分野に通じるものとはいえ、権力をもつ政治の世界の退廃は、それが民衆の日常生活の幸・不幸に直接、影響を及ぼすゆえに、戸田城聖は、まず、そこに重大な関心を払わざるを得なかった。
  (同書・207P)

 少々長い引用になりましたが、要するに、広宣流布の目ざす政治改革は、制度や政策という皮相的な環境面の改革だけではなく、より本源的に、政治家自身の生命次元からの変革(人間革命)でなければならない。これなくして、いくら外界の改革を叫んだとしても、砂上の楼閣にしか過ぎないのである。

 この 「権力の魔性」 も、人間の生命にもともと潜在しているものだ。この魔性は、理性や道徳では抑止できないのである。「魔」 に勝つ力は、同じく生命にもともと潜在している 「仏界」 の生命を顕現させる以外にないのである。
 大聖人が 「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(751P) と仰せのように、信心の利剣で打ち破る以外にない。
 そうすることで、妙法の土壌から育った人材は、政界の魔力と闘う力を備えているはずである。そうだとしたら、歴史上まったく新しい政治家の誕生と言わなければならない。

 広宣流布がどんどん進んで行けば、創価学会は社会のあらゆる分野に、人間革命した多くの人材を送り出して行くであろう。そうなると、いわば創価学会は、壮大な教育啓蒙的母体として、それにとどまらず、人類の平和と文化の不可欠な中核体となって行くであろう。
 ここに創価学会が、妙法を受持している公明党の候補者を、支援する理由があるのである。 

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR