教義条項の解説(三大秘法)

 「三大秘法」 について、 (聖教・2015/1/29・4面)
 今回、三大秘法についての解釈を、次のように明らかにした。

 末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく 「本門の本尊」 である。また、「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」 であり、その唱える場がそのまま 「本門の戒壇」 となる。これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。

 日蓮大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を “南無妙法蓮華経” であると悟られ、それを具現化されたのが “三大秘法” である。
 御本尊は、法華経宝塔品の虚空会の儀式を借りて、“十界の文字曼荼羅” として御図顕されたものである。それを書写した御本尊も、すべて 「本門の本尊」 である。
 何時でも、その御本尊に唱える題目は 「本門の題目」 であり、何処でも、その所住のところが 「本門の戒壇」 となるのである。
 このように解釈するのが、日蓮仏法の本義に基づいた解釈なのである。

 したがって、「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」 だとするものではない。まして、「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。 

 日顕宗の言うように 「本門の本尊」 は、ただ一つ “弘安2年の御本尊” のみであり、「事の戒壇」 も、ただ一カ所 “大石寺の奉安堂” だとして、これに繋がらなければ、他の本尊は無要・無意味だとする独善的な本尊観は、世界広宣流布を阻害するものであり、大聖人の御心に反するものである。

 日顕宗が “弘安2年の御本尊” を特別視するのは、御本尊の脇書に 「本門戒壇の願主弥四郎国重 法華講衆等敬白」 と認められているからである。“本門戒壇の本尊” なるが故に、大聖人の 「出世の本懐」(次項で説明)であるとして、その独自性・優位性を誇っている。
 (「明るい未来へ弟子として生きる」 という サムさんのブログに、“本門戒壇の大御本尊は大聖人滅後に模刻された” という記事) がありますので、ご参照ください。―→ ここから

 大聖人は 『三大秘法抄』 にて、「時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」(1022P) と仰せです。
 しかしながら、ここで仰せの 「事の戒法」 は、伝教大師の迹門円頓戒壇や鑑真和尚の小乗戒壇のように、特別な建物を特定の場所に建立することではない。
 御本尊に向かって、お題目を唱えるその場が、「是の処は即ち是れ道場なり」(神力品)とありますように、何時・何処にあっても、御本尊を受持し唱題するという “事行” を戒法とするものですから、“事の戒法と申すは是なり” と仰せになられたのである。
 これが大聖人の御本意であると思います。したがって、あらゆる修行の場が 「本門の戒壇」 になる、と解釈するのが妥当である。

 創価学会も、かつて “正本堂” を建立寄進いたしました。日達上人より 「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」 と称讃されましたが、事も有ろうに日顕は、これをぶっ壊して仕舞いました。今日より考えますと、これも御仏意であったと思います。
 古色蒼然たる日顕宗と縁が切れて、彼らのいう 「事の戒壇」 の呪縛から解き放され、後はスッキリ・サッパリ・晴ればれと、今回の改正を機に、池田先生の御指導のもと、一段と世界広宣流布に邁進するのみである。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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