六大秘法・本門の本尊について

 引き続き 「六大秘法」 でありますが、新聞紙上(1/30)では “三大秘法を合した 「一大秘法」、また、三大秘法を開いた 「六大秘法」 という表現は、御書そのものには説かれていない。…… 日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない” とあります。

 御書に無いからだけでは、説得力に乏しいと思います。御書に説かれていなくても、時代とともに新しい論理・解釈が生まれて、日蓮仏法の発展に寄与して然るべきである と考えているからである。
 用いないという以上、それは 「事の戒壇」 に関することではないか と思っています。
 ともあれ、三大秘法の開合の相を 『依義判文抄』 に見てみたいと思います。

 「問う若(も)し爾(しか)らば三大秘法開合の相如何、
 答う実には是れ一大秘法なり、一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為す、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり、故に分ちて三大秘法と為すなり、又本尊に人有り法有り・戒壇に義有り事有り・題目に信有り行有り・故に開して六義を成ず、此の六義散じて八万宝蔵と成る」
(六巻抄・118P) と述べています。
 日寛上人は、三大秘法を合すれば一大秘法と成り、開すれば六大秘法と成る、と説かれています。

 「本門の本尊」 を、六大秘法の 「人」 と 「法」 に開くことは、「御義口伝に云く南無とは梵語(ぼんご)なり此には帰命と云う、人法之れ有り人とは釈尊に帰命し奉るなり法とは法華経に帰命し奉るなり」(708P) と仰せられています。
 日蓮大聖人は、南無(帰命)する対境(本尊)を、 「人の本尊」 と 「法の本尊」 に開して説明されておりますので、このように開くことには問題はありません。 

 「人」 とは、釈尊に帰命し奉ることである。この釈尊は、インド応誕の釈尊ではなく、「久遠元初の自受用報身如来 即 本因妙の教主・日蓮大聖人」 の御事であります。
 「法」 とは、法華経に帰命し奉るのである。この法華経は、釈尊の二十八品の法華経ではなく、大聖人の 「文底下種・三大秘法の南無妙法蓮華経」 の御事であります。

  しかし、生命の実相は、「人法体一」 であり、「色心不二」 であります。理論的には、「人」 と 「法」 を分けて考えられても、事実・実際の上では、「人(仏)」 を離れた 「法」 は存在しないのです。

 参考 : 「人と法」 についての説明 ―→ ここから

 ゆえに、『御義口伝』 に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(760P) と仰せになられています。
 「法華経の行者」 とは、末法において、法華経の経文を身読された “日蓮大聖人” の御事であります。日蓮大聖人の 「人法一箇」 の御当体を、御本尊として南無し、報恩感謝申し上げているのであります。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

内道と外道

昔の仏教でいえば、「よし、お釈迦様みたいにがんばるぞ。」というように、
現代では、「自分も大聖人みたいにがんばるぞ。」が大事な点なんですよね。

本尊とかを、どっかの神様みたいに、祈れば不思議な力で、自分を守ってくれる、救ってくれる。そんな天から光が降ってくるみたいな信仰をしたら、
身体の内部から力なんて湧く訳が無い。それはただの外道の宗教ですよ。
まさに一生成仏抄に書いてある通りですよ。

最初の心の一念がおかしいと、御本尊の捉え方までまでおかしくなるのですね。ということを最近の議論で再認識しました。

本尊論で必死になるくらいなら、その時間と労力で、(胸中の御本尊に意識を集中して)胸中題目をしたらいいのになぁ。と思いました。

Re: 内道と外道

 内道とは仏教のことですが、仏教を信仰していると言いながら、まさに「雖学仏教・還同外見」の人たちが多くいますね。

 結局、神頼みや人頼みでは駄目なんで、自ら修行し・変わらなくてはいけないと言うことですね。

 唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ、であります。

Re: 内道と外道

(朝の勤行をしたら、大事なことが欠けていたことを思い出しました。なので少し追加させて頂きます)。

幸福・不幸を決定するのは自分自身です。何があっても全部自分のせいですし、自身の運命を切り開くのも誰でも無く自分です。
それはあってます。でもそれだけでは、今まで自分の力だけで生き抜いてきた。今後も他人なんてどうでもいい。という小乗仏教の考えに陥ってしまいますよね。

自分は多くの人たちの、日々の弛まぬ努力のおかげで生きている。いや生かされていたんだ。という大事な事実。
親や家族に、学校の恩師、生活を支えてくださっている仕事の方々、ほかにも気づいてないだけで、たくさんの皆さんによって、(四恩)
この事実から目を背けてはいけないですよね。このことに心の底から感謝しないといけないですよね。(報恩)これを別の言い方で諸天の加護とも言うのでしょうね。

だからこそ、自身だけでなく、周囲をも変えて行かなければいけない。他人の幸福無くして自身の幸福無しとなるのだと思います。
これこそが大乗仏教の極意な気がします。


〉 結局、神頼みや人頼みでは駄目なんで、自ら修行し・変わらなくてはいけないと言うことですね。

まさに、自分という正報が人間革命で変われば、環境(周囲の人間関係なども全て含む)という依報が変わって仏国土になる。という依正不二の原理ですね。ありがとうございます。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR