死を忘れた文明

 いま、先生の 『21世紀文明と大乗仏教』 という テーマの ハーバード大学での講演を読んでいます。その中で 「死を忘れた文明」 という言葉がありました。
 「死を忘れた文明」 とは、端的に言えば現代文明のことでありますが、この文明は人間の生死(生命)という根本課題から目をそらし、蔑(ないがし)ろにしたが故に、その帰結として 20世紀を無残なる 「メガ・デス(大量死)の世紀」 にしてしまった と述べられています。
 そこで、この 「死を忘れた文明」 とは、どのような文明であろうかと思いました。
 それは、旧来の キリスト教文明ではなく、近代になってこれに取って代わった文明(宗教)である と、池田先生と対話された トインビー博士が述べられていたことを思いだしました。
 そこで、『二十一世紀への対話』 を繙(ひもと)いて見ましたら、次のようにありました。 

 「私の見解では、十七世紀における キリスト教の後退によって西欧に生じた空白は、三つの別の宗教の台頭によって埋められました。 その 一つは、技術に対する科学の組織的応用から生まれる進歩の必然性への信仰であり、もう 一つは ナショナリズム(国家主義)であり、他の 一つが共産主義です」 と。  (二十一世紀への対話下・308P) 

 これらの 三つの別の宗教と言われるものを見て見まして、いくら原子核や遺伝子をいじくっても、また、人間生命を手段化してしまう全体主義等からは、生命尊厳の思想・信条は生まれてこない。まさに 「生命を忘れた文明」 と言えるのではないかと思うものである。
 これらの 三つの事柄について、 対話から少々引用させて頂きます。

 トインビー博士は、科学信仰について 「技術の進歩が、必ずや福祉面の向上につながるものと想定していました。 しかし、彼らにも盲点がありました。 …… 使い方によって善にも悪にもなりうるという点でした。
 この彼らの理想にのっとった宗教 ――科学的進歩への信仰―― は、一九四十五年に致命的な打撃を受けました」
と、すなわち、原爆の使用である。

 池田先生は、 「科学者たちは、二度にわたる世界大戦を体験するまで、真の意味で、科学的進歩のもつそうした両面性に、深刻な認識をもっていなかったようです。 二つの大戦には、経済力と科学技術の総力が注がれましたが、その結果、人類が得たものは、悲惨きわまる災禍でしかなかったわけです」 と述べられています。

 次に博士は、 「第二の宗教、つまり ナショナリズムは、地方社会における人間の集団力を信仰の対象とするものです。 …… それが、アメリカ独立戦争と フランス革命において実践に移されたとき、ナショナリズムは、きわめて高い感染度をもっていることがわかったわけです。 今日では、この狂信的 ナショナリズムが、人類全体のおそらく九割の人々がもつ宗教のうち、おそらく九割を占めるものとなっています」 と。

 また、 「第三の宗教である共産主義は、文明そのものと同じくらい古くから存在していた社会的不公正に対する、一つの反動です。 …… その共産主義は、社会的不公正の撲滅に注意と努力を集中するあまり、キリスト教のならわしであった不寛容性と、ユダヤ系の全宗教に特有な排他性とに陥ってしまいました」 と述べられています。

池田先生は、「古い宗教、つまり キリスト教、イスラム教、仏教に比べて、新しい宗教、つまり科学の進歩への信仰、ナショナリズム、共産主義がもっている、一つの共通事項があると思います。 それは、古い宗教がいずれも人間の欲望を規制し、自己を抑制することを基調としていたのに対して、新しい宗教は欲望を解放し、充足する手段として生まれた、あるいは用いられてきた性格があるということです。 私は、この基本的な性格のなかに、これからの新しい宗教が直面している問題の本質があると思うのです」 と述べられています。  (同書下・311~314P)

 トインビー博士は、先生の御指摘に賛意を表し、新しい種類の宗教が必要であると、 「この未来の宗教は、しかし、必ずしもまったく新しい宗教である必要はありません。 それは古い宗教の一つが、新しく変形したものである場合も考えられます」 と述べられ、この未来の宗教として 「創価学会」 に期待を寄せられています。

 池田先生は、 「貪欲は人間の自己の内面にあるものであり、戦争や社会的差別は人間対人間、つまり社会の次元にあるものであり、環境破壊は人間対自然の関係に生じる問題です。 この自己――社会――環境という三つの範疇について、仏法では “三世間” として説き明かしています。
 人間の自己との関係において生ずる多様性を “五陰世間” といい、人間と他の人間あるいは社会との関係におけるそれを “衆生世間”、そして人間と自然的環境との関係におけるそれを “国土世間” といっております。 ここで “世間” とは差別、多様性という意味ですが、これら 三つの “世間” が生命存在にとって不可欠の要素だというのです。 しかも、それらのいずれにおける事象も、すべて他の二つに関連してくるわけです。 結局、私は、この 三つの関係を正常なものとすることに、最大の努力を注がなければならないと信ずるのです。 そして、そのためには、人間 一人一人が、自己の生命の内奥からの変革をめざさなければならないでしょう。 これを可能にする宗教こそ、未来に望まれる真の宗教たりうると思います」
と述べられています。  (同書下・315~316P)

 21世紀に望まれる 「未来の宗教」 は、“人間一人一人が、自己の生命の内奥からの変革を可能にする” 三大秘法の “南無妙法蓮華経” の大仏法 以外にないのである。
 ますます創価学会の使命の重大さを認識し、大法弘通に立ち上がりましょう。 

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三大現代宗教

共産主義というお題目が出来たおかげで、ただの嫉妬や妬みに僻みでしかないのに、「これは、正当なる体制への攻撃や、階級闘争である。」と出来てしまったのは確かに問題ありますね。

別に、金持ちは金持ちで、なんとかはなんとかでいていいじゃないですか。それを、「不公正だ!不平等だ! だから叩き潰す。」というのが、まともな扱いされるようになったのだから、大きな病気ですね。

Re: 三大現代宗教

 
 共産主義は、富を公平に分配すれば人々は幸せになると言って、社会的不公正を暴力的手段を用いて是正しようとしたが、結局、失敗に終わりました。

 それは、人間性を無視し、人間の欲望をコントロールする術が分からなかったからだと思います。

 先生は、“そのためには、人間一人一人が、自己の生命の内奥からの変革をめざさなければならない” と述べられています。

 人間革命の仏法を持って、宿命転換に頑張りましょう。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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