古典を読む

 今年も政局は、波瀾含みの様相である。前々からそうであったが、民主党政権に成って特に感じることは、政治家たちの言動の軽さである。

 普天間問題・マニフェスト等々、政権奪取だけが目的の甘言を吐き、明確な国家ビジョンなど持ち合せていない。党首脳からして政治と金の問題を抱え、未だ解決の道さえ見えない。野党時代の威勢のいい言動は、何処へやってしまったのかと疑いたくなる。

 現今の大臣たちの写真と明治の元勲たちの写真を見比べたとき、元勲たちの方が、何となく威厳があり・尊く頼もしく感ずるものである。

 この違いについて、池田先生は 「今日の政治家たちは、古典を読んで無いからだ (趣意)」 というお話をされたと聞いたことがあります。

 洋の東西の古典は、長い間の年月に耐え、語り継がれた先人たちの珠玉の智慧であり、人類の宝とも言うべきものである。その古典に学ばないということは、人格が中々出来ないと言うことである。

 確かに議員一人ひとりを見れば、有名大学を卒業し、英語を話し、弁護士・税理士等の資格を持ち、政治・経済・法律・科学等の専門の知識は豊富であるが、人間としての徳育の無さ、人格の無さが、不正を正そうという気概もなく、見て見ぬ振りをして、無関心になっている。

 今までの日本人の心の規範としては、徳川時代・明治時代の頃までは武士道と言うものがあった。ゆえに、犯罪の件数は、今日と比べると極端に少なかった。一般の庶民の間にも 「お天道様に申し訳がない」 「ご先祖様に申し訳がない」 という規範があった。

 こういう己心の内発的な規範が、今日では皆吹っ飛んで、誰も見ていなければ分からないだろうと、不正に手を染めるのである。このような不祥事が、先生と呼ばれる世の指導者層に、起きているのである。実に嘆かわしきことである。

 古典と言えば、古典中の古典である 「法華経」 は、必ず繙くべきであると思います。法華経には因果の理法が説かれています。
 『御義口伝』 には、「蓮華とは因果の二法なり、悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず、内証には汝等三因仏性の善因あり」(御書768P) と仰せです。

 法華経を信じるということは、この 「因果の理法」 を信じるということになります。反対に、善法 (妙法) を信じることなく、法華経を誹謗するものがおれば、世の中を乱す本因となります。 

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

大阪の古田です、こんばんは。ここの池田先生の古典に対する指導を聞いて私も今、「貞観政要」を読んでいます。いざ読んで見ると「何故、今まで読もうとしなかった!勿体ないなあ。」と赤面の至りです。ページをめくればめくるほど沢山の智慧が飛び出して来ます。印象に残ったのは、
・忠臣よりも良臣たれ。(諸葛孔明は良臣ですね。)
・皇帝は船、人民は海。
私の私見では、現代の日本はこれを逆にしてる思想が蔓延していると思います。特に日本人は忠臣が大好きですしね。
日蓮大聖人、徳川家康、松下幸之助氏も愛読した「貞観政要」は現代にも希望と警告を与えています。

Re: No title

 コメントありがとうございます。

 「貞観政要」を、お読みになっているとのこと、実に素晴らしいきことです。
 指導者の帝王学の書と言われていますね。
 「守成は創業より難し」とあるそうです。

<「貞観政要」は現代にも希望と警告を与えています。
 
 小生も、折あらば読んでみたいと思います。
 ますますのご研鑽をお願いいたします。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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