創価学会の未来展望

 「創価学会とは何か」 というテーマの “佐藤・松岡対談” は、第12回の 〔創価学会の未来を展望する〕 という サブ・タイトルで、最終回となりました。
 あっ という間の一年間だったという感がします。  (第三文明・2016-1月・52P)

 〔今は創価学会の大きな転換期〕 という項目のところで、
 佐藤氏は、“学会がいよいよ本格的に世界宗教として離陸する時期だと、また、池田SGI 会長一人が指揮を執る時代から、ある種の合議制、「集団指導体制」 への移行期だという意味でも” 、今は学会の大きな転換期だと思いますと、その転換期だからこそ、会則の改正などの変化についていけない人も現れる と語られています。

 佐藤  私には二つの不協和音が表裏一体のものに見えます。学会員で教義条項改正に反発している人と、平和安保法制に反対している人――両者には共通して 「今の学会執行部は暴走して、池田先生のお心に反したことを行っているに違いない」 という言い方をする人がいました。そういう論法は問題を孕(はら)んでいると思います。「私は学会員だが、安保法制には反対だ」 と政治的意見を表明するのは自由ですが、そこに池田会長うんぬんを持ち込むのは筋違いだと思います。
 ………
 佐藤  そのような微妙な時期に政治的異議申し立てをするにあたって、何を主語にして語るべきなのか? たとえば、キリスト教徒が政治的異議申し立てをすることも当然あるわけですが、その場合に 「それはキリストの教えに背いている」 などと言うのは、信仰のぎりぎりの問題以外に使ってはいけない論法です。たかだか安保法案程度の話に、信仰の核にある大切なものを持ち出すべきではない。私は一人の宗教人として、安保法案反対に軽々しく池田会長の名を持ち出す人たちに、強い違和感を覚えました。

 佐藤氏は、“「私は学会員だが、安保法制には反対だ」 と政治的意見を表明するのは自由ですが、そこに池田会長うんぬんを持ち込むのは筋違いだと思います” と言われてます。まったくその通りだと思います。
 御書に、「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」(869P) とあります。
 我らにとっては、仏法・信仰等は 「本」 であり、変わらない、変えてはいけないものである。
 一方、会則や政治・経済等は、時代やそのときの状況によって変化する 「迹」 である。批判する人たちは、この問題の 「本・迹」 が分からず、ごっちゃ混ぜにして同等に考えているから、おかしくなってしまうのである。
 たとえ、先生の言葉でも過去のご発言を持ち出して、“今の執行部は池田先生のお心に反している” 等と言うのは、往々にして、単なる幹部批判が、組織批判になり、先生並びに学会批判になり、遂には退転してしまうという危険性があるのである。心しなければならない。

 〔「資本主義の論理」 とどう向き合うか?〕 の項目では、「世俗内禁欲」 という用語が出てきます。  
 佐藤  「世俗内禁欲」 とは、裏返せば、ビジネスやお金儲け自体は肯定しているということですね。「お金儲けを否定はしない。しかし、世俗の倫理に染まり切ってしまうのではなく、きちんと歯止めをかけますよ」 というのが世俗内禁欲です。
 
 松岡  ……創価学会は 「此岸性の宗教」 ですから、欲望は否定するのではなく 「活用」 しょうとします。消費社会に背を向けるのではなく、消費社会のなかに入って、内側から浄化しょうとする指向性と言いますか。
 ……… 
 松岡  そのように、「世俗内禁欲」 志向が組織全体に浸透していることと関連するのですが、創価学会/SGI には強制的な道徳律がありません。……
 ではなぜ、SGI が強制的道徳律を持たないかといえば、それは日蓮の考え方に由来しています。「今は、欲望が盛んで機根の低い衆生が生まれてくる末法の世である。ゆえに、戒律を科してもその欲望を消すことはできない。戒律で押さえつけるのではなく、仏の生命を保つことによって、おのずと道徳的な生活を送らせるようにすべきだ」 というのが、日蓮仏法の基本的な考え方なのです。


 「末法無戒」 と言われますように、今どき戒律を持している者なんか 一人もいないのである。伝教大師は、 「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き」(341P) と言われています。
 松岡氏は、“戒律で押さえつけるのではなく、仏の生命を保つことによって、おのずと道徳的な生活を送らせるようにすべきだ” と、唱題行による仏界の湧現、すなわち、人間革命することが、自然体のままで人倫の道に達することになるのである。
 
 〔世界宗教にふさわしい教学の完成を目指して〕 の項目に、
 佐藤  創価学会の場合は池田会長という卓越した指導者がいて、池田氏による日蓮解釈がきちんと整理されているわけですから、その意味では世界宗教として飛翔するための教学的準備はすでにできているとも言えます。

 松岡  そうですね。仏教には 「知者の教えに従って経典を読む」 という伝統があります。日蓮が天台の教えに従って正しく仏典を読み、創価学会は日蓮の教えに従って 『法華経』 を読んだ。そして今、学会員は池田会長の教えに従って正しく日蓮の御書を読んでいると言えます。「智者」 である池田会長が認めた日蓮の御書は、すべて真正 テキストと認めてよいというのが、私の考えです。

 佐藤  ええ。神学の行き詰まりを突破するために発達してきた 「解釈学」 の教えるところによれば、「解釈者」 というものは、原 テキストをより深く解釈することができるのです。池田会長は、まさに日蓮のよき 「解釈者」 と言えるでしょう。

 佐藤氏は、“文献の科学的真贋と教義との距離関係というのは、非常に難しい問題です” と言われています。
 例えば、開経の 『無量義経』 は偽経であるという説もある。しかし、大聖人は 「四十余年 未顕真実」 の文を用いて、法華経真実の証明とされている。しかも、『法華経』 自体、釈尊滅度 4~500年後の成立であると言われている。
 要は、誰が編纂したものであれ、釈尊の精神・法華経の哲理を、正しく展開したものであれば 「宗教的真実」 として、信じ持って行かねばならないのである。
 
 〔創価学会に対する期待と注文〕 の項目には、お二方のご意見があります。
 佐藤  私は、創価学会の今の方向性は正しいと考えていますから、今歩んでいる道を自信を持って進んでほしいと思います。そのうえで、今の創価学会の問題点はただ一つ――これは前から言っていることですが、自分たちの力の過小評価です。過大評価も危険ですが、過小評価にも危険性があります。学会が自らの力を等身大で正しく評価をすることが、今後いっそう重要になってくるでしょう。
 それと、学会に対する注文を言うなら、外部から 「池田教」 などと揶揄(やゆ)されたとしても、もうそんな輩を相手にしている段階ではないのですから、池田会長をしっかりと中心に据えて進んでいってほしいですね。組織的にも、世界広布においても、教学的にも、……。


 松岡  私自身の期待としては、創価学会の 「人間主義」 をもっと世界に広めてほしい、ということに尽きます。「人間主義」 とは一言で言えば 「人間の生命を究極と見る思想」 ですから、あらゆる文化の基底にあるものです。したがって、人間主義は イデオロギーや文化の壁を越えて、諸文明を統合し得る思想であると言えます。人間主義による世界の統合という一大事業に向けての歩みを、創価学会/SGI には着実に進めてほしいと思います。
 
 以上のほかに、佐藤氏の奥様が 「あなた、創価学会の人と会う日は楽しそうね」 と言われたそうです。氏は 「新たな世界宗教が生まれていく過程を間近に見ることができるのですから、こんなに胸躍ることはない」 と、その楽しみを語っています。
 我らは池田先生の弟子として、「世界広布新時代」 の当事者として、歓喜と決意をもって、明年の 「拡大の年」 をお迎えしたいと思います。


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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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