「政教分離」の原則

 『新・人間革命』 第5巻の 「獅子の章」 に、「公明政治連盟」(公明党の前身) の結成当時の模様が記されています。
 創価学会が、政界に有能な人材を送り出して以来、常に 「政教一致」 ではないかとの批判がなされてきました。公明党も発足してすでに 50年が過ぎ、自民党と連立を組んでいる故か、この頃は、かかる 「政教一致」 等の批判も少なくなっています。
 しかし、純真に民衆のため、国のため、世界の平和を願い務めている創価学会に、何か政治的な野心があるのではないかと邪推する人も、少なからず居ると思いますので、この際、参議院選挙も近づいていますので、確認のためにも 「政教分離の原則」 を学んでみたいと思います。

 1962年(昭和37年)1月17日、参院本会議場での開会式の終了後、記者クラブで 「公明政治連盟」 という政治団体を発足させる旨の発表があった。その席上、公明政治連盟の “基本要綱” と “基本政策” が発表され、このなかで 「参議院の自主性確立」 という政策があった。
 本来の二院制の使命である、衆議院の行き過ぎを是正し、不足を補充する役割を果たすための政策である。ところが現状は、どの党も党利党略に走り、あたかも衆議院の延長のようになっていたのである。
 先生は、政治団体結成に踏み切った理由について述べられています。

 山本伸一が 「公明政治連盟」 という政治団体結成に踏み切った最大の理由は、創価学会は、どこまでも宗教団体であり、その宗教団体が、直接、政治そのものに関与することは、将来的に見て、避けた方がよいという判断からであった。いわば、学会として自主的に、組織のうえで宗教と政治の分離を図っていこうとしていたのである。
 本来、宗教団体が候補者を立てることも、政治に関与することも、憲法で保障された自由であり、権利である。宗教団体であるからといって、政治に関与することを制限するなら、「表現の自由」 「法の下の平等」、さらには 「信教の自由」 をも侵害することになる。

 憲法第20条には 「政教分離」 がうたわれているが、ここでいう 「政」 とは国家のことであり、「教」 とは宗教、または宗教団体をいい、国と宗教との分離をうたったものである。つまり、国は、宗教に対しては中立の立場を取り、宗教に介入してはならないということであり、宗教が政治に関与することや、宗教団体の政治活動を禁じたものではない。
 憲法にうたわれた 「政教分離」 の原則とは、欧米の歴史をふまえつつ、戦前、戦中の、国家神道を国策とした政府による宗教弾圧の歴史の反省のうえに立って、「信教の自由」 を実質的に保障しようとする条文にほかならない。
 したがって、創価学会が政界に同志を送り出すことも、学会自体が政治活動を行うことも自由である。

 宗教も、政治も、民衆の幸福の実現という根本目的は同じである。しかし、宗教が大地であるならば、政治はその土壌の上に繁茂する樹木の関係にあり、両者は次元も異なるし、そのための取り組み方も異なる。
 たとえば、核兵器の問題一つをとっても、核兵器は、人類の生存の権利を脅(おびや)かすものであり、絶対に廃絶しなければならないという思想を、一人ひとりの心に培(つちか)っていくことが、宗教としての学会の立場である。それに対して、政治の立場は、さまざまな利害が絡み合う国際政治のなかで、核兵器の廃絶に向かい、具体的に削減交渉などを重ね、協調、合意できる点を見出すことから始まる。

 また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ。
 そうした意味から、やはり、宗教団体のなかでの政治活動と宗教活動との、組織的な立て分けが必要であると伸一は結論したのだ。そして、政治活動は政治団体が主体的に行い、学会は、その支援をするという方向性を考えてきたのである。
   (新・人間革命5巻・302P)

 創価学会が、直接、議員を選出させても、憲法で保障された自由であり、権利である。しかしながら、「政教分離の原則」 を勘違いして誤認識している人や、あるいは、あえて意図的に誹謗中傷する人も中には居るのである。
 したがって、学会組織内から直接的に選出させれば、紛(まぎ)らわしくなり 「政教一致」 との批判がなされるようになるであろう。ゆえに、政治活動は別団体にして、宗教活動との組織的な立て分けが必要になるのである。

 「学会の目的は、民衆の幸福の実現です。そして、そのためには、世界の平和を築き、社会を繁栄させていかなくてはならない。すると、必然的に私たちは、政治、経済、教育、平和運動など、広い意味での文化を推進する活動を展開していかざるをえない。

 それらの文化を創造する主体である人間を育み、社会建設の土壌を開拓していく母体が、宗教団体である創価学会です。この学会という母体から育った人材が各分野で、必要であれば、それぞれ団体や機関をつくり、社会に貢献していくべきであるというのが、私の考えです。それは、何も政治の分野だけでなく、音楽・芸術や学術の分野でも、また、教育や平和研究の分野でも同じです。
 今回、政治団体を結成するということは、その突破口を開くことになる」
 ………
 「ただ、勘違いしてもらっては困るのは、この政治団体は、学会のためのものではない。
 私は、そんな小さな考えではなく、広く国民の幸福を願い、民衆に奉仕していく、慈悲の精神に貫かれた新たな政治団体をつくろうとしているんです。
 私の願いは、政治団体がスタートしたならば、一日も早く自立し、民衆の大きな信頼と支持を得るものにしていってほしいということです。

 学会は、その母体として今後も選挙の支援はしていきます。しかし、具体的な政策については、皆でよく話し合い、すべて決定していくんです。やがては、学会が支援などしなくても、この政治団体の政策と実績に、多くの国民が賛同し、また、一人ひとりの議員が幅広い支持と信頼を得て、選挙でも、悠々と当選するようになってもらいたい」
   (同書・308P)

 池田先生は、“この政治団体は、学会のためのものではない。私は、そんな小さな考えではなく、広く国民の幸福を願い、民衆に奉仕していく、慈悲の精神に貫かれた新たな政治団体をつくろうとしているんです” と仰っています。
 この先生の思いを、今回の公明党への支援活動を通して、広く国民の皆様にお伝えして参りたいと思います。よろしくお願いいたします。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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大局感に立て

直接公明党に関わる話題ではないのですが、

水滸会のときに戸田先生が、
「水滸会のことだけ考えて、青年部全体のことを考えないのはいけない。
青年部のことだけ考えて、学会全体のことを考えないのはいけない。
学会のことだけ考えて、日本全体を考えないのはいけない。
(日本のことだけ考えて、世界全体を考えないのはいけない
(これはあったかどうか記憶があやふやです))」

この指導に触れ、公明党だけを考えて、日本全体を見ていない視野狭窄になってはいけないな。と気を引き締めました

「我日本の柱とならん
我日本の眼目とならん
我日本の大船とならん」

Re: 大局感に立て

> この指導に触れ、公明党だけを考えて、日本全体を見ていない視野狭窄になってはいけないな。と気を引き締めました
>
> 「我日本の柱とならん
> 我日本の眼目とならん
> 我日本の大船とならん」

 まったく、同感であります。
 大聖人さまのように、全世界の “柱・眼目・大船とならん” とありますように、気宇壮大に境涯をたかめて、
 しかも、足元をしっかり固めて、一歩一歩前進して参りましょう。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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